No.90891

不思議的乙女少女と現実的乙女少女の日常 『雨の日のコンチェルト10 (終)』

バグさん

とうとうコンチェルトも終りです。ていうか時間がかかり過ぎましたね。80枚で纏めるつもりだったのに、160枚かかってましたし。
ともあれ、次回からは新章です。

2009-08-21 21:25:42 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:419   閲覧ユーザー数:406

血飛沫は地を這った。宙を舞わずに地を這った。つまりは、それほどの勢いで吐き出したという事だった。

華実は意識朦朧とし、それでも、意識を繋ぎとめている最後の1本線だけは手放さずに居れた。

それは何故だろうか。

きっと、自分のために走ってくれる友人が居るからに違いない。彼女が自分のために全力を尽くしている限り、自分だけがのうのうと意識を失っているわけにはいかない。彼女が帰ってくるまで意識を繋ぎとめて、彼女が帰ってきたら『遅い』と皮肉の一つでも言う。

そして、その後は…………。

そうする事が、彼女の全力に答えるために、自分が出来る事だと信じている。自分の皮肉に、彼女はきっと笑うだろう。そして、一緒に笑えたら上出来だ。恐ろしく苦しい現状。それを耐える以上に、価値がある事だと信じることが出来た。

なんて美しいのだろう。

自分の人生を飾る思い出の1つとして、申し分無い1ページ。

死に瀕して生を得る。死をこれまでに無いほど近くに感じて、皮肉な事に、これまで実感する事の無かった生を得ようとしていた。

だから、これで良いのだ。

美しいと感じては居る。しかし、これは美談では無い。ヤカは怒るだろう。自分が死んだら、きっと怒るだろう。泣いてくれたら嬉しい。悲しんでくれたら嬉しい。そして、凄く寂しい。

そうだ、と華実は思った。

人生において、もう取り返しの付かない終着点がすぐそこに視得る。

ベッドで絶対安静を求められる状況すら、とうに過ぎた。何処を向いても、何処を自由に歩けようが暗闇しか求められない世界が迫ってくる。

医者は怒るだろう。

実の所、今回の課外実習は参加しない予定だった。それを頑なに拒んだのは彼女自身であり、付き添い役の看護士の参加を拒んだのも彼女だった。馬鹿だと言われた。彼女自身、そう思った。そして、最終的に、医者は折れた。強制的にベッドへ縛り付ける事も、看護士を付ける事も出来ただろうに、それをしなかった。きっと、彼の優しさだったのだろう。これまでも、そしてこれからも自由意志を持つ事の出来ないであろう彼女に対する、せめてもの気遣いだったのだろう。

それが、彼女の、人生の死期を早める事になっても。

しかし、なんて間抜けな事だろうか。華実は自嘲した。

どうして薬を手放してしまったのか。そこまで不注意になれたのは、どうしてなのだろうか。文字通り、生命線である程の薬だ。薬が切れ始めれば体調に異変が起こり、最悪の場合、現状の状態になると分かっていたはずなのに。

崖から落ちたとき、ヤカに答えた言葉が思い出される。あの時、華実は『どうしてかしら』と答えた。本当に何故だか判らなかった。

もっと、注意深くなるべきだった。ポケットに薬を入れておくとか、そういう対策を講じておくべきだった。

医者はきっと怒るだろう。彼は信じていたからだ。『定期的に薬を服用する』という、恐ろしく単純で当然の行為を、華実が怠らないと信じていたからだ。誰だってそう思うに違いない。

彼の怒る顔と説教を聴かなくて済むのが唯一の救いだ。そして、ベッドの上で無為に残り少ない人生を過ごす事が無くなりそうなのは、最大の救いだった。

「………………」

力なく腹の所に置かれた左腕に、血がべっとりと付着しているのを見て、さらに考える。

どうして薬を蔑ろにしたのかを考える。

思うに、どうでも良かったのでは無いか。

薬は命と同義だった。もちろん、そのものでは無い。正確には命を寸前で繋ぎとめるためのものだ。銃の威力を減殺するために、防弾チョッキを着用する。あるいは防弾ガラスにしておく。その様な予防線だった。これを怠れば、必殺の威力を持った一撃を受けても構わないという了承の意思を持つに等しい。

どうして、そんな大切なものを肌身離さず持っておかなかったのか。

それは、

最終的に、最早死んでも構わないと思って居た

からに違いない。

華実は嘆息した。

死にたがりなわけでは無い。どうしようも無い事だと思っているからだ。生きていようが死んでいようが、どちらでも同じだと、思って居るからだろう。

「もう…………このまま死んでも、いい、か…………な?」

最後に、本当の親友を手に入れる事が出来た。この数時間で、これまで偽ってきたくだらない人生の全てを凌駕する幸福を手に入れる事が出来た。

…………本当にそうか?

呟きながら、空を見上げると、空は鉛色をしていた。朦朧とした意識が見せる錯覚では無い。雨は次第に強くなってきているようだ。

時期的には夏も近いというのに、なんて冷たい雨だろうか。木で上面を覆われた華実であったが、こぼれた雫が少しずつ華実の身体を湿らせた。

空を見ている間に、あの日の事が、突如として鮮明に蘇ってきた。

全く似ていない空なのに、鮮明に蘇ってきた。

「生きながら死ぬ事と、死にながら生きる事、どちらが良い?」

 病院の中庭にいくつも設置されているベンチ。その1つでぼ~っとしていると、突然現れたその男は、現れた時同様、唐突にそんな事を言ってきた。

短髪で、青い瞳で、妙な服を着ていて…………なんというか、ローブの様な…………明らかに日本人では無いのに、日本語が流暢だった。

男は華実の座る、ベンチのすぐ側に生えている1本の木に手を置いていた。

周りには華実以外の誰も居なかったので、自分に問いかけてきているのだという事実を認識せざるを得なかった。無視するにはあまりに距離が近すぎたし、変な存在感もあった。

「えーと、良く判りませんけど、一般的にはどちらも同じなんじゃないでしょうか」

 こういう時には、長年被せてきた仮面の効果が期待される。果たして、どんなものでも騙しとおせるだけの笑顔だったと思う。今後、どんな時にでもそんな作り物の表情を見せる事は無いだろうと決心しては居たが、その男はあまりにも得体が知れなさすぎた。あまり関わりあいになりたく無い男だ。愛想笑いで無難に返答して、適当に帰ってもらおう。そう思った。

だが、

「一般的な答えでは無い。君の答えが知りたいのだ」

「はぁ…………?」

 食い下がる男に、華実の笑顔は消え、眉は顰められた。

いっその事、自分の病状を全て話して、そんなふざけた問いをしてしまった事を、男に後悔させてやろうと考えたが、そんな事をしても意味が無いと思い直す。

こんな男に付き合っている時間は無い。残された時間は少ないのだから。

 だが、華実はすぐに、男の言葉を聞かざるを得ないほど、背筋を凍らされてしまった。

男は、華実の現状について、正しく把握していた。誰かが話したのだろうか。医者や看護士が漏らしたとは思えない。だとすれば、病院へ侵入して、勝手にカルテを覗き見たのか。

「復活を信じた事はあるか?」

 華実の驚愕を無視して、男はさらに問いかけてきた。静かな声だ。そこに居るのかどうかすら怪しい、しかし妙な存在感を放って、今にも消え入りそうな声で語りかける。まるで幽霊だ。

「聖霊による奇跡は信じるべきだ。私にはそれが出来る」

まるで新興宗教の教祖のように、胡散臭い言葉だ。上から目線で自信たっぷりに語られれば、それなりの真実味を感じてしまうのが人間だ。

だが、質が違う様に感じた。

男のそれは、人を誘惑するためのそれでは無く、事実を淡々と語っているようなだけに見えた。

華実は動けなかった。男の雰囲気に呑まれてしまっていた。

妙な空気だった。柔らかで暖かく、気持ちの良い風が吹いているのに、男と華実の間には、それが存在しないように感じた。

「死者は復活するよ。君はそれを望むか?」

 華実は、更に衝撃を受けた。

男はこう言っているのだ。

死んでみせろ。自分が生き返らせてやろう。

そんな恐ろしい事を言っているのだ。華実の現状を把握した上で、生きながら死んだような人生を送るのが嫌ならば、そうしてやっても良い。そう言っているのだ。

華実は頭では無く、本質で知ってしまった。信じざるを得ない、とかでは無い。知らざるを得なかった。

この男はやってしまうだろう。死者を生き返らせるという、おぞましい事を本当にやってのけてしまうだろう。

気持ちが悪かった。

男の言う事は本当だ。そんな、異常な力を持っているのだろう。事実、男が手を置いていた木が、少し妙だった。

枯れかけていたコブシの花が、元気を取り戻していた。

それが途方も無く恐ろしかった。

なんだ、この男は。死を超越した概念を持った男は。

素晴らしい能力だ。生命を与える能力だ。

だが、何故だろう。天上のイメージとは程遠く、空に広がる晴天とは間逆で、男からは禍々しい空気が流れている様な気がした。

それが気持ち悪かった。

華実は、ベッドから一歩も動く事が出来ず、死んだように生きていた方が良いのでは無いかと、そんな風にすら思えた。

 

 

男の持つ雰囲気と同じ空を見上げながら、朦朧とする意識を何とか繋ぎつつ、華実の心に、ふと、そんな疑問が湧き上がった。

親友を手に入れた。だからこのまま死んでもいい。ここで区切りとしていいだろう。きっと、薬を忘れたのも、心の何処かでそう思って居たからだ。

だが、本当にそうか?

ベッドの上で、生きながら死んだ人生を送った方が、妙な男から『復活』させてもらうより、マシなのでは無いか。

あの時、そう思ったのではなかったか。

華実は、眼を開いた。

気が付いてしまった。

何処かで、自分は死なないと高を括っていた自分に、気が付いてしまった。

死んでしまえば、あの妙な男が現れて、自分を復活させるのでは無いかと、そう思っていたのでは無いか?

結局、自分は死にたくないのだと気が付いてしまった。

親友を得たのだ。

本当の親友を得たのだ。

ここで死ぬなんて、おかしいじゃ無いか。これから、本当の人生が始まるんじゃないのか。本当の自分に心を開いてくれた親友と一緒に、本当の人生が始まるのではないのか。

朦朧とする意識はさらに輪をかけて酷くなり、世界が酷くあやふやだった。しかし、眼を見開いて、そこから溢れ出る涙。

頬を伝って血と混じり、雨と同じ様に落下する。

そして…………。

何処まで言っても、左端に移る景色は森だった。山を構成する一部分の露出。コンクリートで地面を底上げされて、それによって道路との区別が付けられている。

実際は数分しか走っていないが、もう数十分走っている様な錯覚を覚えるのは、やはり焦っているからだろう。そして、雨。勢いは時間が経つごとに酷くなっている様な気がする。すでに、ヤカの服はびしょ濡れだ。

右手にもやはり山だったが、朽ちた民家が時折り眼に入ってくる。遠目から視ても、ヤカの視力ならばそれが廃家だと判るが、なんともガッカリしてしまう。

「………………!」

と、ヤカはさらに速度を上げた。

見つけた。

ヤカにとって、救いの象徴がそこに居た。

あった、では無い。居た、だ。

「リコ!」

 叫んで、飛びついていた。飛びついた時に、リコの手から傘が落ちて、ずぶ濡れのヤカが飛び込んできて、リコもまた一瞬にして塗れてしまった。

「酷い格好ね、あんた」

だが、その事に不満をいう事も無く、呆れたように言ってきた。そして、ヤカの背中を優しく撫でて、安心を促してきた。

「大丈夫?」

「リコ、なんでここに!?」

「アンタ達、崖から落ちたんでしょ? 1人でスケッチも飽きたから、探してみたのよ。そしたら、ヤカと久慈さんの荷物を見つけたのよ。でも、アンタ達は居ないし、崖の端が崩れてるしで、多分落ちたんだろうなと思ったわ。全く、遭難するなって言ったでしょうが」

なんであの場所を見つけられたのか、という問いに、リコは事も無げに答えた。そもそも、かなり小さい頃から、あの秘境の様な場所は知っていたらしい。ヤカに言わなかったのは、言えば崖から落ちそうな気がする、との事だった。言葉も無かった。

落ちた場所から脱出地点となりそうな場所を割り出して、ここまで歩いてきたのだという。

「先生に言ったら、警察と救急車を呼んでくれたわ。怪我してても安心ね」

色々面倒な事があっただろうに、リコはそれを言わなかった。

「そうだよぅ! 華実が発作で死にそうなんだよ、早く病院に運ばなきゃ! リコ、救急車と華実のバックをお願いしますっ」

「……………………救急車と警察はすぐ近くに待機してるから、ちょっと待ってて」

 リコが傘もささずに走り出したのを視て、ヤカもまた走り出した。リコとは逆の方向。これまで走ってきた道を逆走。

華実のところに戻るのだ。

鉛色の空の下。

世界にある音は、残らず雨音に遮られ、雨音は一定のリズムで耳を打つ。

空気は何処までも冷たかった。雨のせいだろうか。それとも…………。

息を切らしてヤカが戻ると、そこには先程と同じ格好で、華実が木に体重を預けていた

降り始めて十数分しか経っていないにも関わらず、雨はアスファルトに水溜りを作り、水滴が作り出す波紋はその激しさを物語っていた。

ヤカの長い髪は、元からストレートだったのが、濡れて1本すらも重力に逆らっている毛が無いほどに下に向いている。湿気を含んでいるため、妙に艶やかになり、先端からはリズムを作り出すかのように、水滴が垂れている。前髪からも同様に水滴が落ちて、頬を伝い、これ以上濡れるところが無いという程に濡れたジャージの表面を伝って、地面に落ちていく。

華実の方も同じ様なものだった。木で遮られているとはいえ、全ての雨から護られるわけでは無い。全体的に濡れているし、木から露出している部分は酷く濡れてしまっている。血で変色した部分は雨で濡れてしまった部分と区別され、どす黒い色に変わってしまっており、生々しかった。

「…………………………う」

ヤカは、動けなかった。

そんな馬鹿な、と思う。だが、拭うことの出来ない恐怖だ。

もしかして、死んでしまっているのでは無いか。

だって、動かない。気絶しているにしたって、もう少し動きがあってもいいものでは無いだろうか。

「はぁ…………っあ…………」

 我知らず、呼吸が乱れてくる。

呼吸は? 胸は動いているか?

判らない。なにも判らない。判りたくない。

ただ、1つだけ判ってしまった事がある。

華実は美しかった。血を吐いて、顔色は白く、力なく横たわり、冷たい雨に身体を濡らした彼女は、とても美しかった。

 その場所だけ、世界が変わってしまったかのように錯覚するほど、空気そのものが違った。

「…………ぐっ…………」

 ゆっくりと、華実の頬に触れる。

ヤカは不思議なものが好きだ。世界中の、ありとあらゆる超常現象に興味を持っていた。超大陸、UFO、オカルト、あるいは神話や童話ですら好きだった。

だが、見つけた気がする。ここに、最高の不思議が存在していた。人間はこんなにも美しく在れるものなのか。

現実が不思議を肯定した時、何が起こるのか。考えた事も無かった。しかし、理解した。現実が不思議を肯定した時、不思議は性質を変えて現実へと転化される。つまり、そこに視得るものが真実となる。

 だから、この結果もまた、真実だ。

華実は生きていた。

そして、ゆっくりと眼を開いて、言った。

「…………遅い」

 何故だろうか、ヤカは泣いてしまった。

嬉しいはずなのに、泣いてしまった。

その後、華実は無事、病院へ搬送された。そして、適切な処置を施された。意識不明の重態、などという事は無く、面会謝絶という事も無く、あの時の発作が嘘の様に元気だった。とはいえ、絶対安静だとかなんだとかで、しばらく学校を休まなくてはならないのだと言っていた。

そして、一ヶ月も過ぎた頃だろうか。彼女は突然、姿を消した。

高度な治療を受けるために、海外へ渡ったのだと、教師は言っていた。

ヤカは、良く思い出す。

病院へ搬送するまでの間、華実に付き添って、その間に交わした約束を。

紅茶を飲もうと、華実は言った。緩やかな空気の中で、ティータイムを一緒に楽しもうと、彼女は言った。

 

「あ…………うぅん?」

 眼を覚まして、ヤカはここが何処だか思い出せなかった。妙にふかふかのベッド。自分のものでは無いベッドだ。枕も自分のものでは無い。両方とも、こんなによさそうな素材を使ってはいない。

ベッドはそもそも、一般人が持てそうに無いほど高級な様相を呈していて、所謂お姫様ベッドだった。天蓋付きのベッドで、部屋の天上は見えなくて。部屋は恐ろしく広くて、調度品も凄く高級そうで、壁には無駄に大きなデジタルテレビが埋め込まれていて、カーペットは高級ホテルに敷かれてそうなほどに素晴らしいデザインと気持ちの良さそうな素材で編みこまれていた。

更には大きなテラスなどもあって、こんな部屋に住んでいる人生勝ち組の人間はどんな奴だこの野朗と思いながら、テラスに立つ人生勝ち組の人間を視て、ここが何処だか思い出した。

「あぁー。そうだそうだぁ。ここはエリーの家だったよぅ」

寝ぼける頭をプンプンと振って、ベッドから降りる。

リコとエリーと、この大きすぎるベッドで一緒に寝ていた。エリーはテラスに居て、リコの姿は視得なかった。なるほど、自分が一番最後まで寝ていてしまったらしい。

テラスからとても爽やかな空気が流れてきて、その空気は朝のものだと気が付いて、そんなに大幅な寝坊をしてしまったわけでは無いらしいと知った。実際、時計は7時を30分ほど過ぎた所だ。だが、すでに着替えと洗面を終えていたらしいエリーは、そのウェーブがかった綺麗な髪の先端を手で払って、

「まったく、何時まで寝ているんですの?」

 朝から文句を飛ばしてきた。

「あぁー、なんか凄く長い夢を視てた様な気がするよぅ?」

「眠りが浅いのではなくて?」

 眼を細めて言ってくるその姿は、まさにお嬢様そのものだった。命令口調がとてもよく似合うその姿は、今日の朝も健在だ。きっと、世界が滅亡してお金の価値が無意味になったとしても、このスタイルは崩れないに違いない。遺伝子レベルでお嬢様に違いない。お嬢様、なんでも言って下さいましー。

「なにか、とても失礼な事を考えてませんこと?」

「べつにぃ?」

 何故判った。…………とは言わなかった。朝から喧嘩する事もあるまい。

「今、紅茶を淹れてるんですのよ。飲みますわよね?」

 確認しながら、カップを用意している。偉そうな態度とは裏腹に、実はとても優しいのだと、ヤカは知っている。

「ニルギリ? ミルクはあるのかぃ?」

「あら、ヤカさんは紅茶に詳しいんですの?」

ヤカさんは、という言い回しに少し疑問を覚えたので聞いてみると、昨日の夜、眠れないリコ紅茶を振舞ったのだという。リコは紅茶を飲まないだろう。

「まぁ、少し事情があってねぇ…………」

「どんな事情なんですの?」

 ミルクティーに口を付けながら、微笑む。

エリーは、深く追求してこなかった。判っているのだ。紅茶を飲むのに、下世話な言葉は要らない。もちろん、これは屈折した美学だが。

気持ちの良い朝だった。

こんな雰囲気の中で、何時か彼女と紅茶を飲む日がくるのだろうか。

 未来は何処までも続いている。

 ずっと、ずっと、果てまで言っても。その先が見えなくなっても。果ての先に続く道。その向こう側。そして、そのさらに奥。

 何処までも続く道。

 続く道の途中で、人は変わる。

孤独なあの少女は変わっただろうか。そう、変わったのだ。

未来は何処までも続いている…………あの頃、ヤカはそう信じていて…………今も、それは変わらない。

「…………どうしたんですの、ニヤニヤして」

 もうちょっと言い方があるだろうとは思ったものの実際の所、ヤカはニヤニヤしていた。傍目から視たら、さぞかし気持ちの悪い事だろう。

「ねぇ、エリー」

「なんですの?」

「長生きしようねぇ」

「………………?」

 突然、そんな事を言い出したヤカを、エリーは訝しげな眼で視たが…………やがて、少し笑った。

「…………そうですわね」

 あの日、交わした約束は未だ果たされていない。

だが、今はこれで良い。これで良いのだ。


 
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