亡者達を引き付けつつ、適当にいなしながら浜に向かってじりじりと下がっていた仙狸が、在り得ない姿を認めて、覚えず声を荒げた。
「カクよ、お主、かような場所で何をしておるか!」
「漁師のおっちゃんたちは、浜まで無事に送ったよ、それより、あの洟垂れ君のととさんが、まだあっちに居るんだ!」
あっちに、とカクが指さしたのは、亡者の群れの先、漁師たちが逃げて来た方向。
「何じゃと!」
まだ、人が残って居たというのか。
あの漁師共、なぜあの時、わっちらにそう告げなかった。
いや、あの切羽詰まった状況では、仙狸にそれを告げられるはずも無いか。
だが、どうする。
ここで、一人を助けに向かうか、見捨て、他の者と自身の生存を優先するか。
そもそも、カクは浜まで漁師たちを送ったというが、出航した所を確かめたのか。
彼らの側に危険はもう無いのか、わっちらが付いておらずとも大丈夫なのか。
それになにより、わっちらという異分子が入り込んだことを察知し、漁師達が逃げ出した今、この海市は、この幻は。
「このまま」でいてくれるのか。
思慮深いが故に、つい複雑になる思考が、仙狸の頭を一瞬だが占める。
刹那だが、次に自分がどう動くか迷った、その彼女の脇を、一切の躊躇いなく小柄な姿が駆け抜けた。
「カク、お主!」
「見捨てておけないよ!」
迷いない一言を残し、カクは群がる亡者の只中に躍り込んだ。
「邪魔しないで、あんた達と戦をしたい訳じゃないんだ!」
キサマモ、ジャマヲスルカ。
ゼニヲハラエ。
カワリヲヨコセ。
ヤツラヲワタセ。
手のような物が、黒い影から伸びる。
その先にしらじらと輝くのは、刃の如き爪。
「……そうかい」
普段朗らかなカクの顔が、戦士の、いや、もっと荒々しい物に変わる。
戦(いくさ)する猿神が一柱。
鋭い呼気と気合声が、高く口から洩れる。
仙狸の豪槍が暴風ならば、こちらはさながら光の鞭か。
舞踏の如き華麗な、だが鋭く無駄のない動きで、霊気を帯びた棍が縦横に閃いた。
「何と」
それを見た仙狸の口から、思わず嘆声が零れる。
大きく、鋭く振るわれる真紅の棍の軌跡が、さながら大輪の花の如く、灰色の街の中で刹那に咲き誇る。
血を流す事も無い亡者の影を、真紅の華が切り裂き、吹き散らす。
大路を埋め尽くす様に迫る亡者の群れがさぁと割れる。
その中に走り込むカクの背を見て、仙狸は何かをふり捨てる様に、首を振った。
状況は、動き出してしまったのだ。
「……ええ全く、あ奴ときたら」
諦めたように、だがどこか晴れやかに仙狸は呟いた。
考える事は重要だ。
だが、それら全てを潔く投げ捨て、走るべき時もある事を、仙狸は知っていた。
もはや時も無い。
たとえ、賭けの分が、いかに悪くとも。
「一人で突っ走るでない、わっちも行くぞ!」
突入して棍を振るいながら、カクは大路を走った。
角々から。
小路から。
次々と亡者が溢れだす。
海で死に、心を現世に残した者達。
彼らは、何故ここに居るのだろう。
ワシラノタカラ。
縋るのは、彼らをこの世界に繋ぎとめるのは、最後に自分が手にしていた財宝なのか。
コウタナラ、ゼニヲハラエ
それとも、それを売って得られる富への渇仰なのだろうか。
彼らは、何を求めているのだろう。
群がる亡者を、棍で叩き伏せ、吹き飛ばし、切り裂きながら。
カクの中に、ふとそんな疑問が芽生えた。
戦の中で、相手に、そういう思いを抱いては、いけないと知ってはいたが。
「いっ」
浅くだが、幽鬼の爪がカクの腕をかすめ、血が飛沫く。
返した棍が、その幽鬼を弾き飛ばす。
乱戦。
だが、こういう戦の経験が無い訳では無い。
敵を仕留めるより、蹴散らし、吹き飛ばし、空間を作りながら突破する。
押し込まれる前に、とにかく、前に進むのだ。
前。
前か……。
自分の正面が前だと、誰が保証してくれる。
この偽りに満ちた、まやかしの島の上で。
前だの後ろだのに。
何の意味が。
爪が頬を掠める。
被った帽子の、房飾りが千切れる。
体に染みついた武術が、次の攻撃を躱し、得物で、相手を蹴散らす。
だが、その一撃に魂が入りきらない。
これは戦だ。
自分の前に立つ奴は、害意を持ってこちらに向かってくる存在は倒せ。
だが、どれ程そう自分に言い聞かせても、余りに幽鬼たちの手応えの無さと、相手からの害意の薄さに……戦で滾った心と体が冷えていく。
卓越した戦士故に、ここまで戦ってきて、カクには判ってしまっていた。
これらもまた、偽り。
妄執に縛られた、幽鬼達の性を利用した、狡猾な罠だ。
自分は誰と戦っているんだ。
私の本当の敵は……。
この棍で打ち砕くべき相手は。
ここには居ない。
幽鬼達が殺到してくる。
銭を、金を、自分たちの宝を贖った、その代価となる何かを寄越せと。
ある意味、至極真っ当な要求を、ただそれだけを繰り返しながら。
生者だった頃の営みが。
生者と交わした約束だけが、彼らを生者の地に繋ぎとめるのだと信じて。
彼らは、カクと仙狸に群がり寄る。
違う、違う!私の敵は、君らじゃ無い。
君らじゃ……無いんだ。
どれ程疑問を抱こうと、ここに答えは無い。
そして、カクには、その思いを彼らに届ける術も無い。
答えのないまま、それでも卓越した戦士の体は、己の身を守る為、偽りの、虚ろな敵を撃砕し続ける。
まるで舞台の上での戦い。
変化の無い光景の中。
減る気配を見せない、手応えの無い敵を叩き伏せ。
それでも、カクは前に。
真実の敵を求め、進み続けた。
そんな海市の騒動を、上から眺める二対の目があった。
「姫よ、今宵は騒々しいのう」
ほれい、あれを見よ。
そういう先代住職の言葉に、傍らの女性は、淡く、曖昧な微笑みを浮かべた。
長く艶やかな赤毛が縁取る小さな白い顔を彩る、美しい笑みだった。
だが、それだけ。
その笑みを誰に向ける訳でも無い。
何を見て浮かべた訳でも無い。
ただ、何か話しかけられ、それに返しただけの。
美しいが、うつろな笑みだった。
だが、先代住職はそれに頓着した様子も無く、傍らの姫に話しかけ続ける。
「あれ、あれを見よ、男どもが泡を食って走りおるぞ、おお、あちらでは、亡者を見て腰を抜かした奴が居る」
やれ汚や、失禁しおったわ。
愉快愉快と、手を打って、その様を指さし、笑う。
こちらは、姫とは対照的に。
歯を剥き出しにして、心からの喜悦の色を浮かべ、高らかに声を上げて。
「愉快じゃなぁ、姫よ」
だが、その言葉にも、同意の言葉は返って来ない。
「ふふむ、やはり高貴の姫は下賤の騒ぎは面白くござりませぬかな……」
僅かな落胆を示して、先代住職は逃げ惑う漁師たちに興味を失ったように視線を転じた。
「では、こちらは如何かな」
にまりと、その顔に笑みを浮かべ。
「今宵は世にも珍しき、美しく、高貴なモノが参っておりますぞ」
海市の中央を通る大路で起きている大騒動。
その中心に居る二つの大渦。
巌の如く、一歩一歩と歩みを進めながら、槍を振るい亡者を払う者。
そして、今一人。
「こちらは何とも、元気が良い」
こうして遠間から見ると、なんと、その動きの美しい事か。
意図してか知らずか、演劇で鍛えられた動きは、遠間から見た時に、その美しさが際立つように、自然となっているのだろうか。
その歩みの一歩ごとに、真紅の華を撒き散らす様に。
その大渦は、亡者の海の中を、確かに、大路の奥、市の中央に向かっていた。
それをじっと見ながら、先代住職は、表情を僅かに真面目な物に改めた。
「お主の目指しているモノは判って居る、式姫よ」
ぬたりとした、笑みを浮かべ。
「のう、姫よ……あの美しき大輪の華、もっと近くで見物しませぬか?」
その言葉に、彼女はこくりと。
その胸に抱いた箱をぎゅっと抱きながら。
無言で、ぼんやりした笑みを浮かべて。
頷いた。
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式姫プロジェクトの二次創作小説です。
前話:http://www.tinami.com/view/957082