混濁の水牢
「うむ……近づくほどに濃密な気配が伝わってくるのう。これは間違いなく“異能”絡みの事件じゃ」
突如として失踪した妹を探し出して欲しい、という依頼を受けた篠倉琴音は、最近、同種の女性の失踪事件が多く起きているということを調べ上げ、つい先日も生徒が一人、失踪したというある高校に乗り込もうとしていた。
当然、昼間にはそれらしい怪しい動きはなかったが、いくらか異能らしき痕跡が見つかったのだ。
それはあるいは、同じく異能を持つ者を誘き出すための罠だったのかもしれない。だが、ならば、と琴音はこう考える。
「罠であるならば、それごと打ち破るのみじゃ。ひとつ、卑劣漢の鼻を明かしてやろう」
全く臆することなく、むしろ敵が手ぐすね引いて待っている。そこに飛び込んで行って勝利することを楽しみにして、怪しげな空気の漂う夜中の学校へと足を踏み入れた。
実際、彼女は敵をみくびっているのではなく、事実としていかなる敵も打ち破る力と自信を持っている。
「……いよいよ近くなったな。いつまでも隠れているのではなく、姿を見せたらどうじゃ?」
夜間の校舎は施錠されている。異能ならずとも、ちょっとした道具さえあればそれを開けることは可能だが、敵は内部ではなく、外側にあると察知して、校舎裏にまで歩を進める。すると、いよいよ明確な敵の気配を察知できた。場所の特定はできないが、近い。
琴音は声を張って、一連の失踪事件の犯人を呼び出す。
だが、その声は夜の冷たい空気を震わせるだけで、返事もそれに応じて現れる人影もなかった。
「妾が姿を現せと言っているに、失礼な輩じゃのう」
不満げに言いながら、だが、犯人とは別の人間を見つける。それは、緑色の粘液……ちょうど、子どもの玩具のスライムのようなドロドロとしたものに囚われた女性だった。意識は失われているようで、はっきりと顔を確認できる訳ではないが、年齢や容姿から、依頼者の妹とは別人のようだ。もっとも、事件の被害者であるならば、助けない道理はない。
「待っておれ、今助け……っ!」
駆け寄ろうとすると、突如として空気が震えた。突然、目の前に巨大な粘液の塊が降ってきて、地面を震わせる。もしも気配に気づかず、進んでいれば、琴音もまた粘液に囚われていたかもしれない。
「奇襲とは、いよいよ見下げ果てたものじゃな。妾は正面から来たというに、そんなに己の力に自信がないのかのう?」
ドロリとした粘液が、地面に広がっていき、その中心に人間の姿が現れる。犠牲者ではない、その人間こそが異能の使い手であると、ひと目でわかった。
「ふふっ、可愛らしいお嬢さんがやってくるものだから、少し驚いたわ。……私はイズミ、そう名乗らせてもらうわ。ちょうど、そこの子で楽しむのにも飽きてきたところにあなたが来たから、どうやってめちゃくちゃにしてあげようか、考えていたところなの。出迎えるのが遅くなって、ごめんなさいね?」
「……ふんっ、このような悪趣味なことをするとは、どんな者かと思えば、なるほど女とは合点がいく。見るからにねちっこそうな顔をしておるわ」
「褒め言葉、と取らせてもらうわね。もうわかっているでしょうけど、私はこの粘液を使って女の子を弄ぶのが大好きなの。その子でもずいぶんと愉しませてもらったのだけど、最近は反応が面白くなくなってきたのよ。元々、普通の人間なんだもの。監禁生活で精神が病んでしまったのね。
その点、あなたは面白そうだわ。自分の力に絶対の自信を持っているのがわかる、その生意気そうな顔……!私をゴミかなにかのように見下すその表情を歪ませてあげる……ああ、なんて愉快なのかしら。ゆっくりと、たっぷりと弄んであげるわね」
「もう妾に勝った後の算段か?自分に絶対の自信があるのは、どちらなんじゃろうな……」
琴音は女、イズミに対して嫌悪感を剥き出しにするが、強気な瞳で睨み返す。
「しかし、悪人といえど、名乗られたからにはそれに応じるのが礼儀。妾は篠倉琴音。人の子に身をやつしてはいるが、女神ヘカテーの転生。はっきり言って、キサマとは格が違う能力を持っておるのじゃ」
そう言って、右手に紫電を迸らせる。周囲の空気をピリピリと震わせる、正しく、神の雷だ。
「娘たちを解放し、素直に降伏するのであれば、命までは取らぬ。妾は心が広いでな、無礼な発言も許してやる。――見ての通りに妾の力は雷。粘液とはいえ、水を操るキサマでは相手にならん。どうするのが賢い選択かは明白だと思うが、どうじゃ?」
「ふふっ、言ったでしょ、あなたで楽しませてもらうんだから、降伏なんてあり得ないわ」
「やれやれ……彼我の力量の差も計れぬとは、哀れじゃな。――ならば、手荒くなるが娘たちを解放してもらおう。無論、妾もキサマごときの玩具にはされんわ」
予想はできていたことだったが、交渉は決裂。ならば後は戦うしかない。
イズミは、空気中の水分を手元に集めると、それを粘液へと変換。まっすぐに打ち出してくる。
粘液自体に殺傷能力はないとはいえ、凄まじい勢いで放たれたそれは、コンクリートすら穿つ破壊力を持つ。
だが、琴音それに警戒するどころか、眉一つ動かさずに自分に向けて牙を剥くそれを一瞥すると、退屈そうに電撃を放った。
「なっ……!?」
高圧水流と化した粘液よりも素早く宙を走り、それを撃ち抜いた電撃は、一瞬にして粘液を蒸発させる。
「だから言ったじゃろう。キサマの術は妾には通用せん。今からでも遅くはない、大人しくせい」
「こんなの、何かの間違いよ!このっ、このっ……!!」
イズミは焦燥感から、更に大量の水分を操って粘液を発射する。ほとんど柱のような粘液の濁流だが、やはり琴音の電撃が炸裂すると、一滴の水分も残さずに粘液は消滅してしまった。
「一般人ばかり狙いおって、腕が鈍ったのかのう?それとも、圧倒的な有利な戦いばかりで、自分を本当に全能だと勘違いしたのか。いずれにせよ、哀れなものじゃ」
琴音は余裕の表情で、イズミに対して哀れみさえ見せながら、ゆっくりと。しかし着実に距離を詰めてくる。
「これはどう……!?」
それに対するイズミは、必死にいくつもの粘液を同時に発生させ、一度に解き放ってきた。もっとも、それも太い稲妻を一本走らせるだけで、全て命中する前に霧散してしまう。
「そんな、バカなっ……!!」
またいくつも作り出し、今度は時間差で放つが、やはりそれも各個撃破されるだけで、一本たりとも琴音にまで到達することはない。そして、いよいよ琴音が正面にまで迫った。
「これで終いじゃな。この距離でまだ、何か見せる隠し技でもあるのかの?」
「え、ええっ……!!この距離で粘液を放てば、あなたまで一緒に感電するはず!」
「ほう、妾が自身の稲妻を受けると?そう思うならば、やってみるがよい。妾が自身の力を制御しきれぬはずがなかろう」
「くぅっ……!!」
身長の上では、イズミよりはるかに低い琴音が、彼女のことを視線では見上げながら、態度、状況としては見下ろしている。イズミが悔しげに唇を噛み、本当に粘液を放とうものか悩んでいた。
「んぅっ……はっ……?あ、あなた、誰!?」
その時。さっきまで意識を失っていた女性がイズミと琴音の戦いに気づいて声を上げる。
それを聞いたイズミは、先ほどまでの焦った表情から一転、にやりと笑う。
すると、すぐに女性を拘束していた粘液が脈動を始め、ズブズブと女性の体を包み込み始めた。
「ふ、ふふっ、あの子の命が惜しければ動くな、というやつね。あなたにとっては無関係の人かもしれないけど、罪もない一般人が殺されるなんて、正義の味方には見過ごせないでしょう?」
「……やれやれ、人質を取るか。外道もここまで行くと清々しいのう。無駄なことをするでない、人質など取ってみても無駄じゃ」
「何?またさっきみたいに電撃でなんとかするっていうの?その気になれば、今すぐに粘液で絞め殺したり、溺れさせたりすることもできるのよ。ふ、ふふふっ、今度はあなたが動けなくなる番じゃない?」
「やってみるがよい」
「……えっ?」
琴音は、落ち着いた声音でぴしゃりと言い放った。
「言ったじゃろう。妾は女神ヘカテー。神たる妾が、人のためにこの身を差し出すと思うたか?」
「ふ、ふーんっ、見捨てるって訳ね。なら、本当に死んでもらうわ!」
「うっ、うぅんっ……!!かっ、はっ……!た、たすけ、てっ…………」
「……っ!」
粘液は、女性を急速に取り込み始め、きつくその体を締め上げる。それだけでひ弱な女性の体はバラバラに破壊されてしまいそうだ。しかも、イズミは粘液を放ってその体を貫こうとする。
イズミは弱い粘液を連射することはできても、必殺の威力を持った粘液は連発して放てない。彼女を仕留めるならば、今が好機だろう。しかし……。
「くっ、人の子ひとり救えずして何が神か。……全く、いつの世も人は迷惑をかけてくれるものよ!」
琴音は女性の元まで駆け寄り、彼女に向けて放たれた水流も撃ち落とす。そして、手首を掴んで彼女を粘液から引っ張り上げた。
「しっかりせい。後は妾がやる」
「あっ、ありがとうっ……!」
「走れるな?」
「は、はいっ!」
当然、イズミの追撃は予想される。すぐに琴音は相手に向き直って、女性に向けて粘液を発射しないかを見張る。だが、イズミは不敵な笑みを浮かべるばかりで、意外にも女性が逃げていくのを見送っていた。
せっかくの人質が解放されてしまったというのに、それを再び捕まえようとするのでも、悔しがるのでもない彼女を琴音は訝しむが、ならば、と今度こそ決着を付けようとする。
その時、足元にヌチャッ、という奇妙な感覚が伝わった。
「なんじゃ……?」
反射的に地面を見やると、女性を拘束していた粘液の一部が琴音の足元にまで伸びていて、彼女の履くロングブーツの靴底を捕らえている。
女性が捕まっている時は、彼女まで感電するのを恐れて蒸発させられなかったが、早々に始末しておくべきだったか、と後悔する琴音だが、今更、足を拘束されたぐらいで何が変わる訳でもない。
「ふんっ、妾の足を掴まえた程度でその余裕か?まったく、妾も見くびられたものじゃ……」
「うふふっ、その余裕がいつまで持つかしら?」
「ぬかせ。キサマを倒せば、粘液もまた消滅する。問題はない」
すぐに電撃を放とうと、琴音はその右手に紫電を集める。だが、束ねたそれを放とうとしたその瞬間、足の裏が燃えるような感覚が走った。
「くぅっ……!?なっ、なんじゃ、これはっ……!?」
足の裏を捕らえていたのは、粘液とはいえ水だ。空気中の水分から作られたような液体が、突然発火したり、熱を持ったりするようなことはありえない。
まさか、これ以外の異能を持つはずもなく、琴音には状況を理解できない。集め、束ねた雷も、足裏の違和感のために集中が乱れたことから散ってしまい、敵を撃つことはできない。
そうしている間にも、イズミは不気味にくっくっと笑う。
「キ、サマっ……!妾をコケにしおって……!!」
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SUKIMA様(https://skima.jp/item/detail?item_id=15121 )で有料リクエストをいただいた作品です
オリジナルキャラ(納品作品から名前を変更済み)の同性愛(GL)的なヒロピン系の作品になります
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