3章 二人だから奏でられる音
1
「遅い…………」
待ち合わせの十時を十分も過ぎている。悠里は携帯を持っていないから連絡できないし、ただただ、来てくれることを信じて待ち続ける。
ちなみに私は二十分前に着いたから、これでもう三十分待っていることになる。
いや、早く来たのは私の勝手だし、待ち時間が長くなったからといって、悠里を糾弾するつもりはない。ただ、途中で何か事故でもあったのではないか、と心配してしまう。こういう時、私たちは。いや、私は、携帯という文明の利器に頼り切って生きているのだな、と改めて思う。
がちゃがちゃと、無意味に悠里の連絡先が入っていないスマホを操作して時間を潰す。時間潰しにSNSの類を見て回っても、こんな時に限って面白いネタはないし、ゲームを始めたら、そっちにばかり熱中してしまいそうだし。心配のあまりにイライラしながら校門の前で待つ私は、身長も相まってかなり目立ち、かつ恐ろしげに見えたのではないかと思う。
「ゆた先輩、待ちました?」
「一時間ぐらい」
十時二十五分。予定より二十五分オーバーを、ちょっと遅れたぐらいだから、と許容できるか。……私はまあ、許すつもりだった。だけども、けろっとした顔で現れた悠里を見ると、なんだか悔しくなってしまう。今までやきもきしていた私はなんなんだ、と。
「ちなみに、遅れた理由は?」
「寝坊しちゃいました…………」
「…………まっ、それなら仕方ないか」
甘っ!!
私、なにこれ、悠里に対して甘過ぎない!?
だけども、惚れた弱みとでも言うのか、なんというのか、お姫様相手に本気で怒ることもできず、許してしまうのだった。ただ、ここで私が一方的に許して終わってしまうと、悠里の成長にはならない気がする。
「一応さ、悠里。人を待たせちゃったんだから、ごめんなさいはしとこっか」
「はい……ごめんなさい」
悠里は従順にぺこり、と頭を下げる。
「ん、よろしい」
謝って、許されればもう、わだかまりはなし。
当たり前だけど、大切な手続きを踏んで、次の話を切り出す。……前に、悠里の服装が気になった。
フルートの天才。既にファンがたくさんいる。もしかすると、テレビの取材なんかも受けているかもしれない。ということは当然、彼女の家はある程度以上に裕福であると考えるべきだ。
……ほとんど天使ですやん、これ。お姫様どころか、エンジェルってますよ、これ。
悠里の銀髪と色白の肌にぴったりな、淡い色の落ち着いたデザインの洋服は、清楚という言葉以外の表現が見つからない。六月、季節はほとんど夏。それなのにロングスカートをはいて、必要以上に肌を出さないのは淑女の嗜みか。
「……………………」
思わず、自分の格好と見比べてしまう。中学の頃からずっとそうだけど、デザイン性よりも機能性を追求したような、ギリギリ女子を主張するキュロットに、適当な上着を引っかけただけの雑すぎるファッションだ……いや、ファッションとして成立していない。スカートなんてここ最近、制服以外で着ていないな……家では基本パンツだし。
「ゆた先輩の私服、かっこいいですね。ゆうと大違いです」
「どこが!?いや、大違いってのは認めるけど」
「ゆうはコンサートの時以外、自分で服を選んだことがないので。コンサートの時も、何着かある衣装から気に入ったものを選ぶだけですし」
そんな気はしてたけど、やっぱり親に選んでもらっているんだ。まあ、私も自分のおしゃれを放棄する以前はそんな感じだったし、見るからに世間知らずな彼女がそうでも何も不思議はない。でも、じゃあ親のセンスはいいな、と思った。やっぱりお母さんだろうか。
「そういえば、お互いの家族構成とかについても話してなかったよね」
なんとなく気になったので、ここから雑談に入っていくことにした。そういえばお互い、当たり前のプロフィール的なことすら、まだきちんとは話していない。初めて会った時は、結局あの後、それほど話さずに別れちゃったし、携帯がないからメールでのやりとりもできない。昨日はまあ、そんなに色々と話す雰囲気ではなかったし。
「ゆた先輩はしっかりしているので、妹や弟がいるんですか?」
「いや、一人っ子だよ」
ウチに無限に姫はいるけど……という点については、とりあえず黙っておいた。
このまま友達付き合いをしていくなら、話すべきだと思うし、私の評判を聞くことになれば、自然とオタ趣味についてバレるだろうし……でも、今はまだいい。
「悠里も一人っ子だよね。そんな感じ」
「いえ、兄がいますよ」
「えっ、そうなんだ、意外」
「今は大学の二年生です。音楽大学に通っていて、指揮者を目指していますね。後はヴァイオリンとピアノも弾けます」
「す、すごっ……」
エリートの音楽一家なのか……。
「寮で生活していますし、ほとんど会っていませんけどね。でも、自慢のお兄ちゃんです」
兄妹仲は上手くいっているようで、そこはなんだか安心できた。いや、別に両親とも上手くいっていない訳ではないんだろう。ただ、昨日みたいに悠里が自己主張を押し殺していることによって、成り立っているような気がする。
「お兄さんは色々と演奏するけど、悠里はフルート以外は?」
もしかするとこの話は“地雷”なのかもしれないけど、何か気分転換をさせられないかと、聞いてみることにした。勉強や運動はダメみたいだけど、音楽の分野なら何か……。
「幼い頃は音感を養うためにピアノを習っていました。ただ、演奏技術やセンスはありません。素人ではなく、とりあえず弾けるというだけで。それは早くから先生や親も見抜いていたので、すぐに管楽器へとシフトしていきました。金管、木管を問わずに色々と試しましたが、一番しっくり来たのはフルートでしたね。他もやろうと思えばできます。でもやっぱりフルートなのは、母への憧れがあったんじゃないかと」
「お母さんもフルート奏者なの?」
「はい。その業界ではよく知られている方だと思います。まあ、活動が主に国外、ヨーロッパなので、ゆた先輩はご存じないと思いますが」
「あれ、もしかして、外国の方?」
「はい。オーストリア人です。なのでゆうはハーフですね。もちろん兄も実の兄妹なので、同じです」
「ああ、ああ…………」
銀髪に白い肌なのは、そういう事情で。名前にハーフっぽさがないから、確証を持てていなかったけど、この容姿で純血の日本人ではないか。
「なので、フルートにこだわりはありましたが、部活でぐらいは別の楽器を試してもいいかもしれない……そう思っていたんですが、まあ、ゆうはフルートを期待されてしまいますよね。なので、やっぱり吹奏楽部でもフルート担当です」
「そっか。ふと、さ。思ったんだけど」
「はい?」
悠里は本当、私が何か言うと、まっすぐにこっちを見つめてくる。その仕草が子犬のようで、なんとも……はっきり言って、萌えてしまう。くっ、萌えなんて半ば死語化した言葉を私に使わせるなんて、なんなんだこの子。
「悠里、歌うのは得意?カラオケとか、すっごい王道だけど、行ってみるのもありかな、って」
少なくとも音感はあるみたいだから、歌えないことはないと思うんだけど。
「歌唱ですか。楽器以外はやったことがないので、よくわかりません」
「音楽の授業では歌ったでしょ?」
「あまり声を出して、喉を痛めてはいけないと言われていたので、ほとんど口パクでした。なので、どの程度まで歌えるのか、はっきりとは」
「あっ、じゃあ、カラオケは行かない方が……」
「いえ」
そう言う悠里は、真剣な顔で私を見つめていた。そして、またあの大声ではないのに、よく通る決意に満ちた声で言う。
「今日ぐらいは、親の教えに逆らってみたいんです。あまり喋らなくて、大声を出さないのも、親にそうしつけられたことで、今更変えられないと思いますけど。でも、歌ぐらいは全力で歌ってみたいです」
「悠里……そうだね」
「はい。よろしくお願いします、ゆた先輩」
そう言う悠里を見ながら、私は。
本当に彼女を誘ってよかったと思っていた。彼女は今日、ここで変わろうとしている。私も、彼女と一緒に……変わることができれば、と思った。
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