No.917740 おじいさんとおばあさんのこと・・・。についてH@さん 2017-08-08 22:08:47 投稿 / 全2ページ 総閲覧数:254 閲覧ユーザー数:254 |
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第二次世界大戦( 太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分は、広島市への原子爆弾投下の日時です。
大正2年は西暦だと1913年だから広島市への原子爆弾投下の時は、私の母方のおじいさんとおばあさんが、32歳の時だと思います。二人は同い年だったから、ちょうど落ち着いた頃だったみたいですね。
でもその広島に原子爆弾投下後もずっと住んでいたわけですからすごい根性だし、良い度胸していたと思います。
気が小さかったらその時点で引越しを考えそうなんだけど、何処へ引っ越しても同じだろうと思ったらそういう行動を取るかもですね。―それは、何処へ移動しても同じだと思ったから死ぬかもしれなくても同じ土地にいるって意味です―
でも思うけどおじいさんはその頃既にお店を経営していたしその頃からだったかどうか分からないけど最終的に早朝、近所や近郊エリアでニコニコ(niconico)牛乳の配達も行うようになっていたから、最初から最後まで何があってもその土地に骨を埋める気だったとしかいいようが無いと思います。
そして、おばあさんは結婚してからも宝塚のファンだったのでよく―おそらく兵庫県の―宝塚に友達と一緒に足を運んでいたそうです。
だから結構趣味は派手好きな感じでレズっぽいところがあったようですね。友達との関係も女性だったらちょっと怪しいですよね。ちなみにおばあさんの顔は輪郭はちょっと違うけど岡田有希子さんに似ていたし、下の名前も結構似ていました。―“よしこ”という名前でした―おじいさんは“おといち”でした。眉毛は濃くてふせめがちだけど開くとパッチリとした目で、睫は割りと濃い感じでした。
私の今まで勉強して来た勘と予測では、おばあさんの友達でよくいっしょに宝塚に足を運んでいた友達のイニシャルがniconicoに酷似、あるいはそのものだったのでは無いかと思うんです。
だから、家庭を持っているのにしげしげと家庭をほったらかして、宝塚遊びに友達と耽っていたことをおじいさんが嫉妬していて、それで最後その友達を売り飛ばしてやろうと思ってniconico牛乳配達に毎朝せいを出すようになったんじゃないかと思うんです。
これはすぐに分かったことではありません。日々色んな勉強をしてやっと分かったことです。
さらに、おじいさんがniconico牛乳配達に日々明け暮れた挙句の果てに早死にしてしまったのは、何か強烈な呪いを感じてしまいます。
つまり、niconicoを嫉妬して呪っていたけどその呪っている相手の方が断然呪いの力が勝っていて、だからこそ、おじいさんは呪った分しっかりと呪い返しを受けてしまって絶命してしまったんじゃないかと思うのです。
その他にもただ単に宝塚遊びだけじゃなくて男性達とも友人と一緒に戯れたりしていたんだろうから、―あくまで想像の粋を超えていませんが―大企業の人間関係に押されてしまったんでしょうね―おじいさんは自営業の小金持ちだったんで、そういう遊びの場で色んな男性の目におばあさんが晒されてしまってちょっと嫌がらせはされたかもですね―とか色々想像妄想はしてしまいます。
そして、おじいさんの死は腸に穴があいた訳ですが原因は過労だったようです。
お店を経営しながら毎朝早くから牛乳配達ではちょっとハードだったんでしょうね。
今思い出してもマジ懐かしくてちょっと悲しい思い出ですね。
そして、現在孫子までこの成り行きの不幸を背負わせようと、つまり同じ運命を辿らせようと誰かが企んで呪っているような気がしてとても怖いと思っています。
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