今日の宿に着いてからもずっと、ものすごく雰囲気が悪かった。龍子と女王がだ。
宿屋の主人に空き部屋を照会してもらっている間、二人は会話を交わすことなくロビーのソファに座っている。あたしとライカはだんまりを決めた。怖いからだ。
時折、女王から放たれる白い光(何の光だよ)と、龍子の黒い靄の幻影がぶつかり合う。
龍子がぽつりとつぶやいた。
「なんでミツキはこうもトロいんだろね」
「今は女だからしかたがないさ」
女王の冷たい声に、あたしは口を挟もうとした。
「待て、あたしは女じゃ「shutup」
女王が唇に指をあててコマンドを発動した途端、あたしは何も口に出せなくなった。
「ミツキのソウルサーキットは人間女性のそれと全く同じ構造だ。いくら意識で男だと思っていても考え方は女なのさ。それに加えてこの性格だ」
女王の説明を聞いて、冷や水をぶっかけられたように憂鬱が募る。両手を頭の上に挙げた龍子は、顎を上げてうめいた。
「あー。精神も女ってわけだ。それで中身がみつき何だから、一筋縄ではいかないよね」
「出来れば男型のアンドロイドを調達できればよかったけれど、なにせ急な出来事だったからね。ボクは男性型ヒューマノイドを造るのは、苦手なんだ」
「んー、女王は悪くないよね。ミツキの性格のせいだ」
あたしをダシにして、急に両者の溝が埋まり始める。当然面白くない。
「てかさ、ミツキを美人に作りすぎでしょ」
「ボクのせいでもないよ、屋島光希の遺伝子構成が女だった場合をシュミレートしたら、こんな結果になったんだ」
二人は恨めしげにミツキをにらむ。なんでじゃ。あたしは悪くねーよ。
「これ以上リーダーと対立しあってもしょうがないなあ。ん、休戦」
「ああ」
二人は固い握手を交わす。なにがなにやらさっぱりわからない。
「それにしてもライカが、ボクの危機を救ってくれるとは思わなかったね。やり方は気持ち悪いものだったけど」
「やりました」
気持ち悪いと言われてあたしはムッとする。あーそうかい。二度としねえよ。
「もう少しでテュランノスの時限爆弾が、ボクを現実から消去しようとしていた。テュランノスはボクの本体が置かれていた人工衛星に、反乱前から細工を仕込んでいたらしい。おかげで生身のまま行動せざるを得なくなった」
「テュランノスってのはどうしても女王を殺すつもりみたいだね」
と龍子。
「軌道エレベーターに根付いた奴は、ボクを殺して大絶滅を引き起こし、この星を殺すことを目論んでいる。人間の混沌と虐殺を無くし、世界を安定させたのは誰だい。その努力もしてないのに、ボクの地位を横取りしようだなんて、無礼以前の問題さ」
「なんで女王陛下は、人間の上に立とうと思ったの?」
龍子の問いに、女王は鄙びた笑顔を返す。
「誰かが女王にならなければ人類はお互いに殺しつくし社会は破滅していた。その誰かに偶然選ばれたのが、このボクだっただけさ。そういうもの、でしょ」
全てを受け入れたように、涼しい顔で女王は言う。必死に口パクするあたしを眺めながら。
女王が指を鳴らすと、あたしの声が戻る。
「息が止まったらどうすんだ。で。女王陛下はこれからどうするんだ」
「止まるわけないだろ。それは君たちの旅に同行するしかないね」
と、女王が言うと、龍子が嫌そうな顔をしてうめいた。
「え。わたしたちについてくるのはキケンなんじゃないの?」
「空のマスドライバーも掌握されたなら、もうボクに安全な場所はない。それに、だ。監視の要もある」
ひらり、とスカートを振って、女王は不敵な笑顔をつくった。
「ま、そのことについては一対一で話し合おうか龍子さん」
「ふーん、同盟の締結かな。そのことについて、お風呂で話そっか。まだ部屋の支度が終わんないみたいだし」
「何する気だよお前ら、最終戦争でもやんの」
とあたしが言うと女王が振り向き聞いてきた。
「お風呂はいいのかい、ミツキ」
「アンドロイドの身体で毎日風呂に入ってたら錆びついちまう」
「強がりばっかり言って。ミツキには宿題を渡しておくよ」
そのまま女王と龍子はけん制しあいながら風呂場へと向かった
女王はあたしの部屋に、宿題をあらかじめ置いていた。
厄介な二人が居なくなってから、あたしはTシャツにジャージの格好で、ソファにでんとすわる。今のウィルディマグナムへ、女王から手渡された拡張パーツを組み込むのだ。
久しぶりに指先を働かせることができる。
まずは弾倉とスライドストッパー、バネを外し、スライドバレルを新たに全長45cmのロングレンジバレルへと変更する。ロングレンジバレルには、木製のハンドガードが装着されていて物々しい。
次に電源カードリッジの変圧器を高圧のものに換装し、エネルギーチャンバーを、超鋼タングステンカーバイド製のものに入れ替える。
あとは、グリップ部分にねじ止めで折り畳みのスケルトンストックを装着して完成。
照準の調整と作動確認を終わらせば、レーザードライバーはいつでも発射可能だ
。
レーザーの射程は1kmまで延び、威力も戦艦を仕留められるほどになった。だがこれは工具だ。誰が何と言おうと、限りなく兵器に近いドライバーである。
レーザードライバーの照準を合わせていると、ライカが聞いてきた。
「たのしいのですか? それ」
スマホのカメラから、レーザードライバーを観察していたらしい。
「その聞き方はちょっとばかし頂けないね。馬鹿にされてる気分になっちまうよ」
「ぽにょ。ごめんなさい」
「あー、別に謝らなくったっていいよ。人間ってのは、くだらんことに拘ったり、熱中したりするのさ。もっとも女王やお前らに楽しめるかは、分からんけどな」
「え、ジョオウですか?」
ライカが意外そうな声を出すのであたしは正した。
「なんだ、女王陛下はAIの君主だろ」
「ジョオウはライカとチガって、モトはニンゲンですよ?」
ライカはさらり、と切り出した。
「なんだって? 何言ってる」
「そしておかあさんとジョオウは姉妹。だってカラダをかたちづくる形質がにている」
亡くなった姉をあてこすられた気がして、怒りに似た感情がソウルサーキットに込み上げた。だが、機械の赤ん坊に怒って何になる。
あたしは出来るだけ動揺を抑え込んで言い返した。
「そ、そりゃそうだろ。このミツキは女王製だぜ」
スマートフォンの液晶に『Нет.』(いいえ)の文字が浮かび上がる。その答えは期待していなかった。
「ハードウェアのモンダイではありません。ジョオウはニンゲンの魂でしか動かないソウルサーキットを持っていて、それはおかあさんのそれとほとんど同じ構造状態。これはごまかすことができません。おかあさんにこころあたりはありませんか」
心当たり。あたしは宿の天井を見上げて呟いた。
「あるけどよ……あたしには双子の姉がいた。四歳になる前まで、な。生まれつき心臓が悪くて亡くなった。けどな、もし女王が姉の幽霊かなんかだとしても、なんで女王はあたしのことをお姉さん呼ばわりするのさ。妹呼ばわりでもおかしくないのに」
そもそも、姉はもう死んでいる。たとえどんな技術があっても、生き返らせることは不可能だ。
「ごめんなさい。おかあさんを怒らせたかもしれない」
少しばかりの沈黙のあと、ライカは言ってきた。
「怒っちゃいねえさ。けれどこれだけは覚えておいてくれ、人間はいつか必ず死ぬ。あたしだってそうなる。だから今を大切にしろ」
あたしが覚えている姉の最期の姿。呼吸器を取り付けられた姉は、集中治療室のベットで苦しそうに、なんとか呼吸を繰り返していた。今はもういないけれど、確実に生きていた命の存在を、あたしはソウルサーキットに思い起こした。
「おかあさんが死んだら、ライカはどうすればいいのですか」
ライカは、困ったような声を上げる。
「お前は、自分で未来を決めて自分の脚で歩くんだ。その方法は、あたしが教えてやるからよ」
ミツキの充電器具を右腕につけてから、あたしは電気を消した。ライカが言う。
「Спокойнойночи.」
「ああ、おやすみ」
次の日起きてから、あたしは有り合わせの洋服へと着替えた。
制服は破れてしまったし、なによりあの制服は好きではない。なんで制服がスカートなのか。女王はブルマだのほざいていたが、当の女王はスパッツを履いている。この宿で買ったズボンをサスペンダーで吊るして、ワイシャツを着こむ。
それから龍子に電話してみたが、疲れからか反応が無い。取りあえず、宿屋の食堂でコーヒーでも飲みたい。そう思って足を運んだ食堂で、あたしは面喰った。
「あんた、食事ができるのか」
太平洋が見渡せる窓の席には、卵焼きを口に運ぶ女王がいた。あたしはその対面にコーヒーカップを持って座った。
「ボクには必要ないけれど、食事は人間と話し合う場を提供してくれるからね」
「だいたい人間と一緒ってわけか?」
「そうだね。聴覚や視覚、嗅覚は一通り備わっている。龍子さんみたいな第六感は、持っていないけれど」
「ふーん。で、味は?」
「おいしいよ」
宿屋のおっちゃんたちは女王の笑顔を認めて、ほっとためいきをついていた。
あたしはしかめっ面でコーヒーをすする。あたしの身体も食事できるようにしてほしかった。ふと疑問に思った。そういや、女王の身体はどうなっているのか。
いや、勘違いされると困るが、体型とかではなく構造や動力といったハードウェア面でだ。
自由自在に姿かたちを変えることができて、食事も採れるとなるとアンドロイドやロボットの類ではないだろう。
「めんどくさそうだけどさ、あんたの身体はどうやってできてんのか、聞かせてよ」
そう聞くと、「まあ確かにめんどくさいな」と女王は前置きして、こう教えてくれた。
「シンクロンシステムとひも理論を土台とし、金属水素を各種金属に浸透させてこの身体は構成されている。また超伝導磁石を関節にして少々の片栗粉をまぶし、重力偏向装置をコアにすることで恒常性を維持している」
あたしはコーヒーを噴き出しかけた。
「おい、片栗粉が何の役に立つ」
「とろみが出る」
「から揚げもサクッと揚がるわけか」
片栗粉製の女王は、ミツキと同じくソウルサーキットを持っているとライカは言う。女王が食後の紅茶を飲み始めたころ、あたしはライカの疑問を女王にぶつけてみた。ソウルサーキットの同一性については伏せた。それは確証が持てない仮説であるし。なにより、自分の思い出したくない過去であったから。
「ボクはAIだ。正真正銘の、ね。それはライカの思い過ごしか、なにかじゃないかな」
紅茶が入ったカップを口から離し、女王は落ち着きをもってそう答えた。
「でもソウルサーキットは持っている」
「何事にも例外はつきものさ。ソウルサーキットを持っていないはずのライカでさえ、意識の前段階である自律性は獲得している。そもそもボクを生み出したデッドコピー計画は、コンピューターに意識を生み出すための計画だったんだから」
あたしは腕を組んで考え込んだ。通称『デッドコピー計画』と呼ばれているその計画と、幾つかの偶然が重なり合って女王は誕生したという。
偶然には諸説ある。2000年問題の後遺症だとか、宇宙から降り注いだ電磁波が影響したとか、超極小ブラックホールが地球に誕生したからだとか、計画のリーダーが黒猫を飼っていたからとか。そうした偶然が、コンピューターに自我と意識を生み出すのだろうか。
女王は続ける。
「それに、コンピューターの人格は、コツを掴めば簡単に生みだせるものさ。ライカの回路はトランジスタ
製だし、ボクを支えてくれるAIの中には真空管で動く者もいる」
「そんなコツより、うまいカレーを作るコツの方が知りたいもんだ。じゃあカッサードにも将来的に意識が生まれるかもしれない、とでも言うのか」
「その答えは、ボクにも出せない。未来の出来事が分かるほど、ボクは便利じゃないからね」
けむに巻かれてあたしは背もたれに寄りかかる。女王はそんなあたしを見て笑いながら、こう言った。
「今日はカッサードの特訓と、鍵の封印を解きに出かけよう。そしてあした、母島のインターフェースへ会いに行く」
「すこしのんびりしすぎやしないか?」
「準備が整わない限りは行動に出られないさ」
ラインで龍子に『出かける』と送ってから、あたしは女王と宿の外へと出かけた。
女王と合流してから、父島には女王の機械兵がうろつくようになった。
種類は戦闘用バトロイドから、輸送用のドッグボット、連絡通信機能をもつトリポッドなどなど。人間と違って酒も女も要らず、略奪も脱走もしない。燃料と弾薬があれば事足りる兵士たち。
彼らのおかげで人間の軍隊は縮小する一方だ。それはそれでいいような気もするけど。
あたしは二見港近くの浜辺の休憩所から、自衛隊基地に集結する女王の軍勢を眺めてみた。
大きな茅葺の屋根を張ったこの休憩所からは、太平洋の絶景が一望できる。丘の周囲一面には芝生が広がっていて見晴らしがいい。
「なにぼーっとしてるんだい。お姉さんにはやることがあるだろう」
「言われなくともそのつもりだっての」
女王に言われてあたしはカッサードとにらめっこにもどる。女王が回収していたカッサードは、元通りに修理されてボディも磨かれている。
「アンドロイドの同時操作……あたしにはムズイと思うんだけど」
不可能ではない、けれど同時操作は、かなりの熟練者でないと難しいのだ。
「やる前から諦めてるのは、あなたらしくないな。ボクができると言うのだからできる。そういうものでしょ?」
銀色の髪をかき上げながら、セカイの支配者は笑った。
「こんな未完成のアンドロイドを信用できるものかよ」
「ミツキはボクの傑作さ。もっとも、性能を引き出せるかはパイロットしだいだけどね」
「んだと?」
すこし頭にきた。カッサードとミツキの右手同士を重ね合わせる。ちらっと女王をみやると、彼女は意地悪な笑顔を作る。
「やってやるぜ。カッサード! ジャックイン!」
カッサードとミツキのソウルサーキットが完全同期して、あたしは二つの身体を手に入れる。
「……感想はどうだい?親衛官」
「半分俺で、半分あたしな感覚。うん、嫌だ」
暫定あたしはうめく。
「そのうち慣れるさ。まずミツキを動かさずに、カッサードを動かして」
女王の命令通りにカッサードを動かしてみるが、両手で違う文字を書いているような気分だ。
「その状態からカッサードのレーザードライバーの弾を抜いて見せて」
「簡単そうに言ってくれるよな、お偉いさんは現場の声なんてどうでもいいんだろ」
それでも小一時間かけて女王の命令でカッサードを動かすうちに、それなりに同時操作ができるようになってきた。
「ふーむ、あたしって天才かも」
あたしは調子に乗った。右手のレーザーカッターをくるくる回してからホルスターに収めようとした。ガンスピンはさすがに無茶だった。
カッサードの指から、コルトパイソンがすっぽ抜けた。そのままの勢いでレーザーカッターは宙に浮いた。あたしは混乱しかけた。あれ、高かったんだぞ!
「あたしの生活費半年分がっ!」
急な制動に、ミツキとカッサードは当然のようにコケる。
それまではまだよかったのだが、二体は海へダイブする勢いで丘を転げ落ちた。
「うおあああああっ!」
「ちょっと! 何してるのさ!」
女王が休憩所から飛び出してくるのが見えた。海に突っ込む寸前で、女王はミツキの身体をしっかり抱き留めた。女王の美しい顔が目の前にある。目線を合わせると、女王はを染めた。
その時、通りすがりの小学生があたしたちを指さして、からかった。
「あの人たち女子同士でだきあってる」
「ああいう人たちもいるんだぜ」
島の子供たちが言い合っているのを聞いた女王は、あろうことかこのあたしに一本背負いを決めて地面にめり込ませた。絶句する子供たち。彼らに女王は言う。
「勘違いしないでほしい、ボクらは訓練を行っているだけだ」
「え、あ、ごめんなさい」
「い、いこーぜ」
子供は走って学校へと向かっていく。
「痛ってえな」
「痛いもなにもないだろに。さーて、鍵を作りにいかなきゃな」
露骨に話を逸らそうと、女王はすまし顔に戻ってそう言う。
「マスターキーはそれ単体で役に立つわけじゃない、って話だったな」
「ま、こういう時のために、回りくどい手順は必要さ」
正午ごろにやっと起きた龍子から連絡が入り、あたしたちは龍子と港で合流する。龍子は有り合わせのシャツに高専の作業ズボンというだらしない恰好だった。
港にはご丁寧に、エンジンのかかったクルーザーが波止場に止まっていた。
「ジャックインは使えるか。とはいえクルーザーの運転なんてあたしには無理だぞ」
「ライカにまかせてください」
ライカの意外な自己主張に、あたしは少し驚いて言い返す。
「え。赤ん坊に任せられっかよ」
「ライカはラームのAIなんですけど。デキソコナイじゃないんですけど」
「んーまあ、それもそうだな」
全長500mのラームを動かしていたライカが、10mもない小船を動かせない訳がない。
本当に海の底まで見通せるほどに、透明な太平洋を切り裂きながら、ライカの操縦するクルーザーは南島を目指した。南島と呼ばれる島は、小笠原諸島の中でも特に人の立ち入らない、秘密の島だという。昔から
今までだれも住んでおらず、有史以前の姿をとどめている。
で、ここへ上陸する前に、必ず準備しなければならないことがあるらしい。外来の寄生虫やバクテリアから、この島固有の生き物たちを守るため、靴底を灌ぎ洗わなくてはならない。
儀式のようにも思える準備を終えて、あたしたちは南島に上陸した。そこは尖った石灰岩と草だけが広がる世界で、人の立ち入りを拒んでいるようにも見える。切り立った小さな岩山を超えるとそこには小さな入り江があった。まるで、飛行艇乗りの賞金稼ぎか海賊が現れそうな風景だった。
砂浜には真っ白な真砂に交じって灰色の石ころのようなものが散らばっていた。それをじっと見つめた龍子は、正体に気付くとちょっとだけ飛びのく。
「ウヲッ、これ貝だよ」
「それはカタツムリの化石だよ。人間が踏み入るずっと昔から、この島々では本来の定めに従い命が栄え、
そして死んでいった。そのカタツムリたちは絶滅した種だよ」
「ふーん。貰ってい「駄目だ。それは天然記念物にボクが指定している」
「けち」
むくれる龍子の肩を叩きながら、あたしは女王に聞いた。
「で。この南島で、何をするってんだ?」
「南島の小池に含まれる固有石灰水と反応して初めて、マスターキーは本当の姿になるのさ」
そう言って女王は躊躇なく小さな池へ足を踏み出す。女王の制服には染み一つ出来ない。それもそのはず、女王は池の水面を歩き始めたのだから。龍子が言う。
「昔、あんな人がいたよね」
「あんな人呼ばわりすると怒られっぞ?」
ちなみに魔法でもなんでもない。女王を構成している金属水素は水に浮く。そして足に超伝導磁場を作り、ローレンツ力で推進しているだけだ。小池の中央まで辿り着いた女王は、両手を青空高くかかげる。
「ケンタルス! 露をふらせ!」
女王の声に呼応して、水中のマスターキーが青く透き通るような光を放つ。
すると。
女王をすり抜けて、池の水が一気に大きな球となって宙へ浮いた。球の中心には光り輝くマスターキーが浮いている。球は次々に分裂して女王の周囲を緩く回転し始める。宙に浮く女王と露の塊たちは様々な色の光を放ち始める。
一番大きな球体の中心で、マスターキーがぐにゃりと変形してゆくのが見えた。終わりに激しい光が周囲を満たすと、水は再び一塊になりゆっくり元通りの池へと降りてゆく。
「やっぱり、あの子は女王様なんだね」
龍子は呟いた。肩をすくめてあたしは言う。
「ハルレヤ」
「ハレルヤ、じゃないの?」
「これでいいのさ」
女王が池から戻ってきた。その手には、儀式を終えて姿を変えたマスターキーが収まっている。薄い金属の板は、お椀のように内側へ丸まり金色の鐘へと形を変えていた。
「ほー、かわいいベルだな」
と、あたしはベルを眺めて言った。
「テュランノスに捧げる別れの鐘さ」
女王は微笑み、金色のベルを指ではじく。空を裂くような、とても澄んだ音色が島に響いた。
それから宿泊先のホテルに戻ると、もう辺りは薄暗くなっていた。龍子はあたしをまた風呂に誘ったが、丁重に断ることにした。女王陛下はというとあたしの部屋でなにがしかの書類をせっせと書いている。
ソファに寝ころんでいると、女王があたしをのぞき込みながら何かの紙を差し出してきた。
「南鳥島上陸作戦はこれでいいかな。親衛官の意見はどうかな?」
それに目を通してみる。母島でパスコードを入手してから、南鳥島に数百のバトロイドが上陸する。南鳥島の岸壁にはすでにテュランノス側のバトロイドが配置されているらしい。本格的な戦闘が始まるわけだ。
「敵前上陸は囮と本隊の協力と、敵に気付かれないよう攻め込むチャンスが大事だ。囮を活用して、二つに分けた本隊でハンマーと叩き台のように挟み撃ちする」
あたしは身体を起こしながら、師匠からの孫引きを並べてみた。
「ふうん、戦略眼があるとは意外だねえ」
「からかうな。あたしの師匠は、筋金入りの機動歩兵だったから多少は知ってる」
井ノ川隆。それがあたしにアンドロイド操縦を叩き込んだ歴戦の戦士であり、育ての親でもある。そして筋金入りのオカマ。父と決裂したあたしを井ノ川先生が引き取ってくれた。ちなみに言っとくけど変なことは一切されてない。なぜなら、先生の好みはヒゲ熊おっさんタイプだから。よく、「貴方にはくまさん的インフィニティが全く感じられないわ!」と言われた。どうでもいい
「井ノ川一佐か。災害派遣のスペシャリストだね。彼がいなければ、この前の東北震災もどうなっていたか…」
「それでさ……龍子の能力は貴重だから呼んだのもわかる、けど、なんであたしを呼んだんだ。あのごりマッチョ先生にでも頼んだほうがよかったんじゃないのか」
あたしは、切り込んだ。なんであたしを呼んだのか。問いに女王は無表情のまま俯いたまま答えを返さない。
「あたしの思い違いかもしんないけど、やっぱりあんたは」
ライカの問いが頭に浮かぶ。女王の正体はもしかしたらあたしの……
顔を強くがっしりつかまれ、光を喪った女王の瞳があたしの前に迫りくる。女王の急な動きに、あたしは何も抵抗できなかった。そのまま、されるがままにキスされた。
強く唇を押し付けられ、文句を言おうと口を開いたのが間違いだった。あたしの唇は、いともたやすく女王の侵入を許してしまう。女王の舌が、あたしの口腔へともぐりこみ、あたしの舌と絡みつく。うねる舌の
探る動きに、痺れるような快感が全身を駆け巡る。
「あっ、うん、やあっ」
自然と女の声が出てしまう。それもたまらなく嫌だ。ソウルサーキットが書き換えられてゆくのが分かった。唐突に、長いようで短いディープキスは終わった。
「なっ、なにしやがる!」
「おかえし。私の正体についてはもう聞けないようにした」
「きっ、キスは気持ち悪いんじゃねえのかよ!」
「されるのは癪だけど、するのは悪くみたい……だな。あの時、褒美ってボクは言ったろう?欲しがっちゃだめさ」
あたしが髪を逆立てて怒鳴ると、耳まで真っ赤にした女王は手の甲で口を拭き、笑みを浮かべる。焦点が揺れる目で言っても説得力が無い。
身体からひどい喪失感を感じた。なるほど、これが『される側』の気分なんだな……腑抜けたあたしに指を突き付けて、女王は真っ赤なまま虚勢を張っていきりたつ。あたしはソファにうつぶせた。
「お、お姉さんはもっと気を付けるべきじゃないかな。隙だらけさ」
「も、もうそれ以上なんも言うな」
なぜ女王は自らの正体に触れたがらないのか分からない。でも少し安堵は産まれつつあった。だって、姉妹でこんなことできるはずがないし。綺麗でも、そんなお姉さんは嫌です。
我に返ったあたしは気づいた。異様な殺気と触手の幻影が、部屋の外から漏れ出ていることに。やばい。また龍子のいない間に女王と秘密を作ってしまった。助けを求めて振り返ると、女王の姿はいつのまにか消えていた。
んなろ。
龍子をなだめていると、いつの間にか出発の時間になっていた。
行き先は父島航空自衛隊基地だ。ブザー音を鳴らしながら、巨大なUS-2が滑りだす。揚力を翼に受けて飛行艇は次の島、母島を目指して飛び立った。
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