No.959221

Baskerville FAN-TAIL the 23rd.

KRIFFさん

「剣と魔法と科学と神秘」が混在する世界。そんな世界にいる通常の人間には対処しきれない様々な存在──猛獣・魔獣・妖魔などと闘う為に作られた秘密部隊「Baskerville FAN-TAIL」。そんな秘密部隊に所属する6人の闘いと日常とドタバタを描いたお気楽ノリの物語。

2018-07-07 20:41:19 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:640   閲覧ユーザー数:640

「おねーサマ、でんわー」

電話の子機を持ったまま部屋をぱたぱた歩いているセリファ・バンビール。

ようやく起きてリビングに来た姉であるグライダ・バンビールに「ハイ」とそれを渡した。グライダはそれを耳に当てると同時に、

「はい、どちら様で……」

『ああ姐さん、しばらくでした』

電話をかけてきたのは、グライダがよく知る漁師のイナだった。まだ若いが周りの人間に舐められないよう大して似合わない髭を生やしているので、皆彼の事を「イナ髭」と呼ぶ。

『ところで今日、時間ありますか?』

そんな彼の唐突な誘い。何だろうと聞いてみると、

『実は、ゴナの兄貴の婚約者が来るらしいんですよ。これから』

グライダは一瞬何を言われたのか理解できなかった。

一秒。二秒。三秒。

だいたいたっぷり十秒は経ってから、思い切り大きな声で叫んでしまった。

 

 

世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。

ここにも、朝はきちんとやってくる。

同時に、面倒な騒動までやってくる。

平穏な日は、一日としてなかった。

この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。

だからこそ、ここへ来れば――どんな職種であれ――仕事にあぶれる事はない、とまで云われている。

 

 

「最近大声出し過ぎよ、グライダ」

のんびりお茶を飲んでいた同居人で魔族のコーランがぼそっと注意する。

「セリファもお耳がへんになる~」

いつもは敬愛している姉に対して珍しくむくれているセリファ。グライダは「しょうがないじゃん」と前置きすると、

「だって。あのゴナさんの婚約者が来るとか言うんだよ?」

ゴナはこの町に住む漁師で、グライダの一つ年下にも関わらず親父臭い、もとい大人びている青年だ。

腕の方は確かなようで、組合で決めた漁獲量を越えない程度にたくさんの獲物を捕まえてくるのでも有名だ。

性格は典型的な「親父」で、時折その単細胞な荒っぽさには泣かされるものの、それでも頼まれれば嫌とは言えない鉄火肌なところと、それが口だけでないところに皆惹かれるのだろう。

そんな彼だが女性に関しては浮いた話一つなく、女遊びをしている様子もない。

強いて挙げればセリファのファンクラブ会長を自称しており、何かにつけて色々と便宜を図ってくれている事くらいか。

そんな彼に「婚約者」がいたなど、グライダも全く聞いた事がなかった。

確かに見知った人に婚約者がいると知っては、気にならない訳がない。

グライダはまだ切っていない電話に向かって、野次馬根性丸出しで尋ねた。

「あたし達も見たいんだけど、どこに行けばいいの?」

 

 

そんな話を広めた結果、駅にはゴナの婚約者とやらを一目見ようと彼を知る人間の大半がやって来ていた。

「兄貴。婚約者ってどんな人なんです?」

弟分のイナ髭の疑問も当然である。だがゴナは困ったように頭を掻くと、

「小さい時の写真しか持ってねーんだけど」

その質問を予想して持って来ていたのだろう。写真屋でよくくれる簡素なアルバムをパラパラとめくり、目的のページを「おら」と見せる。

「へええー驚いた。メッチャメチャカワイイじゃないっすか」

そのイナ髭の驚く声に「こっちにも見せろ」と人が押し寄せ、皆同じように驚く。

その写真に写っていたのは、鮮やかな黒髪を持つ、ちょっと気が強そうな十歳くらいの、ややぽっちゃりとした体型の女の子だった。

少しだぶだぶの武術の道着姿で心底おいしそうにアイスを頬張っている様子は、やはりかわいく写る。

「この写真は、あいつがスカウトされて旅に出る直前だから十年前……八歳の頃だな」

「じゃあ同い年なんだ」

写真を見たグライダが尋ねた。

「旅に出るって、武術の武者修行?」

「ああ。確か魔闘士(まとうし)だったかな」

魔闘士とは武闘家のように素手で戦う者だ。ただし使うのは「気」ではなく「魔法」。

魔法の威力を極度に一点に集中させ、弱い魔法効果を爆発的に高める戦法を取る。そのためには相手に接近する必要があるので、体術も磨くのが普通。武闘家と混同されやすいのだ。

その特徴のためか生まれながらに魔法を操る力を持つ魔族に多いのだが、ゴナの婚約者は純粋な人間だという。魔族であるコーランも「それは珍しい」と感心している。スカウトしたくなる気持ちも分かる。

人間にしては珍しい魔闘士。しかも浮いた話一つなかったゴナの婚約者というおまけ付。彼を知る者なら興味を持たない筈はなかった。

「会うの十年ぶりで、相手の顔とか分かんのかよ?」

特に興味もないと退屈そうにしているバーナム・ガラモンドがゴナに尋ねた。

彼は魔闘士ではなく武闘家。自らの流派を極めたとは言えないし、修行らしいものは何一つしてないが、それでもそれなりの強さを持っている。同じ武術を嗜む者同士気になったのかもしれない。

「さすがに顔は分からねーけど、たまに電話では話してるからな。ただ直接会うのが十年振りってだけで」

ゴナは珍しく照れくさそうにそう言うと、

「あいつが来る電車の時間はもうすぐだ。それに……」

ゴナは足元に置いていたボードを掲げた。そこには、

『ミッチ・ボウル様』

と書かれてあった。それが彼女の名前だ。

それなら確かに無事に会えそうである。その電車に間違いなく乗り込んでいれば、だが。

「昔からずいぶん食い意地張った奴だったからなー。多分、物食いながら来るんじゃねーかな」

十年前を思い出しているのだろう。苦笑しながらボードを掲げている。

やがて、ホームの方が騒がしくなってきた。きっと列車が到着したのだろう。少しずつ乗客が出口に向かってやって来る。

大きな荷物を抱えてヨロヨロする者。

コンパクトなザックを背負った旅慣れた者。

疲れた顔を浮かべつつも足取りが軽い者。

実に色々な人種が通って行く。

しかし。肝心のゴナの婚約者らしき人物の接触はまだなかった。

しっかりと彼女の名前が書かれたボードを掲げているのだから目に止まらない訳はないと思うのだが……。

ところが。そのボードに反応した人物が一人いた。

上下ジャージ姿の、長身で若い女性だ。長いブロンドの髪をポニーテールにし、ゴナの掲げるボードを見上げている。

その口に干し肉をくわえて。

彼女はボードを掲げるゴナの顔を穴が開くほどまじまじと見つめると、

「……ひょっとしてゴナちゃん? おっきくなったなー。見違えたねー」

親父臭い男を「ちゃん」づけで呼ぶ異性。

明らかに彼、それも昔の彼を知る者の反応だ。

「ミッチよ。出迎えありがと」

その可愛らしい声の自己紹介に、ゴナはもちろん周囲のギャラリー――特に幼少の頃の写真を見ていたメンバーは落胆と衝撃の色を隠せなかった。

なぜなら。彼女ことミッチ・ボウルは確かに細身の顔で背が高く大きいが……。

横幅の方も見事なまでに大きかったのだ。

有り体に言えば見事な肥満体型だったのである。

 

 

このシャーケンの町に、地上を走る列車の駅は一つしかない。地上を走る列車は町と町を結ぶためのものだからだ。町の中の公共交通機関はバスかタクシーか地下鉄になる。

そんな彼らがバスに乗っているのはミッチが原因である。

「やっぱりこの町に来たら『白身魚の香葉(こうば)包み焼き』食べなきゃ」

早速買ったスポーツドリンクをがぶがぶ飲みながら、笑顔でそう言ったのである。

この一言で、一同は通い慣れた安食堂「ヘルベチカ・ユニバース」に向かう事になったのだ。

もっとも。十年前とのギャップがあまりに大きかったためか、ギャラリーの大半は呆れて帰ってしまっていたが。

バスからの車窓を懐かしそうに眺めるミッチを見ながら、ゴナは残ったメンバーを紹介していく。

ミッチの方も物怖じしない性格ですぐ皆と打ち解けた。特にセリファがミッチに懐いたのを見て、

「セリファちゃんが好く奴に悪い奴はいない」

と、ゴナは何度もうなづいていた。ミッチの方も、

「ゴナちゃんがよく話してくれるセリファちゃんだよね? 話に聞いてた通り、ホンット可愛いなあ」

まるで仔猫をあやすように、やさしくセリファの頭を撫でている。それがセリファも嬉しいらしくミッチに抱きつくように甘えている。

「でさ。今のゴナちゃんってどんな感じ?」

セリファの頭を撫でる手を止め、ミッチは手近にいたグライダにストレートに尋ねた。

「どんな感じって言われても……」

十年振りに会った婚約者の手前、多少は誉めておこうか。いやいや。たとえ見限られても正直に言うべきか。

グライダの頭の中は激しい葛藤に見舞われていた。

そんな様子がおかしかったのだろう。ミッチは小さく吹出すと、

「ま、昔からガキ大将っていうか、みんなのリーダーって感じだったけどね。今は漁師なんでしょ、ゴナちゃん?」

「ああ。けどゴナ『ちゃん』はもう止めろよ」

その言葉にミッチは視線で「ごめん」と謝ると、

「じゃあお父さん達と網元(あみもと)として頑張ってるんだ。いーねー」

網元とは、いわばその町の漁師達のリーダーである。網や船を所有し、漁師を雇い、漁場の仕切りや管轄などの最終決定権・管理権も持っている。

港町であるシャーケンでは、やはり海に関する職業の人間は一目置かれる。それなりの地位を持つのがゴナの実家なのだ。

「漁師は新規参入の少ない職業だ。自然世襲制に成り易い。将来は町の名士と云う訳だな」

話を聞いていたロボットのシャドウが静かに言う。

「将来の網元夫人という訳ですね」

話を黙って聞いていた神父のオニックス・クーパーブラックが笑顔でそう言うと、

「そうなるの……かな。将来的には」

ミッチは冗談ぽく笑顔でそう言うと、ポケットから干し肉を出して口に放り込む。それを見たゴナは、

「よく食うなぁ、お前。そこは全然変わってねーな」

「ゴナちゃんだって、小さい時から全然変わってないじゃん。さっきも一目で分かったし」

「ちゃん」をつけてしまった事に気づき「しまった」という顔をしたミッチは、

「それに、しっかり食べて栄養と体力つけなきゃ、魔闘士なんて勤まらないもん」

ミッチは堂々と胸を張って(太っているので胸より腹の方が出ているが)元気に言うと、

「こう見えても、己を磨く努力は怠ってないんだから」

「何言ってんだよ。こんな丸々とした武闘家なんて聞いた事ねーよ」

「武闘家じゃありません。魔闘士ですぅ」

違いに容赦ない言葉を浴びせ合う。だがそれも直接会うのは十年振りとはいえ、つきあいの深い二人だからこそ。

「でも、一体何しに帰ってきたの?」

コーランが不思議そうに尋ねた。

「別にケガで現役引退した訳でもなさそうだし、人間の魔闘士は珍しいから、向こうから破門されたとも思えないし」

人間でわざわざ弟子にして武者修行の旅をさせたのだから、才能はあった筈である。見込み違いだったという可能性もない訳ではないが、それならもっと早い時期に破門される筈だ。

彼女がどんな魔法で戦うかは分からないが、そんな珍しい存在を十年も経ってから手放すのはやはり不自然な気がする。

武闘家なら太ったからという理由が成り立つかもしれないが、魔法で戦う魔闘士に、あまり体型は関係ない。実際ガリガリに痩せた魔闘士や球のように太った魔闘士も存在する。

一人前と認められて故郷に帰って来たのだろうか。コーランはそんな風にも考えたが、

「師匠とケンカ別れでもしたのか?」

そこにバーナムの無遠慮な言葉が飛ぶ。これにはさすがに他のメンバーに白い目で睨まれるが、彼自身は「柳に風」と涼しい顔だ。

しかしミッチの方はそれには答えず、ゴナの隣でこの十年の間に変わった町の様子をつぶさに聞いている。

その様子はそんなネガティブな雰囲気を全く感じない。本当に心から観光を楽しんでいる少女にしか見えなかった。

 

 

バスはやがて港そばの魚市場に。そのそばに立つ手書きの看板には、

「ヘルベチカ・ユニバース」

あまり綺麗ではない手書きの文字でそう書かれてあった。

「うわー。全然変わってないなー」

ミッチは薄汚れたその看板を懐かしそうにそっと撫でる。それから開きっぱなしの引き戸から店の中に顔だけ突っ込んで、

「おばさーん。いるんでしょー?」

「今準備中だよ……?」

ミッチに負けず劣らずでっぷり太った、人の良さそうなおばさんと目が合う。おばさんは準備の手を止め、一体誰だろうとぽかんとミッチを見つめている。

「十年振りです、おばさん。ミッチ・ボウルです。覚えてませんか?」

ミッチは戸の陰からひょこっと姿を現して、その堂々たる全身を露にし、礼儀正しく頭を下げた。

その名前と声でおばさんの十年前の記憶が蘇ったのだろう。しばらく間が開くとポンと手を打ち、

「ミッチって、あの武者修行に行ったミッチちゃんかい?」

彼女は目を丸くして驚くと親しげにミッチの元に歩み寄り、

「……あらあらすっかり大きくなって。顔が細い割にずいぶん立派なお腹になったじゃないのさ。強さじゃなくてお腹に脂肪つけてどうすんだい?」

人懐っこい笑顔を浮かべ、ミッチのお腹を遠慮なくパンパンと叩く。かなり荒っぽいが歓迎している証だ。

「それでおばさん。今準備中って言ってたけど、おばさんの『白身魚の香葉包み焼き』。何とかならないかな?」

両手をぱちんと合わせてお願いするミッチ。

「いいだろ? 十年振りにこいつに食わせてやってくれよ」

いつもは荒っぽく怒鳴るゴナも、今回ばかりはおとなしく神妙に頼んでいる。

さすがに婚約者の前では荒っぽい面は見せられないという事なのだろうか。それとも単にカッコつけたいだけなのか。

普段の彼を知っている一同は、普段とのギャップに笑いを堪えるのに必死だった。

しかしおばさんは、

「ん。いいだろ。十年振りの料理とあっちゃ、断わる訳にはいかないよ」

おばさんはニコニコ笑うと厨房に引っ込んでいく。それから、

「ほらほら。そこに立ってるあんた達も席に着きな。同じモンでよかったら食ってきなよ」

入口付近に立つグライダ達に笑いかけた。

ロボットのシャドウ以外のメンバーは、もちろんその申し出を快く受けた。

 

 

白身魚の香葉包み焼きというのは、このシャーケンの町の名物料理だ。

白身の魚――特にこの町の沖合いでよく捕れるマスカという小さな白身魚の腸を取り、身の内側にブレンドしたスパイスを擦り込んでから、香葉と呼ばれる強烈な香りの植物の葉で身を厳重に包んでオーブンでじっくり焼くという割と単純な料理だ。

このスパイスの配合が店の個性と味を決めるのだが、魔界原産のペプペルという柔らかい芳香と辛味を持つ香辛料をベースに数種類のスパイスを混ぜるのがシャーケンの町流だ。

それに香葉も元々は魔界原産の植物である。この町には魔界出身者が他の町と比べて多いので、人間だけでなく魔界の住人にも好評な料理である。

身の外側と内側から異なる香りで味つけられた淡白なマスカの身はあとを引くうまさとなる。そこが人間にも魔界の住人にも受けている名物料理たる所以だ。

一つ一つにスパイスを擦り込むので準備に少し時間はかかるが、焼く時はオーブンで一気に大量に焼けてしまう。

火が通って強さを増した香葉の強い香りが店内に溢れていく。ずっとシャーケンの町にいたゴナ達はともかく、十年振りに「味わう」この香りに、ミッチはたまらず鼻をひくつかせ、

「うんうん。これこれ。懐かしいなぁ。よくゴナちゃんと半分コして食べたっけなー」

いくらマスカが小柄な魚といっても、八歳の子供が一人で食べるには少々大きい。

普段の様子からは信じられない「紳士」振りに、周囲は冷やかし半分でゴナを見つめている。

やがてミッチの前に香葉で包まれたマスカが並べられた。本当に十年前と同じ見た目にまずは感動を覚える。

添えられたフォークで器用に外側の葉を取ると、今まで封じられていた香葉の香り、熱が通った魚の香り、内側に擦り込まれていたスパイスの香りの三重奏がミッチの鼻をくすぐる。

「はぁ……。ホンット昔のまんまだなぁ」

フォークの縁で器用に魚を切り取り、口に運ぶ。

香葉の香り、魚の甘味、スパイスの辛味と酸味が口の中から飛び出さんばかりに溢れ出す。

ミッチは無言で次々に魚を口に運び、空いた手でおばさんに「グー!」と親指を突き出す。それを見たおばさんも、

「そこまでひたむきに食べてくれるとこっちも嬉しいよ。ほら、あんた達も冷めないうちに食べな」

それが合図だったように、他のメンバーも外側の葉を剥がしにかかり、昔ながらの味に舌鼓を打った。

それから魚を三匹も平らげたミッチを微笑ましく見ていたおばさんは、

「ところで、何しに帰って来たんだい?」

その疑問は当然だろう。さっきは微妙にはぐらかされてしまったが、おばさんの前では答えない訳にはいかない雰囲気だ。

「……ちょっと、師匠や先輩達のお手伝い、ですかね」

ミッチはどこか言いにくそうに、歯切れの悪い口調で答えた。

「お手伝い、ですか?」

クーパーが不思議そうに聞き返すと、ミッチは「そう。お手伝いお手伝い」と投げやりにつけ加える。

「ふーん。こっちはてっきり結婚でもするのかと思ってたけどね」

おばさんの言葉に、ゴナは飲んでいたお茶を噴き出しそうになった。その様子を見た彼女は笑いながら、

「だって婚約者なんだろ? あんただって一応は立派な一人前の漁師じゃないか。嫁さん貰ったって、バチは当たらないよ」

妙に「一応」の部分を強調する。それからミッチをチラリと見ると、ゴナにそっと耳打ちするような小声で、

「それとも、十年振りに再会した婚約者に幻滅でもしちまったのかい?」

「そんなんじゃねーよ」

ゴナは隣に座るミッチの頭をこうこつと叩くと、

「確かにオレ達は婚約してるけど、結婚するかどうかはまだ決めちゃいねーよ」

「うん。それに婚約って言っても親が勝手に決めた事だしね。それにまだ早いって」

別に気を悪くした様子もなくミッチも彼の意見に乗った。

おばさんは「そんなモンかね」とそっけなかったが、それ以外の面子が彼らを取り囲む。

「結婚するんじゃないんだ。てっきりそれで帰って来たのかと思った」

驚くグライダにセリファも同意してうなづいている。もっともセリファが話の内容を本当に分かっているかどうかは疑問だが。

「やっぱりゴナの兄貴。婚約者さんがこんなになっちゃったから、止めたくなったんじゃないっすか?」

意地悪そうににやつくイナ髭に、ゴナはすかさず肘鉄をくれてやると、

「違うって。何度も言わせんな」

「そうそう。見てくれで選ぶんだったら、とっくの昔に別な人選んでるって」

ミッチはけらけら笑いながらそう言うと、ゴナの背中をばんばん叩く。

「んだと!? ウチは別に金なんぞねーぞ!」

「お金目当てだったらなおさらだって」

確かにゴナの実家は網元という事で町の名士かもしれないが、決して金持ちという訳ではない。それはミッチも知っている。

「見てくれでもお金でもない、か。じゃあ何で?」

グライダの疑問はその場の一同の共通したものだった。ミッチは「どうしようか」と考え出した時だった。

ゴナの腰にぶら下がっている防水性のトランシーバーの呼び出し音が鳴ったのだ。水上で働く彼ら漁師は携帯電話よりトランシーバーを持ち歩く者の方が多い。

有効範囲は携帯電話と比べ極端に狭いが、濡れる危険性を考慮すると、携帯電話では危なっかしいのだ。

ゴナは反射的にトランシーバーを手に取り、

「どうした!?」

『ゴナ、大変だ。どっかの漁船が港にまっすぐ突っ込んで来やがる! いくら言っても応答がねぇんだ!!』

その無線の内容は、この場の一同の耳にも入った。

 

 

真っ先に店を飛び出したゴナ。走りながらトランシーバーで相手とやり取りしている。

「船の様子はどうだ? 見えるか?」

『今双眼鏡で……げっ、ボカッシィのじーさんの船だ。心臓悪いって言ってたけど、まさか……!?』

「分かった。すぐ救急車呼んで、来たらすぐ運べるようにしとけ!」

『けど、どうやって船停めるんですか!?』

その問いにゴナは難しい顔で考え込んでしまった。

船に飛び乗って操作するのが一番安全で確実だ。しかし相手はまだ海の上。そしてこちらは陸の上。

今から船を出している時間はおそらくないだろう。ゴナは自分の後ろを走るグライダに、

「なあ。海の上を走るとか、空を飛ぶ魔法とか使える奴いねーか?」

しかしグライダは首を振った。

いくら魔法が存在する世界と言えど、空を飛んだり水の上を走ったりする魔法というのは、たいがい術者本人にしか作用しないのだ。術者以外に効果を及ぼす魔法はレベルが高い上に、じっくりと正確に呪文を唱えねばならず、時間がかかる。

その術者に運んでもらう事も不可能ではないが、そのスピードは格段に落ちる。

なので、一刻を争うような事態に取る作戦としては適切とはとても言えない。もちろん船を破壊しては乗組員がタダでは済まない。

「セリファ。あんたのカード魔術でどうにかならない?」

「お家にカードわすれちゃったよぉ!」

セリファはカードに描かれた物を実体化する魔法が使えるが、カードがなくては全くの無力だ。

そんな姉妹のやりとりを聞いていたゴナは、

「便利なようで不便だな、魔法ってのは」

それにはグライダも同意する。だが魔法はあくまでも「技術」。万能の力ではない。

「じゃあ兄貴かオレを船に向かってブン投げるってのは……?」

事態を把握して焦っているイナ髭がムチャクチャな提案をする。だが、

「それはかなり難しいですよ。動いている目標の上に落ちるように物を投げるのは至難の技です。第一距離がありすぎます」

クーパーが遠くに見える漁船をチラリと見て返答する。

「自分であれば漁船の操作は問題なく行えるが……」

「じゃあてめぇが行けよ、シャドウ!」

言葉を濁すようなシャドウの発言を遮るように、バーナムが乱暴に怒鳴りつける。

「現在漁船は港から一キロと二三四メートルの地点に在る。自分では其処迄の距離を飛ぶ事が出来ない」

シャドウは背中のバックパックから圧縮空気を噴き出してジャンプする事ができる。高くジャンプするならまだしも、遠くに飛ぶためには出力が足りなすぎるのだ。申し訳なさそうな物言いなのはそれが理由だ。

「それに、それ以上船を近づけてたら、エンジン停める前に船が港にぶつかっちまうよ。向こうも速度が上がりっ放しなんだからな!」

ゴナのバーナム以上の怒鳴り声での返答。

「ったく、バーナムが機械オンチじゃなかったら、すぐにでも行ってもらうんだけど……」

グライダがイライラした顔でバーナムの頭を叩く。

彼は空中を走って移動するという手段を持っているのだが、電卓すら満足に扱えないほどの機械オンチのため、船に行っても何も出来ないのだ。

さすがに船で倒れているらしい漁師を連れ帰るくらいならできるだろうが、船をどうにかしない限り港に甚大な被害が出る事は間違いない。

そんなやりとりをしつつ、ようやく港に到着した一行。ゴナは遥か向こうに見える船を見て、

「おいシャドウ。船までの距離は?」

「……九八八メートル。加速が続いて居るな。其れに船の操縦士が胸を押さえて居る。心臓疾患で無ければ良いが」

不吉極まりないシャドウの言葉だが、現状ではどうにも出来ない。

船舶の操縦には免許がいるが、操縦方法自体はいたって簡単でシンプルだ。子供でも出来なくはない。

誰かが向こうに行けさえすればすぐ終わるのに。何も出来ない悔しさに、船の操縦ができるだけにゴナは苛立ちのあまりそばの木箱を蹴りつける。

どす、どす、どす、どす。

妙な音がしたのでそちらを向くと、丸々と太ったミッチが懸命に走ってくるのが見えた。

さすがにこれだけ太っていれば、鍛えていてもスピードは落ちる。彼女はようやく皆に追いついたのだ。

「船はどうなってるの!?」

「見ての通りだよ。今のオレ達じゃどうにも……」

「大丈夫!」

遠くに見える船を見据え、ミッチは自信たっぷりに拳を突き上げると、

「今すぐ停めてくる。船のエンジンを切るくらいなら、ゴナちゃんがしてたのを見て覚えてるから」

確かに子供の時に、ゴナは父の船に彼女をこっそりと乗せた事がある。そこで覚えたばかりの船の動かし方を自慢しながら。

いくら操縦が単純といっても、十年以上も前にたった一度見た事を本当に覚えているのだろうか。ゴナが不安がったのは当然だ。

「ゴナちゃんが教えてくれた事、忘れる訳ないでしょ」

ミッチは返事を聞かずに迫る船を見た。それから自分の身体を眺めると、

「……ちょっと、邪魔かな」

首の上まできっちり閉めてあるジャージのファスナーを掴み、力一杯下ろした。

ずるずるずるるっ!

鈍い音を立ててジャージ(実際はそう見えるデザインのつなぎだった)が彼女の足元に「ドスンと」落ちる。

そこに残ったのはミッチのスラリとした水着姿だった。汗でしっとりと濡れた身体が何とも艶やかである。

太った脂肪など欠片もない。凹凸に乏しいので性的な魅力には欠けるかもしれないが、素手で戦うために絞り上げ、かつ必要な筋肉が無駄なくついた、格闘家としては理想的なスタイルを持つ肉体である。

ミッチは両足で飛び跳ねるようにつなぎを脱ぎ捨てると、右手をきつく握りしめて目を閉じた。

それから口の中で呟くように呪文を唱え出す。握りしめた右手に何か魔法的な力が満ちるのを、コーランは感じ取っていた。

そしてミッチはその右拳を地面めがけて振り下ろす。

ゴグワァッ!

彼女の足元の地面にへこみができる。それと同時に彼女の身体は天高く舞い上がった。

「……衝撃波の魔法か」

魔法の正体を見抜いたコーランが、舞い上がった彼女を見て呟く。

ミッチは衝撃波を出す魔法を極度に集中させて地面に叩きつけ、跳ね返って来た衝撃波に「乗って」飛び上がったのだ。

強すぎれば自分が傷つく。弱すぎたら飛び上がれない。その絶妙なバランス感覚は、生半可な訓練では決して身につかない。

ところが飛距離が足りず、海に落ちそうになる。皆の悲鳴が上がる中、ミッチだけは慌てずにもう一度拳を振り下ろす。

ズドォォン!

すると今度は派手な水柱が上がり、それに乗って再びジャンプ。無事船の甲板に着地したのだ。皆から安堵の息が漏れたのは言うまでもない。

激しく揺れる船の上でバランスを取り切れずにふらつきかけたミッチは、どうにか体制を立て直しながら急いで操縦室に向かった。

すると、一人の初老の漁師が壁に寄りかかるようにして倒れ込んでいた。

意識はあるようだが、確かに顔色が悪い。こちらの呼びかけに反応をしない。明らかに何かの病気である。

彼女はどうにか漁師をそこから下ろして床に寝かせる。今は彼の応急処置よりもこの船をどうにかする方が先だ。

ところが。操縦席を見回した彼女が見たのは舵輪が一つ。他のスイッチ類がよく分からない。明らかに昔見た物と違っていたのだ。前に見たのは床から一本の棒が伸びていた筈だ。

しかしそう悩んだのも一瞬だった。彼女はマイクがぶら下がっている事でかろうじて分かった無線機を掴み、それに向かって大声で叫んだ。

「ごめんゴナちゃん! 全然違っちゃってて分かんないよ!」

泣きそうな声でミッチが訴える。無線機が動いている事も、周波数を合わせる事も全く頭の中にはなかったが、それでも通じる事を願って。

少しの間が開き、無線機からゴナの力強い声が聞こえた。

『……分かった。オレが合図したら、目の前の丸い奴を時計と逆周りに回せ。思いっきりな!』

目の前の丸い奴。舵輪の事だ。そのくらいはミッチにも分かる。

どんな考えがゴナにあるのかは分からないが、全面的に信じる事に決めていた。だからしっかりと前を見つめ、ぎゅっと舵輪を握りしめる。

操縦席から見える景色は、とりあえず人物の判別ができる程度には近づいて来ている。

船はどんどん港に近づいていく。しかもスピードを上げて。車以上に船には「惰性」という物がある。勢いがつき過ぎると、ブレーキをかけてもその勢いでしばらくは進み続けてしまう。

だから一刻も早く停める必要があるのだが、ゴナは一体何をやるつもりなのだろうか。その彼は船をじっと見つめたままその場から一歩も動こうとはしない。

視力のいいミッチが、ゴナのそんな表情をハッキリと確認できた時だった。

『回せっ!!』

無線機からものすごい大声が響く。ミッチは待ってましたとばかりに間髪入れず力一杯舵輪を反時計周りに回す。それも高速で。ぐるぐるぐるぐると。

ぐぐぐぐぅっっ。

船がいきなり思い切り傾き、左にカーブし出したのだ。

勢い余ったミッチは舵輪から手を離してしまう。操縦室の壁に叩きつけられそうになるが、両手を突っ張って激突だけは避けた。

一方船はまるでヘアピンカーブを曲がる車のように急角度で進路を変えていく。だがスピードがあるため曲がりながらも水しぶきを高く上げて桟橋に近づいて来た。

このままでは正面衝突は避けられても船の側面がぶつかってしまう。どちらにせよ無事には済まない。誰もがそう思った瞬間だった。

皆が慌てて桟橋から離れる中、ゴナがただ一人桟橋を蹴り、水しぶきを破る勢いで迫る船に飛び移った。

彼は甲板を突き破るように両足で着地すると、激しく揺れて傾く甲板を物ともせずに狭い操縦室に飛び込んだ。

舵輪がものすごい勢いで回転している。ゴナは舵輪の持ち手の隙間に強引に腕を差し込んで力任せにその動きを止めると、その脇にあるエンジンの緊急停止スイッチを入れた。

その辺りは自分の船ではないものの本職の漁師。全く澱みも迷いもない手際であった。

それから舵を切り続け、このまま進んでも大丈夫な方向に切り替えた時、

「大丈夫か、ミッチ!」

壁に突っ張ったまま動けなくなっていた彼女に怒鳴るように声をかける。

船の動きが緩やかになった事でようやく身動きがとれるようになったミッチは、懐かしそうに小さく笑うと、

「やっと名前で呼んでくれたね、ゴナちゃん」

思わず抱きつきかけたミッチだったが、

「この人の治療の方が先だね」

彼女は這うようにして床に寝かせたままの初老の漁師の元に向かう。

「知り合い?」

「……ボカッシィのじーさんだよ。心臓の調子が悪いとか言っときながら、無茶しやがったな?」

ボカッシィは隣の港町の漁師である。もちろん彼を知っているゴナが呆れた調子で頭を掻いている。

ミッチはそんなボカッシィの横で拳をぎゅっと握って何やらぶつぶつ言っていた。

その動作はさっき衝撃波を出した時と全く同じ。まさか……。

「お、おい、ミッチ、なにす……」

ゴナが止める間もなく、彼女は握った手を開いて、漁師の心臓に叩きつけた。ように見えた。

ところが。彼女の手から出たのは衝撃波ではなかった。寸止めにされた手からは淡く暖かなイメージの光が漏れている。

それは治療の魔法であった。魔族が珍しいと彼女をスカウトしたのは、この治療の魔法の素質があったからなのだ。

その光がパッと消えると、ミッチは大きく息を吐き、

「この人心臓が悪いんでしょ? 応急処置はしておいたから。あと、お願いしちゃっていいかな?」

そう呟き立ち上がった彼女の顔色は明らかに悪かった。

いくら魔法が使えるといっても、魔法は人間のための力ではない。普通の人間は連続して使えば身体のどこかに反動が出るものだ。

ゴナはそんな事情など全く分からないが、この海の上で素人のミッチがここまで頑張ってくれたのだ。それにきちんと応えねば漁師の、いや、男のプライドが廃るというものだ。

ミッチのおかげで船も仲間の漁師も助かったのだ。あとは自分がやらねばならない仕事である。

「分かった。任せとけ」

「……ごめん。ちょっと、寝るね……」

精根尽き果てたと言いたそうにがくんとうなだれてゴナに寄りかかるミッチ。その顔は疲労感よりも物事をやり遂げた達成感に満ちていた。

「やっぱりゴナちゃんのそばは落ち着くな。だから……」

言葉の途中で彼女の意識が途切れる。しっかり呼吸はしているので、自分で言った通り眠ってしまったのだろう。

「……ありがとな、ミッチ」

彼はそのまま眠り込んでしまったミッチを自分に寄りかからせたまま、桟橋につけるため船のエンジンを再起動させた。

 

 

応急処置を済ませたボカッシィを救急車が運んで行く。倒れてから間もなかった事と極度に集中させた魔法が功を奏したようで、少し休めば問題ないとの事だった。

目が覚めたミッチはまだ回復し切っていないらしく、微妙におぼつかない足取りである。

それでもどうにか脱ぎ捨てていた「つなぎ」の元まで歩き、それを再び着込んで肥満体型に戻っていた。

その「つなぎ」をさっきから神妙な目で観察していたコーランが問いかけた。

「……ひょっとしてそれ、魔界の住人用の人界向けスーツじゃ?」

その発想はこの中で唯一魔界の住人だけの事はある。

魔界の住人といってもその姿は多種多様なのである。コーランのように人間とほとんど違わない外見の種族もいれば、姿形が全くかけ離れた種族もいる。

そんな種族が少しでも人界で違和感なく過ごせるようにと「変身用スーツ」という物が開発されている事を、彼女は同郷の知人からの情報で聞き知っていたのだ。

さきほどミッチが「師匠や先輩達のお手伝い」と言っていたのは、おそらくそれのテストを頼まれたのだろう。

十年振りとはいえ顔馴染みの多い町で気づかれずに過ごせるくらいでなければ、きちんとした「変身用」スーツの説得力があるまい。

「もっとも。これはサウナスーツと重りを兼ねてますけどね」

ミッチは得意げに言うと、お腹の部分をパンパンと叩く。

サウナスーツは短期間で筋肉をつけたまま痩せねばならないボクサーなどに使用者が多い、発汗作用を強める衣服である。

それに加え、重りで全身に負荷をかけて筋肉を鍛えていたのだ。その効果はさっきの彼女を見れば一目瞭然である。

「道理で、太ってる割に身体のこなしが普通な訳だ」

スーツの背中をぽこぽこ叩きながらバーナムが言った。それを見抜いていたとは彼も武闘家のはしくれといったところか。

「だから言ったでしょ? 『己を磨く努力は怠ってない』って」

確かに説得力のある言葉だが、ポケットから取り出した干し肉を噛みながらではその説得力が台無しである。

「しかし……スーツ着ちゃうのもったいないですよねぇ」

イナ髭がさきほどの彼女を思い浮かべながら呟く。性的な魅力には欠けるが健康そのものの肢体というのはそれはそれで非常に魅力的なのだ。別にスーツで隠す必要もないだろうに。

いくら師匠や先輩に頼まれたスーツのテストを兼ねているといっても、四六時中着ている義理などあるまい。そう思ったのだ。

ミッチは少しばかり照れくさそうに笑うと、

「タダで見せびらかすほどこの身体、安くはないわよ?」


 
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