No.940406

孤剣 序

野良さん

式姫プロジェクトの二次創作小説です。

童子切の昔語り。

2018-02-06 20:22:06 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:672   閲覧ユーザー数:659

 それは、酒に渇(かつ)えていたが故の一時の気の迷いだったのか。

 それとも、その顔に友の面影を見た故だったのか。

 童子切には、今もって良く判らない。

 だが、こうして冴えた月を眺めながら、一人酒を酌んでいると、その澄んだ面に、彼女の顔が時折浮かぶ。

 人の定命を思えば、今はもう、この世には居ないだろうが……。

 あの魂は、今、この風にでも乗って、世界を自由に飛び回っているのだろうか。

 それとも、土に還り、彼女の好きだった大根でも、楽しそうに育んでいるのだろうか。

 

 そんな事を思う童子切の耳が、かさりと霜枯れた草を踏む音を聞きつけた。

 ゆったりとしていながら、どこか強さと軽やかさを感じさせる、猛獣の気配を宿しだした足音。

 腕は順調に上がっているようですねー。

 何より、と呟きながら、童子切は特にそちらには気を向けずに、大杯を口に運んだ。

 猪口で飲むのも嫌いではないが、月の美しい夜には、やはり月を水面に捉える、この杯が良い。

 杯が空になる頃合いで、足音の主が、こんな冬の夜に相応しい、静かな声を掛けて来た。

「良いか、童子切?」

「お酒とおつまみを持ってきてくれるような、気の利いた酔客は、常に歓迎しますよー」

 こちらにどうぞ、と、ぽんと縁台を叩いた童子切の傍らに歩み寄ってくる彼の手には、手桶が提げられていた。

「そうか?一人で寛いでるようなら、これだけ置いて帰ろうと思ったんだが」

「こんな寒い日に、外で呑むような酔狂人が居ないから、一人で呑んでただけですよー」

 あっはっはと笑う童子切に、彼は持参した手桶を二人の間に置いて、中から徳利を取り上げた。

「ま、暖かいうちに一杯やってくれ」

「何よりのご馳走です」

 燗の付いた酒から、ほわりと立つ湯気が鼻をくすぐる。

 良い酒だ、それに、燗の具合も丁度いい。

「持つべきは、酒の呑みようを心得た主ですね」

「その程度しか俺には取柄もねぇしな、戦果てたら、この庭解放して、酒場の親父にでも収まるか」

「あっはっは、それは実に良いですねー、紅葉さんと一緒に毎日通いますよ」

「そいつは勘弁してくれ、初日で店の酒を呑みつくされて廃業する未来しか見えん」

「それは、無いとは言えませんねー」

「そこで否定しないのが、お前さんの良い所だな」

 笑みを浮かべた主が、自分の杯を手にするのに、童子切が自然な手つきで酒を注ぐ。

「寒いのはどうも好きになれんが……」

 手元の杯から立ち上る香気に目を細める。

「寒ければこそ、燗酒旨し」

「意のままにならぬ事を嘆くよりは、意のままにならぬ事を楽しんでこそ酒呑みという物ですよー」

「違ぇねぇ」

「では、寒さのくれた、燗酒と名月に」

 乾杯。

 静かに杯を干す、主の横顔をちらりと見やる。

 何故だろう。

 この人と酒を酌んでいると、不思議とあの少女の事を思い出す。

 顔立ちや物言いに、似た所があるとも思えないし、何よりあの娘は酒など口にした事も無かった……。

 まぁ、強いて共通点を言うなら。

「ふふ」

「ん、珍しくご機嫌そうだな」

「私はお酒飲んでれば、大体はご機嫌ですよー」

「ああ、うん、確かにそうなんだが」

 ちびりと口に含み、湯気になって馥と立ち上るそれが、鼻腔をくすぐるのを楽しみながら、男は月を見上げた。

「何か、普段より少しだけ良い機嫌に見えたんでな」

 ……よく見てらっしゃること。

「そうですねー、ちょっと昔を思い出していたんですよ」

「いい思い出みたいだな」

 いい思い出……。

「そう……見えましたか?」

「……俺にはな」

「そうですか」

 傍らには、気心の知れた呑み友達。

 手には、美酒。

 そして、ピンと張りつめた冬の空気が、酒の味をより研ぎ澄ます。

 これ以上、別段何も要らない生なれど。

 

 ふと上げた目に、白銀の光がしらと輝く。

 空には、夜空が斬れてしまいそうな程に、細く冴えた月。

 足りぬ物は、ただ一つ。

「ねぇ、主殿」

「うん?」

「私の昔語り、少し聞いて頂けますか?」

 私には、未だに判断が付かない。

 あれが良い事だったのか、それとも、何の意味も無い事だったのか。

 浮世の営みに、白黒が付かない事など、百も承知ではあるが……。

 この人が、あの事をどう思うのかは、聞いてみたい気がした。

 男が返事の代わりに、続きを促す様に、童子切の杯に酒を注ぐ。

 それを受けて、童子切は杯を口元に運んだ。

 酒の面に浮かぶのは、揺れて歪む銀色の三日月。

 

「その人は、私の二人目の主でした」

 それは、ほんのひと時の縁。

「今思うと、それが本当に有った事なのか」

 いや……むしろ。

「それは、一炊の夢のような」


 
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