(^石切^)私もそろそろ極める時が来たと思うんだけどどうだろう?
(^審^)その判断は私がする。…そうだな、今は空きがあるから許可しよう。ただし同伴者を連れて行くこと。単独行動は許さない。
(^明石^)おお、旅行どすか、よろしおすなぁえ留守ん間はうちらが番しいやいます。安心しいや行ってきておくれやす
(^審^)連れのものは君が勝手に選ぶがいい。我が部隊からは選択は出来ないから他部隊から親しいものでも連れて行け。君は動作が遅いだろうから
(^石切^;)相変わらずうちのサニワはきついなあ
(^審^#)私は規律の無い者や刀剣とサニワの上下を弁えぬ者は大嫌いでね。
(^明石^)クリーンな職場なんはよろしおすなぁ堅いけれど
(^石切^)極端だよね
(^審^#)用件はそれだけかね?上位刀剣はスタンプラリー方式なんだ。どうせ数日で帰還するのだから速く行くがいい。なにしろ君は機動が遅いのだからね
(;石切;)
(^青江^)君は他に友人とか居ないのかい?
(^石切^)同部隊の刀剣は同行しては駄目という縛りがあったんだ。仕方ないじゃないか
(^青江^;)同門の兄弟刀剣達は?
(^石切^)みんなどうも同時期に修行に出ているみたいだ。まあ連休中にこなそうとすればそうなるよね。私は大移動でこの連休で2件はこなさないといけないんだよ。やれやれ
(^青江^;)僕達脇差は一箇所に修行に出て終わりだからまあいいけどさあ、困るんだよね動きがきついのは。ああ、旅先の高低の事だよ?
(^石切^)青江君・・・・・・・・
(^青江^)それで、どこに行くんだい?
(^石切^)僕達みたいな神剣は大体伝承を基にした刀剣だからね。一点ものでもないし継いでいく類の刀剣ではないから由緒も偉人もバラバラなのさ。でも持ってる刀剣の名前は同じという。
(^青江^)電化製品の型番みたいな銘が君の銘だからねえ…
(^石切^;)冷蔵庫みたいな表現はやめてくれ!!
(^青江^)まあ名家でも何代目かは失脚するだろうからそういう刀剣は売却されて外に出てたりするよね…
(^石切^)世知辛い話だなあ…
~義平山 清泉寺~
(^石切^)というわけで最初は源義平由来のお寺に着たんだけど…
(^青江^)源氏兄弟の中で頼朝、義経に比べてマイナーな人物が義平だと思ったんだけどねえ…
(^石切^;)銅像があったり資料館があったりするね。どういう事だろう結構地元では有名な偉人なのかな?
(^僧侶^)ようこそいらっしゃいました石切丸様、悪源太義平のお墓にようこそ。ここは特に名産品とか無いので悪源太義平一本槍でサクラクエストしてます。広めろ下さい!!
源義平とは、平安末期に源氏の頭領源義朝の長男として生まれ、悪源太義平(あくげんたよしひら)という異名を持つ平治物語の主人公となる武将でした。異母兄弟ですが鎌倉幕府を開いた源頼朝の兄であり、壇ノ浦に平家を滅ぼした源義経の兄でもあります。
さあ石切丸様、資料館を巡ったりしてサクラクエストしましょう!!!
(^石切^;)あっ、そういうのはいいので、速くスタンプを…
(^僧侶^)駄目です。村一帯を全部巡らないと駄目ですスタンプおしません。悪源太義平をもっと有名にするべき!!!!
(◎石切◎)
(^青江^;)ええ~
(^僧侶^)「悪源太」というあだ名ですが「悪」とは悪いと言う意味ではなく「強い」という意味です。「源太」は「源氏の長男」という意味です。母は三浦義明の娘と言われ、三浦氏は現代では坂東武士として有名ですが当時は身分が低かったんですね。
(^石切^)なるほどそれでいまいちマイナー武将だと
(^僧侶^)そうです。悪源太は、袴の股立ち(ももだち・左右の側線の部分)をとり、石切という太刀を抜いてざんばら髪になって戦う。「悪源太ここにあり。さあかかってこい。」というや走り出す。と平家の侍は左右にざっと退く。義平は真っ先に向ってきた者を2、3人斬り伏せ、
土塀の屋根に手を掛けてひらりと飛び越え、家伝いにどこへともなく消えてしまった。
という記述もあります。石切丸は頼光四天王の一人の、碓井貞光に酒呑童子退治に用いたとされる太刀です。平姓の持つ太刀なんですね。
主な逸話は、
『平治物語』によるとこの時、義平は19歳、八龍の鎧を着、石切の太刀を帯び、葦毛の馬に乗り敵を待ち構え待賢門は藤原信頼が守っていたが、そこへ清盛の嫡男・平重盛が攻め寄せ、怯えた信頼は戦わずに逃げ出し、門を突破されてしまった。義朝は「大臆病者が、もう待賢門を破られてしまったぞ。敵を追い返せ」と出撃を命じた。「承知」と叫ぶや義平は鎌田政清・後藤実基・佐々木秀義・三浦義澄・首藤俊通・斎藤実盛・岡部忠澄・猪俣範綱・熊谷直実・波多野延景・平山季重・金子家忠・足立遠元・上総広常・関時員・片切景重の坂東武者17騎を率いて駈け出した。義平と坂東武者17騎は重盛の500騎にど真ん中に飛び込んで散々に戦い、これを蹴散らしてしまった。義平は重盛に組みかかろうと内裏の左近の桜、右近の橘の間を7、8度も追い回した。重盛は混乱した兵を収拾して一旦退き、新手の500騎を得て再び門内に押し出した
という、左近の桜、右近の橘ですね。
それと、最後が
義平は六波羅へ連行され、清盛の尋問を受けた。義平は「生きながら捕えられたのも運の尽きだ。俺ほどの敵を生かしておくと何が起こるかわからんぞ、早よう斬れ」と言ったきり、押し黙ってしまった。義平は六条河原へ引き立てられた。太刀取りは難波経房。「俺ほどの者を白昼に河原で斬るとは、平家の奴らは情けも物も知らん。阿倍野で待ち伏せて皆殺しにしてやろうと思ったのに、信頼の不覚人に従ったためできなんだのが悔やまれるわ」と憎まれ口を叩くと、経房へ振り向き「貴様は俺ほどの者を斬る程の男か?名誉なことだぞ、上手く斬れ。まずく斬ったら喰らいついてやる」と言った。「首を斬られた者がどうして喰らいつけるのか」と問うと、「すぐに喰らいつくのではない。雷になって蹴り殺してやるのだ。さあ、斬れ」と答えて義平は斬首された。享年20。それから8年後、難波経房は清盛のお伴をして摂津国布引の滝を見物に行った時、にわかに雷雨となり、雷に打たれて死んだという。
雷伝説でしょうか。
(^石切^;)どうしよう僧侶が村人を連れて来て何か話しているよ。また何かやらされるのでは
(^青江^)サクラクエストとか言ってたから何かのイベントに出場させようとしてるんじゃない?君達上位刀剣は五輪選手みたいなものだから本来ならパレードされててもおかしくないだろう。僕ですら講演頼まれたりするくらいだよ?
(^石切^;)青江さんは中級刀剣でも警察刀剣として有名だからそりゃそうだろう。うどんとか。
(^僧侶^*)石切丸様お待たせいたしました!義平山妙満院清泉寺は高野山真言宗の寺で、寺伝によれば、新田義重の娘で、悪源太義平(源義平)の妻がこの地に庵を結んだのが寺の起源とされています。これから少々離れておりますが芝桜祭の会場に…
(^石切^;)ウワアー
(^青江^;)すごい無茶振りがきたね…
~大野市~
(^石切^)越前九頭竜川上流の穴馬村はここって事かな?
(^青江^)地名が全部変わってるだろうから川の名前位しか判らないね。凄い大移動だよ上位刀剣は大変だねえ
(^学芸員^)こんにちわ石切丸様、にっかり青江様この度はお越しいただきまことにありがとうございます。平治の乱から落ち延びた際に村の長、朝日助佐衛門は義平をかくまうにあたり、娘のおみつに身の回りの世話をさせ所帯を持たせた所やがておみつは義平の子を身ごもります。その子孫が暮らす村が我々の村です。別れる際に渡された笛は偽者説とか偽者多すぎるじゃないとか、源氏の郎党の逃亡先すぎて偽書まみれとかいろいろあるけど本物です本当です。笛は折れてて今あるのはレプリカだけだけど本当です!!さあ石切丸様我々とサクラクエストしましょう!!!
(^石切^;)展開が速い!!!
(^学芸員^)大野城いきましょう!!大野城!!!!!
(^石切^;)えっなんでだい?!
(^青江^)サクラクエストしたいからじゃないかい?激しい動きには気をつけたいよね。ダンスの事だよ?
(^石切^)青江くん…
(^青江^)確かに義平の子孫が暮らしているなら何で武士になっちゃおうとか、挙兵しようとか考えなかったんだろうね?子供は娘でも孫は色々男の子も生まれただろうし…滞在期間が一ヶ月くらいしかないとも言われてるんだけど
(^学芸員^)さあそれはちょっとわからないですね。でも平治物語に書いてあるし本当ですよ本当本当本当!!!一ヶ月もあれば再婚余裕なんですよ英雄ですから!!!
(^石切^)20~23歳で亡くなったのに再婚でさらにスピード婚してるし逃亡してる筈なのに随分余裕有るよね…
(^役人^)ようこそお出で下さいました石切丸様、にっかり青江様!芝桜祭りに参加しろください!!!!!!!
(^石切^;)また芝桜だ!!なんでそんなに芝桜で祭りをしているんだい?!
(^役人^)はい、芝桜は田んぼの除草剤代わりです。あと綺麗綺麗!!だから田舎で芝桜祭りまくるのが流行しました。そして現代に至ります。今では全国各地で芝桜まみれです!!!
(^青江^)なるほど、観光資源の少ない田舎の安価な集客方法なのか
(^石切^)思うんだけど、何故こんな田舎に義平殿の拠点があったんだろう?
(^役人^)岐阜の方に拠点があって、狒々をころころしたり、山賊団をころころしたり、なんかとにかくころころしてます!!その延長線上だと思います!!あと、子孫は頼朝さんが義経のこもも全員ころころしたから内緒にしたとかその辺でしょうか?ちなみに笛とか逸話が虚偽かどうかの真偽は京大の偉い人達が調査してもわからんちんだったので大丈夫です!!本当です本当!!!
(^石切^)あっそういうのはどうでもいいので、早くスタンプを
(^役人^)ダメですサクラクエストしましょうしましょう!!
(;石切;)あっまただ~
(^役人^)義平公形見の笛が家宝として受け継がれ、家系図、各古文献、古文書、伝承、民謡があるにもかかわらず、この話は後世の人が作った物語であり、笛も偽者であると言い続けられてきました。その偽者説の最大の理由は・・・・・・・平治物語など軍記物に書かれている義平は「平治の乱に破れ、京より美濃青墓にたどり着いたのが、平治元年の12月28日であり、明けて1月25日に京の六条河原で処刑されている」という文のせいです。もし、義平が落ち延びて来たとしても、一ヶ月弱の滞在。子を宿すのは可能ですが、別れに際して形見の笛を残していくなど物理的に不可能である。ということと「青葉の笛」と言うのは神戸の須磨寺に残されている平家の平敦盛が持っていた笛の事を言うので、平家の敵方にあたる源氏の義平が持っているのはおかしいという事ですね。でも絶対本当です本当!!!
(^石切^)マイナーだけど逸話だけ多い人物なんだね
(^青江^)生きてたら源氏の棟梁は義平だったらしいからねえ。村で力溜めて平家を打倒するために挙兵したりとかもできたのかもしれないね。
(^石切^;)というより、やはり北条氏が執権に成った時に声を上げなかったのは不自然だと思うよ。義経も頼朝も子供は全員絶えて居るんだ。源氏兄弟の直系はこの村の人達だけだって事だろう?
(^青江^)全然関係ない九条家の子が将軍に成ってたりしてるよね。
(^石切^;)ムーを感じてしまうよねぇ…
(^役人^)そんなことありません!!木地師集団がもたらした落人伝説とかじゃないです!!絶対本当なんだからね!!!!!!!!
~大野城~
(;石切;)どうしよう、芝桜祭りなのに何故会場がお城のステージなんだろう・・?
(^青江^*)石切丸~アへ顔して~!アへ顔~!!
(^石切^;)できないよ!!
(^役人^)さあ石切丸様、子孫である我々にご高説ください!!
(^石切^)う、うーん真偽は怪しいんだろうけれど伝説は後世の人の創作ともいわれていますけれど、この逸話は鎌倉悪源太唯一のラブロマンスだ。いちいちそんなこと指摘するのは、これはもう野暮というものだよね。
~本丸~
(^石切^)ただいま戻ったよ
(^明石^)おかえりはばかりさんどす。旅先ん話を聞かせておくれやす
(^審^)なんだもっと長い旅行かと思ったが君にしては速いではないかつまらん
(^明石^)サニワは相変わらずどすなぁまあかまへんでどないどしたか修行は?
(^石切^)そうだねぇ、私にはマイナー武将かと思っていたのだけれど、地元やその地域では有名で英雄として讃えられている偉人だったと言う事だね。これには驚いたよ。名前の残っている偉人は有名無名の差は無いのだねそれを知ったよ
(^明石^)そないに偉い人やったんどすか。そらこれから下手な動きは出来まへんね
(^審^#)刀剣として与えられた銘に従うのは当然の事だろう。今更何を言っているのだ君は。
(^石切^;)いや、だからもっと自覚しないとなあと思ったんだよ
(^審^)ふん、当然だ。まあ手入れでもして次の修行に備えるがいい。君にはまだまだ修行が必要なようだからね
(^明石^)苛烈な人どすなぁ。まあどなたはんにやてああどすからかまへんでおくれやす。
(^石切^)私の前代が問題ありだったから警戒されてるのかな…まあ、あのサニワならどんな刀剣も付け入る隙は与えないだろうけどね。軍人堅気で真面目なお方だ。
(^明石^)クリーンな運営やけどきつい人かつっきゃいがじゃまくさいが優しいお方か迷うトコどすなぁ
(^石切^)神剣の私には今のサニワくらいが丁度いいのかもしれないね。
おわり。
Tweet |
|
|
1
|
1
|
追加するフォルダを選択
色々修正してみました。