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「それで、用務員さんに回収された、と……」
「ええ。あなたもこの子の知り合いなら、きちんと言い聞かせておいてあげてください。屋上は園芸部と天文部の夜間観測の時以外は、原則立入禁止です。鍵は開いていますが、だからといって入っていいという訳ではありません」
「ごめんなさい……ほら、悠里も」
「ごめんなさい」
大冒険になる……予定だったんですけどねぇ。
サボりの定番、屋上でぼーっとしていた悠里は、あっさりと校舎の鍵の点検に回っていた用務員さんに発見され、生徒会室にまで引き渡されていた。そして、用事で先に帰った会長に代わり生徒会室の守りを務めていた月町さんによって、送り届けられようとしていたという訳だ。一人で捜すのは無理と考え、真っ先に生徒会室をあたった私の判断はある意味で正しかった。
「それにしても、あなたは吹奏楽部でしょう?まさか部活を……」
「体調が悪かったんだよね、悠里!」
「いえ。サボりました」
「…………あんたはアホか!?」
「まさか、仮にも生徒会の監査係に対してサボりだと言ってのけるとは、舐められたものね。一応、理由を聞いてもいいかしら」
「ちょっと疲れちゃったんだよね、悠里!」
「いえ、ゆた先輩がイヤなら逃げればいいって」
「あんたはアホだろ!?」
「ゆた先輩……立木、ゆたかさん?」
「はい」
「違います!!」
「…………はぁ。部を廃部にするだけでは飽き足らず、他の部の新人にまで悪知恵を吹き込むとは。むしろ、廃部にしていてよかったわね。もしもまだ部があれば、部費を大幅削減しているところだわ」
あかん、やっぱりこの子、壊滅的に空気が読めない!というか、暗に私を陥れようとしていない!?ほんと、部活をやめた直後でよかった……さすがに部員にまで迷惑はかけられん。あんなやつらでも。
「でも、その、先輩。悠里は本当、疲れていたんだと思います。ずっとフルートばかり演奏していて、部活でも、って」
「そうは言うけど、白羽さんがこの学校に入ったのは、半ば吹奏楽部のゴリ押しがあったからよ。彼女の成績ははっきり言って、この学校の入学基準を満たしていないわ。普通、この学校では滅多にないことだけど、一芸入試のようなものなの」
そこまでフルート以外はポンコツだったんかい!いや、予想はできたけども!
「だから、そのフルートで学校に入っておいて、いざ吹奏楽部で吹いてみたら、周りとレベルが違いすぎてイヤなんていうわがままは通らないわ。座学に関しては、むしろ周りがあなたのレベルの低さに辟易しているのに」
「……先輩、ごめんなさい。さすがにその言葉は取り下げてもらっていいですか。悠里は別に吹奏楽部の人が悪いとか言ってないじゃないですか。それは決めつけです」
「でも、つまりはそういうことでしょう?」
「…………そうかもしれないけど、それを先輩が決めつけていいって訳じゃないでしょう。生徒会はそんなに偉いんですか?」
たぶん私は、珍しく本気で怒っていた。
もう中学の頃から、本気で人の意見に異を唱え、ぶつかろうとしたことはずっとない。それは、私自身がマイノリティーへと属するようになったせいだと思う。価値観や意見が違っても、それは仕方がないことなんだ、となるべく真剣には取り合わないようにしてきた。
でも、目の前で悠里が悪く言われている、この状況を見過ごすことはできなかった。
悠里は黙っている。物怖じしているという訳ではないんだろうけど、きっとすぐには反論の言葉が出てこないんだ。なら、私が彼女の代わりに戦うしかない。
「偉い偉くないの話ではないわ。ただ、上級生として下級生の間違いを改めさせようとしているだけ」
「それがしっかりと考えた上でのことなら、正しいことだと思います。でも、悠里のことをちゃんと知らないのに、額面上の情報だけで彼女のことを決めつけるのは違うと思うんです」
「じゃあ、あなたは彼女のことを知っていると言うの?吹奏楽部なんていう花形とは縁遠い、第二手芸部だったあなたが」
「知りません。彼女のことは名前と、その見た目と声ぐらいしか。でも、彼女は友達なんです。……後、さすがにウチの元部員どもまで巻き込むのはやめてもらえませんか。アングラ中のアングラだったってことは理解してますけど、さすがにあいつら含め私の部まで否定してもらいたいはないです」
話しながら、どんどん冷静な思考力を失っていっているというのがわかる。私だけではなく、月町さんも。
彼女は本来、厳しくも公正な目を持っているはずだ。でも、今は悠里を個人的に攻撃しようとしていて、それを庇う私と私の部をも攻撃対象にし、排除しようとしている。
そして私も、ただただ、月町さんの反論を潰しにかかろうとしているだけだ。これでは、悠里をダシに生徒会を叩いているようで、私自身、気分が悪い。
…………闘争は愚かしい行為だ。最初は義憤からの行動でも、すぐに手段と目的は入れ替わり、自分がやりたいようにやるだけになってしまう。あんまりに野蛮で愚かなことだ。今、私ははっきりとそれを実感している。でも、後ろに悠里がいる以上、引く訳にはいかない。
「もう、いいです」
そう言ったのは、悠里だった。感情の感じられない、静かな。……人形の声だった。
「ゆうはこれからも、フルートだけ吹いています。それに疑問は持ちませんし、他に何もいりません。なので、生徒会さんもゆた先輩も、これ以上いがみ合わないでください。今日休んでしまったことは、きちんと部のみんなに謝ります。何か罰があるなら、それも受けますから」
ただ、その文字面を目で追うだけなら、彼女は聖女のようだったかもしれない。
でも、その言葉を耳で聞いている私には、わかる。彼女は見た目こそ天使のようでも、聖女にはなれない。そうなるためには、彼女もまたあまりに俗物なんだ。いや、私が彼女に逃げるということを教えて、純白の心を穢してしまった。その時からもう、彼女は聖女である資格を失っている。
「そう、それなら私に文句はないけれど……」
「はい。お騒がせしました」
悠里の口にするひとつひとつの言葉。その全てが、感情のこもっていない、ただ偶然、意味のある言葉となって文章を構成している、口から出た声ではない、音の集合体に思える。
彼女は、こんな大人の対応を本心からできるほど大人じゃないんだ。だって、私がそうじゃないから。悠里が頭を下げてこの場を収めようとしたことに、納得ができないから。
……でも、私はそれ以上何も言うことはできなかった。ただ、悠里と一緒に下足室まで下りていく。
「ゆた先輩」
「悠里…………」
「ゆう、がんばりました、よっ…………」
「悠里っ……!」
わざと生徒会室から遠い階段を使おうと歩き出してよかった。誰も私たちを見ていない。
悠里は、それだけ言うと廊下に崩れ落ちて、涙を流した。
私は……彼女を抱きしめる。
「ゆうっ、ゆた先輩がっ、かばってくれたの、すごくうれしくってっ……でも、これ以上、ゆた先輩が悪く言われるのも、許せなくてっ……。だから、だからっ…………」
「悠里。大丈夫だから。その気持ちは伝わったよ」
「でもっ、うっ、あっ…………悔しかったですっ。ほんとは、頭なんて、下げたくなくて……でもっ、でもっ…………」
「悠里」
それから先はもう、言葉にはならなくて。私は彼女が落ち着くまでずっと、守るように抱き続けていた。
小さな彼女の体が、激しく震えている。……泣きすぎて、横隔膜が痙攣して、いつまでもそれが収まらなくて、もう涙を流している訳ではないのに、言葉を話すこともできなかった。
「…………っ、ゆた先輩、ありがとうございます。もう、大丈夫です」
「悠里」
「はい……?」
「あの、さ。こんなことがあった後に言うことないじゃないかもだけど……」
「はい」
「明日は土曜日でしょ。……二人で、遊びに行かない?まあ、私は悠里が楽しめそうなところってよくわからないけど、好きなところでいいからさ」
「それって、えっと…………」
「うん、私たち、友達同士なんだし」
「デート、ですか?」
「…………一回、殴っていい?」
「えっ?ふぁっ、いたっ、いたいです、ゆたせんぱっ……!」
一回と言わず、数発ぽかぽかと頭をやらせてもらった。なんだこのザ・朴念仁みたいなナリして、このおピンク思考は。
「友達同士だから、遊びに行く、それだけ。わかった?」
「はい……友達って、そうするものなんですね。ゆう、よくわからないですけど、行きます。行きたいです」
「時間は十時ぐらいでいいよね。どこに集合する?どこか行きたいところとか……」
「よくわからないです」
「…………とりあえず学校の正門前で」
「はい」
神よ。オタ部活をやめた今の私になら、きっといるでしょう、我が神よ。
このド天然系不思議ちゃん天使と上手くやっていくには、どうすればいいのでしょう、神よ。私には道がまるで見えません。
でも、まあ…………。
「ありがとね、悠里」
「えっ……?ゆうの方こそ、ありがとうございます」
ただの友達から、共通の敵を持って共闘した、戦友ぐらいにはレベルアップできたのかな、と思ったりするのであった。
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