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「ゆうは、『吹奏楽部の白銀笛姫』って呼ばれているみたいです」
「へぇ……一年で称号持ちなんだ」
私もそうであったという事実には触れない。
悠里は楽譜を音楽室まで運ぶ途中だったようで、私が手伝うことにした。というか、こんな何もないところでも物を落としてしまうような子には任せられないから、私がダンボールを持つことにした。
「昔から、フルートが大好きでした。ゆうは、フルートだけを吹いていればいいって、お母さんにもお父さんにも言われて。ゆうも、それが一番と思って。でも、続ければ続けるほどに、わかりました」
「……何が?」
「ゆうは、フルートに息を吹き込み、指を動かすだけの人になっていました」
「っ…………!」
彼女はきっと、天才というものなんだろうと思う。
私は努力と愛情だけで裁縫の腕を上げていったけど、音楽の分野では努力や愛情だけでは越えられない壁があるのだろう、ということは簡単に想像がつく。そして、天才ゆえにその道を進み続けて……ふとした時に、気づいてしまったんだ。
「ゆうは、他に何も知らない、空っぽな人でした。周りの大人たちは褒めてくれます。同級生は、ただただ言葉を失っていました。ゆうは天才なのだと。ゆうはきっと、フルートを吹くためだけに生まれてきたんだと、誰もがそう言いました」
悠里が、足を止めていた。
「ゆうは、フルートを演奏するだけの機械じゃありません」
その声は、別段、大きかったという訳じゃない。声を荒げていた訳ではなく、張っていた訳でもなく。でも、聞く者を立ち止まらせ、振り返らせるだけの迫力があった。
「ゆうは、女の子です。確かに、ゆうはフルート以外に取り柄はありません。何もできないんです。でも、努力はしました。何か他にできないかと、勉強をがんばったり、スポーツをしようと思ったり。でも、お母さんは勉強道具を取り上げて、フルートを握らせるんです。お父さんは、ゆうを家に閉じ込めて、フルートを吹かせるんです。どれだけおしゃれに着飾っても、ゆうのファンだと言ってくれる人は目を閉じて、ただフルートの音色だけを楽しむんです。ゆうがどんな色のドレスを着て、どんな髪型をしてフルートを吹いていたのか、誰も覚えていてくれはしませんでした」
悠里は、泣いていた。涙こそ流していなかったけど、泣いていたのに違いない。
「フルートを吹けることは、罪なんですか?女の子として当たり前の生活もできないほど、罪深いことなんでしょうか。ゆうだって、他のことにいっぱい挑戦したいのに。可愛い格好をして外を歩いて、男の人に声をかけられて怖い思いをしたり……そんなことも経験できないほど、演奏が上手くできるというのは、罪なんでしょうか」
彼女はきっと、自分の才能のために他の多くの少女たちの夢を壊してきたことを自覚しているんだと思う。
そして、今の自分はその贖罪をしているのだと、考えているんだろう。
――なぜ、彼女が私にこんなプライベートな話をしてくれたのか。出会ってまだ十分なのに。私の方からは全然話していないから、私の人となりなんてわかるはずもないのに、どうして、ここまで。
今はもう、わかる。私は最初、迂闊にも彼女の容姿を褒めてしまったんだ。そりゃそうだ。私は彼女がフルート奏者とは知らなかった。楽譜を運んでいる時点で、吹奏楽部という予想はできたけど、大千氏ちゃんのように、へっぽこな部員だろうか、なんて思っていた。だから、一番目につく、ひと目で分かる特徴である、その容姿の可愛らしさに惹かれてしまった。
でも、それが彼女にとっては特別なことだったんだ。
雛鳥が初めて見たものを、母親だと思って付き従うように。私は、彼女にとっての初めての相手になってしまったんだ。
「悠里」
「……ゆた先輩」
「罪じゃないよ。でも、きっと責任はある。悠里はその才能を活かさないと、今まで関わってきた人に申し訳が立たないから」
「…………はい」
「でもね」
それは、自分自身とも重ね合わせた言葉だった。今まで優等生であろうとし続けてきた私の、初めての“素行不良”だったと思う。
「疲れたら、逃げ出してもいいんじゃないかな。大丈夫、後からちゃんと“ごめんなさい”をしたら、大抵許してもらえるよ」
天使のように無垢で儚い少女に対し、私は悪魔のささやきをしていた。
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