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人の生活には、いつもその隣に音楽がある。
部屋で作業をしている時、私はいつもワイヤレスヘッドセットを付けて、音楽を聴いているし、登下校中も何かしら音楽を聴いている。
それは当たり前のことで、何か特別なことをしているつもりはない。暇だから音楽聴こう、とか。気分を上げたいから好きな曲を聴こう、というようなごく当たり前の、日常の中の選択肢のひとつとして音楽を聴く。
それは、喉が乾いたから水を飲む。お腹が空いたからご飯を食べる。といった生理的な、人が生きて行くために必要なこととはまた少し違う、あくまで娯楽の一環ではあるけど、では、現代人が娯楽もなしで生きられるのかというと、それはやっぱり疑問だと思う。
そう考えると、音楽は人が人として生きるために必要なものなんじゃないだろうか。
――と、ここまでが導入。こっから本編です。
「どうですか?」
「うん……なんかすごい」
「どこがすごいですか?」
「え、えっと、全体的になんか……すごい」
「そうですか」
「な、なんかごめん……。私、バカ丸出しなこと言ってるよね」
「いえ。ボクもゆたかに本気でコメントしてもらおうとは思ってませんから」
笑顔で言ってくれるけど、それ、軽くディスってませんか……?
昼休み。図書委員の仕事がある時は、図書室にいる訳だけど、そうじゃない日は私の教室で悠里と過ごすのが当たり前になっていた。悠里の教室を集合場所としないのは、やっぱり上級生が下級生の教室に行ってしまうと、周りの子が緊張してしまいそうだし、それよりなにより、悠里の方から先に来てくれるのだから、私が悠里に会いに行く余地はない。
ただ、ウチは共学な訳である。教室には普通に男子がいるし、彼らの前で私たちが、あんまり仲良くするっていうのは……なんだかすごく恥ずかしいことに思えた。
ひとつのイヤホンを共有して音楽を聴く、という私にしてみれば“大冒険”を以前はしたけど、さすがにあれを人目につくところでやれっていうのはナシ。ただ、今日は悠里の方から好きなクラシックの曲をスマホに入れて持ってきてくれたから、それを聴くためにわざわざ校舎の四階、屋上に続く階段に座って二人で聴いていた。
もっとマシな場所があればいいんだけど、人目につかない、座って落ち着ける、という要件を満たせるのはここぐらいだった。図書室は静かにしていれば大丈夫だから、イヤホンで音楽を聴く分には咎められない気もするし、あんまり生徒も来ないけど。でも、なんだかそれには抵抗があった。図書室は本を読む場所だ。
「でも、なんだかこうやって人から隠れて会っていると、ドキドキしますよね」
「……会うだけなら、どこでもいいけどね。さすがに男子の前でこういうのは無理でしょ」
もう聴き終わったので、イヤホンから耳を外し、コードを指に巻き付けて弄びながら言う。ああ、何気なくしちゃうけどこれ、断線とかしちゃわないかな。
「でも、男の子同士でもこういうことって、しないんですか?」
「んー……まあ、する子もいるとは思うけど。ただ、ほら、割りと刺激が強く見えちゃう、みたいな?」
「そういうものなんですか?」
「……だってほら、悠里って可愛いし」
「ゆたかも奇麗ですけど、ボクとゆたかが仲良くしているのって、具合が悪いんですか?」
「――こほん。悠里って、百合って知ってる?」
単刀直入に。悠里にはこれが一番いいとわかってる。
「百合の花、ですか?白くて奇麗な花ですよね」
「うん、オッケー。私が求めてたのはそういう反応。――百合ってね、すごく仲のいい女の子同士のことを示す隠語でもあるんだよ」
「そうだったんですか?じゃあ、ボクとゆたかは百合ですね!」
「うん、そういう反応もわかってたけど、それ、人に絶対言わないようにしてね」
「なんでですか?」
「いや、これは諸説諸派あるからさ、一概には言えないんだけど、百合って友情よりも更に一歩踏み込んだところを言うことも多くって」
「友情から踏み込んだところ……親友、みたいな?ボクとしてはやっぱり、ゆたかとはそういう関係でありたいと思いますが……」
話していて、ああ、本当に悠里って純粋だなぁ、可愛いなぁ、とめっちゃにやけている私がいる。たった一歳差の後輩と話しているだけなのに、気分的には中学生や小学生と話している気分にすらなる。ちなみに私はお姫様が好きなだけであってロリコンではないので、そこは明言させてもらいたい。……見た目小さい子で言うなら、大千氏ちゃんや会長さんもそうだしね。私が好きなのはあくまで、キラキラとしたお姫様だった。
「うん、私もそれは賛成だけど、さ。……その、恋人、みたいな」
「こ、恋人!?恋人ってつまり、結婚を前提とした……!!」
ああ、この子、めっちゃ貞淑だなぁ。マジ大和撫子。見た目は思いっきり西洋風だけど。
「ま、まあ、そう見てもいい、かな」
「でも、少なくとも日本の法律では、異性としか結婚できませんよね?それで恋人になんて、なれるものなんですか?」
「まあ、なれない……ね。でも、本人たちがそうありたいって思うのは勝手だし、結婚しなくてもすごく仲良くすることってできるし、いずれ別れなければならないっていう悲恋のモチーフにもなったりして……。そういう訳で“ジャンル”のひとつになってるっていうか」
「なるほどー……。で、それが男子の前でボクたちが仲良くすることと、どう関係するんですか?」
そして天然です。完全天然素材です。この子本当、高一として生きて行けているのか不安になります。大千氏ちゃん、ちゃんと見ててあげてね……。
「だから、わたしたちも、百合好き男子からはそう思われちゃうってこと」
「わぁっ、そうなんですか!?」
「……わからないけどね。少なくとも同学年の連中には、私の趣味とか知られてると思うし」
私の世間一般的な評価。なんか女の子の人形?愛でてるやべーやつ。キモオタどもに囲まれてたやべーやつ。見た目そうは見えないけど完全陰キャなやべーやつ。
……クソッ、ロクな評価がない!
でも、それはある意味で、私の平穏な生活を守ってくれる気がするけど……。
「三次元女子とそういうこと、とは思われないかな……うん」
「でも、そう勘違いされてしまったら、ちょっと恥ずかしいような、嬉しいような……」
「そ、そう?迷惑でしょ?変な子って思われるかもしれないし」
「ボクって、変な子じゃなく見えます?」
「……………………」
この子、意外と自分のことはわかってらっしゃる。
いや、もうすぐ入学から二ヶ月が経つ。そのぐらいになると、完全にクラス内での自分の“位置”なんかも把握できているはずだ。悠里は鈍い子だと思うけど、さすがにそれぐらいはわかっている、か。
「そんな“変な子”のボクがゆたかとすっごく仲がいいって思われるのって、嬉しいです。自信になるって言うか」
「……悠里は十分、すごいじゃない。もっと自信を持っていいよ」
「ありがとうございます。ゆたかにそう言ってもらえるのが、何よりも嬉しいです」
そんな、いつも通りの。でもちょっとだけ、不思議なやりとりだった。
それに、どうしてだろう?「百合」という言葉を口にして、悠里にその意味を伝えた時。胸が少しだけ熱くなった気がした。いや、お弁当で胸焼けしたとかじゃないんで。まだ若いし。
私と悠里は、友達。それでいいし、それがいい。だけど、友達とそれ以上の間に境界があるのなら、それを飛び越して見える景色というのにも……全く興味がない訳でもなくって。
「ゆ、ゆたか。あんまりコードを引っ張ると、ちぎれちゃいますよっ」
「えっ?あっ、ごめん……!」
気が付くと、イヤホンのコードをぐるぐる、ぐるぐる。そのまま引きちぎりそうになっていた。……これ、悠里のなのに、何をしとるんだ、私は。
「これ、結構高いやつだよね……私の使ってる安物とは風格が違うもん」
「そうですか?二万円ちょっとだったと思いますけど……」
「それが高いって自覚持って!ホント!!いつか詐欺られそうだから!」
「……でも、ボクのフルートは五十万円ほどですよ?イヤホンがあれば、素敵な演奏を聴き放題なんですから、二万円でもすごく安い買い物だと思います。クラシックのCDも、数千円で買えるなんて、申し訳なくなってしまうほどです」
「う、うーん……そう言われてみれば、確かにそうかもしれないけど。でも、楽器基準で物の値段を考えるのはヤバイと思う……。ちなみに、悠里のフルートは銀製なんだよね。私が前、ちょっと吹かせてもらった洋銀のやつは?」
「えっと、ちゃんと値段を覚えている訳じゃないですけど、十五万と思えばいいですかね?」
「今になって口が腫れそう…………」
いや、楽器って練習用でもその程度だとはわかっているけども。
――それに、そう考えると五十万円の悠里のフルートって、案外安いんじゃないか、って思ったりする。上を探せば、もっとすごいのはありそうなものなのに。
でも、悠里は今のフルートをもう何年も愛用しているみたいだし、小さな頃、練習用のつもりで買い与えられたものを、もう馴染んでしまったから買い換えることもできず、そのままずっと使っているのかもしれない。
別に、高いものを買ったからと言って、一気に上達する訳はないんだろうし、弘法筆を選ばず。悠里は笛を選ばず、ってことなのかも。
「とりあえず、大切な二万円様をごめんなさい……。壊れちゃってもすぐには弁償できそうにないんで、どうぞ、どうぞ平にご容赦を……」
「弁償なんていいですよ。――でも、そうですね。もしも壊れちゃったら、一時的にでも、ゆたかのを貸してもらえませんか?」
「えっ?私の?あれ、千円しなかったぐらいだと思うけど……」
今思うと、ずいぶんとチープな物で、悠里の肥えた耳にアニソンを聴かせちゃってたな……と恥ずかしくなってくる。
「ボクにとっては、百万円よりもずっと価値がありますよ」
なぜだろう。
なぜだかわからない。
だけど、そう言って微笑んだ悠里は、びっくりするぐらい大人っぽい色気にあふれていた。
――だから、ダメなんだって。そんな、いちいち私にとって魅力的過ぎる表情を見せるから、あんなことを思ってしまうんだ。
この子と恋人になりたいなんて、思ってしまうんだ。
「……バーカ。それ言うなら、私にとってもこのイヤホンは、一千万円以上だって」
「じゃっ、じゃあ、ボクは一億円です!!」
「じゃあ、十億円」
「それなら、百億万円でどうでしょう!!」
「一兆で」
「え、えっと、兆の上って……無量大数です!無量大数!!」
「なら、私も同じかな。悠里のお値段、プライスレス」
小学生みたいな言い合いの末、私は自然に悠里の小さな体を抱き寄せて、自分の膝の上に乗せていた。……これじゃ、恋人というより、姉妹か親子みたいだ。
「ゆたか」
「ん?」
「ボク、ゆたかとなら、百合になりたいです」
「……そっ」
残念ながら、そういうことを言っている内はダメですよ。私のお姫様。
「私はヤだ」
「うぅーっ……!!ゆたかは意地悪です!こんな風に、ボクを子ども扱いしてぇっ…………」
「私は意地悪な魔女だからね。お姫様には試練を与えるの。それを克服してようやく、一人前の女の子として認めてしんぜよう。ハッピーエンドはまだまだ遠いぞ、若人よ」
「うぅっ……そうこうしている内におばあちゃんになっちゃいそうです……」
それぐらいになるまで、ずっと一緒にいられたら最高なんだけどね。悠里さん。
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