No.962971

うつろぶね 第二十七幕

野良さん

式姫プロジェクトの二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/962862

2018-08-08 20:30:11 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:650   閲覧ユーザー数:644

 大っ嫌い。

 

 静かな海の上を、その言葉が流れていく。

 その言葉が耳に入り、頭が理解し……そして、感情が拒否した。

 大きな顔が、途方に暮れた表情を浮かべた。

「……キラい?」

「そうよ、大嫌い」

 でもね……。

「貴方が悪いわけじゃない」

 理由なんてない。

「貴方が私を好いて下さったように、私は貴方を嫌ったの」

「こんなニ、ワシガ……アイしても?」

「そうよ、どれ程愛して下さっても、私は、貴方が大嫌い」

 感情に理由は付けられない。

 嫌い、どうしても大嫌い。

 どうしても愛してしまう。

 それは表裏一体の心の動き。

 

 それを聞いて、仙狸は静かに頷いた。

 それが世の理なのだ。

 どれ程愛そうが届かぬ思いもある、どれ程冷静に見ようと思っても、嫌ってしまう。

 理と智は、人が己を御するための大事な柱ではあるが。

 それで、己の全てを御せるようには、人は出来てはいないのだ。

 

「……ヒメ……よ」

「納得できるか否かは、どうでもいいわ……私は貴方にお別れを言いに来たの」

「ワカ……れ?」

 大きな顔が途方に暮れた表情を浮かべる。

「ええ」

 対する彼女に、迷いは無かった。

「私は帰るわ」

 ここから。

 この海の上に作られた、偽りと幻の街から。

 海市から、去るわ。

「ドコに?」

「ははさまの所」

 私の魂と想いが最後に帰りたかった所に。

「ねぇ御坊様……」

 澄んだ笑みを浮かべて。

「貴方も帰る時よ」

 もう、全てが終わったの。

 命が果てた事も気が付けなかった二人と、偽りと幻を乗せて彷徨っていた。

 

 うつろぶねの漂流は、終わったの。

「ワシの……帰る場所?」

「ええ、在る筈よ」

 最後の時に、自分を還したい場所。

 魂の奥津城(おくつき、墓所)を。

「それを思い出して」

 

 姫と、先代の住職だった男が、互いを静かに見交わす。

「姫よ」

「なぁに?」

「儂が、嫌いか」

「ええ、大嫌い」

 不思議な事に、そう言い交わした二人は、笑みを浮かべていた。

「そうか……そうなのじゃな」

 そう呟いて、彼は俯いた。

 小刻みに、大きな顔が震える。

 泣いてるのか……そう一瞬見えたが、そうではなかった。

 くっくっく。

 心底愉快そうに、彼は笑っていた。

 邪気も、皮肉さもなく、心から楽しそうに。

 一しきり笑った後に、あげた顔を見て、仙狸は驚いた。

 別人か……そう思う程に、その顔は端正で落ち着いた物で。

 そうか……これが。

 今の住職が、かつて師と仰いだ、男の顔か。

「姫が、儂にはっきりと物を言うてくれたのは、これが初めてじゃなぁ……」

 いつも曖昧に笑い、確たる答えを返さない。

 相手に答えを想像させるのは、恋の駆け引きの基本ではあるが。

「そうね」

 ふっと、姫がどこかほろ苦い笑みを浮かべた。

「ちゃんと、言葉にして伝えるべきだったわね」

「そうじゃな……いや、判っては居ったのじゃ……だが、それを悟りたくないと、目を閉ざした儂が悪いのじゃが」

 穏やかな笑みを浮かべ。

「良き引導を渡してもろうたよ」

 そう口にした顔が崩れていく。

「さらばじゃ、姫よ」

 ありがとう、儂の蒙を断ってくれて。

「ええ、さようなら」

 姫の見守る中で……真紅に染まった海の中に、白い、蜃の死肉が完全に崩れ落ち……海の底に沈んで行った。

 

 さようなら、彷徨い続けた悲しい人たちよ、今は安らかに。

 わたし……あなた達の事を忘れないよ。

 

 姫が自分の顔に手を伸ばし、ぐっと掴み。

「お主……」

 それを外した。

 おお、と仙狸の口から嘆声が漏れる。

 

 仮面。

 

 外れた顔が、白い仮面に変わる。

 豊かにうねる髪も、豊麗な体も、幻のように消える。

 そこに居たのは、見慣れた、小柄な姿。

「カク!」

 鮮烈な赤毛と、同じ色の長い尻尾がふわりと揺れる。

 中空に浮かんでいた体が、支えを失ったように、ぱしゃりと海に落ちた。

「カクよ、大丈夫か!」

 出そうとした声が掠れる……近寄ろうと思うが体がまだ、まともに動かない。

 仙狸の言葉に、ややあって、水音が上がったあたりから、こちらも力ない声が上がった。

「……多分、仙狸さんよりは」

「くっく……言いよる」

「えへへ……」

 暫し、静寂が訪れた海の上で、式姫二人の笑い声が、波の音と共に優しく響いた。

 

 力を使い果たした二人が、月明かりに照らされた海の上にぷかぷかと浮かぶ。

「あの姫がお主だったとはな、見事としか言いようが無かったぞ」

「……お褒めに与り恐縮、と言いたい所だけど、私にも良く判らないんだ」

 あれは確かに自分だった。

 だが、間違いなく、あの時の自分は、自分では無かった。

 姫君が、あそこにいたのだ。

 そして、彼に引導を渡した。

 姫君だったからこそ、彼もまた、引導を受け入れた。

 

 だが、あれが姫君の筈は無い。

 海市の、いや、蛭子珠の破壊によって、姫は確かにあの時解放された。

 もう、この世に魂も存在はしていない。

 私は、それを見届けたんだ。

「我こそは、海の向こう、唐の国よりはるばる来たりし、客人神なり」

 少女の前で、カクは棍でどんと大地を叩き、大見得を切った。

 その顔が、いつの間にか、真っ赤な顔に金の毛を持つ猿神のそれに変わる。

 それを見上げて、少女が恐る恐る声を掛ける。

「まぁ、貴女はどんな神様なの?」

「よくぞ聞いた」

 そう言って、カクは棍をぐいと構えた。

「我は武神」

 びゅんびゅんと棍を唸らせて、少女の目の前で、力強くも流麗な演武が披露される。

「凄いわ」

 感嘆の吐息と眼差しを受けながら、演武を終えて、カクは棍を構えなおした。

「そして、我は、英雄神の化身にして、この棍の一撃で、全てを破砕する神なり」

「まぁ、怖いわ」

「そうであろう、だが我の破壊は必要な事なのだ」

 世界を終わらせ、そして始める為の。

 再生の前の破壊を司る者なり。

「では手始めに、そなたの大事な、この場所を破砕してくれよう」

 ぶうんと、大きく棍を振り回すカクに、姫君が取りすがった。

「ああ、ああ止めて、ここだけは」

 ここは私の大事な大事な場所なの。

「ならぬぅ、この街は壊さねばならぬのだぁ!」

 

 万座の舞台の隅々まで届くような雷喝と共に、カクの振るった棍が、真紅の光となって海市を一閃した。

 突風と轟音を伴い振るわれた、必殺の一撃。

 万人に、全てを破壊するに足ると思わせるに十分な、大迫力の一撃だった。

 その一撃で、海市が揺らぎ、崩れていく。

 それを見ていた少女の顔に涙が伝った。

 

 海の向こうの、貴方のお父様がいらっしゃる街にはね、毎日毎晩市が立って、人が集まって、賑やかで、楽しくて。

 それはそれは、素敵な場所なのよ。

 いつか、連れて行ってあげるからね。

 

 海市が消え去った。

「さようなら」

 さよなら、ははさまがくれた、私の大事な宝物。

 

 カクが為すべきだった事。

 姫君の幻想を、破壊する事。

 ここには何もないと……彼女に納得させるための。

 そんな芝居を、この世界の神たる姫君に奉納するために、カクはここに来たのだ。

 

 姫君の想いが解放され、外部からも一撃を受けていた蛭子珠が完全に砕けた。

 その裡に封じられた、様々な力や、人の魂が解放されていく。

 その中で。

「ありがとう……えっと」

 カクをじっと見つめる、姫君の姿が消えて行く。

「カクだよ……私の名前はカク」

「そう……ありがとう、カク」

 私、やっとははさまの許に行けるわ。

「さよなら、もう、迷わないでね」

「ええ」

 最後に姫君は、少女だった頃のような笑みを浮かべて。

「さよなら、カク……楽しいお芝居をありがとう」

 姫君の笑顔が、光の中に消えた。

「……どういたしまして、楽しんでくれてありがとうね」

 

 その光が完全に消えるまで、カクはじっと見送っていた。

 魂が、自ら望んで輪廻の輪に還った。

 私はそれを見届けたんだ。

「……良く、判んないよ」

 あの時の私は、私で、だけど、姫さんで。

 思い返すだけで、頭がぐるぐるする。

 

「左様か」

 カクの述懐を聞きながら、仙狸は内心で頷いた。

 役者とは、突き詰めれば自分以外の何かになる事。

 仮面を付けた時、人は己以外の何かになる。

 姫君の魂と直接言葉を交わし、その生の喜び、涙、怒り、そして悲しみを刻んだカクの心の中に。

 姫の仮面が作られたのだ。

 だから、その仮面を被ったあの時のカクの行動も、言葉も、いや魂すらも、姫君その物となった。

 芯から、役者なのじゃな……お主は。

 

 姫君の身に起きた事を、客観的に見るだけだった自分と、彼女の魂と言葉を直接交わしたカク。

 それは、冷静に一歩引いて物事を見極める自分と、只中に飛び込み、感情を共にするカクの違い。

 別に、今日この状況を想定していた訳ではないが……此度の調査の同伴者が彼女で本当に良かった。

 自分だけでは、二人を救う事は出来なかった。

 カクよ……お主と共に戦えて、わっちは、幸せ者じゃよ。

 

「大したもんじゃな、お主は」

「え……何が?」

 自分が成し遂げた事がいかに凄い事か、まるで判っていない様子のカクの声に、仙狸は淡く微笑んだ。

 いや、だからこそ、か。

「ふふ……何でもない、お互い無事で良かったと思っただけじゃ」

 その真っ直ぐな魂よ、願わくばそのままで。

 その、至純の芸道を貫いてくれ。

「ほんとにね、あー、お腹空いた」 

「全くじゃな、さて、食事にありつくには、どうにかして生きて帰らねばならぬが」

 そう言って見上げた月を横切る影がいくつか見えた。

 翼持つ人の姿。

 それを認めた仙狸とカクが手を振ると、その人影もこちらに気が付いたのか手を振り返した。

 そこから声が降ってくる。

 海を揺るがす天狗声。

「仙狸さんとカクちゃんはっけーん、みんなー二人とも無事だよー、おーい、二人ともーおつのちゃん達が加勢に来たよー、気をしっかり持てー、というか、浜を飲みつくすかもしれない馬鹿でっかい敵ってのはどこー、蛤ならお吸い物とか焼いたりして料理してやるぞー!」

 おつのの言葉を聞いた、仙狸とカクが、何とも言えない顔を見合わせて、僅かにため息をついた。

「あれあれ、何よーその態度はー、これでも仙狸さんのお手紙貰ってから、動ける式姫全員で助けに来たんだよー、そういう態度はいただけないなー」

 ぷーっと膨れるおつのの可愛い顔に、仙狸とカクは苦笑を向けて、頭を軽く下げた。

「すまんすまん、おつの殿」

「ごめんよ、おつの姉ちゃん……けど」

 人の願いと欲と野望が絡み合って生まれた、海市と。

「ちと、遅かったのう」

「えー、何それ、どういうことー?」

 それを巡る、二つの悲しい魂のお話は。

「もう、幕は下りちゃったのさ」

 


 
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