No.962044

うつろぶね 第二十四幕

野良さん

式姫プロジェクトの二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/961802

少々インモラルな表現があります、苦手な方は避けて下さい。

2018-07-31 20:20:55 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:673   閲覧ユーザー数:666

「綺麗な所だね」

 カクと姫君は市の中をそぞろ歩いていた。

「ええ……綺麗でしょ」

 夢見る様に、うっとりと姫君が辺りに視線を彷徨わせる。

 艶麗な、多くの男を惑わせ、その人生を狂わせてきた、魔性の美を秘めた姿ではあったが、きらきらと輝く瞳と、うっすらと浮かべた、邪気のない笑みは、彼女が最前の少女と同じ人である事を、カクに教えてくれる。

「私、ずっと、ここに来たかった」

 幼い日の、一番美しい思い出の中。

 大好きな人と、一緒に歩いた、朧な記憶。

「……来られたんだよね」

 今ここで、こうして……終わらない夢の中に。

「そうね」

 彼女は、寂しそうにカクに笑い返した。

「来た、という言葉は正しくないわね……私は、気が付いたらここに居たわ」

「そうなんだ」

 言葉少なに、カクが相槌を打つ。

 仙狸から聞いた言葉が脳裏に甦る。

 数十年前の、あの時。

 寺で蛭子珠を見た時、彼女は既に、その魂の半ばを、蛭子珠に取り込まれたのだろう。

 蛭子珠は創世の力。

 このお姫様が、何故こんな市の景色を夢見ていたのか、カクは知らない。

 だが、確かな事は一つ。

 姫が心の中に常に抱いていたこの想いと景色に、蛭子珠が感応し、その裡に世界の卵を作り出した。

 そして、彼女はその景色に魅せられ……その魂が、この蛭子珠の中に囚われた。

 その身は滅んだが、魂だけが、この中で、夢を紡ぎ続けていた。

 あの海市は、そして、蛭子珠を抱え、あの先代住職の傍らに立っていた彼女は、このお姫様の夢が、蛭子珠の外に漏れ出た、朧で、うつろな影。

 では、自分もまた、蛭子珠の中に囚われてしまったのだろうか。

 

 カクは、改めて辺りを見渡した。

 光と幸福に満ちた光景。

 ……でも、こんな綺麗な場所なのに。

 幸せな夢なのに。

「……何で」

「ん、なぁに?」

 笑みを返す彼女を正面から見たカクの目の端に、涙が一滴光っていた。

「貴女は、少しも嬉しそうに見えないよ」

 そのカクの表情をじっと見て、姫は静かに口を開いた。

「そう……そう見える?」

「……」

 無言でカクは頷いた。

 姫は変わらず、笑顔。

 だが、彼女の笑顔は……。

 艶麗に、無邪気に、蠱惑的に、驕慢に。

 いかに笑おうと、そこに、「彼女」は居なかった。

 恐らく、大半の人には気が付けまい。

 ただ、カクには判った。

 

 仮面。

 

 彼女は、どう振舞えば、どう笑えば、何を言えば、どこに居れば、男を狂わせ、破滅させられるかを知悉した。

 悪女を演じた、名女優。

「凄いよ……貴女は」

「褒められたと思っていいのかしら?」

「……そうだね、本当は駄目なんだろうけど、それでも」

 理非善悪とか、赦しとか……色々なこの世界の徳目は大事だとは思うけど。

 

 私は、役者として、貴女を尊敬する。

 しばし、二人は無言でお互いを見続けていた。

 睨みあう訳でも、探り合う訳でも無い。

 ただ、じっと。

 交わす目線の間で、雨滴が、静かに土の中に浸み込んで行くように。

 お互いの想いが、互いの中に浸み込んでいく。

 ふぅ……。

 どちらが吐いたため息だったのだろうか。

「この畜生並の私を、そんな風に言って貰えるなんてね」

「そんな事は……」

「私ね、父にこの身を任せたのよ」

「……!」

 言葉を失うカクを見て、姫は言葉を続けた。

「身を任せたというのは、正しくないかな……私が、父を……ううん、あの獣を誘った」

 ははさまを失い、代わりを求めていたあの獣を。

「あの男はね、私の優しいははさまじゃなくて……あの顔と体を愛したの」

 赴任先の一時の慰み者の心算だったのが、その姿を忘れられず。

 あの獣は、正妻に責めたてられる事が判り切っているというのに、ははさまを都に連れ帰った。

 その後は酷い物だった。

 有形無形の正妻側からの嫌がらせに、日々やつれていくははさまの姿を、今でも鮮明に思い出せる。

 だがあの男は、大してははさまを庇うでも無く……ただ、その欲のはけ口に、ははさまを飼っていただけ。

 そして、私が十五になる頃に、ははさまは死んだ。

 私にひもじい思いをさせたくない……その為に自分を捨てた男の元に戻り。

 その心をすり減らして。

 最後には、油が無くなった灯火が消えるみたいに……ふつりと、命が絶えた。

 

 ……ひどい……あんまりだよ。

 

 カクが、俯いて発した掠れた声に、姫は少しだけ眉宇をやわらかくした。 

「……ありがとう」

 ははさまの生を悲しんでくれて。

 そう呟いて、姫は顔を上げた。

 

 私は、あの獣を……私の大事なははさまの人生を食い散らかした、あの獣を憎んだ。

 破滅させてやりたかった。

 でも、私には戦う術が無かった。

 武も金も権力も無く。

 有ったのはただ、この身一つ。

 でも……貴族の姫君の嗜みだとか言われて読んだ、唐の国の歴史に、無力な身一つで歴史を変えた人の姿を見たわ。

 国を傾け、都城を滅ぼした、魔性の女達の話を。

 私が西施や夏姫の後を継げる等と、思い上がる心算は無かったけど。

 ただ一匹の獣を滅ぼす程度なら、私にも。

「ははさまと瓜二つのこの顔と、体を餌として……獣を罠に誘った」

 あれは、所詮、獣だった。

 人倫なんて、あの獣の欲望の前では薄紙みたいな物だった。

 一度箍が外れてしまえば、後は簡単に堕ちて行った。

 そして、私はあの男を破滅させる為に、動いた。

 あの獣の政敵を、私は巧妙に誘い……そして彼が私に溺れるように仕向けた。

 二人を鉢合わせさせ……彼が私とあの男の間に、畜生にももとる関係を結んでいる事を悟らせ……。

 後は、私が力づくで手籠めにあったと……そう、涙ながらに訴えるだけで良かった。

「もう、どうにもならないわ」

 元々敵が多かったあの獣では、後は、もう……坂道を転がり落ちるような物。

 あの青ざめた、全て失ったと悟った、惨めな獣の顔の、何と愉快だったこと。

 お前のせいで我が身の破滅だと、私を罵るあの顔の、何と滑稽だった事。

「だから、あの獣は、私を都において置けなくなり、あのお寺に預けた」

 顛末を見届けられなかったのは少し残念だったが、どの道、あの獣の未来は閉ざされた。

 今回の醜聞の始末を付けるために、随分と金を使う羽目になり、金づるだった、正妻の本家からも見放され、後はゆっくりと緩慢に落ちぶれていくだけ。

「後悔は無かった……それどころか、この上ない満足を感じたわ」

 晴れ晴れとしたその顔は、自分の戦いを完遂した者だけが持てる、崇高さすら感じさせるもので……。

 その顔の前では、復讐は空しいとか、貴女の幸せの方が大事だとか……そんな頭で考えた、お上品で利口な言葉の全てが、意味を失う。

 人は、感情持つ生き物は……例え我が身を滅ぼしてでも、血と泥にまみれてでも、相手の喉笛に喰らいつき、それを噛み裂かねば収まらない、そんな感情を、心の鬼を……抱く事があるのだ。

「……うん」

 だから、カクには、彼女に掛けられる言葉が見つからなかった。

 ただ、この憎しみを生み出した、彼女の一番大事な存在を踏みにじられた哀しみと怒りの深さを、思う事しか出来なかった。

 

 だけど……。

 

「……何でだい?」

「何が?」

 不思議そうにこちらを見る姫君に、カクは顔を向けた。

「貴女が父親を破滅させた理由は判ったよ……けど、さ」

 何で。

「何で、あの坊さんまで……」

 あの人は、話を聞く限りじゃ、そこまで貴女に悪い事はしてないよね?

 それとも、語られていない何かが有ったっていうの?

「……そうね、別に悪い人じゃ無いんでしょうね」

 姫君が、どこか遠い所に視線を泳がせ、他人事のように、そう呟いた。

 いつの間にか、海市はその姿を消していた。

 カクが最初に立っていた、白い光の中で。

 

「同じ目をしていたのよ」

 

 あの時、彼が私に向けた、あの目。

 自信に満ち、自分の行いが間違っているなどと欠片も思わず。

 己の生に疑問を抱いた事も無い。

 自分程の存在が愛したならば、女風情は、手も無く靡くと信じて疑わない。

 人の生を、無自覚に破壊して、恬も顧みない、傲慢で視野の狭い。

 私ではない、ただの綺麗なおもちゃを欲しがる。

 その安っぽい執着を、自覚も出来ない。

 他人(ひと)を、愛する事の出来ない。

 私が憎悪してやまない。

 

「あの獣と同じ……自分しか愛せない、小児(こども)の目」

 

 一目ぼれと言う言葉があるわよね。

 それと同じ。

 私は、一目で彼を憎んだ、許せなくなった。

 理性では無く、この心が。

 

「あの御坊様を、敵だと認めたの」


 
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