No.93273

夕陽の向こうにみえるモノ17 『コンフリクト3』

バグさん

光恵は小指で100キロで走行する大型トラックを止める事が出来ます。
たぶん。

2009-09-03 22:06:06 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:472   閲覧ユーザー数:462

 早峰クルミの足取りは軽かった。機嫌が良いのだ。特に理由は無いが。クルミは天気が良いというだけで一日を幸せに暮らせる人間だった。天気が悪くてもそれなりに幸せだが。

空の青さは心を弾ませるし、雲の白さは心を癒す。雨と共に訪れる静けさは空間の広がりを連想させるし、雨粒の音は心地良いリズムで眠気を誘う。

考え方がポジティブであると言えばそうなのだろうが、本人は無自覚だった。そして、無自覚であるが故に、そのポジティブさには隙が生まれる。心に隙が生まれると言っても良い。自覚が無いという事はそれだけ『粗さ』を残す事でもある。自覚して、初めて洗練され、そして隙はなくなる。

 そして、だから、基本的にポジティブなクルミにも一つの懸念があった。

 放課後になり、図書館で借りたい本があるので、葉月と一緒に図書館へ行こうとしたのだが、それを断られてしまったのだ

「…………うん」

 最近、そんな事が続いている。下校は基本的に一緒なのだが、その時も何かに対して緊張している様な、そんな感じ。

思い切ってそれを聞いてみたが、葉月は少し驚いた表情をしたくらいで、答えてくれなかった。

 それを悲しいとは思わない。彼女には彼女の思惑が有るのだろうし、それはきっと自分の思考の及びも付かない領域で展開されている事だろうし、彼女が自分に対して何かを秘密にする時は決まってこちらに気を使っているからだ。

 そして、葉月は天才だ。きっと、今抱えている問題もたちどころに解決してしまうに違いない。

「だから、もう少し我慢、我慢」

 …………寂しいのは事実だし、何よりも歯がゆい。

 相手にされなくて寂しいというより、力になれなくて寂しい。葉月に手を伸ばそうとしているのに伸びきらないような、背中を追いかけているのに追いつかないような、そうした歯がゆさがある。

 もちろんそうした気持ちは表に出さない。勘の良い葉月ならば、その気持ちにきっと気付く。そしてその結果は本末転倒という言葉で締めくくられる。

 待ち合わせの場所で葉月の姿をしっかりと確認して、クルミは足を急がせた。

 

 

「葉月さんっ」

 声がして、葉月はそちらを振り向いた。誰に呼ばれたかなど、考えなくても分かる。葉月の最も親しい人物。アッシュも何度か顔を合わしている。

早峰クルミは片手を大げさに振って、こちらに近づいてきていた。

「クルミちゃん」

 己の置かれている状況にも関わらず、葉月は常と変わらぬ様子で振り向いた。

 如月葉月という人間が何を考えているかなど、正直な所、アッシュには到底理解できない。もちろん、彼女以外の人間に対して理解を重ねた事も無いのだが、彼女は特別理解不能に見える。それが不信に繋がる事が無いのも理解不能だ。アッシュはそれを、別格である事の証明であると考えていた。

 今だって、グレーの襲撃が始まった瞬間であるというのに、落ち着き払っている。本当に理解し難かった。

「葉月」

 それに気付いていないはずがない。何しろ、自分よりも早くそれに気付いたのだから。だから、あまりにも落ち着いている彼女に対して、注意の意味で名前を呼んだ。

 しかし、分かっているとでも言いた気な眼をこちらに向けてくる。実際その通りなのだろうが。

葉月は座っていたベンチから立ち上がって、クルミの右手を両手で取った。顔と顔がくっつくほどに眼を合わせて、微笑んだ。

「ごめんなさいね、クルミちゃん。ちょっと用事が出来ちゃったから、図書館でもう少し待っていて」

「あ、そうなんだ…………」

 言って、クルミは残念そうにやや俯いた。葉月は自分のデコをクルミのデコに合わせる。だが、それも一瞬、すぐ離された。

そのスキンシップが功を奏したわけでは無いだろうが、クルミの心に存在した、淀んだ何かを取り除く効果は確かにあったようだ。

「うん、分かった。じゃあ待ってるね」

 クルミの中で一体どんな理解がなされたのかは分からないが、了承したようだ。今から現実として起こる事態が己の想像を超えているだろうとは考えもしないだろうが。彼女はアッシュの事を、如月葉月の親類と理解しているだろうし、葉月の言うちょっとした用事も、何時もの様に葉月がでっち上げているであろう、親族間の問題とでも考えているのだろうから。

葉月に聞いた所、クルミは詮索屋では無いらしい。気にならないはずが無いだろうが、それは二人の間に信頼がある証か。

「待って、クルミちゃん」

「え?」

「刎頚の交わりって知ってるかしら」

 踵を返して去ろうとしていたクルミを、葉月が呼び止めた。

そして、葉月の言葉の内容に、クルミは首を傾げる。

 それを見て、葉月は微笑を浮かべた。

「言葉の由来はどうでも良いけど、私はクルミちゃんがそうであると信じているわ」

「そ、そう? 良く分からないけど、ありがとう」

 良く分からないのに礼を述べるのは如何なものかと考えたが、それもまた信頼の証なのだろう。

 クルミは葉月に微笑み返すと、図書館へと向かった。

「どういう意味だ?」

 先ほどの葉月の言葉の意味をアッシュが尋ねると、振り返らずに彼女は答えた。

「別に。でも、また私の事で悩んでいてくれているようだから、ね。そこに居てくれるだけで良いのに」

 余計に分からないアッシュだっだが、別にどうでも良い事だ。深く追求する意味は無い。

問題はもっと、別の所にあるのだから。

 そしてその問題は、蛇の様に刻一刻と足元へにじり寄ってきている。

「どうしたものかしらね」

「どうもこうも無い。お前を警護する全ての人間がグレーを殺すために動く。あちらの策に乗らざるを得ない問題が発生したから、警護はザルの様なものだがな。運が悪ければお前が死ぬ。もっと運が悪ければ一般生徒が死ぬ。それだけだ」

「厳しい言い方ね」

「事実だ。お前が選んだ」

 葉月がここに残るという愚かな選択をしたために、一般人が危険にさらされる。もっとも、グレーの性格上、一般人に直接手を出すとは考えにくいし、状況が状況だけにグレーも悠長に構えていられないはずだ。それ故に、一般人に対する被害はほとんど出ないだろうと楽観視していた。

「私の安全より、生徒の避難が優先では無いのかしら?」

 しかし、未だクラブ活動に勤しむ生徒達を見て、葉月は異を唱えた。

「状況は流動的だ。どの様な危険があるか分からんのは外も内も同じだろう。それに、生徒が居る事への打算もある」

 生徒の避難は、グレーの警戒心を煽る可能性があった。

 また、襲撃があってから下手に一般生徒の避難誘導等を始める事は、むしろ被害の拡大に繋がる恐れがある。己の手で一般人に物理的被害を出さないというグレーの信念を利用し、彼等を盾に使っているという意味もある。被害が出る事は好まないが、ここで確実にグレーを殺しておかなければ、さらなる被害を生むであろう事は十分あり得た。それ故の決断だ。現在起こる10の被害よりも、将来起きる100の被害の方が恐ろしい。この場所で被害を最小に押さえてグレーを殺す。それが最善だった。

「さあ、行きましょうか」

「下手に移動するな。お前を護り難くなる」

「でもここでは彼等が危ないわ」

 グラウンドに数十居る生徒達を一瞥して言う。己の決断でそうなった癖に、今更な言い分だった。

「ならどうする。学校を出るのか?」

 街で大規模な戦闘が行われた場合、一般人の避難誘導対策や状況の処理等、それらは組織にとって手馴れたものだった。現に、今も街に駐留している構成員は緊張状態で、指示一つで迅速な対応を見せてくれるだろう。

 もちろん、その選択は論外だが。どれほど迅速な対応が出来ると言っても、それは所詮それだけの事だ。

 戦闘地帯が狭いほど、今の状況ではやり易い。

「それは駄目よ。クルミちゃんを待たせているわ」

 校舎の屋上を見ながら、葉月は呆れるような台詞を言った。

 

 

 ピリピリと、背中に嫌な感覚が纏わり付いてくる。これを感情として表現するとなると、恐らく恐怖に分類されるものだろう。つまり、生存本能が逃走を叫んでいるのだ。そして、気という表現を使うならば、これは殺気と呼ばれるものだ。とても拡散的で、指向性を持たない殺気が大気に充満している。普通の人間は気がつかないだろうが、動物の姿は消えていた。猫の姿は視えないし、鎖でつながれた飼い犬は怯えたように耳を下げていた。

威嚇だ。

グレーに対しての威嚇。近付かなければ、あるいは見逃してやろうという、殺すことがほとんど前提の威嚇。

ここまで濃密なそれは、グレーも初めてだった。

だが、同時に考える。

 思った以上に、上手く事が運んでいる。

 目的の学校へと続く道を歩きながら、グレーは淡々と考えていた。

 これが、罠の上に罠を重ねた罠である可能性はあるか?

 四つに分散させて具現化した負意識の塊の処理に、おそらくは目標の警護に当たっていた組織の能力者が上手いところ向かってくれていた。気配を抑えているとはいえ、グレーの所へ誰も向かわなかったのは運が良かった。本当は、撹乱による戦力の分散と、ターゲットまでの距離を少しでも縮めるという事が達成できれば御の字だった。

 しかし、拍子抜けするほど学校まで接近出来てしまった。

 これでは罠の可能性を疑いたくもなる。もちろん、すでに状況は動き始めている。ここで退く事は最大の機を逃す事と同義だ。罠で有ろうと無かろうと、前に進むしか無いのだ。

胸中に不安は無い。

 有るとすれば、無数に生まれて消える疑問だけ。だが、それらは冷静に処理されていくので、不安には繋がらない。だが、脳内で行われているそれらの作業は、無意識下での、ある一つの不安を紛らわせるためのものなのかもしれない。すなわち死への不安。 人は普段、死から眼を逸らして生きている。それを直視できるほど強くは無いからだ。死と握手を交わし、抱擁寸前で生きてきたグレーの様な人間でも、やはり怖い。

 グレーは精神を操作する能力者として、己こそが常に冷静で居られるように、恐怖や不安といった、能力を行使する上で邪魔にしかならない感情を排除するように心がけてきた。だが、どれほど訓練を重ねようと、その恐怖は生命の根底にへばりついている物なのかもしれない。

あるいは、どうだろう。死、それそのものが恐ろしいのでは無く、目的を果たせずに死んでしまう事が恐ろしいのかもしれない。目的も無く、組織のために生きてきたグレーは、なんとなくそんな事を思いついた。思いついてみれば、なるほど、そんな気がする。

 学校の正門が見えてきた。次第に早足になる自分に気付く。

 下校する生徒の姿はあまり見られない。ピークが過ぎたのだろう、と考える事にした。そして、学校周辺は住宅街のため、あまり人の姿は見られない。

 それ故に。

「やはり、完全に気付かれずにというのは、無理が有るか」

 学校内から、悠然と姿を現す一人の女子生徒が居た。

 正門前は三叉路になっているが、他の左右二つの道へは目もくれず、正面のグレーへと鋭い眼光を向けていた。

 その女子生徒に、グレーは異様な雰囲気を感じ取った。普通の人間には無い、独特の臭い。普通の日常を放棄せざるを得なくなり、 過酷な日常に身を投じた者の雰囲気を。それはつまり、自分と良く似た雰囲気を持つ人間だった。同類の人間。組織の関係者だ。

 正門までは20数メートル。女子生徒との距離も同じ。

 見つかった。もはやひっそりと歩いていく意味は無い。

 敵が一人なのは、幸いだ。

 グレーが地を力強く踏みしめると同時に。

 その女子生徒もまた、動いた。

 両者の左腕と左腕が激突したのは、グレーが立っていた地点から見て、約10メートルの地点。

 短く重い衝撃音が辺りに響き渡る。

グレーは眼を見張った。こちらの方が僅か先に動いたにも関わらず、数メートルほど、間合いを詰めた距離でこちらが負けている。この差はとても大きい。瞬発力では勝負にならない事が、始めの衝突で証明されてしまった。

 いや。

(勝負にならないのは…………身体能力そのものか!!)

 拮抗しているかに視えた左腕の均衡は、女子生徒が左腕を振り切る事で強引に崩された。押された左腕が…………いや、弾き飛ばされた左腕が、肩の関節を外さんばかりの勢いで身体ごと後方を目指した。

 体勢を整えようとした瞬間、どろりとした寒気が全身を襲った。

 右頬を掠める轟風が、相手の右ストレートによるものだと知れたのは、辛うじて避ける事が出来たからに他ならない。そうでなければ、今の一撃で確実に昏倒していただろう。その威力の証明は、パックリと開いた右頬の傷が物語っている。信じ難い事だが、その傷は火傷に近かった。

 焦燥と恐怖、戦慄が次々に脳裏を過ぎり、しかしまた、次々と消失していく。

それは。

 避けると同時に放たれたグレーの掌底が、女子生徒の右脇腹に突き刺さっていたからだ。

 左腕の拮抗を弾かれ、相手の攻撃を避けながらの無理な体勢から放った一撃だったが、カウンター気味に入ったのだ。

 女子高生の体は勢い良く弾かれ、しかし直進的に宙を浮くのではなく、重心から僅か上の攻撃だったが故に、正門方向へと数メートル飛ばされながら一回転して、コンクリートが陥没するほど叩き付けられた。

 グレーは迷わずに距離を詰め、仰向けに倒れた女子高生に対して追撃の拳を放とうとして…………止めた。

 すでに気絶している。

「…………ふぅ」

 終わったと知った瞬間、グレーは全身に冷や汗をかいた。

 攻撃を避けられたのはほとんど偶然に過ぎない。

「この歳で、大した実力だ」

 掛け値なしに感嘆する。気の質からして、何らかの異能力を持っているという事は無さそうだが、それでもかなりの実力者だ。組織の層の厚さに、改めて感心させられる。

「…………そして…………ぐぅっ」

 左腕の骨が、肘の部分から飛び出していた。。相手の勢いが有ったから、有効なカウンターとして働いた。しかし、身体能力の差が有り過ぎたため、結果として、気絶させた相手よりも重傷を負うことになってしまった。

左腕は、もう使い物にならないだろう。あるいは、一生。

 仮に、次に戦ったとして、直接的にぶつかり合って勝てる相手では無い。以前戦った炎の術者よりも厄介だ。

「…………さて、と」

 この女子生徒は何かに使えるかもしれない。

形梨光恵と書かれた胸の校章入りバッジに重ねるように、グレーは手を置いた。

 

 

「光恵ちゃん、負けちゃったわね…………大丈夫かしら」

 光恵の気が弱々しくなったのを感じて、葉月は呟いた。

 屋上から見下ろしたグラウンドでは、ちょっとした騒ぎになっている。

 その騒ぎの原因は、学校を雪の様に舞う灰にあった。


 
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