「お邪魔しますよ、白峯さん」
「お待ちしておりました。さぁ、どうぞ」
部屋の主は本を読んでいたが、俺の来訪に気付くとパタリと閉じた。
後ろ手に襖を閉め、あらかじめ用意されていた座布団に向かう。
部屋の中央の座卓には上等な紺色の敷物が敷かれ、その上には筒に入った筮竹や見慣れたミニ座布団と水晶玉のセット、
そして白峯がさっきまで読んでいた書物が置かれている。
その傍らには、小さな火炉が置かれており、中で香木と思われる破片が時折淡い光を放っている。
近付くと、かすかに柑橘系のような甘い匂いがした。
座卓を挟んで対面に置かれた座布団に腰を下ろし、白峯と向き合う。
雰囲気が雰囲気なだけに、自分でも緊張で顔が強張っているのが分かる。
「オガミ様。わざわざこんな時間に来て頂いて、申し訳ありません」
白峯が軽く頭を下げる。
「い、いや、俺の方こそ気が利かなくてすっ、すみません」
動揺して、白峯以上に頭を下げる俺。
「そんなに緊張しなくて良いのですよ?」
「は、はぁ……」
そう言われても、『明晩に私の部屋へお越しください、お伝えしたい事があります』なんて言われたら誰でも緊張してしまう。
普通の式姫相手ならともかく、相手が占い師ともなれば猶更だ。
何か厭な物が見えたのか。
まさか、一週間以内にご主人様は死んでしまいますなんて真顔で告げられたら……。
俺から白峯に占いを頼んだ事は一度もない。
それは占いの対価を払いたくないという守銭奴的な理由もあったが、彼女の告げる事が必ずしも良い事ばかりではないからだ。
今こうしてビクビクしている俺に対して優しく微笑んでくれているように、白峯は心優しい式姫である。
主に対して嫌な事を伝えるのが、彼女にとってどれほど辛いか。
とまぁ、様々な理由があって俺はあえて避けてきたのだが、最大の理由は別にある。
占いに頼らなければやっていけないような陰陽師になりたくなかったからだ。
白峯を信用していないわけではない。彼女の事は、その美しい容貌も含めて好きだ。
信用しているが故に、その言には慎重にならなくてはならない。
「オガミ様は、運命を信じますか?」
「えっ?」
なだめても無駄と悟ったのか、白峯が単刀直入に本題を切り出す。
「うーん……いきなり言われてもねぇ」
顎に手をやってしばし考え込む。朝のラジオ放送によくある今日の運勢や、神社のおみくじ等は割と信じる方である。
という事は、俺は運命を信じる……ということになるのかな?
「多分、信じます」
「あら意外ですね。どうしてでしょう?」
「それは……変える事ができないから、かな?」
語尾が疑問形になったのは、確証がないからだ。
よく娯楽作品などでも運命は変えられるだの変わらないだのが言われるが、俺はなんとなく後者を支持している。
加えて目の前には、占いで未来を読む式姫が鎮座している。
今の俺には、白峯に対して運命は信じないなんて断言できる程の材料が無かったのだ。
「白峯さんの占いと同じですよ」
指摘を受けた本人は、目を丸くしている。
「外れる事がない占いが出来るんなら、運命を信じないなんて言う方がおかしくないですかね」
「ふむ……そうですね、私はオガミ様と違って信じていますよ」
「え?」
「運命は、変えられると」
頭が少し混乱してきた。
占いは外さない癖に、運命は変えられるだって?
「ちょっと待って下さい。もし運命が変えられるなら、占いでそれを見る必要なんて無いんじゃないですか?」
俺の意見に対し、白峯はふふっと笑ってこう言った。
「私は、変える事のできない運命を覗き見る方が愚かな事だと思いますよ」
「どういう事です?」
「変えられないと分かっているものを、わざわざ知ったり、ましてや誰かに伝える意味があると思いますか?」
「…………」
「仮に、私があと一週間以内にオガミ様が死亡すると告げたらどうしますか」
「うげぇ」
「そんな顔しないで下さい、ただの冗談ですから」
「そんなすぐ死ぬのは絶対に嫌ですよ」
「あら、先程運命は変えられないと言ったのはどなたでしたか?」
「ぐっ……白峯さん、ヒドイ」
「私は酷くありませんよ。少々意地悪なだけですわ、ふふっ」
俺は少々恨めしい目つきで白峯を睨んだが、彼女は意に介さない。
「私なら、オガミ様の運命を変える為にありとあらゆる手を尽くします」
「どうして?」
「私の――いえ、私達の大事な人ですから」
さも当然のように彼女は言い放つ。
「白峯さん……」
「というのは冗談でして」
「ええっ!?」
「冗談というより、建前です。面白い方ですね、オガミ様は」
だめだな、今夜は終始主導権を握られっぱなしだ。
とはいえ、白峯の巧みな誘導のおかげで俺の緊張は綺麗さっぱりと流し落とされている。
「オガミ様が望む望まないに関わらず、お伝えした時点で私は既に無関係ではありませんから」
「何故ですか?俺の未来の話なのに」
「そうですねぇ……」
占い師の弁舌はそこで一旦止まり、目を閉じて何やら考えている。
「先程も申し上げた通り、私は運命を変えられると信じてお伝えしています。
変えられぬ運命なら、それをわざわざ本人に伝える事に意味はありませんよね」
「ええ」
「もしも私が、オガミ様が死ぬという未来を告げて、その上で何もしなかったらどう思うでしょうか」
「うーん……」
今度は俺が腕組みをして考え込む番だった。
もし一週間以内に死ぬと言われて、白峯が何もしなかったら。
「…………」
何もしてくれない白峯を見て、俺はやはりどうにもならないのだと容易に諦めるだろう。
自ら生き延びる道を見出さず、ただ床に伏して死を待つだけ。考えただけで鬱になりそうだ。
そして、白峯の事を恨むかもしれない。あぁ、こいつのせいで俺は死ぬのだと。
では、逆ならどうか。
もしも白峯が、俺の為に知恵を絞り、東奔西走疲労困憊になるまで付き合ってくれるのなら。
俺はそんな彼女の姿を見て、生き延びる道を模索するのではないか?
少しでも占いが外れる可能性を信じて。
「ただ結果を伝えるだけの占い師など、死神と呼ばれるそれとなんら変わりません」
例え私に運命を変える力が無くとも構わない。
運命は変えられるかもしれないと貴方に思わせる事が出来るのであれば、私は……。
「ところで、白峯さんの占いってどうして当たるんですか?」
湿っぽい雰囲気になったので、気分転換にと以前から気になっていた別の話題を振ってみる。
「どうして、とは?」
「俺のいた時代では、占いは外れて当たり前だったので」
「それはやり方が間違っているか、そもそも占いではないかのどちらかではないでしょうか。
私にはその時代の知識はありませんので、確かな事は言えませんが」
俺の常識に照らし合わせるなら、確実に当たる占いの方が占いとは思えないのだが……。
「質問を変えましょうか。どうすれば未来を見る事が出来ますか?」
「オガミ様、私は未来を見ているわけではありませんよ」
「え?」
「そうですね。うまく説明できないのですが……知るべくして知っている、とでも言いましょうか」
見ているのではなく知っているとは、どういう事だろうか。
白峯の言い方は『ね、簡単でしょ?』で何事も済ませてしまうあの式姫を彷彿とさせる。
「見る事と、知る事は別ですよ。私達は無意識にその二つを繋げていますが」
「あぁ、そういえば人間は情報の8割以上を視覚から得ているという話もありますね」
百聞は一見に如かず、という言葉もある。
俺のような一般人は、見る事以上に自分を信じさせる手段を持たない。
「私が読んだ西洋の書物には、人体の中で瞳が最も強い魔力を持つ、という事も書かれていました」
「ふむふむ」
「もし運命を変える力があるとするなら、それは瞳に宿っているのではないかと私は思います」
「俺の目には、そんな力は多分――」
「いいえ、オガミ様も恐らく持っていますよ。この私が保証します」
白峯はあっさりと肯定した。
「どうして、そんな事が言えるんです?」
「それは、見るという行為が対象に少なからず影響を与えているからです」
「?」
やたのひめが喜びそうな台詞だ。
「例えば、そうですね。桜の木の下には、何があると思います?」
「え?…………えーっと」
唐突に話題が飛躍した。
俺は面食らったが、ここは大人しく話の流れに従うとしよう。
白峯とこれだけ話し合う機会など、滅多にないのだから。
願わくば 桜の下にて 春死なん――咄嗟に思いつくのは、それ位だ。
「死体、でしょうか」
「あら、どうしてそう思うのです?」
「うーん、なんとなくです」
古くから日本人に愛され、この国を象徴する花と言っても過言ではない桜。
その美しさから衆目を集めて止まないそれに集うのは、善いモノばかりとは限らない。
それは、目の前の占い師も同じ。
見目麗しい姿態に加えて人の理を知る白峯も、さぞ多くの権力者に求められたのではないだろうか。
「オガミ様、どうかしました?」
「え、あ、いや……その、白峯さん、綺麗だなーって……あは、あははは」
「ふふっ、ありがとうございます」
白峯は涼やかに微笑むと、すっと四つん這いの姿勢でこちらへやって来た。
なんからしくないな、と思った俺がキョトンとしていると、白峯は
「わん!」
と鳴いた。
空いた口が塞がらない。なんだこれは。
「えっ、あー、ええっ?」
「わん!」
突如として犬になった白峯にどう対応すればいいのか分からず、俺は狼狽した。
尻尾でも生えていれば、恐らく全力でぶんぶん振っているだろう。
「あのー、白峯さん?」
くいっと首を傾ける白峯――もとい、犬峯。いや白犬?
「悪ふざけも程ほどに……」
片手で優しく押し戻そうとしたが、白峯は動かない。
その目は、何かを訴えるようにじっと俺を覗き込んでいる。
『見るという行為が、対象に少なからず影響を与えているからです』
あぁ、この目はあの時のかぶきりひめにそっくりだ。
という事は、これもまた何かの謎かけだろうか?俺は押し戻すのを止め、彼女の意図を必死に探った。
「犬、犬……」
白犬、白い犬。白い犬、白い犬……桜の木……。
白い犬と、桜……。
シロ?
「……花咲かじいさん?」
「わん♪」
シロ峯が満足そうに鳴いた。
犬から元に戻った白峯は、すっと立ち上がってすたすたと座卓の向こう側に戻っていく。
どうやら当たりらしい。俺は安堵に胸を撫で下ろした。
「よく分かりましたね」
「えぇまぁ、以前似たような事がありまして。けど、何だってこんな真似を?」
本気で狂ってしまったのかと心配した。彼女らしくない。
……まぁ、可愛いかったケド。
「土の下にあるのは、死体とは限らない。という事ですわ」
「…………あぁ、なるほど」
少し考えて、俺はようやく合点がいった。
確かあの話は、犬がここほれわんわんと鳴いた所に金銀財宝が埋まっていたんだっけ。
死体が出てくるか、金銀財宝が出てくるか、掘り出してみるまで分からないと白峯は言いたいのだろう。
「オガミ様は、あのお話について疑問に思う事はありませんか?」
「花咲かじいさんですか?うーん……特に何も」
「まず、どうして犬には財の場所が分かったのでしょう?」
「それは、鼻が……いや違うか」
いくら嗅覚に優れる犬でも、地中に埋まったお金の匂いなど分かるわけがない。
金の匂いに敏感な式姫はいるけれど。
「そして、どうして犬は隣のおじいさんに殺されたのでしょうか?」
「ううん……」
犬が人を噛み殺す様は容易に想像できるが、年老いた老人に殺される犬というのは確かに想像しにくい。
物語だから、なんて杓子定規な答えではあまりにつまらない。
うろ覚えだが、確かあのお話の最後では飼い主だったおじいさんは殿様から褒美をもらった気がする。
だとすると、あの犬は……。
「犬は……」
犬は賢く、忠義に厚い生き物だ。
「犬は、おじいさんを幸せにする為に――」
「わざと殺された、のかもしれませんね」
俺が言いにくいのを察したのか、白峯が後を継いだ。
もしそうなら、犬はここほれわんわんと鳴いた時点で自らの死やその先まで視えていた事になる。
自分の身を厭わずに、おじいさんが幸福になる未来を選んだというのか。
犬畜生の分際で運命に殉じるなんて、なんとも馬鹿げた話だ。
「今日は、この辺にしておきましょうか。もうこんな時間ですし」
「あぁ、はい」
心中にモヤモヤを抱えたまま、俺はふらりと立ち上がった。
「あの、白峯さん」
襖に手をかけながら、白峯の方を振り向く。
確かにおじいさんは富を得られたかもしれないけれど。
「これからも、俺の傍にいて下さい」
犬を失った悲しみには代えられないから。
白峯がどれ程の人に求められてきたのか、俺は知らない。
例え、俺にはもったいなさすぎる式姫でも。
それでも、意地悪な爺さんに渡したくないんです。
「ふふっ、ありがとうございます」
大丈夫ですよ。
今の私も、貴方と同じ気持ちですから。
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