「お待たせいたしました。こちら、トマトジュースでございます」
「うむ、大儀であったのー」
座椅子にもたれている真祖の前へ、運んだ盆を置く。
「んーと……どこー?」
「ほれ、ここだここ」
虚空を掴む真祖の手を握り、そっとトマトジュースを渡してやる。
「ありがとー。じゅるるるる……」
「ゆっくり飲めよ。そんな慌てて飲むと――」
「ぶふっ!?ゲホッゴホゴホッ!!ゲホッ、ゲホッ!」
「あーほら、言わんこっちゃない」
咳込むのが静まるまで、真祖の背中をトントン叩いてやる。
着物に血痕のような赤い飛沫が飛び散ったが、この際気にしない。
「はぁ、はぁ、はぁ……もう大丈夫ー。オガミ、かかっちゃった?」
「ん?あぁ、ちょっと汚れただけだ」
「うー、ごめんね」
「真祖の目に比べたらなんでもないよ」
少ししょぼくれている盲目の吸血姫は、頭を撫でられると少しだけ笑顔になった。
遠征中、妖の奇襲から俺を庇ってくれた真祖は一時的に視力を失っている。
本人曰く、トマトをしっかり摂取して休んでいればすぐに治るとの事。
というワケで、今日一日はまるっきり真祖のパシリ――もとい、お世話係。
元はといえば俺のせいなんだしね。処遇に文句の一つもない。
「くんくん、くんくん」
「ん?」
「……ぺろぺろ」
「おい、人の着物を舐めるな」
犬かお前は。
「見えなくてもー、トマトの匂いは分かるのー」
「ええい、分かったから離しなさい。お代わり持ってくるから」
「くぅーん……」
目を閉じたまま、トマトジュースを口に運んでいる真祖を見つめる。
見えないというのは相当に怖い筈だが、そういった恐怖感が表に出ているようには見えない。
まぁ式姫の感覚はヒトのそれより遥かに優れているから、日常生活を送る上では大した障害にはならないのかもしれないが。
「はい」
「うん?」
「半分あげるー」
「こっちだこっち。俺は要らないから、全部いっちまえ」
微妙に角度がズレている。やはり不便なことに変わりないようだ。
その割に俺を責める事もなく、愚痴の一つも漏らさない。もともとそういった性格なのか……。
俺としては、心にしこりが残るような悶々とした気分である。
「オガミ、そんな顔しないで」
「ん?」
「また変な事考えてたんでしょ」
「いや、変な事じゃあないが……何で分かるんだ?」
「見えなくてもー、分かるもん」
するすると真祖の手が伸びてきた。
「ん?あれー?」
ペタペタと俺の顔を手探りで確認している。
何だ?頭でも撫でるつもりなのか?
無礼な手を払いのけず、そのまま様子を伺っていると――。
ぎゅう。
「いで」
ぎゅううう。
「いだいいだい!」
むにむにむにむに。
「ひゃ、ひゃめないか!」
「おー、いい手触りなのー。うりうりうりうりー」
「ほぉら、ひんほ……」
頬が気に入ったらしい。
心から怒る気になれず、仕方なく俺は真祖のなすがままに身を任せた。
「ふふふー、少しはスッキリした?」
「スッキリしたのはお前だろうが、全く」
ようやく解放してもらった頃には、真祖は上機嫌になっていた。
目の前に鏡があれば、赤く染まった自分の頬が確認できただろう。
いや、赤くなっているのは単につねられたせいじゃなくて……。
「ん」
「何?」
真祖がくいっと顔を突き出してくる。その仕草に、思わずドキッとした。
「真祖のほっぺ、触っていいよ」
「……俺はこっちだ」
くるり。
「ごめん嘘。さっきので合ってるよ」
「もー!」
少し膨れた真祖の頬に、すかさず人差し指を軽く押し込む。ぷにぷに、ぷにぷに。
「むぅ……」
「ふふふ、思い知ったか。今度はコレ行くぜ」
こちょこちょこちょ。
「ぷっ、あははははっ、ちょ、ちょっと待ってー」
「待ちませーん止めませーん。うりゃりゃりゃー」
「あっははははっ、くすぐったいー」
その後、俺達はお互いに飽きるまで奇妙なスキンシップが続いた。
「ふー……」
所変わってここは湯船。
なんだかんだでようやく真祖から解放され、ゆっくりと羽根を伸ばしている最中である。
予備のトマトジュースを作ったりしているうちに、すっかり遅くなってしまった。
しかしまぁ、ああいうじゃれ合いもたまには悪くない。
「明日はどうすっかなぁ」
少なくとも、今の状態のままの真祖を連れて討伐に向かうわけにはいかない。
可哀想だがお留守番しててもらうしか――。
ガラッ、と風呂場のドアが開いた。
反射的に振り向くと、そこには一糸纏わぬ真祖の姿が。
「!?」
「オガミ、いるー?」
寝起き直後の低血圧な声を上げながら、ぺたぺたとこちらへ向かってくる。
「なっ、おまっ」
突然の展開に頭が付いていけず、俺は酸欠寸前の金魚のように口をパクパクさせていた。
いやいやいやいやいやいや、なんだこれは。
かああっと一気に顔に熱が篭った。ついでにピーも。
「あー、あー……うう……」
何と言えばいいのか分からない。追い返すのが正しいのだろうが、いや待て待てそれは間違いだろと本能が訴えている。
したがって口から漏れるのは、意味を持たない呟き。そんな俺の狼狽している様子など、目が見えなくとも十分伝わる筈なのに。
気が付くと、湯船に入ってきた真祖が傍まで来ていた。
昼間、引っ張られた頬を改めてつねってみる。夢じゃない。
「真祖、その……えー……」
せめて隠してくれ、と言おうとした言葉が喉で詰まった。
目の見えない今の真祖にそれを要求するのも何か妙な気がする。
「どうしたのー?」
「いや、どうしたも何も、その……丸見えなんだが」
「うん」
いや、うんじゃなくて。羞恥心ってモノがないのかね。
「はぁ……まぁいいや。なんでもない」
斜め後ろから見る真祖の白く綺麗な肩が、水滴を帯びて艶めかしい。思わずゴクリと唾を飲んだ。
水面からのぞいている黒い翼は、本人の機嫌を表しているかのようにゆっくりと動いている。
鼓動がバクバクと耳障りな程にうるさく聞こえる。未だに頭は混乱しており、下手に気を抜くとのぼせてしまいそうだ。
「ひどいよー」
唐突に真祖が不満の声を漏らした。
「え?」
「私が眠ってる間にどっか行っちゃうんだもん」
「……いやいやいや、流石に風呂に真祖を連れてくるワケにもいかんだろ」
「真祖のこと、嫌いなのー?」
「ちげーよ!」
なんでそうなるんだ。
「風呂に入りたいなら、他の式姫と一緒に入ればいいだろ?」
「何で?」
「何でって……」
「何で、オガミと一緒に入っちゃいけないのー?」
「…………」
ダメだ、真祖の思考についていけない。故に、俺は――。
「あーもう、分かった分かった。好きにしてくれ」
頭を掻きながらそう呟くしかなかった。
そのまましばらくお互いに黙ったまま、時が流れた。
真祖はこちらを気にしている様子は全くなく、両手を組んで腕を伸ばしたり小さく鼻歌を歌ったり。
対してこちらは、気まずさと恥ずかしさで完全に地蔵と化していた。
「オガミー、背中洗ってー」
俺に呼びかけると同時に、真祖がざぱっと立ち上がる。
嫌、と断れる雰囲気ではない。まぁ仕方ないか……。
「分かった。手を出して」
真祖の手を握り、振り返りたい衝動を抑えつつ洗い場まで連れていく。
興奮に滾っているこちらのピーを見られないのが不幸中の幸いか。
一時的に陰陽師から三助になった俺は、丹念に真祖の背中をこする。
「痒い所はありませんか?」
「うんー、気持ちいいよー」
これは仕事これは仕事これは仕事これは仕事……。
念仏のように頭の中で復唱し、必死に情欲を押し殺す。
「よし、そろそろ流すぞ」
「あー待って」
「何だ」
「前も、お願いー」
これは仕事これは仕事これは仕――いや仕事でも無理無理ぃ!
「あはは、冗談だよー」
「真祖、頼むからこんな時に冗談はやめてくれ。心臓に悪い」
ついでにピーにも悪い。非常に悪すぎる。
泡を流し終えると、再び真祖の手を引いて湯船へ。
――戻る途中で、真祖がバランスを崩した。
「あー」
「っと!」
咄嗟に手を伸ばして前のめりなって転びかけた真祖の体を支える。
同時にむにゅん、と手の平に感じる柔らかい弾力。こ、これはもしかしなくても……。
「○¥ヱ%@▲&P!」
「どうしたのー?」
あああああああやっちまった。アレがアレでアレレレレ。
今のは事故だ、不可抗力だ。と言い返す準備は出来ていたが、それについて真祖が追及してくる事は無かった。
全身が再び地蔵のように硬直する。気が遠くなりそうだ。
う、動けない……。
「へっくしっ!」
真祖の可愛いくしゃみでようやく俺は我にかえり、何事もなかったかのように再び手を取った。
どうしよう、さっきまでより気まずい雰囲気になってしまった。
右手にはまださっきの柔らかい感覚が残っている。くっ、この感覚を永久保存できれば……。
「ねーねー、肩揉んで」
「ん?」
「肩」
どこまでもマイペースな真祖。
もうここまでくると、一人で悩んだり悶えたり顔真っ赤にしている俺の方がバカな気がしてきた。
「肩揉みね、へいへい」
ざぶざぶと波を立てながら真祖の背後に回る。
ぐにぐに、ぐにぐに。それなりに力を込めても痛がる様子はない。
「あー気持ちいいー」
「力加減はこれ位?」
「うんー。もうちょっと首の付け根辺りー。あーそこそこ」
羽根がバサバサと動いて腕に当たるのが邪魔だが、ここは黙っておこう。
「極楽極楽ー」
「呑気な奴だな……」
「何か言った?」
「いや、なんでもない」
「こうやってさー」
「ん?」
「オガミが色々とお世話してくれるなら、真祖の目治らなくてもいいかなー?」
「何言ってるんだ。それだと俺が困る」
というか、現在進行中で色々困っている。それはもう色々と。性的な意味で。
「じゃあ、これからは目が治っても時々は肩揉みするようにする」
「ありがとうー」
「そんなに凝るモンなのか?」
「真祖、結構胸大きいからねー」
「ぶっ!?」
いけね、真祖の言葉に反応してつい力が。
「あ痛っ!」
「ごめんごめん」
申し訳ないが、大きさについてはこの右手でしっかりと確認させて頂いた。
あれから何も言われないのでもう一度くらい揉んでやろうかと考えたが、崩壊寸前の理性がしぶとく止めろと訴えていたのでそれに従った。
「で」
「でー?」
「真祖、ここは俺の部屋だ」
「うん」
「ここは俺の布団だ」
「そうだねー」
「何でお前まで一緒に入ってくるんだ?」
「ダメー?」
って言うに決まってるよな、うん。よし、大体慣れてきたぞ。
慣れてきたが、だからといって同じ布団で寝るのは流石にマズイ。
「勿論ダメだ。俺が眠れなくなる」
「羊が一匹、羊が二匹、羊がさん――」
「止めてくれ、余計眠れねぇ」
真祖に背を向けて、目を瞑った。
「もー、ワガママなんだからー」
ワガママなのはお前の方だろ、と言いたいのをぐっとこらえる。
そのままじっと無言でいると、真祖は俺に構うのを諦めたのか少しだけ距離を取った気配。
せっかく風呂に入ったというのに、精神的な疲れが色濃く残っているとはこれいかに。
もう考えるのすら億劫だ、寝る事に専念しよう。
「もったいないなぁ」
真祖がぽつりと呟く。
「こうやって一緒に寝られるの、最後かもしれないのに」
「…………」
「ねー、オガミ」
「…………」
「あとどれくらい、一緒に居られるんだろうね」
縁起でもない事言うんじゃあない。
背後の様子を知る術はないけれど。
少しだけ悲しそうな顔をしている真祖の顔が、想像できた。
そうだな。あとどれ位一緒に居られるか、俺にも分からない。
だけど、もしもこの次があるのなら――必ず、笑顔で眠れるようにしてやるから。
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真祖と一緒にお風呂入ったりお布団入ったりするお話です。
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