雲一つない夜空には本日の主役である綺麗な満月がでんと居座っており、その輝きに恐れをなした小さな星々が申し訳程度に散らばっている。
気持ちの良い秋晴れがそのまま赤く、そして黒く染まったようで、天候はもちろん肌に感じる気温もちょうど良い。
夏の夜に散々悩まされた音痴な蛙共の喧騒会も、今では秋の虫達の軽やかな演奏会に転じている。
例年ではこの日は特に雨が降る事が多いのだが、今日に限ってはその心配は杞憂に終わった。
気分を害するものは何一つない、まさに中秋の名月と呼ぶに相応しい夜だった。
俺と同じように、こうして月を見上げている人もきっと多い事だろう。
唯一足りないものがあるとするなら、ススキくらいだろうか。
元来、俺はこの月見という風習について大した興味はない。
頭の中の引き出しには、月を見上げながら団子を食う、という程度の認識しかなかった。
最悪、別に雨が降った所で問題はない。部屋の中で式姫達お手製の団子を味わうだけだ。
毎日見られるわけではないが、別に月なんていつでも見れるし。
隣には月のように淡く輝く毛並みの狐がいるが、彼女を誘った理由も『お月見』と『お尽身』を掛けただけの単なる言葉遊び。
二つ返事で了承してくれた彼女はそんな主の思惑など知る由もなく、無表情のまま月を見上げていた。
おさきは無表情ではあるが、無愛想ではない。ただ真意が理解しにくいのだ。
「…………」
こうして互いに座してからも、言葉の一つも交わしていない。
酒でもあれば多少饒舌になるのだが、生憎と手元の湯呑みに注がれているのは熱々のお茶である。
そういえば、お茶の代わりに酒を呑んでいる式姫もいたっけな。俺は何も言わなかったが……。
月が綺麗だなーとか、今夜は過ごしやすいなーとか。
そんな感傷は、一体何を話そうかという悩みにいつの間にか潰されてしまっていた。
二人の耳に届くのは、時折茶をすする音ともちゃもちゃと団子を咀嚼する音位である。
おさきは気まずさを感じているのだろうか。その横顔からは、俺には判別出来なかった。
「む……?」
「どうしました?」
かじりついた団子の中から、珍妙な物が。
「ほら、見てみろよ。イチゴだ」
苦笑しながら、かじった所をおさきに見せる。
「あら、本当ですね。誰が作ったのでしょうか……」
「まぁ犯人は大体分かるがな」
残りの分をぽいっと口に放り込む。これは団子ではなく苺大福だ。
『おーっほっほ。どうですか、私の作った苺大福は?』
『…………』
天狗のドヤ顔が脳裏に浮かび上がる。美味いが、それを伝えると彼女の高笑いが増長するのであえて何も言わない。
月見団子の中にこうした異物が混ざっているのには、ちゃんとした――いやちゃんとしているかどうか分からないが一応ワケがある。
「ねえ、皆でお団子作って交換しない?」
誰が最初に言い出したのか分からないが、ともかくそんな一言がきっかけとなって『お団子交換会』なるものが開催された。
お月見ってそんな行事だったっけと俺は首をかしげたが、和気藹々と団子作りに励む式姫達を見ているうちにそんな疑問は吹き飛んでしまった。
……料理とは無縁な、ある一人の式姫を除いて。
結局、一人手持無沙汰にしている夜摩天を連れ出して団子の代わりにと別の和菓子を買って来たのだが、
「……何やってんだ?」
九尾や飯綱が何故か稲荷寿司を握っていたり、タナトスがおはぎを作っていたり。
いやいやいやもうそれ団子じゃねーだろ、と突っ込もうにも時既に遅し。生真面目に普通の団子を作っているのは少数だ。
『お団子交換会』は、俺が留守にしていた数刻の間に『お団子とかまぁ色々交換会』へと変貌してしまっていた。これでいいのか主催。
とまぁそういうワケで、通常なら白一色で埋め尽くされるはずの皿の上には大小様々色取り取り、
どら焼きや稲荷寿司、おまけに冷めたたこやきまでごちゃ混ぜになった珍妙な『月見団子』が小山を形成していた。
見た目からして不格好ではあるが、式姫達の個性が見え隠れしており、
いかにも皆で作りました感が出ているのでこれはこれでアリと言えるかもしれない。
普通なら手を伸ばすのすらためらわれる異様な光景だが、俺には食べ物を粗末にする方が許せなかった。
出された物は食べるしかないのだ。大元の責任は、お団子交換会を早急に中止にしなかった俺のせいである。
隣で腰掛けているおさきは、顔色一つ変えずに団子――いやまっとうな団子の方が少ないので
あの口の中には団子以外の何かが入っている確立の方が高い――を咀嚼していた。
月見団子は嫌いでも好きでもない。
同じ物を何個も食べると流石に飽きてしまうので、やはりこれで良かったのだろうと俺は無理矢理納得した。
「オガミ様」
じっと月を見上げたまま、唐突におさきの方から切り出してきた。
「うん?」
「月が綺麗ですね」
「そうだな……」
恐らく、深い意味はない。
彼女が博識かどうかは分からないが、少なくとも相手の顔を見つめずに告白する程馬鹿ではない。
俺はしばらく考え込み、わざと本筋から外れた返事を口にしてみた。
「月はいつだって綺麗だよ。何も今夜に限った事じゃない」
「あら、そうなのですか?」
「こういう事を言うのは、無粋かもしれんが……」
俺はかいつまんでおさきに月の満ち欠けについて説明した。月に兎がいない事も含めて。
欠ける日もあれば見えない日もある。それはあくまで見た目の問題であって、実際に月が欠けたりしているわけではない。
天然純度百パーセントの天球は、必ず自然の法則に従って動いている。
「だからまぁ、白かったり黄色かったりするのも錯覚だ。本当に変色しているわけじゃない」
「なるほど」
時折、感心するように頷くおさきに対して、俺はだんだん申し訳なくなってきた。
「……まぁ今夜の月が綺麗に見えるというのも別におかしくはない。
十五夜という言葉による補正と、日々不完全な月を目にしているせいだろう」
そう。
アレは日常から歪な姿を晒しているからこそ、満月という完璧さに惹かれるのだ。
俺はそこで講釈を終え、適当な団子を口に放り込んだ。
お、今回は具なしの当たりだな。真っ白が当たりというのも変な感じがするが。
「私も、月のようになりたいです」
「何?」
満月は人々を狂わせるというが、この狐もあてられたのだろうか。
そもそもおさきの場合は普段の言動からして――いやこれ以上は止めておこう。
「あんな風に、多くの人々を照らして役に立つ事が出来たらなぁと」
「……何言ってやがる。その毛並み、十分明るいだろうが」
苦笑を交えて指摘する。
「照らす事と、役に立つ立たないは別の話だ。ああ見えて、満月ってのは割と危ないんだぜ」
「どうしてですか?」
「隠されているものを、浮かびあがらせるからだ」
本能とか、獣性とか、まぁその他諸々。呼び方は色々あるので省略する。
小賢しい奴め、と月を見上げながら心の中で舌打ちした。自分は裏を見せない癖に、生き物の裏を露わにしやがる。
「おさきだって、知られたくない事の一つや二つあるだろう?」
「私は…………」
おさきの表情が曇り、主の視線から逃げるように顔を伏せた。彼女が下を向くなど滅多にない事である。
それ以上の言葉は続かなかったが、何も言わずともその態度が是非を雄弁に語っている。
「月はな、決して裏側を見せようとしないんだ」
「…………」
「おさきが俺に裏を見せようとしないのなら、いつか本当に月になっちまうかもしれないな」
独り言のように呟いて、俺はゆっくり湯呑みを傾けた。
煌々と輝き続ける満月を眺めながら、おさきの『裏』について考えてみる。
月になりたいという彼女の言葉が本気なのか冗談なのか判別できないけれど、
今の自分から離れたいという現実逃避な意味を含んでいるのなら――。
裏にあるのは、激しい憎悪と後悔だろうか。
『誰かを助けるというのはね――』
あぁ、そういえば月を見上げながらそんな事を語っていた人がいたっけな。
役に立ちたいという強い気持ち。
誰かの役に立てたという誇りは、いずれ役に立てなかったという罪悪感に飲み込まれていく。
それでもおさきは、俺の前では微笑み続けるのだろうか。
「おさき。お前には無理だよ」
「え?」
「お前じゃ月にはなれん。まぁどうしてもというのなら止めないが」
俺はそこで言葉を切り、顔を上げてきょとんとしているおさきを見つめる。
「俺の手の届かない所で、冷たく輝き続けるよりはさ」
空になった湯呑みを差し出す。
「俺の手の届く所で、暖かいままでいてくれ…………た方がいい」
いてくれ、の後ろに妙な間があったが、これは恥ずかしくなって慌てて付け加えたのである。
くっ、無意識のうちに告白じみた言葉になってしまった。
そんな主の意図が伝わったのか、おさきはふふっと湯呑みを受け取り
「はい、ありがとうございます」
と柔らかに微笑んだ。
天上に居座る月とは対照的な、地上に鎮座するこの月が、いつか自分から裏を見せてくれる日が来るのなら。
どうかこの『身』が『尽き』るまでに……。
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おさきさんとお月見するお話です。
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