No.958749

うつろぶね 第十八幕

野良さん

式姫プロジェクトの二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/958268

2018-07-03 20:30:01 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:605   閲覧ユーザー数:588

 カクは洟垂れの父親の元に駆け寄り、そのぐったりした体を抱き起こした。

 ぐにゃりと垂れる頭を手で支え、もう一方の手で頬を軽く叩くと、頬や髪に付いた砂がパラパラと落ちる。

 それでも、彼が目を覚ます様子は無い。

(やれやれ、仕方ない)

 多少手荒いけど、ごめんよ。

 腰に下げた竹筒を手にして、栓を抜いたそれの中身を、顔にぶちまける。

「ぶあっ!何だ一体」

 カクがぶちまけたのは酒。

「悪いね、急ぎなんだ」

 時間が無いから、荒っぽく起こしたのもあるが、酒の清めで、まだ何か憑りついていないか確かめてみたというのもある。

 だが、酒にも反応は無く、またこうして抱き起こして触れてみても、何かが憑りついている様子も無い。

「あ……あんた一体?」

「私はカク、式姫さ、おっちゃんの坊やから頼まれて助けに来たんだけど」

「俺を助けに?」

「そうだよ、所でさ」

 そこでカクは周囲を指さした。

「ここが何処か判るかい?」

「……ここ?」

 しばし、男の視線が、記憶をたどる様に宙を彷徨う。

 全く記憶が無い訳でも無いらしい様子を見ながら、カクは亡者たちが襲ってこないか、気を配っていた。

「あ、ああ、そうだ、ここは海市だ、あの姉ちゃんに連れられて、ここで珊瑚の髪飾りを一個貰って……あれ?」

 慌てて懐を探る顔が絶望に染まる。

「無い!?」

 とまどいが猜疑に変わり、何やら怒りにその顔が染まるのを、カクはどこか、演劇人らしい好奇心に駆られて眺めていた。

 成程、表情ってのはこう変わるのか。

「お前が盗ったのか」

 そう叫んで掴みかかって来た男の手を無造作に押さえ、カクはその手を流れるような動きで背中にねじ上げた。

「いで、痛い!痛い!」

 大仰に悲鳴を上げる男の様子に、カクは苦笑してその手を離した。

「冷静になりなよ、おっちゃん。ご覧の通り、おっちゃんから金品巻き上げる位は、このカクにしてみれば赤子の手を捻るような物さ。第一、盗人が、お宝奪った相手を介抱なんてするかい?」

「そりゃ……確かに」

 そうだけど、それじゃ俺のお宝は何処に、とぶつくさ言う男に、カクは真面目な顔を返した。

「信じられないかも知れないし、信じたくないだろうけど……良いかい、この島は化け物の巣だよ、ここに居ちゃ危ない、直ぐに逃げないと」

「危ないって、いや、ここに居る人は、いい人ばかりだぜ、俺にタダで綺麗な珊瑚の髪飾りをくれたんだ」

「おっちゃんたちだって、魚にタダで餌をやってる訳じゃないだろ、網か釣り針を用意してから、餌を投げ込む……判るだろ、何か違いがあるかい?」

 宝物は餌。

 おっちゃんたちは魚。

 カクの言葉に、不平らしい顔を隠しもしない男の顔を、ついぶん殴りたくなる衝動を、カクは何とか抑えた。

 カクが口にしたのは真っ当な道理なのだが、やはりタダで物を貰えるという誘惑に勝てるだけの知性や理性、人生経験をその辺の人の期待するのは難しい。

「納得いかないなら、それでも良いけど、時間も無いからね……私と逃げないなら、もう一度気絶させて連れて行くけど」

 どっちが良い、と問うカクの眼光に、先ほど軽々とねじ上げられた腕の痛みを思い出したのか、洟垂れの父親は不承不承の体で頷いた。

 

 走り出した二人を見て、先代住職は手で顎髭をしごいた。

「ふむ、正気付かせて、自分の足で逃げさせたか」

 式姫の力なれば、気絶している男を、肩にでも担いでいくかと思うたが。

 事態が切迫している以上、彼を説得する時間など掛けないと思ったが……はて。

 あの式姫の思慮が浅いのか、それとも、幽鬼達を撒いたと思って安心しているのか。

 ふむふむ、と何か考えるように髭をしごいてから、彼は大きく頷いた。

「まぁ良いわ、何れにせよ、大差ない」

 そう呟いて、傍らの姫に笑み掛ける。

「さて、この灰色の市に咲くのは、式姫の描く紅華の舞か、血飛沫の描く真紅の花か」

 うつろな笑みを浮かべたその顔を覗き込む。

「楽しみじゃなぁ、姫よ」

 仙狸は、まだ闇の中を歩いていた。

 カクはどうなっているのか、海市は、漁師達は、自分は元の場所に戻れるのか、そもこの闇の中はどういう場所なのか。

 気は急くが、彼女はこの中にこそ、海市の真実があると思えてならなかった。

 最前見た光景。

 今までに知った事。

 その全てを、頭の中で再度検討しながら、歩を進める。

(ん?)

 足元の気配が変わった。

 先ほどもそう。

 それは、自分が違う舞台に「踏み込んだ」証か。

 さて、次は何を見せてくれるのか。

 さくりと踏むのは細かい砂。

 湿り、硬く締まった砂地。

 浜か。

 まさか、海市を出て浜に……そう一瞬思ったが、彼女は自らの考えを打ち消した。

 空気が違う。

 ここは、もっとそう。

 暗く、寒く、そして迫る海の気配が荒々しい。

 あの漁村の穏やかで広い砂浜とは違う、崖と崖の間に、猫の額のようと、形容されそうな僅かな砂地に、仙狸は立っていた。

「ははさま、ははさま」

「なぁに」

 可愛らしい少女の声と、それに応える優しげな声が仙狸の近くで響く。

「くさ、あんまりおちてないね」

「……そうね」

 先ほどと同じ、この舞台の登場人物の会話が進むほどに、周囲に景色が作られていく。

 背に籠を背負った、少女と母親。

 その母親の顔を見て、仙狸は思わず上がりそうになった声を押さえようと、口を手でふさいだ。

(これは!?)

 あの、「姫」ではないか。

 纏う衣は粗末で、髪を適当に纏めただけの姿だが、あの肌の色と全体の顔の造作は間違いない。

 質素な姿からは、あのあでやかさは無い物の、逆に魔性を感じさせない、清潔で、だが寂しく儚げな美しさを湛えている。

 目を凝らし、仔細に見ると、苦労からのやつれが、彼女の目元や首筋に、皺になって現れていた。

(同じ人ではないな、では、これがあの姫の母親か)

 貴族の男が陸奥(みちのく)に赴任している時に作った妾の娘。

 そう聞いている姫の素性と、今の風景はある程度合致するが……なぜかような困窮を。

 それにしても、寂びた風景であった。

 荒々しい風の中に雪がちらちらと混じり、その白さが、暗い空の色を寧ろ強調する。

 嵐でも来た後なのだろうか、浜に打ち上げられた海藻や小魚を拾おうとしているのだろうが、少女の言葉通り、仙狸が見ても、大したものは落ちていない。

 拾う物も無くて退屈したのか、少女はまた、母親の袖を引いた。

「ねぇねぇ、ははさま」

「どうしたの?」

「ととさま、いつ来てくれるの?」

「……それは」

「ととさま、うみのむこうの、えらいかたなんでしょ?」

「そうよ」

「はやく、わたしとははさまを、むかえにきてくれるといいねー」

「そうね、本当に」

 母親の声音からは、男が戻ってくるとは微塵も信じていない響きが、仙狸には聞き取れた。

 存在はしている、でも二人を迎えに来ることはない……そう判断した母親の吐いた、それは嘘だったのだろう。

 彼は居ない、戻ってこない、それを受け入れて生きる覚悟を決めた人の声だった。

 

 海の向こうは、ここでは無い場所。

 人は時に、海の向こうに仙人が住む島を、西方にあるという浄土を求めてきた。

 そんな安楽な世界が、ここではない、遥か海の向こうの何処かにあると。

 娘にだけは、そんな幸せな嘘を。 

 

 二人の話を聞きながら、仙狸はふと、蜃気楼、海市の事を思っていた。

 蜃気楼は蜃が吹く幻と言われている、だが、何故蜃、海中の貝が、人の都市の幻を海上に顕すのかは、誰も知らない。

 ……もしかしたら、更に元を辿れば、蜃が吹いた、もやもやした形無い気に、人の想像が形を与えた存在こそが、都市の幻影だったのではないだろうか。

 では、わっちが今いる、この海市は……。

 

「ととさまがきたら、わたし、いっしょに、いちにいきたいな」

「市……まぁ、何か買ってほしい物でもあるの?」

「えへへ、ないしょ」

 とんとんと、軽い足取りで少女が砂浜を歩く。

「わたし、いち、だーいすき、きらきらしてて、きれいなものいっぱいあって、にぎやかで、いいにおいして」

 歩くたびに、ふわりと。

 この少女の周囲にだけ、この色の無い砂浜に彩を散らして歩くような。

 光の粒を振りまく様に、淡い色の髪の毛が揺れる。

「ほんとう……そうね」

 娘の言葉に、母親が相好を崩しながら、辛うじて食べられそうな、海藻や貝を探して籠に入れていく。

 この子を、近在の大きな町の市に連れて行ってあげられたのは、まだあの人が居て、本妻の目を盗みながら、僅かにでも援助をしてくれた頃の事。

 また連れて行ってあげられる日は……来るのだろうか。

 見渡すと、冷たく暗い海と、生の気配乏しい、狭い砂浜、高い崖。

 せめて、私が生きてある間にもう一度位は。

 この子だけは、笑顔で……幸せに。

 やつれた手で、娘の可愛い手を握る。

「もう無さそうだし、今日は帰りましょう」

「うん」

 さくりさくりと砂を踏んで歩く、ゆっくりした足音と、さっくさっくと軽やかな足音が、優しく調和して、辺りに響く。

 緩やかに上る浜。

 その砂地が切れ、緑の砂防林と、その中を通る一筋の細い道が現れる。

 その道の半ばに佇む人影があった。

 牛車を背に従え、煌びやかな衣服を纏った。

 それを見た母親の手が小刻みに震えるのを感じ、少女は心配そうに母を見上げた。

「ははさま?」

「……うそ」

 いつもなら、優しい笑顔を返してくれる筈の母は、ただ正面だけを見ていた。

 目を見開き……息苦しそうに荒い息をついて。

 だが、何よりその顔。

 歓喜と憎悪と、悲しみと嫉妬と恨みと安堵と……その全てがないまぜになった、今まで少女が見た事の無い。

「……はは……さま」

 母ではない……男に捨てられた、鬼を宿した、美しい女の顔であった。

 

 駆け寄り、男の胸を非力な腕で叩く女、それを抱きしめ何事か囁く男。

 木の陰からそれを覗いていた仙狸は、その男が、まだ若いが、最前姫と逢瀬をしていた、「父親」である事を確かめた。

 そして、茫然と立ち尽くして二人の姿を見ている少女に目を転じて……仙狸は思わず息を飲んだ。

 その目の中に、鬼火が燃えていた。

 母の顔を見て、瞬時に、母の嘘と、この男が、母と自分を捨てた父親……いや、雄だという認識に至った……。

 まだ小さく微かな物だが、鬼を宿した、女の目であった。

 

 何か声を掛けてやりたかった。

 口が僅かに動くが、それは言葉にならず……仙狸は黙って踝を返した。

 ……これは既に過ぎ去った過去の話。

 自分は、何もできない観客に過ぎない。

 胸が締め付けられる。

 仙狸には、今はっきりと、この海市の真実が見えた。

 判りたくなかったけど……判ってしまった。

 ぎゅっと槍を握り、牢固たる決意を固めて、仙狸は顔を上げた。

 彼女に、これを見せてくれた人の、その意思を確かに受け取った。

 この海市も、妄執も、一切を。

 終わりにしてやろう。

 


 
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