「はああぁぁ……」
只今の時刻はまもなく午前十一時になろうかという辺り。今日だけで既に三回位はため息をついている気がする。
俺の部屋では対面している幼女――否、少女の式姫が、頭を抱えて唸っている俺をしげしげと見ている。
「おじさん、大丈夫?」
「その、おじさんって呼ぶのやめてくれないかな」
目の前の少女に悪気はない。
別におじさんと呼ばれてもおかしくない年頃なのだが、こうも真っ直ぐに言われると腹のあたりが痛むのはどうしてだろうか。
項垂れた顔を上げて、目の前の式姫の姿を直視する。
小さいながらも九本揃った白い毛並みの尻尾。
体格にやや不釣り合いな、これまた白い大きな耳。
不安と好奇の入り混じった瞳がくりくりと動き、目の前の主の動向を捉えようとしている。
体つきは子供のそれと同じく華奢で、かつて栄華を誇っていた豊満な胸は見事な大平原へと衰退していた。
飯綱を横に並べると、ちょうどいい具合に姉妹として映えるかもしれない。
式姫についての謎は俺も知らない事だらけだが、少なくとも若返るなんて話は前代未聞だ。
若返るというか、幼くなったというべきか。外見から判断すると年の頃は十歳前後。
事の発端は今朝に遡る。
朝食の時間になっても現れない葛の葉を呼びに部屋に入った所、体が縮んでしまっていた。以上で報告は終わりです。短っ。
言葉にしてみると荒唐無稽だが、なんせ事実なので笑えない。
それにしても、いくら今日が四月一日とはいえ某名探偵のように起きたら体が縮んでしまっていたというのはいくらなんでもあり得ない。
目の前の状況が理解できず呆然としていた俺は、ようやく我に返ると布団を蹴っ飛ばして四肢を放り出すような体勢で
眠っていたロリの葉――もとい、葛の葉ちゃんの元へ歩みより、肩を揺さぶって起こした。
「おい、大丈夫か?」
「んんー……」
半分眼を開き、主の姿を認めた葛の葉は
「おじさん、誰?」
あろうことか、成熟した体と共に記憶まで失ってしまっていた。
その後、俺は皆に事情を説明して回り今こうして部屋に葛の葉ちゃんを連れてきている。
さてはあの薬師の仕業かと思いきや、本人に訊いてみると何も知らないとの事。
こうなると、もはや原因が分からない。白峯の占いに頼るという手もあったが、間の悪い事に彼女は出かけている。
結局動揺しているのは俺一人だけで、皆の反応はいたってお気楽なものだった。
よくある事ではないのだろうが、少なくともこんな事態に対してどうすればいいのか全く分からない。
放っておけばそのうち戻るというのが大半の式姫達の意見だったので、それに従うとしようか。
じっとしている気にはなれなかったので、葛の葉ちゃんを連れ出し街の方へぶらぶらと歩きだす。
「なぁ、本当に俺の事覚えてない?」
「うん、ごめんなさい」
「そうか……まぁ仕方ないよな」
俺の落ち込む様子を見て、葛の葉ちゃんの顔も曇った。どうも記憶喪失というのは演技ではないらしい。
まるで別人のようだ。しっかりと手を繋いで歩いているのに、まるでどこか遠くに行ってしまったようで。
この子は――俺の知っている葛の葉ではない。
「どうしたの?」
「あぁいや、なんでもないよ」
ふうっと息をついて笑顔を取り繕った。いつまでも暗い顔をしていても仕方ない。
気が付くと、足が勝手に店の敷居を跨いでいた。
「ここは、以前よく一緒に来ていた甘味処だよ」
と言っても、葛の葉と来たのは一度きりだけどね。あの時は、有無を言わさず強引に連れてこられて……。
流石に隣に座らせるワケにはいかないので、大人しく対面に座ってもらった。
落ち着きなくキョロキョロと周囲を見渡す行為が、子供っぽく見える。いや子供なんだけど。
「何か食べたいのはある?」
「んーと……油揚げ」
「ごめん、油揚げは流石に置いてないなぁ」
「じゃあ、おじさんと同じのがいい」
「オッケー」
「わぁ……」
ほどなく運ばれてきたみたらし団子に、これまた目をキラキラさせている。
そのまま、ぱくりと一口。
「んー!美味しーい!」
その微笑ましい光景に、釣られてこちらも笑顔になる。
では、俺も早速いただこう。
「…………」
「…………」
「あー、葛の葉ちゃん。良かったら俺の分もあげるよ」
「いいの?」
「うん」
そんなに俺のみたらし団子をじっと見つめられちゃ、献上するしかないじゃないか。
まぁ実際のところあまり腹が減っているワケではない。見ているだけでお腹一杯になる。
「あーあ、口の周りにべったりタレつけちゃって……ほれ、じっとしときな」
ごしごし、ごしごし。
「そんなにがっつかなくてもお団子は逃げたりしないから」
「えへへ、ごめんなさい」
「ほれ、もう一本やろう」
「わーい!」
甘味処を出る頃には、すっかり俺になついてしまっていた。ちょろいというかなんというか……無邪気だな、この子は。
しっかり手を握っていないと、振り解かれそうだ。
そこから先はよく覚えていない。
色んな場所に立ち寄って、色んな話をして、気付けばすっかり日が沈んで。
楽しい一日ほど過ぎるのが早いようで、あっという間に夜になってしまった。
屋敷全体が寝静まり、そろそろ日付が変わろうという頃。
ウトウトしていた俺の元に、葛の葉ちゃんがやって来た。
「ん?葛の葉……?」
「んふふー、お邪魔しまーす」
いやお邪魔しますってオイ。オイオイオイオイ!?
さも当たり前のように布団をめくり、悪戯っぽい笑みを浮かべてそのまま忍び込んでくる。
「…………」
「ごめん、なかなか眠れなくて。あの、ダメかな?」
「いや、まぁ……別に……いいけど」
「ありがとう、おじさん」
葛の葉に気付かれない位の小さなため息をついて、俺はスペースを譲った。
多少仲良くなってもおじさん呼びは相変わらずである。やっぱりわざとやってるんじゃないかな、この子。
「ね、以前の私の話聞かせてよ」
「ん?昼間さんざん話しただろう」
「お願い、もう一回聞かせて」
「しょうがないな……うーん」
天井をじっと見つめ、何を話そうか考える。
「…………俺と同じくらい背が高くて、格好良くて、強くて。戦場ではいつも大活躍してくれたよ」
「うんうん」
「尻尾も、それの倍くらい大きくてモフモフしてて」
「うんうん」
葛の葉に葛の葉の事を話すというのは何かおかしい気もするが、俺はあえて気にせず喋り続けた。
「おっぱいも大きくて」
「……えっち」
「俺は大きいのが好きなんだよ」
あぁ、そのジト目は彼女によく似ている。
「それから?」
「うーん……他には……」
「好きなの?」
「うん、好きだよ」
「私より?」
「それは…………」
返答に詰まる。
「そっか、そうなんだ」
「お前はお前で可愛いと思う」
「何よそれ、慰めてるつもり?」
「褒めてるんだよ」
「ふーんだ。小さくて悪うございました」
あ、ちょっと拗ねちゃった。でも、頬を膨らませる葛の葉ちゃんもこれはこれで可愛い。
「なんか、悔しいな。大きくても小さくても、私は私なのに」
「……ごめん」
「あーあ、大きい私が可哀想。こんな人がご主人様だなんて」
「ぐっ……!」
妙に辛辣な攻め方をするあたり、小さくなっても記憶を失くしても流石は元葛の葉と言わざるを得ない。
「と、ところで今日は楽しかったか?」
空気を変える為、今度は俺から尋ねてみた。
「うん、楽しかったよ。私はね」
……私は?
「でも、本当は私の為じゃなかったんだね」
悲しい声で、葛の葉ちゃんが囁く。
「ん?」
「今日一日、ずっと引っ掛かってた。おじさん、あんまり楽しそうじゃなかったから」
「そんな事は……」
「私に記憶を取り戻して欲しくて、思い出の場所を巡っていたんだね」
……全く、勘のいいガキは嫌いだ。
「ごめん」
「いいよ、謝らなくて。そんなに暗い顔してたら、…………えーっと」
「どした?」
「こんな時、元の私だったら何て言うのかな?」
『そんなに地面ばかり見つめていても、何も見えないわよ』
「月の出てる夜、縁側でそんな事を言われたよ」
「ふーん、覚えてるんだ」
「あぁ、ちゃんと覚えてる。そう言った本人は忘れてそうだけどね」
「じゃあ、告白とかしたの?」
「……はい?」
「告白よ。こ・く・は・く」
「いや、それはまだ……」
「どうして?」
「どうしてって……」
「大きな私の事、好きなんでしょ?」
「好きだけど、告白なんかしたら絶対冷たい目で見られる」
「えー、そんなに性格悪いの」
「性格というか何というか、ううん……」
葛の葉なら、引っぱたく位はやりかねん。
「まぁ、そうだな……じゃあ、こうしよう。明日目が覚めた時にキミが元に戻っていれば、告白するよ」
「じゃあ、私頑張って元に戻らないと!」
「いや努力する方向間違ってると思うんだけど」
元に戻れば多分、今の記憶は消えてしまう。そんな予感があった。
「私は、今のままでいいと思ってるんだけどね。でも、おじさんが辛そうだから」
「……俺の事は気にしなくていいから」
小さくなっても、なんだかんだで俺の事を気遣ってくれるトコは変わらないんだな。
全く、コイツは……。
「葛の葉」
「なあに?」
「ちょっと、手ぇ出して合掌してみ」
「……こう?」
葛の葉の手の上から、俺の両手を重ねてそっと握りしめる。
「願いが叶うおまじないだ」
「どっちの?」
「うん?」
「どっちの願いが叶うのかな?」
「最後まで起きてた方さ」
「じゃあ、私絶対に負けないよー」
そんな事を言ってた葛の葉ちゃんも、数分後にはスースーと可愛い寝息を立ててしまった。
明日もこの寝顔が見られるとは限らないけれど。
「……おやすみ、葛の葉」
だからこそ、俺も眠りに落ちる前にしっかり目に焼き付けておこう。
「――きなさい」
…………。
「こら、いい加減起きなさい!」
「ぶほっ!?」
頬に蹴りを食らい、まどろみの世界から現実へと一気に引き戻された。
瞼をこすって辺りを確認すると、そこにはいつもの葛の葉が。
「く、葛の葉……?」
「何?」
「本当に、葛の葉なのか?」
「まだ寝ぼけてるのかしら?もう一発蹴られたい?」
あぁ、この言動は間違いない。
「うぅ……葛の葉ぁ……」
「どうしたのよ、そんなに痛かった?」
「いや、痛くなかったからもう一発入れ――ぐほぉッ!……冗談だったのに」
「生憎、こっちは寝起きが悪いのよ。起きたら隣にご主人様がいたんだから」
「何言ってんだ、夕べは自分から布団に入ってきたんだぞ?」
「その夕べの事について、詳しく聞かせてくれるかしら」
「…………」
「…………」
「覚えてないのか?昨日の事」
「不本意だけど覚えてないのよ。記憶がそこだけ抜け落ちたみたいで気味が悪いわ」
「事の発端から説明するとだな――」
かくかくしかじか。
「体が小さくなった?」
「嘘みたいだけど本当なんだよ。俺にも原因が分からないんだが、何か心当たりは……?」
「そうねぇ。原因なら、多分あの御札かしら」
「御札?」
「この前、見知らぬ行商人からもらったのよ。怪しげな感じがしたから、ご主人様に使おうと思ってたんだけど」
こらこら、さりげにひどい事言うな。
「まあ無事に戻ってくれて良かったよ」
「ふん、貴方は何もしてないでしょうが」
「いやいやさっき話したトコだろう。俺は葛の葉を連れてあちこち――」
「私の事は抱いたの?」
「……はぁ?」
「私の体が元に戻れば、今度はそれまでの記憶が消失する。私だってそれ位の見当は付くわね」
「まぁ実際そうだったワケですが」
「で、どうなのよ。まさかこれぞ好機とばかりにいやらしい事をしたんじゃないでしょうね?」
「誓ってそんな事はしてません」
俺は静かに弁明した。
葛の葉は目を細めてじっと見つめていたが、
「まぁ、そうでしょうね」
張り詰めた空気を払拭するような穏やかな声だった。
てっきり信じてくれないとばかり思っていた俺は、肩透かしを食らって葛の葉の顔をまじまじと見つめる。
「なんでそんなにアッサリ信じるんですか」
「あら、私を騙すつもりなの?」
「いやそんなつもりはないですけど……」
「そもそも、ご主人様の言葉なんてどうでもいいの」
葛の葉はそこで一旦言葉を切ると、今度は真っ直ぐに俺の目を見返して答えた。
「だって、貴方が今ここに居てこうやって話してるじゃない。それが答えなのよ」
「はい?」
わけが分からない。
「逆に考えてみなさい。もしもの話として」
「うーん…………」
もしも、葛の葉を抱いていたら。
欲望の限りを吐き出した俺は、冷静になって事態の深刻さに気付く。
しまった、なんという事をしてしまったんだ俺は……。
ちっぽけな大義名分に背中を押され、葛の葉を汚してしまった事実は良心の呵責を呼び起こす。
ギリギリと胸を締め付けられ、じわじわと精神が蝕まれる。過呼吸。動悸。ショック症状の誘発。
俺は布団を被って、狂いそうな程の痛みが過ぎるのを堪える。
あるいは、堪えきれない時は――。
「ここにはいない」
少なくとも、葛の葉とこうして顔を合わせることなど出来ない。
「そういう事。短い付き合いとはいえ、ご主人様が不器用な事位分かるわよ」
誰かに言われた事は忘れる事ができても、自分の成した事はそう簡単には忘れられない。
だから俺は、何もしなかった。後ろめたい気持ちを引きずったまま、葛の葉と顔を合わせるのなんてゴメンだ。
「不器用な俺でも、壊れるワケにはいかなかったんですよ」
覚えているか?葛の葉。まだ会って間もない頃、簡単に壊れては困ると言ったのはお前だったよな。
「つまり、貴方は何もしてないのよね?」
「……ハイ」
「ほら、最初からそう言えばいいじゃないの」
分かるかそんなもん。頭の回転が早すぎるが故に、なかなか追いつけない。
「あぁそうそう、すっかり忘れる所だった!」
「何か思い出したの?」
「……俺は、葛の葉が好きだよ」
「え?」
「…………」
「もう一度、言って」
「…………葛の葉が、す、好き」
「ちょ、ちょっと待って待って待って。どういう事よ、頭でも打ったの?」
「約束したんですよ、ちっこい葛の葉ちゃんと。もう覚えてないかもしれませんけど」
「約束って何よ。嘘でしょ」
「嘘でも冗談でもないです」
「いや、いくら私でもそんな……そんな事言うハズが……」
『明日目が覚めた時にキミが元に戻っていれば、告白するよ』
顔がかああっと熱くなりうつむきたい衝動に駆られたが、葛の葉の方も俺に負けず劣らず狼狽している。
「えー、あー……うう……」
口には出さなかったけれど。
頬がほんのり赤く染まり、生娘のような反応をする葛の葉に対して可愛いと思ってしまった。
「……変態」
「いや、それ返事になってないですよ」
「う、うるさいわね!ちょっと待ちなさい。というか、出て行きなさい!」
「いやここ俺の部屋なんですけど!?」
「出て行かないなら、その横っ面引っぱたくわよ!」
ずいと距離を詰め、葛の葉が手を上げる。俺は咄嗟に目を瞑った。
ちゅっ。
「……………………」
ゆっくり目を開けると、怒ったような泣きそうな顔の葛の葉が目の前にあった。
「全く、ひどいご主人様ね……」
「……すみません」
葛の葉はそれ以上何も言わず、黙って身を寄せてきた。
彼女を優しく抱き止め、そのまま布団に倒れ込む。
「葛の葉……」
「おかえり、は?」
「おかえり、葛の葉」
「遅いわよ、もう。やっぱり気が利かないわね。はぁ、過去に戻りたい。戻って小さな自分の口を縫いつけてやりたいわ」
「駄目です。自分で自分を傷つけるような真似は、俺が許しません」
「どうしても?」
「どうしても、です」
「じゃあ、こうなった責任はちゃんと取ってもらわないとね」
その後、二人がどうなったか。
ここに記すには、余白が狭すぎるとだけ書いておこう。
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小さくなった葛の葉と過ごすある日のお話です。
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