聖域の空を、厚い灰色の雲が覆い始めていた。人馬宮の入り口に姿を現したサガは、不安げな様子でその空を見上げると、柱にもたれかかってため息をついた。しばらくして、今度は下方へ続く階段に視線を向けた。軽く頭痛がする。天候の変化で体調が悪くなるなんて、とても聖闘士と思えない。眉間に指をあて、痛みが和らぐように軽く押さえる。その時、階段を上がってくる微かな足音が聞こえた。すぐに顔を上げると、待ち望んだ人物が現れた。大きく手を振りながら駆け上がってくる。サガにはその男が金色に輝いて見えた。アイオロスは満面の笑みを浮かべ、宮につくなりサガを抱きしめた。
「お帰り、アイオロス……」
「サガ…会いたかった…ここら辺の天気が悪いのが遠くから見えて、ずっと心配だった。思ったより早く帰れてよかったよ……」
お互いの頬に置かれた手のひらに安堵する。雨の日は、アイオロスは特にサガに優しい。
「さあ、中へ入ろう。」
アイオロスはサガの肩を抱くようにして、人馬宮へ入っていった。
部屋に入ると、珍しくサガからアイオロスの首筋に腕を巻きつけた。アイオロスは笑顔でそれに応える。素直に甘える彼を抱きとめ、深く唇を合わせる。ソファにそのまま寝転がり、アイオロスはすぐにサガを愛した。昨日の早朝に家を出ただけで、随分離れていたように感じる。焦ってサガを傷つけないよう、アイオロスはいつも以上に優しく彼を慈しんだ。二人にとっては呼吸のように自然なものだった。お互いのぬくもりに最高の幸せを感じる。物心ついてすぐに出会った相手が「運命の人」だなんて、そうある事ではない。二人とも有り余る力を備えた黄金聖闘士なので、このまま永遠に続けられそうだったが、サガの言葉で夢のような時間は中断を余儀なくされた。
「……自分から誘って申し訳ないのだが、食事の用意がしてあるんだ。」
「え、そうなのか。残念……でも、お前の料理も食べたいし、とりあえず続きは後にしようか。」
名残惜しげに身を離すと、二人で軽く沐浴をした。外は小雨が降り始め、気温が下がったせいで部屋の中も少し寒さを感じる。サガが温めた料理をテーブルに並べている間、アイオロスは頭にタオルをかぶったままソファを整え、それから、窓の外側についている重い扉を次々と手際よく閉めていった。雨戸の代わりになるものだが、純金製で、メダイヨンの中に人馬が彫刻されている。アイオロスが席に着くと、二人は話しながらゆっくりと食事を始めた。
「昨夜は早く休んだのか?」
「書類の仕事があったから、夜中までやってたんだ。珍しく誰も訪ねて来なかったから、集中できて良かったよ。」
「でも寂しかったろ? 外泊を伴う任務はなるべくやめてほしいんだがな……明日はお互い休みで嬉しいな。」
心の内を知られたサガは少し恥ずかしそうにしたが、アイオロスはウキウキした様子で、料理を口に運んだ。食事の後、二人はリビングで静かに過ごしていた。風の音がするたびに、サガが外を気にして少しソワソワしている。これほどの悪天候は、聖域にしては珍しい。彼の不安な様子を察して、アイオロスはわざと伸びをしてみせた。
「そろそろ休もうか。私も少し横になりたい。」
アイオロスは特に疲れていなかったが、早くサガを抱きしめて落ち着かせたかったので、彼の手をとって寝支度を促した。
雨音が激しくなり、天窓に強く打ちつけている。この高い位置だけはガラス張りになっていて、時折、雷光が差し込んだ。その度にベッドの中でサガは怯え、小さな悲鳴を上げた。闇に慣れたアイオロスの目が、落ち着きをなくしたサガの姿をとらえる。
「大丈夫だ、怖くないよ…」
サガにとって、嵐は過去の日々を思い出させる恐怖の音だった。フラッシュバックする記憶に強い罪の意識を感じ、彼はアイオロスの前で信じられないほど怯えた。その罪はとっくに許され、自分や本人を含め、命を落とした者たちは皆復活を遂げている。しかしそれでも、サガにはそう簡単に割り切れるものではないのだろう。アイオロスにとっても、最愛の恋人が未だ苦しむ姿は、見ていて身を切られるような痛みを感じる。サガを安心させたい。彼の気を紛らわせなければ……
「サガ、おいで。ほら、ここ。」
アイオロスはサガを優しく抱き寄せ、その両腕を引くと、自分の上に乗るようにポンポンと軽く腹を叩いた。突然の事にさすがのサガも動揺して、恥ずかしそうな仕草を見せた。
「な…なんでそんな事をしなきゃならないんだ?」
「前からやってみたかったんだ。いつも私がすぐ乗っかっちゃうからな。」
「やめろ、その言い方…!」
「いいじゃないか、たまには。恋人を見下ろすのもいいものだぞ。」
半ば強引に腕を引き、サガはアイオロスを跨いで彼の上に乗っかった。
「おおっ…いいぞ!すごくいい眺めだ。わかってはいたが、お前は本当に美人だな!」
膝裏まであるサガの長い髪がシーツの上につたう。まるで、ニンフが湖から上がってきたような美しい髪の流れ。いやいや、これはもう妖精どころではない。女神そのものだ。恋人の新たな魅力に、アイオロスは満足げに笑った。サガは相変わらずソワソワしていたが、それは天気のせいではなく、この格好のせいだ。それでいい、とアイオロスは内心このまま自分のペースに流れてくれる事を祈った。
「重くないか?」
「重いわけない。お前、私の腹筋を見てみろ。乗っかってるからわかるだろ。」
そう言われて、サガは思わずアイオロスの腹に触れた。固く引き締まった褐色の見事な腹筋に、自分がぺったりと跨いで座っている。いつもアイオロスはズボンだけを履き、サガは丈の長い上衣だけを着て寝ている。二人で寝巻き一着分のような習慣が当たり前になっていたが、今はこの格好がとても扇情的に感じて、サガは恥ずかしさに真っ赤になった。
「あ、お前。今、赤面しているだろ。」
「く、暗くてよく見えないくせに…っ」
「わかるよ。だってお前の身体、ポッと熱くなったから。」
半袖の上衣からすらりと伸びる白い腕。青い闇の中で幻のように見える。その瑞々しい肌に指先でそっとなぞるように触れると、サガが小さくため息を漏らした。
「綺麗だな…サガ……お前に触れてると物凄く元気が湧いてくる……」
「あ、アイオロス……もう…」
「愛している……サガ……お前は?……」
「あ……あ、愛している……アイオロス……」
ゆっくりゆっくり、指をすべらせる。時にくすぐったく感じるのか、サガが小さく震えるのがわかる。先ほどの続きをするにはいい頃合いかもしれない。サガの身体の中に小さく燻る熱を、もう一度呼び起こしたい。
サガを愛したい。
さっきよりも、もっと優しく。
もっと長く……
突然響いた大きな雷鳴に、サガは悲鳴を上げて両腕で顔を覆った。すかさずアイオロスはサガの両腕を掴んで声を上げた。
「私を見ろ、サガ!」
「……………………ッ」
「……私を見ろ。過去ではなく、目の前にいる私を。」
涙に光る瞳が、アイオロスを見つめ返す。彼の強い言葉に、サガは一瞬恐怖を忘れた。自分をこの世につなぎとめる、唯一の存在。硬直したサガの身体から、ゆっくりと力が抜けていく。アイオロスはサガの両腕を撫でるようにしてそのまま両手をとり、そっと口づけた。
「サガ……心からお前が愛しい。もう絶対に私から離れるな……お前の不安が消える日まで、何度でも言うよ。お前の心が平穏を取り戻したら、お祝いにもっともっとお前を抱きしめて、愛したい。」
アイオロスの胸に両手を置き、サガはうつむいた。その様子に、アイオロスは微笑む。
「ほらまた泣く…お前可愛すぎるぞ。」
「アイオロスが優しすぎるからだ。」
「ハハッ…ごめんごめん、お前を慰めたい。さあ、おいでサガ。」
嬉しさに涙をこぼすサガを抱き寄せ、完全に自分の上に覆いかぶらせた。身を丸く屈めて首筋にすがるサガをなだめるように、柔らかな髪に手のひらを滑らせる。サガの呼吸が落ち着いてくるのを見計らうと、彼を抱きしめたまま身体を反転させ、ベッドに寝かせた。髪をかきあげて、白い額に口づける。雷鳴はまだ止まない。部屋が光る度に、サガは身体を少し硬直させたが、先ほどのような怯えはない。それでもアイオロスの胸にしがみつく様子に、サガにはちょっと気の毒だが、こんな天気も悪くないと思ってしまう。自分しか知らない、高潔な黄金聖闘士の真の姿。無防備に頼ってくるサガを心から愛しく思う。
「嵐はもうすぐ遠くへいくよ。ほら、さっきほど雷の音がしないだろう?」
静かに語りかけながら、サガの髪をなで、頬や瞼、額に何度も口づける。
「明日晴れたら、何をしようか……夜はまだ長い。一緒に決めような。」
サガの煌めく瞳がアイオロスを見つめ、彼は笑顔でゆっくりと頷いた。
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台風が怖すぎて、最短で作りました。ロスサガを愛でたくて…やっぱり一番のCPです。