8章 たった一晩の長い夜
1
一線を越えるって、どういうことなんだろう?
知り合いと友達の境界。
友達と恋人の境界。
曖昧ではっきりとしなくて、よくはわからない二つの「間」。
私と悠里は今、境界を越えたんだろうか?それとも、まだ背伸びしようとしているだけ?私たちの「今」はどこなんだろう……。
わからない。わからないけど、私が過ごしたい今を、私は過ごしている。それだけで十分だ。
「え、えっと、泊まるったって、着替えとかあるの?」
「いえ、ないですけど?」
めっちゃ真顔。自分が言っていることに一欠片の不安も持っていないような、なんというか……「強い」顔だった。
「服は申し訳ないですが、ゆたかのをお借りして、下着は適当に買ってなんとかしようかな、と」
「な、なるほど……えっと、ご両親への連絡は……スマホがあるよね。悠里の家って、門限っていうか、勝手にお泊りとか、してもいいの?私の考える常識的には、すいうのって難しそうだと思うんだけど……」
「いえ、ゆたかのことを話したら両親もすごく喜んでくれて、今日もゆたかの家に行くということなら、泊まって行っても大丈夫、と言ってもらえました」
「も、もう許可もらっちゃってるの!?」
「はい。まあ、スマホできちんと連絡は入れますが、なんなら着替えも用意するべきでしたね。……なんて」
「お、おお……なんというか、悠里家って……」
「はい?」
「すげーわ、ほんと」
色々と何もかもが規格外と言うか、なんというか……ほんと、ただただすごいという感想を抱いてしまう。語彙力が貧弱過ぎて申し訳ありやせん……。
「えっと、そういうことなら下着だけでも買いに行かないとね。近くのスーパーでいい?」
「はい。一晩過ごせればそれで十分ですから」
「じゃあ、ちょっとお母さんにご飯、四人分になるよってこと伝えて、買い出しが必要ならその分の食材も一緒に買うから、ちょっと待っててね」
「はい!」
……言っておきますけど、初めてっすよ、こういうこと。莉沙ともお泊り会みたいなことはやったことがないんで。
「今日、カレーだから食材は大丈夫だって。じゃあ、行こっか」
「はい。お願いします。……それにしても、カレーですか」
「ごめんね、せっかくのお客さんなのに、普通なご飯で」
まあ、ある意味でお嬢様相手でもボロは出ないというか。悠里宅でもカレーぐらいは食べるだろうし、さすがにカレーは市販のルーで作るだろう。ルーの良し悪しはあるかもしれないけど、まあ、その辺りは誤差みたいなものだ。大勢には影響しない、はず……!
「いえいえ、ゆたかの家のカレー、すごく楽しみです!」
「普通だけどね。でも、普通に美味しいと思うよ。私、ウチのカレー大好きだから」
「ゆたかの好きなものを食べられるなんて、すごく幸せです……!」
「あははっ…………」
ヤバイ、普通に可愛すぎて溶けそうなんですけど、私。
いかん、本当にこの子、天使か?いや、天使だな。確信していこう。大天使だ。大天使がここにおる。
「というか、下品な話だけど、悠里のサイズってどれぐらいなの?」
「えっ?Aですけど……」
「お、おう……やっぱそうなんだ」
「ゆたかはどれぐらいあるんですか?見たところ、Eぐらいはありそうですが……」
「その一個上です」
「わあ、Gってすごいですね!」
「それ二個上なんですけど!?ゆ、悠里さん。あなた、アルファベットも……」
「わ、わぁっ!今、素で間違えてました!い、いくら勉強が苦手なボクでも、いつもならアルファベットぐらい余裕です!九九も言えます!!」
「それも自慢にならないけどね……。ま、まあ、たまにわからなくなる時ってあるよね。LMNの順番とか、混乱したり」
「はい、ありますよね!……よかったです。ゆたかですら、そういうことあるんですね」
ごめんなさい、割りとウソをつきました。アルファベットは一切のよどみなく言えます……ごめんね、悠里。本当にすまぬ。
「ごめん、ウソついた……」
「そ、そうですか……。いえ、そうですよね。ゆたかは頭いいですから!」
仲良くなって、変わったこと。……ウソがつけなくなる。
元々、人にウソをつく、つまり騙すというのは嫌いだったけど、時にはウソも方便、とばかりにそれを賢く、できるだけ誰も傷つかないように使うことはあった。
でも、悠里にはどんな理由があってもウソを言って、それを信じさせたくはないと思った。
「でも、そっか……。悠里はAかぁ」
「ち、ちっちゃいですよね……せめてもうひとつ上のを付けられれば、なんて思うんですが」
「ううん、そんなことないよ。――そうだ。カップ数の面白い表現って知ってる?」
「いえ……よく知らないですが」
「AはAngel、BはBeautiful、CはCute……みたいな、そういう呼び方があるんだよ」
「へー……ゆたかのFは何ですか?」
「Fantastic、だね。……ね、そう考えたらエンジェル、天使みたいなバストって、素敵な表現だと思わない?」
「確かに、天使ですか!!」
正に悠里のイメージ、天使。……割りとサブカルにおける天使って、やたらと豊満に描かれてたりする気もするけどね。いや、それを言い出したら巨乳悪魔も多いし、もうその辺りは二次元というものの性質と言うか。
後、Fantasticって、割りとネガティブな意味もあるんだけど、悠里は気付いていないみたいだし、あえてそこは触れないことにしておいた。
それにしても、もうなんだか話題がすごく莉沙辺りと会話している時のそれに近いっていうか、なんというか。
下ネタってほどじゃないけども、ちょっと前なら悠里とこういう会話はしてなかっただろうな……。
「悠里は当然、この辺りに来ることってないよね」
「はい、そうですね……」
「家族と一緒に買い物に行ったりはするの?」
「そうですね。あまり頻繁に、という訳ではないですが、母と一緒に出かけたりはします」
「へー……そうなんだ。なんかごめんだけど、悠里がそういう普通の人っぽいことをしているのって、イメージなくて。……ほんと、物語のお姫様みたいな感じだから」
「そこまで浮世離れしてませんよ、ボクは」
「そうだね。……私と変わらない、普通の女の子だ」
果たして私を普通と言っていいんだろうか。後、この体格の女子高生を女の子に分類していいのか、という問題については棚上げしておいた。
都合の悪いものは見ないようにする……それが究極の処世術だろう、たぶん。
「ふぁっ……」
「あくびですか?」
「うん……なんかね、実は昨日、ちょっと緊張しててあんまり眠れなくて」
「ボクもです。ゆたかの家に遊びに行けるのが、楽しみ過ぎて……」
「私は不安だったのに、真逆の理由だなあ」
私が色々と考え過ぎなのか、悠里が考えなさ過ぎなのか。
でも、友達同士なら。……そして、今の二人の関係を恋人と呼ぶのなら。……明るく、前だけを向いているぐらいでいいんだと思う。
「う、うぁぁっ…………」
改めて、私たちはキスをしてしまったんだ、ということを思い出す。
それも、調子に乗って何回も。そんなことはないけど、飽きるぐらいに。
「あっ、ここですか?」
「う、うんっ……!ここ、ここです!」
「ゆたか?」
「……悠里は、割りと平気なんだね」
「えっと――キスのこと、ですか?」
「あばっ……!そ、外でそういうこと言っちゃう?」
「ふふっ、そうですね。ボクとゆたかだけの秘密、ですよね。あの幸せな時間のことは」
「う、うんっ……絶対、誰かに言いふらしたりはしないでね」
「はい、絶対です。……ボクも、誰かに教えたりしようなんて思いませんよ。あんなに色っぽくて可愛いゆたかは、ボクの心の中にだけしまっておきたいので」
「ま、またあなたはそんなことを言いなする……」
「なんだか、秘密の数だけ近づくことができるみたいで……もっといっぱい、ゆたかとの秘密を作りたいです」
「そ、そう?……じゃあ言うけど、割りと最近、Fカップになったから、悠里以外の他の誰も私のカップ数は知らないよ。……最後にそういう話を莉沙としたの、Eの時だから」
「おおっ……!そうでしたか。ボクも、Aってお話ししたのはゆたかが初めてです」
「そっか。……これもまた、二人だけの秘密、だね」
「はいっ」
またひとつ、二人だけの秘密が増えた。……悠里が言うように、そうやって秘密が増えるというのは、なんだかいけないこととのようで、同時に嬉しくて……本当に、二人の心の距離が縮まっていっている気がする。
まあ、キスなんてしちゃう時点で、ほぼほぼ心の距離なんてないようなものな気もするけれど。
「と、とにかくさっさと買い物、済ませちゃおうか」
「はい!……でも、また今度ゆっくりとお買い物、したいですね」
「……そうだね。その時は、下着だけじゃなく普通の服なんかも見たいかも」
「いいですね!ボク、ゆたかに可愛い服をいっぱい選んであげたいです!」
「か、可愛いのはそんなにいいよ。というか私、サイズの問題でそんなに選択肢広くないし……」
「そうでしたか……せっかくゆたか可愛いのに、残念ですよね。もっと通販なんかも活用して――」
「あ、あの、悠里さん?なんかいつぞやの時みたいな、変なスイッチ入った目になってるような、なってないような――」
「ふふっ……楽しみですね!!」
「お、おお…………」
悠里の友達であり続けるのって、割りと難しいことなんじゃないだろうか……そう思う私でありました。
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