No.958776

剣姫 一

sikiさん

童子切と三日月の出会いを描く式姫プロジェクトの二次創作小説となります。

2018-07-04 00:19:37 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:788   閲覧ユーザー数:779

 

 時は永禄。各地の大名が力を蓄え、下剋上の機運高まる時代の変革が目前に差し迫った乱世の只中。

 京の洛中を乾いた寒風が駆け抜ける。中天の陽は未だ高いが、数刻も経てば夜の帳が下りるだろう。

 呆けたように道をそぞろ歩く町人が幾人か見える、寂れた晩秋の通りを歩く女が一人。名を童子切という。

 若草色の小袖に紅唐色の羽織、葡萄染めの襟巻を巻いた童子切の姿に、男女を問わず町人は思わず振り返り、目を留めた。

 まずはその並外れた美貌に、そして腰に佩かれた太刀の威容に、人々は惹きつけられた。二尺六寸五分の大業物は、鞘に収められて尚怜悧な剣気を放っていた。ふと童子切は立ち止まり、辺りを見回す。紅白の簪が揺れ、髪が靡く。

「久方ぶりの帰京ということで、酒代を惜しんで買った着物でしたが……」

 人目を集めるのは、落ち着きませんねー。童子切は胸中で嘆息しつつ、歩みを早めた。

 からころと下駄の音が響く。下ろしたての柾下駄は、履き慣れた草履とは違う心地良さがある。戦にはおよそ不向きだが、雅を纏う感覚は、童子切を深く感心させた。

 京へ赴くに辺り、童子切が常の浪人姿ではなく、わざわざ着物を用意したのは理由があった。

『宮仕えには、役職に相応しい服装があるものだよ』

 白い狩衣に立烏帽子、脚まで届こうかという黒黒とした長髪をたたえたかつての平安の主は、ただぽつりとこぼして傍らに控える童子切へ苦笑を投げかけた。

 あの苦労の染み付いた、それでいて優しげな風貌を傍らで見たのはいつのことだったか。想いは時を重ね風化し、泡沫の如く溶けてゆく。

「しがらみに囚われるのは、人も式も変わりませんねー」

 童子切は頭を振った。酒気の抜けた素面では余計なことを考えてしまう。

 思索に耽る間も、脚は自ずと目的としている場所へ向かっていた。あと一つ通りを抜ければ門構えが顔を見せるだろう。

「かの将軍の持つ天下五剣。果たして如何程のものか、見定めてみましょう」

 向かう先は二条御所。十三代征夷大将軍、足利義輝の邸宅であった。

 二条御所は京都御所の西に建つ。かつては管領斯波氏の邸宅であり、応仁の乱では大名屋敷が続々と焼け落ちる中、その姿を保ち続けた稀有な屋敷であった。

 斯波氏が在京を断念し、尾張の領国へ下る際にこの屋敷は放棄されたが、義輝はこの跡地を御所と定め、幕府再建の旗印とした。

 堅牢な門の脇へ控える門番のうち、一人が童子切の姿を捉えると、声を上げた。

「何者か。此処は公方様が住まわれる屋敷である。用がなければ早々に立ち去られよ」

 公方とは、室町時代における将軍を指す別称である。後世には剣豪将軍と名高き義輝であるが、当時の呼称では公方、大樹、室町殿といったものが一般的だった。

 誰何の声を受け、童子切は静かに答える。

「名は童子切。流れの浪人でありますが、此度は公方様からの招致を受け此方へ参上した次第にございます」

 一介の浪人、まして高名も聞かぬ女武者を将軍自ら招くとは。訝しげな表情をしつつ、門番はそこで待てと言い残し門の奥へ引っ込んだ。

 暫し瞑目して待つと、やや早足で門番が戻ってきた。面貌には隠しきれぬ困惑と畏敬が張り付いている。

「公方様がお待ちである。入られよ」

「では、御免」

 目礼を返し、童子切は門をくぐった。門の先には庭園が広がっていた。色づいた楓は視界を紅黄に染め、切り揃えられた松は典雅な庭に緑を差し、場を引き締める。

 敷き詰められた白砂はさざめく池の波紋のように波打ち、点在する苔生した岩は巌の如き荒々しさをもって屹立していた。

「これはまた、見事な枯山水ですねー」

 例えるならば仙境。俗世から隔絶された空間には、深山幽谷の山中の如く緩やかな時が流れていた。

 武家の棟梁が住まうに相応しい、格式高い庭の景色を堪能しつつ童子切は屋敷へと向かった。

 義輝の住む屋敷は、かつての足利将軍の柳営であった花の御所に比べれば質素なものであるが、剣士が拵えた庵として見れば、上々の出来だった。

 屋敷へ着くと、侍従の女が童子切を出迎えた。深々と一礼する。柳営に仕える侍従の仕草は洗練され、整っていた。

「よくお越しくださいました、童子切様。公方様は半刻ほど前から裏庭で稽古の最中でございます。終わるまでは屋敷で自由にしてよいとの仰せですが、いかがなされますか」

「そうですか。では、剣聖と称される卜伝翁に師事したとされる将軍殿の剣技、拝見させていただきましょう」

 板張りの縁側を回り、侍従と共に裏庭へ辿り着いた童子切は息を呑んだ。

 箒目を刻まれた一面の白砂の水面。その中心に義輝は座していた。

 齢は二十を過ぎた程で、諸肌脱ぎの着物からは、細身ながら隆々とした筋が覗く。少年の名残を残す端正な顔立ちは、貴族らしい優美さを持ちながら、剣豪としての豪壮な気風を宿していた。

 瞳を緩く閉じ、まるで瞑想でもしているかのような面持ちの義輝は、生命の危機に曝されていた。

 義輝の周囲を一間程の距離を保ちつつ三人の男が取り囲んでいる。恐らくは稽古相手であろうが、彼らが手にしている得物は何れも白刃だった。陽光に照らされた刀身の煌めきから刃引きは全くされていないと窺える。

 対する義輝の腰には木剣が一振り。真剣が相手となれば尋常な鍔競り合いも敵わないだろう。鈍刀の方が幾分かましに見える有様だった。

 じりじりと男達が間合いを詰めると、きめ細やかな白砂の波紋は徐々に崩れていく。

 一陣の風が吹き、紅葉が中空へ舞った。鮮血を思わせる紅がはらはらと揺れ落ち、庭を染めていく。風が凪ぎ、静寂が訪れると同時に、八双に構えた男達は一斉に義輝へ斬り掛かった。

 刹那。間延びした刻の中で義輝の瞳が見開かれ、影が躍る。

 疾い。義輝は刃閃を掻い潜り、立ち上がりざまに一人の胴を薙ぐと、返す刀で袈裟を放つ。いずれも寸止めであったが、二人はびくりと痙攣し、膝をついた。

(剣気に当てられましたね)

 殺気と共に剣を振るうことで、相手へ斬られたかのような錯覚を与え、戦意を断ち切る。練達した剣豪の成しうる境地へ義輝は至っていた。

 残った男は後ずさり、青眼へ構え直す。しかし、その剣先は力なく垂れ下がっていた。既に心は折れている。喉元へ迫る義輝の刺突により男が崩れ落ちることで稽古は終りを迎えた。

 義輝は木剣を一振りし、腰に戻した。稽古相手へ退出するよう申し付けた後、縁側に近づく。童子切の姿を認めると、朗々とした声で呼びかけた。

「やあ、貴殿が童子切か。此度はよくぞ参った。わしが足利家十三代将軍、足利義輝だ」

傍らにいた侍従は既に平伏していた。童子切もそれに習い、ゆっくりとした仕草で合手礼を行う。貴人への礼節を踏まえつつ、武人としての威厳を損なわぬ礼であった。

「流れの浪人でありながら、中々堂に入った礼をする。良き主に仕えたのだな、童子切。――苦しゅうない、面をあげよ」

 義輝の許しを得て顔を上げた童子切は、澄んだ声で名乗りを上げる。

「公方様からの御招致により、常陸は鹿島の神宮より参上仕りました、童子切にございます」

 童子切の名乗りを受け、義輝は愉しげに笑みを浮かべつつ首肯した。

「我が師より彼の地に傑物が現れたと聞いて招いたが、これほどの美丈夫とは。まこと世は不可思議なものよ。積もる話もあろうが、まずは――」

 目配せを受けた侍従は静かに立ち上がり、奥の間へと向かう。程なくして侍従は義輝が手にしているものと同様の木剣を抱えて戻ってきた。童子切の前へ着くと、中腰になり木剣を捧げる格好となる。

「わしと剣を交えよ、童子切。剣士にあれば、言葉を交わすだけでは分からぬこともある」

 弛緩した空気が張り詰め、義輝の鋭い眼光が童子切を射抜く。自らの剣理に確固たる矜持を持ちながら、慢心や油断を排した義輝の姿に童子切は目を細め、息をついた。

 腰間から得物を引き抜き、縁側へ横たえるとともに侍従から木剣を受け取り、包んでいた履物を庭へ下ろす。

 柾下駄を履いた童子切はさふさふと白砂を鳴らしながら義輝の対面に立つと、口を開いた。

「先程までの稽古の御様子と話しぶりから、一つ得心した事がございます」

「申してみよ」

 毅然とした態度を崩さぬ義輝に向かって、童子切は悪戯っぽく微笑む。

「公方様は将軍の御身にあらせられながら、その心胆はどこまでも武人である御様子。……立場や役職に縛られるのは、些か窮屈そうですねー?」

「……なっ!?」

 顔を上げ、驚愕の表情を作ったのは侍従であった。一介の浪人が、将軍を相手に軽口を叩いたとあっては無理からぬことであろう。

 しかし、義輝は僅かに目を見開くと、顔を伏せ、肩を震わせていた。くつくつと抑えた笑い声は、やがて大笑へ変わる。

「――はっはっは!それが本来の姿か、童子切。そなたのような率直な物言いを聞くのは久しぶりよ」

「化外を斬るしか取り柄のない無流の剣にございますが、立会い、慎んでお受けいたします。しかし、立会いの前に公方様へお願いしたきことが一つだけ」

「聞こう」

「この立会いに私が勝った暁には、公方様の持つ天下五剣を拝謁したく存じます」

「……天下五剣か。大言を吐くからには、相応の自負があるのだろうな? まあ、丁度よい。ならばわしもそなたへ頼み事をするとしよう」

「その程度で済むなら、お安い御用ですねー」

「安請け合いは出来ぬ仕事だ。五剣に気を取られ敗けたなどと言い訳はさせぬぞ」

「もちろんです。では――」

 童子切は飄々とした仕草で木剣を構える。義輝もそれに応え、切っ先を青眼へ向けた。

「いざ、尋常に――」

 凄烈な闘気がさながら結界の如く辺りを支配する。視えるものは剣を構えた相手のみ。極限まで高まった集中は二人の剣士を中心に一つの小世界を形成していく。

『参る』

 重なる声音と共に、剣豪同士の立会いが幕を開けた。

 

 
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