No.96345

ノート

あおはねさん

病弱な彼女にノートを貸し続けてきた俺。だけど、年も明けもうすぐクラス替え。このままでいいんだろうか。

有川浩の主題におけるクーデレ即興曲……のつもり。

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2009-09-20 12:10:47 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:645   閲覧ユーザー数:612

 

 入学以来何度目だろう。文庫本を読みながらそっと横目で伺う。隣の席のこいつはひたすら身体が弱い。季節の変わり目には折り目正しく風邪を引き、冬が到来すると見事に熱を出す。二月の終わり、今期二度目のインフルエンザから生還した彼女は自らの席で俺のノートを写すことに集中していた。

――全く、何だってこんなに身体が弱くて――

「何?」

 こちらに向けられた怪訝そうな視線。どうやら見つめたまま惚けていたらしい。何でもないよと誤魔化すように答えて、手元の本に視線を戻す。そう、という返事と共に再び鉛筆がノートの上を走りはじめる。おずおずと今度は視線だけ動かし様子をうかがう。

 額にかかる柔らかな髪は夕陽に透けて珈琲色。ノートを見つめる瞳は長いまつげに縁取られ、暖房がいささか暖かすぎるのか、色白の頬が薄い朱(あけ)に染まっている。全く、何だってこんなに身体が弱く――そして、こんなに可愛すぎるんだろうか。

 

 最初は四月だった。名字の読みで決められた無機質な出席番号。それを六列掛けるの七席で割った適当な席順で隣同士になったのが縁だった。軽い風邪で休んだ彼女にノートを貸して欲しいと言われ、暇だったので放課後残って写し終わるまで隣の席に座っていた。それだけでは手持ち無沙汰だったので言葉を交わした。それが始まりだ。

 それからは欠席の度にノートを貸し、話をした。普段はそれほど勤勉ではない俺も氷山が休みの時だけは授業中の沈没を気合いで乗り切り、出来るだけ分かりやすく綺麗な字でノートを取るようにした。思えば最初に声を掛けられた時から一度も面倒に感じたことがないわけで、その時点で俺はこいつに参ってたんだと思う。

 そうした一年がもうすぐ終わる。来年も同じクラス、隣の席だなんて偶然はあり得ない。そんなことを考えていたからだろう。気がつけば俺はこんなことを訊いていた。

「今更だけどさ、なんで俺のノートなの? 前田さんとかに借りればいいのに」

 彼女は顔を上げる。基本的にクールな彼女が眉を寄せているのは、俺の質問が意外だったからだろう。

「舘野のノートは良くまとまってるし、字が綺麗で読みやすい。それに前田は少なからず寝てるから役に立たない」

「実に分かりやすい答えをありがとう」

 俺はため息をつく。こいつはこんな奴なのだ。可愛いし大人しいからそれなりにもてるけれど、交際の申込みに首肯したことはなく、女子同士の恋愛談義も一歩引いたところから見ている。そんな冷めたところがある奴なのだ。だからだろう。俺は手元に目をやったままいささか拗ねた口調で世にも格好悪いことを口走っていた。

「言っとくけど、俺だっていつでも分かりやすいノートをとってる訳じゃないからな」

 口にした直後に全力で後悔したが、遅い。恐る恐る氷山の方を伺うと彼女はこちらをまっすぐ見つめて――知ってる、と言った。

「は、は?」

「知ってる。他のページを見たら分かる。字だってそんなに綺麗じゃないし、図は適当だし、不自然に行が空いてるところは多分寝てるんだと思う」

「え、え?」

「でも、私が休んだ日のはとても綺麗。今更だけど――出来ればその理由を知りたいと思う」

「え、あ、え?」

 情けなく視線をさまよわす俺。そしてそんな俺を射抜くように見つめ続ける彼女。

「いい加減、あなたは疑問に思うべき。コピーくらい簡単に出来るのに、私が手書きで複写してる理由を」

「ノートに直接書くのが好きなのかなって……」

 それに――と彼女は俺の言葉を無視して両手を頬に当てる。

「今、頬が熱いのだって、多分暖房のせいだけじゃない。他に思い当たる理由がある。

 ――もし私の理由があなたの理由と一緒ならとても嬉しく思う」

 そこまで言われて分からないほど朴念仁ではなかった。だけど、そのことを知ってなおすぐに応えることが出来るほど度胸があるわけでもない。

「き、きっと同じだと思う」

 たっぷり三十秒ほどたってから唇から漏れた声はかすれていて、自分の声じゃないように感じられた。だけど、それは間違いなく俺の声で、間違いなく俺の言葉だ。だから、俺はひとつ咳払いをしてから彼女に理由を告げる。かすれた声なんかじゃなく、もっとはっきりと聞いて欲しいから。

 彼女はそれを聞いてにっこりと笑った。それだけでも可愛いのに、思ったよりもずっと嬉しいみたいだ、なんてそんなことを言ってみせるのだ。出会った時から参っていた俺だけど、これにはもう勝てる気がしない。

 

 帰り道、もし来年、違うクラスだったらノートは取ってあげられないね、と言うと、折角、あなたと仲良くなれたんだ。休まないよう努力する、などと嬉しいこと言ってくれる。だから――

「病は冷えからって言うからな」

 と無理矢理かこつけて、彼女の赤くなった手をぎゅっと握ってみせた。押されっぱなしだったので一矢報いるつもりだったのだが、歩きながらまじまじと見つめられると悪いことをしたのかと思ってしまう。恐る恐る視線を向けると「これは良いね。暖かい」と微笑む彼女がいてホッとする。

「でも、本当は手袋の方が良いのかもな。反対の手も温かくなるし」

 そんな俺の言葉に、しかし、彼女は首を振る。

「この方が良い。この方が内側から暖まるような気がする」

 そ、そうかな、なんて照れる俺とそうだとも、と断言してみせる彼女。これからもしばらくは押されっぱなしな日々が続くんだろうなとは思うのだけど、そんな日々は決して嫌なものではないだろうなとそんな風に思うのだ。

 

 
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