セミ池は夏になると蝉が多数鳴いてる池で住宅街の真ん中にある。昔、大名の娘が人柱として池に身を投げたことがあって、たびたび氾濫していた池は以降大人しくなったらしい伝説があるのだけれども、今は往事と比べたらどんどん開発で削られてしまって30坪ぐらいあるかないかの池になってしまって、水源は近くの一級河川からの細い水路なのでいつ干上がってしまったっておかしくない、そういう池。なのにセミ池という名前なのはいかにも由緒がないが、どうもこれは俗称で本当はもっと相応しい名前があるのだという話を郷土資料館で聞いたことがある。
セミ池はたびたび氾濫していた過去があるからだろう今ではすっかり護岸工事がされてしまって草がたくさん生えているように見えるのはコンクリのひび割れとか隙間から生えてきた雑草がぼうぼうに伸びているからで緑豊かな訳ではない。草を全部刈ってしまったらきっと殺風景なくすんだ灰色の一面のコンクリしか見えないだろう。水だって別にきれいではなく元の一級河川がきれいではないのだからここの水だってそれに準じたペーハーであろう(晴れた日には虹色のあぶくが見える)。
僕がよくここに立ち寄るのは他に立ち寄るスペースがないからで公園は子供が居るし喫茶店は人がいるし、僕のような目的のない人間が時間を潰すためだけに立ち寄ることのできてしかも「ああこの人は時間を潰しているんだな」ということが手に取るように分かって不審がられないような場所、というものが、本当に街に少ないものだからここに来てしまう。
段々になってる護岸に腰を下ろして疲れたなあなどとつぶやき本当は今日は何もやっていないのだから疲れるはずはないのだけれどもそれはもう口癖になってしまって自然に出てしまう。もうすぐ夏だからそろそろ蚊が沸いてここにも落着いていられなくなるだろうからそうしたら寒くなるまでは立ち寄ることもできないので今日のうちにここの風情を味わっておくのだ。スーパーで買ったミックスナッツの小分けになってる封を開けて一粒ずつポリポリと食べているとそんなものでも贅沢な感じがして美味しい。ビールが欲しいけど健康診断の結果が毎年漸進的に悪くなってきているので我慢しなくちゃならないのは悲しみだ。野良猫が遠くから僕を見て、誰か餌をやってるんだろう、僕を見ても誰何するような感じの目つきでなく餌をくれやしないだろうかという目つきをしているけれどもやらないのだ。
さて、先の伝説には続きがあって、池の主は大名の娘の人柱のお蔭で爾来氾濫は起こさなくなったらしいのだけれども、今でも大晦日の夜には池の縁に耳を当てると池の主のうなり声が聞こえてくるという謂われがあって、僕はいつか試してみたいと思っている。そりゃあ遠くの除夜の鐘の音が地面伝いに聞こえてきているだけだよ、と浪漫のない友人は言うけれども、果たして、どうか? そいつを確かめるのが今から楽しみだ。
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オリジナル小説です