ザクセン鉄鉱山の一件から、エレボニア帝国を取り巻く環境はなりを潜めていた。その過程で、Ⅶ組の周囲にも少なからず変化が生じた。そのひとつはアンゼリカ・ログナーの存在だ。
ノルティア領邦軍と対立するような行動をログナー侯爵家の令嬢がとったことは当主であるログナー侯爵の逆鱗に触れ、彼はアンゼリカをトールズ士官学院から退学させるように仕向けた。それを耳にしたシュトレオン宰相はリベール王国としてアンゼリカに打診を行い、ヘイムダルにあるリベール大使館の職員として推薦したのだ。
親子関係自体が冷え切っていた(というか、お互いに頑固な性格所以もあるだろうが)こともあって、その顛末を聞いたログナー侯爵はリベール王国に対して抗議すらしなかった。この事自体、後に多大な影響を及ぼすことに侯爵自身は気づいていなかった。
その過程で、アンゼリカは乗っていた導力バイクをリィンに譲ったのだ。この先のことを考えるとリィンならば邪険にすることはないだろうという確信を持ったうえで。以前依頼でテストに付き合ってもらっていた誼もあるのだが、それ以上に彼女はリィンに対して尊敬の念を少なからず持っていた。リィン当人は解らずにいたので、無暗に教えるようなことはしなかったのだが。
その後、Ⅶ組の面々はちょっとした休暇をもらい、リィンの故郷である温泉郷ユミルへと足を運ぶこととなった。そこで少しばかり騒動もあったのだが、ここでは置いておくことにする。
そうして時間も過ぎ、気が付けば学院祭の準備期間へと入った。大半のⅦ組の面々がステージ発表に取り組んでいる中、それに参加できない人間が一人いた。普段ならあまり言うことのない文句の数々に、近くにいて書類の処理をしている女子生徒が苦笑を浮かべるほどであった。
「あんの、クソ教官……いつか、地面に埋めてやる……」
「え、えと、ごめんねアスベル君。無理に付き合わせちゃって」
「会長が謝ることじゃない。仕方ない、スコール教官に言って特訓千倍コースでも頼んでおくか」
「あははは……」
そう、アスベル・フォストレイトその人である。本来なら他のⅦ組メンバーと同様にステージ発表の準備―――しかも、アスベルはユーシスやマキアス、ルドガー、そしてエマと同じようにボーカルとして立つことになるので、練習もしたいのだが……それを阻止したのは他でもないⅦ組の担任であった。
『悪いんだけど、会長のお仕事手伝って頂戴ね♪』
そう言って自分が持っていた生徒会絡みの書類を通り掛かったアスベルに押し付けたのだ。この埋め合わせは彼女の身内にきっちりやってもらうことを確りと取り付けた上で書類と睨めっこしていることに、何だかんだ言いつつも真面目なのだとトワは率直に思った。
「でも、アスベル君は大丈夫なの?」
「一応エリオットからは太鼓判貰ってるとはいえ、きっちり調整はしたいんですよね」
そのエリオット主導の練習は……原作以上に熾烈なものとなっていた。それを受けたアスベル曰く
「ただまぁ、鬼や悪魔よりも恐ろしいものを見るような気分はあまり味わいたくないですけどね」
「えっ…エリオット君の指導って厳しいの?」
「多分、今までの戦闘訓練やエリオット自身の経験が全部凝縮した結果ではないかと」
帝国で最強の攻撃力を誇る第四機甲師団長を父親に、屈指の実績を誇る帝都音楽院の講師を務める母親の存在、そしてトールズ士官学院に入ってからの戦闘訓練の数々とエリオット個人に課せられた特訓メニュー。その結果、現状音楽限定ではあるが両親譲りのスパルタモードが生まれた。それが明らかにアスベルの転生前の世界で見たとある人物にそっくりとなったことには、正直引き攣った笑みを浮かべた。
『―――いいか、今日から貴様らは“ピー”だ! この厳しい特訓を乗り越えれば晴れて“ピー”となる! 返事はどうした、“ピー”ども!!』
『っ!? サー! イエス、サー!!』
恐らくは少しでも男らしい成長をしたいエリオットの側面の一つなのだろう……どうしてこうなったのかは全く不明だが。そのモード中の記憶はきっちり残るらしく、解除後のエリオットが項垂れたり、相手に対して申し訳なさそうに謝ったりする光景が見られるようになった。なお、先日バルフレイム宮に呼ばれた後、エリオットの母親の計らいで音楽院を見学した際そのモードが偶発的に発動し、とあるクラス全員がエリオットに対して崇拝に近い念を抱いたのはここだけの話だ。その光景を見た彼の母親は『ふふっ、ああいう強引なところは夫そっくりね』と呟いたらしい。
「Ⅶ組の連中やここの吹奏楽部の部員らは全員それを目の当たりにしているので免疫はありますが、音楽院だとファンクラブもとい親衛隊までできたそうで」
「ちなみに、エリオット君は知ってるの?」
「本人はすごく否定したがってましたが」
その面子の中には帝都での特別実習で出会った三人も含まれている事実は知らされていない。さらには、その中の女子が『最悪嫁はだめでも下僕になりたい』ということも秘匿されている。親バカな自分の父親のことで頭を抱えたくなるエリオットにその追い討ちは精神的にキツイ結果しか生まない、というエリオットの母親の気遣いにはどう反応したものか困ったが。
「そのうち、音楽院全体がそうなったりしないよね?」
「それこそエリオットにとっての悪夢になるかと」
「だよね。杞憂で終わってくれると嬉しいよ」
(……フラグ?)
オーラフ・クレイグ中将がこのことを聞いたら、エリオットの男としての成長が見られたことに喜ぶ半面、天使のような愛狂しい息子の変貌に頭を抱えるという板ばさみ状態待ったなしだろう。エリオット自身とてこれ以上の被害は避けたいと思うのが本音のはずだ。……だが、その願いが尽く粉砕されることになったのは別のお話。すると、アスベルのARCUSの着信音が鳴り、トワに一言断った上でARCUSを手に取った。
「はい、トールズ士官学院アスベル・フォストレイトです」
『すまないね、こんな時に。ひょっとしてデートの最中だったかな?』
「その声はオリビエか。まぁ、こっちのスケジュールぐらい把握してるだろうが……近くにいるのはトワ会長ぐらいだよ」
『ふむ…なら問題はみたいだね』
「ひょっとして、“そっち”絡みか?」
通話の相手はオリヴァルト皇子当人。とはいえ、本人が言葉遣いの件を咎めないというかアスベルを『友人』と見ているので、アスベルもタメ口で会話を続ける。この前の連絡ではいつ内戦が起きてもいいような準備は整えたと聞いている以上、ここで連絡を取ってくるのは珍しいともいえるだろう。それに過去のとある一件でアスベルとトワの内情を彼は知っていることから踏まえて、知りたいのは『教会』絡みということも容易に想像できる。
『まぁ、そういうことになるね。ああ、別に注文は付けるつもりはないよ。僕の好敵手とてはたから見れば危険な人物だ…願わくば僕の手で決着はつけたいが、我儘は言えないだろうからね』
「奴がもし眼前に姿を見せたら、そのあたりの差配はルドガーに丸投げするつもりだ。元々そういう約束だし……オリビエ、誰が言い始めたのかは解らないが、お前が退治しようとしている奴の異名は比喩じゃなく、『文字通り』だと忠告しておく。俺だけじゃなく、カシウス中将もそう感じていたと聞けば、何が言いたのかは聡明なアンタなら気づくだろう?」
オリヴァルト皇子はアスベルの裏の顔を知っている。カシウス中将のことも知っている。その両名からの忠告だと聞けば、頭の回転が速い彼であれば否応にも一つの可能性に達する。アスベルの言葉にオリヴァルト皇子のみならず、同じ部屋にいるトワが目を見開いてアスベルのほうに視線を向けるほどに驚愕ともいえる情報を彼は与えた。
『―――いやはや、実際のところ僕もその可能性は薄らと感じていたんだがね。そうやって突き付けられると衝撃を受けるよ』
「おそらく常識的な方法は無理だろう。というか、ここ十年の動きを比較したら『おかしい』と思わないほうがおかしいんだ」
ごく稀に容姿が殆ど変わらない人種はいる。とはいえ、仮に皇帝陛下の全面的な信頼を得ていたとしても、何かしらの心的負荷が掛かることは必須。割り切って強引に推し進めたとしても、何かしらのストレスはかかるのが人間という生き物だ。だが、帝国宰相ギリアス・オズボーンの変遷を十年で比較したとき……『容姿が変化していなかった』のだ。顔のつくりだけでなく、老化によって変化しうる可能性の高い身長までも同一。これを『化物』と言わずして何と言うレベルの話だ。大衆がそれを気にしなかったのは、平民にとって『救世主』と見えてしまったのだろう……それが、エレボニア帝国を地獄に落とす使者であろうとも。
「もし連中が<獅子戦役>を再現するつもりなら、リベール側としても教会側としてもリィン・シュバルツァーをエレボニアの――“鉄血宰相”の思惑に乗せるつもりはない。最悪二国間の国交が断絶することになってもだ……あの御仁が自らの手でエレボニア帝国を消し去りたくないのなら、穏便な判断を期待したいけれどな」
『……心得ておくよ。ありがとう、わが親愛なる友人』
「笑みを浮かべながらいうのはやめろ。鳥肌が立つわ」
最悪、武力行使も視野に入れる形でリィン・シュバルツァーと将来的に彼が手にすることになる“騎神”をギリアス・オズボーンが考えるプランから完全に引き離す。先日の領土条約はそれも視野に入れ、前々からオリヴァルト皇子とリベール王国に打診していたのは他でもないアスベルであった。同じ流派の弟弟子に対しての親切心もあるのだが、彼の力に対する拘りは一歩違えば世界の危機に直結しかねない、とどこかしら感じていたからだ。
そのあといくつかの話を済ませてアスベルがARCUSをしまうと、キョトンとした表情を浮かべているトワ。それを見て、アスベルは一言。
「ああ、大丈夫。外部に漏れないよう会話改竄の結界は張ってるから」
「いつの間に!? っていうか、どうして私にも聞かせたの!?」
「さっき『教会側』ってニュアンスを使ったが……トワには別方向でそれとなく探りを入れてほしいんだ」
「探り?」
「ああ―――この学院にいて連中らに通じている奴が一人だけとは限らないからな。気配遮断が得意なトワなら一般人を演じるぐらい無理じゃないだろ?」
ここまでトワをあまり行動に参加させなかったのは探りを入れるためでもあった。トールズ士官学院は様々な身分を受け入れる以上さまざまな方面からの人物が集まる。その中にスパイが紛れ込んでいても何ら不思議ではないと思い、この半年間水面下で部下の力も借りつつ身分の洗い出しを行った。その結果は今ここで口に出さないが……
「…うん、解った。あまり期待しないでね?」
「無理強いはしないさ。無事に帰ってきてくれないと、その衝動でついうっかり“外法”として嵌めた相手を殺しかねない」
「それって、照れ隠し?」
「そういうことにしてくれると助かるかな」
恋愛面の根っこの部分はしっかりしているにもかかわらず、面と向かって褒めることには若干抵抗のあるアスベルの様子にトワは頬を紅く染めつつも笑みを零したのであった。
最終リハ部分と第七階層はまるっきりダイジェストで行きます。
というのも、アスベル・ルドガー・セリカ・リーゼロッテの四人がいる時点でもうボス虐めにしかならないわけでして、どうしようか考えた結果です。
最近リィンの出番がないのですが、どの道断章もとい1.5編では出番がありますので悪しからず。というか、基本アスベル視点での物語ですのでそのあたりはご容赦ください(今更感満載)
次回、学院祭編~リィンの明日はどっちだ~(予定)
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第112話 鬼軍曹と静かなるお節介