No.955101

うつろぶね 第十四幕

野良さん

式姫プロジェクトの二次創作小説です。

前話:http://www.tinami.com/view/954530

2018-06-04 22:03:04 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:613   閲覧ユーザー数:566

 一足毎に、死臭が濃くなる。

 風よけの林を抜け、道の先に見える市が見えた頃には、その匂いは耐え難い程になっていた。

「よくまぁ……こんな中で漁師さんたちは平気だねぇ」

 胸が悪くなると言いたげなカクに、負けず劣らずの顔を仙狸も返した。

「まだ幸せな海市の夢に騙されておるのじゃろう、わっちやお主はここが何か知って居るから、真の姿が見えて居るだけじゃ」

 狐に騙されて、牡丹餅を食ったら馬糞だった、温泉だと思ったら肥溜めだった。

 そんな伝承が伝える通り、人の五感は、意外に容易く騙される物。

 人は信じたいものを信じる生き物。

 使いきれない宝物を目の前にした時、眼前の光景を疑うような賢者 ーあるいは、余程に世をひねた者かー は、そう滅多に居るものでは無い。

「幻術の基本って奴だね、かぶきり師匠も、そんなような事言ってたよ」

 幻術というのはね、見たいもの、もしくは見える筈の物を見せ、意識を誘導する、そういう駆け引きの術でもあるのよ。

 故に、姿形を忠実に映すだけではなく、何より騙す対象を知らねばならない。

 人を知る。

 それこそが、幻術の神髄。

「かぶきり殿は、その辺の達人じゃでな……」

 話をしながらも足は止まらない、程なく、二人は広大な市の前に立ち、それを見た。

 全体に壮麗に見えるが、細部の作りが甘い、建物のような物が、ぼんやりと並ぶ、不思議な都。

 その間をもやもやとした、かつて人だった者達が歩き回り、一部の者は、各自思い思いの品を前にして、何やら低い声を上げて、道行く人を呼んでいる。

 商品は様々あった。

 目も綾な宝物を置いているかと思えば、こちらでは襤褸切れのような衣服、錆びた包丁、うず高く積まれた、世にもまれなる異国の香に細工物。

「成程、海の上に市がある……ね」

「そうじゃな……まさか、これが海市の正体じゃったとは」

 唾を飲む仙狸の傍らで、カクが顔をしかめた。

「何の冗談だい、これは」

 その表情から、カクもまた、この悪趣味な諧謔に気が付いたとみて、仙狸が強張った顔に、無理に笑みを浮かべた。

「お主も判るか」

「当たり前だよ……とはいえ、実際に見た事は無かったけどさ」

 二人は、何とも言えない顔を見合わせた。

 こいつは。

 

「鬼市」

 

 きし、おにのいち。

 ここでいう鬼は、日の本の国で言う、角の生えた大力を持つ妖怪では無い。

 唐の国でいう所の鬼。

 日の本の国では、幽霊といえば判りやすいか。

 肉体を失い、この世を彷徨う魂魄。

 本来、人は死したる後は、冥府の法廷で裁かれ、生前の行いに応じて輪廻の輪に戻って行くのが正しい在り様だが、現世への妄執激しく、この世にしがみつく人や、唐突に生を断たれたが故に、自らが死んだ事を理解できない、そんな魂魄は、現世と冥界の狭間に留まり、生前と同じような営みを続ける事がある。

 家庭を持ち、生前の生業を続け、飯を食い、怒り、笑い、そして泣く

 そして、そんな亡者達の営みは、何かの拍子に現世と交わる時がある。

 鬼市もまたそんな営みの一つ。

 幽霊同士が、物を商う場所。

 鬼市に限らず、市というのは、そもそもが見知らぬ存在同士が、取引という約束事だけを土台に、出会い別れ、物が無くなれば消えて無くなる、脆く淡い不安定な場所。

 誰が客かも。

 誰が売っているのかも。

 何が売られているのかも。

 誰が買っていくのかも。

 全てが雑然とした、得体のしれない空間。

 そういう、全てがあいまいな場所だからこそ、こうして怪しきモノと、人の営みが交わる事があるのだ。

「でも……なんで」

「ん、如何した?」

 目の前の光景に、どうしても納得できない様子のカクに、仙狸は目を向けた。

「これはどう見ても鬼の市さ、それは判るよ、けどさ、鬼の市ってのは、都の寺社とかに立つ物であって、海の上に立つなんて、このカク聞いた事も無いよ」

「そりゃそうじゃ、お主の言うように、そもそも市とは賑やかな場所に立つ物よ」

 カクが訝るのも無理はない。

 鬼の市は、本来都のような、人の多い -当然死人もー 場所に現れる。

 客が居ない所では商売が成り立たないのは、人だろうが鬼だろうが同じこと。

 従って、こんな海の上には、商人も客も来ず、従って市は立たない。

 立てようと思う阿呆も居ない。

 その筈だった。

 

「だが、あり得ぬ事だが、海に市が立った」

 蜃が何も考えずに吹く、幻の中に佇む都の風景。

 それが一夜だけとはいえ、実体を伴って海上に現れた。

 市という器が、出来たのだ。

 そして、海には、その市という器を満たすだけの、死者が大勢彷徨っていた。

 一攫千金を求め、唐天竺や暹羅(シャム)などに船で赴き……夢の途次で、嵐や海賊や妖怪の餌食になった人々が。

 日ノ本にこの品々を持って帰り、売れば、俺の苦労は報われるのに。

 使いきれない程の富が、一生楽に暮らせるだけの物が手に入るのに。

 何故俺は……こんな所で。

 その無念と共に、売る事叶わず、商人と共に海に沈んだ財貨の数々が、海の底には眠っている。

 そんな無念の凝り固まった亡者が、たまたま出現した、空っぽの市に吸い寄せられた。

 市だ。

 市ならば、我が手に残る、この財宝を売る事が出来よう。

 市ならば、客も来るだろう。

 哀れな人々の妄執が、この幻の上に、鬼市を生み出したのだ。

 

 人の情として無理からぬ事だと思うが、仙狸にとっては、今の事態は余り同情もしていられない。

「ここが鬼の市じゃったというなら、事態は更にややこしい事になるのう」

 仙狸がしぶい顔で辺りを見回した。

「どうしてさ?」

 これ以上、事態が悪くなるなんてあるの?

 そういうカクに向かって、仙狸はほろ苦い、どこか皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「そうじゃな、まぁ、最悪の底が抜けるだけじゃ」

 何かを聞きつけたのか、ピンと立った猫の耳が向いた方に、仙狸は走り出した。

「最悪の底が抜けるって、それ、もう破綻してるって事じゃん!」

「そうじゃ、あの漁師たちは、既に幽冥界の住人から、物を受け取っておるの……つまり取引を交わしてしまった」

 その場で代価を支払ったのか、ツケになっているかは知らぬが。

 生者と死者の間に、取引が成立した。

「そうか……縁が、結ばれちゃった」

 カクの言葉に、仙狸の眉間の皺が更に深くなる。

「全く冗談では無いぞ」

 蛭子珠の力得た蜃に加えて、亡者まで出て来るとは……。

(厄介がこれ以上積み上がったら、わっちらだけではどうにもならぬぞ)

 

 ゼニヲ。

 ゼニヲ。

 黒く朧な人影が、おうおうと泣き声を上げながら、それだけを口にして、漁師に迫る。

 恐怖に、声も無く竦む猟師たち。

 彼らは、常に死を間近にして生きる漁師である、人や獣や勇魚(いさな、鯨の事)のような相手なら、相手がどれ程強大でも、勇敢に立ち向かえる。

 だが、逆に、自らの力が恃めない相手に対しては、戸惑いからか、脆さを見せる。

 その中で、長としての矜持か、網元が震える喉を無理やり開いて大声を上げた。

「だから……だからそこにある金銀銅貨、全部要るだけ持って行けば良いじゃろうがぁ!」

「駄目じゃ駄目じゃ」

 黒く朧な影達の中、しっかりとした輪郭と顔かたちを保つ、先代の住職の霊が、はっきりした言葉で、網元の言葉に首を振った。

「わしらは、その銭を貰うた所で、何も買えんでな」

 お主らの銭はな、対価としての価値は無いのじゃよ。

「銭とは所詮、人同士、それも手狭な範囲の便宜の為に作られただけの物じゃよ、網元殿、ヌシは犬猫や神仏を、金銀で手懐け、交渉する事が出来ると思うて居るのか?」

 価値とはその位、脆き物じゃ。

 儚い、幻のような約束事の上に、人の生活は成り立っておるのじゃ。

 人の上に立つ者は、その辺りをしかと心得て居らねばなぁ、違うか、網元殿。

 坊主らしいと言うべきか、分別くさい言葉に、網元は実際的な男らしく、目を剥いて端的な問いを発した。

「では、御坊よ、わしらは、何を支払えばよいのじゃ?」

「ふむ」

 網元の抑えてはいるが、怯えを含んだ声には直接答えず、先代の住職は彼の後ろに数多控える、黒い人影に目を向けた。

「網元はああ言うておるが、どうされるな?」

 ナント、ゼニハ、ハラエヌノカ。

 モッテオラヌノカ。

 イカガスル。

 イカガシヨウ。

 

 カワリニナルモノヲ。

 ソウダ、カワリヲ、イタダコウ。

 

 オオ。

 ウム。

 ウム。

 

 泣き喚くのを止め、満足げに互いに頷き交わす黒い影を、不気味そうに見て、網元は先代住職に顔を向けた。

「代わりになる物だと……一体それは」

「なに、お主らにも支払えるものじゃよ、安心せい」

 わしは要らんので、ここらで失礼するがの。

 寄り集った、数多の影たちの顔らしきところに、かぱりと、一斉に紅い大穴が開いた。

「ひっ!」

 上下に散らばる白い何かと、奥に見える、深淵に続くような黒い穴が見える所を見ると……あれは口か。

「て……てめぇら……何を」

 それは、疑問と言うより、胸の中に収めきれなかった、恐怖の発露。

 その影たちに場所を譲る様に、先代住職は後ろを向いて歩き出した。

「金が無いなら仕方あるまいよ」

 

 コッチニコイ。

 ワレラノナカマニ、ナレ。

 ナカマニ。

 ナカマニ。

 

「お前らの仲間になんぞ、なってたまるか!」

 野郎ども、逃げろ!

 魚が見えた時に、眠っている一同を叩き起こす、慣れ親しんだ網元の怒号。

 その声に、半ば反射的に漁師たちの手足がしゃんと伸び、彼らは、黒い靄から逃げる為、弾けるように走り出した。

 

 アタタカイ、チガアッテハ、ナカマニナレヌ。

 ヤワラカイ、ニクガアッテハ、ナカマニナレヌ。

 カタイ、ホネガアッテハ、ナカマニナレヌ。

 ゾウモツガアッテハ、ナカマニナレヌ。

 ヘノコガアッテハ、ナカマニナレヌ。

 メダマガアッテハ……。

 ハナガアッテハ……。

 

 風に漂うように、漁師たちの後を追いだした亡者の群れを見てから、先代の住職は踝を返した。

「代価を払えぬなら、体で返すが、人の道じゃ」

 市で何かを受け取った以上、奴らは何らかの代価を払わねば逃げられぬ。

 亡者からも。

 この幻の島からも。

 

「南無阿弥陀仏」


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
5
0

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択