No.901105

夜摩天料理始末 10

野良さん

2017-04-13 20:46:34 投稿 / 全2ページ    総閲覧数:773   閲覧ユーザー数:768

「さて、私はそろそろお暇しますね、お煎餅ご馳走様でした、美味しかったですよ」

 品よく微笑みながら立ち上がる彼女に、閻魔は寝転がったまま、顔だけ上に向けた。

「もう少しゆっくりしてったら? お構いはしないけど」

「お誘いは嬉しいのですが、これでも多忙な身ですので」

「暇は作る物よー」

「ご尤もです、知恵者などとおだてられも、中々そちらの知恵が出ないのが、我ながら情けないですが」

 くすくす笑いながら、頭巾でその長い髪と顔を隠す彼女に、閻魔は珍しく布団から出てきて傍らに立った。

「そっか、貴女ならいつでも歓迎するわよ、霊体で良いから、また来てね」

「そう言って頂けると嬉しいですよ、呼ばれることは多い割に、歓迎される事が少ない物で」

「調停や、裁定事が多いと、嫌われる事多いわよね」

「冥府の裁判長殿が仰ると重みが違いますね……それでは、ご厄介をお掛けしますがくれぐれも」

「ほいほい、任された……しゃーない、久しぶりに働きますかね」

 面倒そうに法服に袖を通しだした閻魔の姿に目を細めながら、彼女は低く呟いた。

「三年鳴かず飛ばず、その鴻(おおとり)が目覚め羽ばたけば、その様は如何に?」

「三年呆けてた奴がいきなり飛べば、なまり切ってて墜落死じゃないかしらねー……あ、やばい、二の腕ぷよぷよしてる」

「あらほんと、いい感じに柔らかいですね」

「まずいわねー」

「そうですか? この柔らかさも魅力的ですよ……まぁ、貴女が働く姿も素敵だとは思いますが」

「いやー、法服仕立て直すのって結構面倒なのよ、邪鬼ちゃんも地上に行っちゃったし……」

「……髀肉の嘆かと思ったら、今の生活を止める気は無い訳ですね」

「もうね、堕落の味は覚えちゃうと駄目ねー……所でさ、寝ててお肉が引き締まる方法とか知らない?」

「そんな夢のような話はちょっと……取り敢えず煎餅止めるとか如何です?」

 苦笑しながらの彼女の言葉に、閻魔は天を仰いだ。

「わたししんじゃう」

「……そうですか、しんじゃうのは困りますね」

「でしょ、何か良い知恵ちょーだーい」

「流石に直ぐは浮かびませんので、また考えて置きますね、その話でも手土産にして、また伺います」

「えー、次はこの哀れな閻魔に何をさせる気ー?」

「嫌ですね、私が毎度取引に来る、行商人みたいじゃないですか」

「情報行商屋かぁ、儲かりそうねぇ、やったら?」

「私、お金稼いでも使ってる時間が無いんですよ」

「暇は作る物、作る物」

「ええ……なので、こうしてあの青年の事、貴女にお願いに伺ったんですよ」

「ほほー」

 閻魔が法服の帯を締めている隣で、彼女は掛けてあった外套を手にして、無造作にそれを体に巻き付けた。

 理知的な美貌を頭巾に隠し、地味な外套を羽織ってそのたおやかな肢体を隠すと、その神々しい程の姿は何処からも窺い知ることは出来ない。

「お忍びが様になってるわねー」

「あちこちに行く事が多いので自然と……ですね」

「戦の多い国の神様は大変ね」

「戦が多いと、私以上に、冥府も大変でしょうに……」

 他人事のような閻魔の言いぐさに苦笑して、彼女は言葉を次いだ。

「私たちの暇の為にも、少しで良いから平和になってもらわないと」

 冠と笏を手にした閻魔が、控えの間の扉を開こうとした、その手を止めて、傍らに目を向けた。

「最後に聞いて良い?」

「何か?」

「……そんなに、あの青年の事買ってるの?」

 この世界に、平穏をもたらす存在だと。

 いや、そもそも、貴女が直々に動くほどの……。

「ええ」

 彼女は頭巾の中で、その薄紅の唇を僅かに綻ばせた。

「可愛い妹分が、心底惚れ込んで、信じた人ですから」

 そう口にした、その顔を見て、閻魔は微苦笑を浮かべた。

 参ったなぁ……こんな顔見ちゃ、本気で働かざるを得ないじゃんねぇ。

「呼び止めて悪かったわね……それじゃ、久しぶりにお仕事いってきまーす」

「行ってらっしゃい」

(何故だ、何故私の事が露見した……)

 男は走りながらも、荒くなった息を何とか整えた。

 ずっとこの身を隠して生きて来た。

 陰陽師の修業を終えてから、最もその印象から遠い足軽に身をやつしながら、諸国を渡って来た。

 ある時はゆっくり洗脳した戦友に功を上げさせて、軍の上層部に押し上げ、またある時は、妖怪退治の功を譲って、僧を寺の要職に就けたりもした。

 こうして、有力者の側近くに、彼の意のままになる存在を置くことで、生殺与奪を意のままに出来る力を握りながら、世の情勢を見つつ、天下を窺(うかが)う。

 

 そんな彼の半生を賭けた野望が、水泡に帰すというのか。

 式姫の主という、最も魅惑的な地位。

 その立場に至れば、こんなみじめで迂遠な雌伏をする事も無い、全てを力でねじ伏せる事すら叶う。

 その力に魅入られてしまい、常よりも性急に動いてしまった。

 ……いや、本当にそれだけか?

(お前様の力……妾だけは知っております)

 あいつの囁きが、私の魂に忍び寄るのを、許してしまった。

(そのように、泥土の中を這いまわりながら、ある日蝶になる事を夢見るお姿も良い物ですが……)

 あいつは、私の計画を全部見透かしていた。

 いや、私の不安も、不満も、迷いも……その全部を。

(お前様はご存知ですか?お前様のような才人がそのような苦労をしておるのに引き比べ、何の才も無い男が、式姫を多数従え、この世の春を謳歌しております)

 藻(みくず)。

 そう名乗った女は、四つの殺生石を私に手渡しながら、俺の耳朶を甘噛みするように、囁き続けた。

(そのような事、あまりに理不尽ではありませぬか)

 

 無能を殺し、有為な者がその座に就く……今はそれが正しい時代。

 お前様もまた、その野心を羽ばたかせる時ではありませぬか。

 

 ……私は、あの女狐に誑かされ、動いてしまったのか。 

 男は強く頭を振って、その疑念を、一時打ち消した。

「待ちやがれ!」

「逃げても無駄じゃ」

 式姫の声が背中に迫る。

 やはり、単純には人が逃げ切れるような相手ではない。

 手の中に握りこんだ守り札に、力を満たす。

 今はとにかく生き残らねば。

 生き残れば、まだ先は見える筈。

「疾ッ(ちっ)、出で来たれ」

 

 男の声と共にお守り札が弾け、濛々たる白煙が辺りを覆う。

「煙幕のつもりかよ、こんなもん!」

「いや、これは……」

 仙狸が足を止め、槍を構える。

 その尻尾の毛が逆立っている。

「羅刹、気を付けよ!」

 駆け寄ろうとする羅刹の足元に、煙が低く忍び寄る。

 その煙から冷気と、それ以上に不穏な気配を感じて、羅刹は思わず飛びのいた。

「……なんだこれ!こんな術があんのか?!」

 羅刹の足元に忍び寄っていた煙が、有ろうことか、吹き降ろす山風に逆らい中空に集まり始める。

 夜霧にも似た、もやもやと捉えどころのない姿には、仙狸は何となく覚えがあった。

 これは式や術ではない。

「煙煙羅(えんえんら)……」

 戦慄を伴う仙狸の言葉に、羅刹が唸るような声を上げ、こちらに手のように伸びて来た煙から、再度身をかわした。

「妖(あやかし)じゃねぇか?!」

 何で陰陽師が妖怪とつるんでいやがる。

 ひぃひぃひぃー。

 その羅刹の低い呟きに応えるように、その煙にしか見えない妖から、木のうろを吹き抜ける風のような音が聞こえた。

「……この野郎、笑ってんのか?」

「まぁ、笑いたくもなるじゃろうよ……わっちの武器は槍、お主は斧」

 押し包むように迫って来た煙から、仙狸は大きく飛び退って距離を取った。

「こやつの煙の体に傷を負わせるに、向いた武器では無いでな」

「畜生……それじゃどうすりゃ」

 こんな奴の相手をしてる暇はねぇのに。

「ええい、わっちにも判らぬよ!」

 煙なら風で吹き飛ばせる物だが、ちょっとくらいの風では意味が無いのは、最前見た通り。

 打開策を探るべく、記憶を辿りながら、仙狸は鋭く声を上げた。

「羅刹、煙の薄い部分は、多少触れても痛いで済むが、濃い部分には気を付けよ、あれに取り込まれたら、わっちらとて力を奪われ、最悪存在が消滅するぞ!」

「そいつは……ぞっとしねぇなっ!」


 
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