それは物心つくかつかないかの頃だったと思う。生まれ育った村が全ての世界だと思いこんでた幼い時代。
母の手に引かれ、はじめて乗ったボロ馬車に揺られ、はじめて訪れた大きな街。
何もかもが物珍しく、度々立ち止まるものだから、次第に無理やり引っ張られるようになってごねたのを今でも懐かしく思い出せる。
その日その街では何かのお祭りをやっていた。
藁葺き屋根と砂を固めた村の家と違い、レンガと白い色の壁でできた背の高い建物という建物に、淡いピンク、黄色、青、オレンジ、白……カラフルな花々があしらわれ、街中が色鮮やかな色彩に包まれていて、子供心に世界がきらきらしているのに興奮したのを覚えている。
「ねえおかあさん、きれいだね! まちってすごいね!」
見上げた母の顔は、困ったような笑いを浮かべていて。
「そうね」
と、一言だけ返された。
そんな反応に、なんだか釈然としないものを覚えて、下を向いて、母との足並みもわざと遅れてむくれた。
「……お母さん今日はお買い物にきたから、色々見てきてもいいけれど、あまり遠くに行かないでね」
そう言って暖かな手が私の手から離れる。幼い好奇心はそれだけで十分に解き放たれた。
「! わかった!」
あれこれと村では買えない品を母が買い求めている間、母が視界に入る位置でひたすらに好奇心を爆発させていた。
お祭りで飾られている花をそぅっと触ってみたり、嗅いでみたり。出店のご飯を見てはお腹がぐぅとなるのをこらえたり。あるところでは本当にお腹が鳴ってしまって、見かねた店主のおじさんに店には出せない出来損ないと称した食べ物をもらったりした。
しかしゆっくりと進められる母の買い物に、同じものを見続けて好奇心を満たすには段々と退屈してくるもので。
少しの間なら母の見えない場所を見に行っても良いだろう。そんな風に思ったところで、目に入った出店と出店の間には、興味がくすぐられる路地裏が。
すぐに帰ってくれば大丈夫。
駆け出す足は止まらない。
祭りが行われている大通りと違い、路地裏は華やかさはなく、普段の街の様子を示しているような静けさを私に示してきた。
空を仰げば窓と窓をつなぐ洗濯紐。ひらひらと風になびく洗いたての服が、青空をささやかに隠している。
あたりを見回してみても、美味しそうなご飯や物珍しい品々はなく、あまりにもなにもなくて拍子抜けをしてしまった。
長居することもない。母のいる大通りへと引き返そうと振り返った瞬間、思いっきり何かにぶつかった。
「おおっと、これはすまないね」
何にぶつかったのかと、声のする方へ顔を上げると、全身赤紫がかった黒い布に包まれた不気味な何かがそこにはいた。顔であろうところに見知った肌色の皮膚はなく、黒いもやみたいな何かが顔らしい輪郭を帯びさせている。
「ほんとうにすまないね」
ゆっくりと、赤紫色の布が二箇所持ち上がり、こちらへと伸びてくる。
これは明らかに人ではない。
そう理解してもなぜだかその顔らしき場所から目が離せない。動けない。
「ほんとうにほんとうにすまないねぇ」
左の頬に何かが触れる。触れられた箇所から、体の中を巡っている何かが抜き取られていく。次第に視界がぼんやりと霞掛かる。
眠くないのに眠いなとまぶたが落ちそうになった時、唐突に顔が熱くなって、視界が赤く染まって、そして霞が晴れた。
目の前にいたそれは、炎に包まれていた。
「アァァアアァァァアアアァァアア!」
「魔の世には魔の世の法があるように、人の世には人の世の決まりがあるのさ。おいたはだめだよ坊や」
目の前で、おおよそ人の声で出せるものではない絶叫をしながら、それは不思議な炎に焼かれてどんどん黒い炭になり、段々と小さくなって、小さな顔になったかと思うと塵になった。
呆然と塵になったそれが地面に落ちて風に吹かれて消えるまで眺めていると、肩に何かが置かれた。
振り返ると今度は珍妙な衣装の女性が立っていた。
大きなツバの付いたとんがり帽子に、先程の人ではないものと同じ色のフード付きのローブ。その下には母も着ている簡素なワンピース。しかしその腰には皮のポーチがずらりとぶら下がっていて、中には銀製の鎖のようなものや鍵、下部分が丸く膨らんだ変わった瓶もくくりつけられている。ふと、鼻をひくつかせる。女性からはふんわりと不思議な匂いが漂っていた。
カチャカチャと腰につけている物たちを鳴らしながら、私の目線に合わせて女性がしゃがたむ。その手が私の頬に触れた。
「ふむ、大したことはなさそうだな。数日元気が出ないなって思うくらいで済むだろう。怖かったろう」
頬をさすられ、頭を撫でられた。怖いとかそういう感情はなかった。ただ目が離せないまま何かされそうになっただけ。
ただそれをどう言葉にしたものかもごもごしていると、その女性は立ち上がって、私の手を取って引いた。
したがってついていくと、そこは私が入ってきた路地裏の入り口だった。
「この街はな、魔の物の世界の出入り口が近いんだ。私ら魔法使いはそれをずっと監視して封印してるんだが、年中無休でやれるほど仕事熱心じゃない。だから年に数回魔の物が嫌う花や錬金したもので自衛してもらって、休ませてもらうのさ。それがこの祭りさ」
路地裏の壁に背を預けて腕を組み、その女性は大通りの様子を見て言う。
「……さっきのほのおはなあに?」
「あぁ、あれは魔法だよ。君のお母さんが料理に使う炎と似て非なるものさ。あれはさっきの魔の物の世界で使われる法を用いたのさ」
「ねえ、わたしもほのおのまほう、できるかな?」
「はっはっはっ、炎を呼ぶばかりが魔法じゃない。例えばこんなのもある」
すると女性は両手の平を上に向けて少し間隔を広げた。するとその間にキラキラと淡い光が舞い上がって、そしてしばらくすると消えた。
「わああ……」
「他にはそうだな……ああ、あれを使おうか」
路地裏に最も近い場所に置かれていた、花の装飾が施された炎の灯っていない蜜蝋。それを指差す。
すると蜜蝋の紐部分、火がつく所がじわりと歪んで突然青い炎が燃え上がった。
それだけで終わらず、その青い炎は女性の指の動きに合わせて揺れ動き、こちらに向かってくる。
蜜蝋から続く炎は線を引いたまま燃え続け、そのまま文字を描き出した。
”それでは楽しい祭りを、小さなお嬢さん”
魔法。その響きに、現象に魅せられたのはこれがきっかけだ。
それから小さなお嬢さんから、小さながもうつかないお嬢さんになった頃、私は母の反対を押し切って、村近くの魔法使いの元に弟子入りしたのだった。
「しぃ~しょ~うぅ~~~?」
大量の洗濯物を抱え、体当たりで家の扉を開けた瞬間、目に入ってきたものに思わずそう唸り声が出た。
近くの川まで洗濯に行く前、たしかに片付けた家の床はまたしても大量の本とハーブやらなんやらの瓶で埋め尽くされ、一歩入ろうと足を向けた瞬間、いつ届いたかわからない手紙らしきものがつま先に触れてくしゃりと潰れた。
「私言いましたよね! 洗濯から帰ってきたらぐーたらするのと散らかすのはやめていい加減私に魔法を教えて下さいねって! なのになんでまたこんな惨状になってるんですか! ああもうお腹出したままお尻ぼりぼりかかないでください!」
洗濯物を持ったまま、上手いこと本やらなんやらを膝や足で押しのけて、ソファに寝そべり本を顔にかぶせたまま何も言わない師の元までずんずん進む。
上手いこと片手で洗濯物たちを抱え込むと、もう片方の手でむんずと本ごとその手をひっつかんで顔を露わにさせた。露骨にうざそうな顔がそこにはあった。
「……お前、まだ私の弟子でもないのにうるさいもんだな」
「それは師匠が私に弟子入りの試練を与えてくださらないからでしょう!」
子供のようにむくれた師にため息混じりで思わず強く声が出る。
あの街での出来事からずっと魔法のことが頭から離れず、村を訪れる行商人や旅人に話をせがむこと数年。自分の生まれ育った村の近くにもなんと魔法使いが封印を管理し、住み着いているという情報を耳にし、押しかける形で弟子入り志願してから1年経った。
渋々といった体ではあったものの、魔法の基礎を教わりつつ、村に返されない条件として日常の家事や炊事洗濯などの雑事を任されてから1年経ったともいう。
簡単な呼び出しの魔法くらいなら――あのときの女性のように自在に操るまではいかないが――できるようになった今、そろそろ家政婦のような”魔法使いの手伝い人”から”魔法使いの弟子”くらいにはなりたいのだ。
「正直に言うぞ。お前の魔法はドヘタクソだ。そんなんで弟子入り試験なんて受けさせたところでおっちぬのが関の山だとわかっていてなんで受けさせると思うんだよ」
「なっ……そんなのやってみなければわからないじゃないですか!」
はぁー、とどでかいため息が師から漏れる。
「わかった、もう、もううるさくてかなわない。どうなってもお前の責任でなおかつ失敗したらもう村に帰ってもらうという条件で、弟子入り試験をしようじゃないか」
師はどっこいしょとソファーから起き上がり、天井に向けて左手の指で来いのジェスチャーをする。
するとどこからともなく古びたズックと日に焼けた四つ折りの紙が飛来して師のすぐ横で静止した。
「このズック一杯に、この地図の場所からキャンドルの素材を取ってこい」
ぽいぽいと私の手に投げつけられたので、慌ててそれを片手と体で受け止める。四つ折りの紙の方はどうやらキャンドルの素材が取れる場所の地図のようだ。
「え……たったそれだけ? こんなのが試験なんです?」
またもどでかいため息が師から漏れる。
「こんなの、で済むならおめでたいな。ほら、とっとと行ってこい。朝までには帰ってこいよ」
「な……」
なによ、こんなの子供のおつかいじゃない。
思わず声として出かかったが、すんでのところで飲み込んで、強く目をつむって頭を振りかぶり耐えた。
せっかくなんの気まぐれか師がようやく弟子入り試験を認めたのだ。これを逃す機会はない。
「わかりました! 行ってきます!」
抱えていた洗濯物を師に向かって投げ飛ばし、足取り軽く喜々として開けっ放しの玄関へと走った。
「うわっぷ、ふざけんな! 洗濯物くらい干してけ!」
知ったこっちゃない。それくらい自分でやれ。
時間はもうじき夕方になる。早く終わらせて早く帰って名実ともに弟子になるんだ。
その場所は冒険者の修練場などと呼ばれており、魔の物が出入りするゲートと呼ばれる扉が存在している。
本来はきちんと封印して、魔の物が出てこないように管理するべきなのだが、世界中数多に存在するゲートを片っ端から監視し続けるにはあまりにも魔法使いの数は少なく、ゲートの数は大小無数に存在している。
そこで、封印するのは大きく、熟練の冒険者でも太刀打ちできないような大型の魔の物が出る恐れのあるゲートに絞り、村人でも倒せるような小さな魔の物が出て来るゲートは大事に至らない限り危険地帯とは明記するものの基本放っているのが現状だ。第一、ゲート自体人里から離れている。また小さなゲートから出るものは、地上に長くとどまっていられない。人里につく頃には塵になっているのがほとんどだ。
そしてこの修練場は小さな魔の物が出現する。小さな、と言っても子供ほどの大きさで、舐めてかかれば命を落とすのは容易い。
そこで駆け出し冒険者が腕試しと経験を積むために、小さなゲートがある場所を利用していくようになった。そうして次第にこういった場所のことは冒険者の修練場と呼ばれるようになったのだ。
こういった場所に足を踏み入れるのははじめてだが、長い年月をかけてかなりの冒険者が通っていったのだろう。道はなだらかで歩きやすく、光苔と呼ばれる洞窟内でしか育たず暗いところで発光する性質のお陰で、遠くは見えづらくとも明るい。
どこかから湧き水が流れて漏れているのだろう。一部の壁からは水が染み出していて、その下には溜めているのか壺や木の桶がおいてあった。村の住人が飲水か酒の醸造にでも使うのだろうか。
一見するととても安全そうな場所だというのに、我が師はなぜこのようなところを試練に選んだのだろうか。試験が厳しすぎても困るのだが。
ここに出てくる魔の物は、蜜蝋と同じ素材でできた大きな楕円形の可愛い顔をしたキャンドルで、討伐――魔の物は肉体から魂を消滅させるほどの外傷を負ったり、何らかのダメージを負うと肉体が塵になるか、あるいはそのまま残して動かなくなる――すると、そのまま蜜蝋が手に入る。
持たされたズックは小さな子どもがすっぽり入りそうなサイズだ。おそらく蜜蝋の魔の物を2~3匹討伐すればいっぱいになるだろう。
「討伐……」
そこではたと気がついてしまった。
私は魔法の基礎は教わっていたが、実践ではまだ成功に至っていない。
――お前の魔法はドヘタクソだ。
これは、冒険者のように物理的に外傷を与えられるほどの武力で攻めるか、今まで教わった魔法をどうにかしてきちんと扱わないと、朝までに帰れそうにない。
「そ、装備をそろえてから出直そっかな~~」
足取り軽くずんずん進んでいた歩みを止め、一転してそろーりと気配を殺してUターンする。
だが、都合の悪いことはこういうときにこそよく起こるものだ。
カタンコトンと硬質な音が背後から聞こえてくる。
まさかと思い、ギギギと聞こえてきそうな動きで首だけ後ろに向けると、そこには通常個体より倍かそれ以上の大きな蜜蝋の魔の物がやってきていた。
蜜蝋の魔の物は、こちらに気がついたのだろう。可愛らしい顔の目の部分にメラメラと黄色い炎のようなゆらぎを写し、小さな足を力いっぱい蹴り上げて楕円形のその体を縦にしたかと思ったら、こちらへと勢い良く転がってきた。
直線でやってくるだろうと踏んでとっさに壁際へと飛び退る。
読み通り、蜜蝋の魔の物はまっすぐに先程までいた場所まで転がっていき、縦から横へとパタンと倒れ込んだ。
くるりと顔がこちらを向く。心なしか、その顔は怒りが浮かんでいるような気がした。
その体が震え出す。楕円形の中央、凹んでいるそこから突然炎が燃え盛る。炎の魔法だ。ボボボと燃え上がり、幾つかの火の玉が射出される。
複数個を全てどう避けようと止まったのがいけなかった。すんでで最初に射出されたものは避けられたものの、重なって飛んできたものが腕や脇腹をかすめる。熱さというものは、一定超えると冷たく感じるのだなと知った。じわりと冷たさを感じたかと思うとその部分が燃え上がった。全身に燃え広がられてはたまらないので、ズックで叩いてすぐに鎮火した。それでもくすぶる小さな炎は手で払う。魔法の炎は普通の炎と違い、てんとう虫のように指を這って消えた。しばらくしたら水ぶくれになるなと舌打ちした。
通常個体でも一体一でやれるかわからないのに、大きな個体では勝ち目など想像に難くない。
一目散に入り口まで走ることにした。三十六計逃げるに如かずだ。
しかしながらそう簡単に逃してはくれないらしい。横向きのままその小さな足で追いかけてきてくれれば振り切れるのだが、またしても縦になって回転して追いかけていている。それも頭は燃えたままだ。魔法の炎にあぶられて、洞窟内のコケが炭になって焦げた匂いを振りまく。
なにか、なにか手はないか。
手持ちには地図と古びたズックしかない。洞窟内は光苔があるくらいで、この状況を打破するようなものは――あった。
あれを浴びせれば、もしかしたら戦意を喪失してくれるかもしれない。
気が急いて足がもつれて思いっきり滑った。そして、それが手に触れた。
洞窟を通る最中、誰かが湧き水を貯めるのに使っていた壺、それを抱え込み、迎え撃つ。
十分な距離まで来た瞬間、ためらうことなく壺の中の水を思いっきり蜜蝋の魔の物に浴びせかけた。
ジュゥゥゥ……と火が沈下するときの音が洞窟内に響き渡る。
まだだめかと木桶の方も手に取った時、蜜蝋の魔の物の顔から炎のような明るさが消え失せ、コトンと床に倒れ込んだ。
しばらく様子を見て、動き出さないことを確認してから恐る恐る近づいて足で小突く。もうその蜜蝋の体だったものには、魂は入っていなかった。
「うっわ、お前焦げくせえな」
「なんですか、あなたの愛弟子が火傷をおいながらも無事に素材を手に入れて帰ってきたというのに、なんなんですか」
服は一部焼け焦げてボロボロ、手にも火傷をおいつつ、ズックいっぱいに砕いた蜜蝋を詰め込んで帰ってきて一発目の一言がこれだ。さすがにムッとした。
「ほー、まさかお前が無事にあそこから帰ってくるとはなあ……」
ズックの蜜蝋をしげしげと眺め、小さなため息を一つ。
「約束ですよ。私を魔法使いの弟子にしてください」
師の目を見てはっきりと言った。
「……まあ、約束しちまったしなあ、いいだろう」
今までの1年間と先程の苦労が報われたと体が軽くなった。気持ちもぱっと明るくなる。これでもっと魔法に近づくことができる。
「だけどお前な、正直もうちょっと下調べするべきだぞ」
「は?」
「知っての通りだが、魔法を使えるものは限られていて、封印するやつと管理するやつは別なんだよ。つまるところ、お前がしつこく言ってる魔法使いってのは封印する側で、お前がしつこく弟子入りしようとしてる相手は管理者なんだよ」
「え、じゃあ弟子入り試験は? 師匠は魔法使いじゃないんですか?」
「魔法使いではあるが……言いたくねえけど最下級もいいところだ。ぶっちゃけあの試験は諦めて村に送り返すための口実だったんだが……まあ、推薦状くらいは書いてやるよ、お望みの魔法使い様にな」
一気に疲れが押し寄せてきて、その場に膝から崩れ落ちた。
「一体私の1年間って……」
「まーこれだけの根性と家事炊事できたらどこでもやってけるだろ。がんばれよ」
嘲笑うような声音が上から降ってくる。言い返す気力もなくそのまま目をつむる。
私の憧れの魔法は、まだまだ遠いところにあるようだ。
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長い付き合いのフォロワーネキさんと突発的にやりました。
それぞれに3つお題を出して、短編小説を書く遊びです。
今回のお題は「水」「キャンドル」「修練場」でした。