反対側には水桶が置いてあるので、逃げられない。
俺はなるべく身を引いて、視線を泳がせながら口もごっていたが意を決して、
そのままかぶきりひめを抱き寄せ――られるはずもなく、理性を総動員させて彼女を押し戻した。
既に膝の上に先客がいる状態で、事に及ぶわけにはいかない。
というより、師匠の式姫に手を出していいわけがないのだ。
「からかわないで下さい」
顔を赤らめたまま、バツが悪そうに呟いた。
「もし俺が――」
事に及んでいたらどうするんですか、と言おうと思ったが、恥ずかしいので曖昧に切れてしまった。
しかし彼女の方は察したらしく、人差し指を下唇に当ててうーんと考えていたが
「そうねぇ、その時はその時じゃない?」
と答えた。
羞恥心というものがないのか、それとも師匠と同じく俺をからかうのが楽しいのか。
気付けば、すっかりかぶきりひめのペースである。どうにも胸の内が晴れない俺は、不機嫌な顔を作ってトマトを頬張った。
「さて、この辺で一つ謎かけでもしましょうか」
しばらくしてから、唐突にかぶきりひめが言い出した。
「どうして私が、この姿なのか分かるかしら」
「…………?」
そんなもの、少し考えれば分かる。それが変化を解いた、かぶきりひめの本当の姿だから。
そう答えると、彼女は軽くため息をついた。
「それじゃー、面白くないわよ」
「つまり、正解って事ですよね」
「さて、どうかしらね?」
かぶきりひめはすっと立ち上がると、俺の方に屈み込み
「次に会う時までに、考えておいてね」
とだけ言い残して、立ち去っていった。
トマトを堪能していた真祖は、お腹が膨れて満足したのか少し離れた場所で昼寝をしている。
俺はトマトの無くなった水桶を持ち上げて、庭に水をばら撒いた。
「どうして、か」
さっきの答えが間違いだとしたら、彼女は意図してあの姿を保っているという事になる。
その理由は何なのか。
弓が撃ちやすいから?いや、それは無い。
あんな立派なモノは却って邪魔になるだろう。俺には胸がないので分からないが。
では、師匠みたく男を釣り上げる為?それならまだ納得はできる。
しかし、それならそれで、なにもあの姿に固執する必要はない。
かぶきりひめがその気になれば、もっと扇情的な衣装や装飾を用意できるはずだ。
ありとあらゆるものに化けられるのに、あえてそれを選ぶ理由とは一体何だろう。
「…………」
変化が得意で、人をからかうのが好きな彼女は自分が信用されにくい事を一番分かっているはず。
そんな彼女が最も求めるものは、信頼――というのは安直な答えだろうか。
信頼してくれてる相手の為にあの姿を象る?
「どうもスッキリしないなぁ……」
俺は目を閉じて、かぶきりひめになったつもりで想像してみた。
今より何年も前の話。舞台はもちろん、この屋敷。
時刻は夜、月の明るい夜だ。縁側で、師匠とかぶきりひめが、酒を酌み交わしている。
二人の仕草や距離は、陰陽師と式姫のそれである。時に笑い、時に笑い返し、二人仲良く談笑している。
しかし、その声も内容も俺には聞こえない。何を話しているんだろう。
ずっと月を眺めていたかぶきりひめが、師匠の一言に反応して向き直った。
師匠の言葉は続く。その横顔を、かぶきりひめが驚いたようにじっと見つめている。
やがて何かを理解したように微笑みをうかべ、彼女は師匠にお酌をする。
ちりんちりんと、鈴のような音が辺りに響いた。本物の師匠が帰ってきたようだ。
俺はそこでふっと我にかえり、月夜の晩酌は幕を閉じた。
師匠と式姫達を出迎える為に、お休み中の真祖を放っておいて玄関へと歩きだす。
あの時、師匠は何と言ったのだろう。
滅多な事では動じない、かぶきりひめを驚かせる一言とは、一体……。
「おう、帰ったぞー」
「師匠、かぶきりひめさんの事が好きなんですか?」
周りに式姫の姿はない。おそらく型紙に封じているのだろうが、俺は声を抑えて尋ねてみた。
「お前な、俺が帰ってきて真っ先に言う事がそれかい。そこはおかえりなさいませハル師匠、だろうが」
「おかえりなさいませ、ハル――」
「あーもういい、冗談だ冗談」
面倒くさそうに手をぶらぶら振って、玄関に腰を下ろす。
「俺が好きなのは、胸の大きなかぶきりひめだ」
師匠は、胸の大きな、の箇所を強調して言った。
「じゃあもし、小さかったらどうします?」
「その時は、呪いで大きくしてやるだけよ」
「……出来るんですか?」
「出来る」
師匠の口調はいたって真面目である。
「誰でも出来る。マドカにも出来る事だ。ただ、それなりの条件と準備が整わないと駄目なんだが」
俺はそれ以上の追及を止めて、軽く頷くだけに留めた。
意地悪な師匠の事だ、どうせこれ以上尋ねた所で教えてはくれまい。
結局、それらしい答えを見出せないまま夜を迎えてしまった。
こうして床に就いている今も、頭の中はかぶきりひめの事で一杯という始末。
真祖は傍らで柔軟体操をしている。理由を聞くと、これから修行に出かけるらしい。
「朝までには、ちゃんと戻るよー」
「そうか、気を付けて行ってこいよ」
引きとめる理由は何もない。が、数少ない話相手がいるうちに、ふと俺は尋ねてみたくなった。
「あのさ、真祖って」
「すず」
「うん?」
「名前で呼んでよー、マドカ」
「コホン。すずしろってさ、なんでその姿なんだ?」
真祖がキョトンとしてこちらを見ている。それもそうだ。
昼間の出来事は真祖も覚えているだろうが、唐突に意味不明な問いかけを出されたら誰だってこんな顔になる。
「マドカはー、小さい私の方がいいのー?」
「いや、俺はどっちも好きだよ。今のしん――すずしろも、小さい方も」
俺の一言で、真祖は少しだけ笑顔になる――かと思いきや、口をとがらせていた。
「でもー、この時の私は、あんまりなでなでしてくれないの」
「う、それは……」
返答に窮しているうちに、真祖が四つん這いでこちらへ寄ってくる。
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かぶちゃん考察。答えは2-3にて。
1-1:http://www.tinami.com/view/906976
1-2:http://www.tinami.com/view/906978
1-3:http://www.tinami.com/view/906982
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