「さて、私はそろそろお暇しますね、お煎餅ご馳走様でした、美味しかったですよ」
品よく微笑みながら立ち上がる彼女に、閻魔は寝転がったまま、顔だけ上に向けた。
「もう少しゆっくりしてったら? お構いはしないけど」
「お誘いは嬉しいのですが、これでも多忙な身ですので」
「暇は作る物よー」
「ご尤もです、知恵者などとおだてられも、中々そちらの知恵が出ないのが、我ながら情けないですが」
くすくす笑いながら、頭巾でその長い髪と顔を隠す彼女に、閻魔は珍しく布団から出てきて傍らに立った。
「そっか、貴女ならいつでも歓迎するわよ、霊体で良いから、また来てね」
「そう言って頂けると嬉しいですよ、呼ばれることは多い割に、歓迎される事が少ない物で」
「調停や、裁定事が多いと、嫌われる事多いわよね」
「冥府の裁判長殿が仰ると重みが違いますね……それでは、ご厄介をお掛けしますがくれぐれも」
「ほいほい、任された……しゃーない、久しぶりに働きますかね」
面倒そうに法服に袖を通しだした閻魔の姿に目を細めながら、彼女は低く呟いた。
「三年鳴かず飛ばず、その鴻(おおとり)が目覚め羽ばたけば、その様は如何に?」
「三年呆けてた奴がいきなり飛べば、なまり切ってて墜落死じゃないかしらねー……あ、やばい、二の腕ぷよぷよしてる」
「あらほんと、いい感じに柔らかいですね」
「まずいわねー」
「そうですか? この柔らかさも魅力的ですよ……まぁ、貴女が働く姿も素敵だとは思いますが」
「いやー、法服仕立て直すのって結構面倒なのよ、邪鬼ちゃんも地上に行っちゃったし……」
「……髀肉の嘆かと思ったら、今の生活を止める気は無い訳ですね」
「もうね、堕落の味は覚えちゃうと駄目ねー……所でさ、寝ててお肉が引き締まる方法とか知らない?」
「そんな夢のような話はちょっと……取り敢えず煎餅止めるとか如何です?」
苦笑しながらの彼女の言葉に、閻魔は天を仰いだ。
「わたししんじゃう」
「……そうですか、しんじゃうのは困りますね」
「でしょ、何か良い知恵ちょーだーい」
「流石に直ぐは浮かびませんので、また考えて置きますね、その話でも手土産にして、また伺います」
「えー、次はこの哀れな閻魔に何をさせる気ー?」
「嫌ですね、私が毎度取引に来る、行商人みたいじゃないですか」
「情報行商屋かぁ、儲かりそうねぇ、やったら?」
「私、お金稼いでも使ってる時間が無いんですよ」
「暇は作る物、作る物」
「ええ……なので、こうしてあの青年の事、貴女にお願いに伺ったんですよ」
「ほほー」
閻魔が法服の帯を締めている隣で、彼女は掛けてあった外套を手にして、無造作にそれを体に巻き付けた。
理知的な美貌を頭巾に隠し、地味な外套を羽織ってそのたおやかな肢体を隠すと、その神々しい程の姿は何処からも窺い知ることは出来ない。
「お忍びが様になってるわねー」
「あちこちに行く事が多いので自然と……ですね」
「戦の多い国の神様は大変ね」
「戦が多いと、私以上に、冥府も大変でしょうに……」
他人事のような閻魔の言いぐさに苦笑して、彼女は言葉を次いだ。
「私たちの暇の為にも、少しで良いから平和になってもらわないと」
冠と笏を手にした閻魔が、控えの間の扉を開こうとした、その手を止めて、傍らに目を向けた。
「最後に聞いて良い?」
「何か?」
「……そんなに、あの青年の事買ってるの?」
この世界に、平穏をもたらす存在だと。
いや、そもそも、貴女が直々に動くほどの……。
「ええ」
彼女は頭巾の中で、その薄紅の唇を僅かに綻ばせた。
「可愛い妹分が、心底惚れ込んで、信じた人ですから」
そう口にした、その顔を見て、閻魔は微苦笑を浮かべた。
参ったなぁ……こんな顔見ちゃ、本気で働かざるを得ないじゃんねぇ。
「呼び止めて悪かったわね……それじゃ、久しぶりにお仕事いってきまーす」
「行ってらっしゃい」
(何故だ、何故私の事が露見した……)
男は走りながらも、荒くなった息を何とか整えた。
ずっとこの身を隠して生きて来た。
陰陽師の修業を終えてから、最もその印象から遠い足軽に身をやつしながら、諸国を渡って来た。
ある時はゆっくり洗脳した戦友に功を上げさせて、軍の上層部に押し上げ、またある時は、妖怪退治の功を譲って、僧を寺の要職に就けたりもした。
こうして、有力者の側近くに、彼の意のままになる存在を置くことで、生殺与奪を意のままに出来る力を握りながら、世の情勢を見つつ、天下を窺(うかが)う。
そんな彼の半生を賭けた野望が、水泡に帰すというのか。
式姫の主という、最も魅惑的な地位。
その立場に至れば、こんなみじめで迂遠な雌伏をする事も無い、全てを力でねじ伏せる事すら叶う。
その力に魅入られてしまい、常よりも性急に動いてしまった。
……いや、本当にそれだけか?
(お前様の力……妾だけは知っております)
あいつの囁きが、私の魂に忍び寄るのを、許してしまった。
(そのように、泥土の中を這いまわりながら、ある日蝶になる事を夢見るお姿も良い物ですが……)
あいつは、私の計画を全部見透かしていた。
いや、私の不安も、不満も、迷いも……その全部を。
(お前様はご存知ですか?お前様のような才人がそのような苦労をしておるのに引き比べ、何の才も無い男が、式姫を多数従え、この世の春を謳歌しております)
藻(みくず)。
そう名乗った女は、四つの殺生石を私に手渡しながら、俺の耳朶を甘噛みするように、囁き続けた。
(そのような事、あまりに理不尽ではありませぬか)
無能を殺し、有為な者がその座に就く……今はそれが正しい時代。
お前様もまた、その野心を羽ばたかせる時ではありませぬか。
……私は、あの女狐に誑かされ、動いてしまったのか。
男は強く頭を振って、その疑念を、一時打ち消した。
「待ちやがれ!」
「逃げても無駄じゃ」
式姫の声が背中に迫る。
やはり、単純には人が逃げ切れるような相手ではない。
手の中に握りこんだ守り札に、力を満たす。
今はとにかく生き残らねば。
生き残れば、まだ先は見える筈。
「疾ッ(ちっ)、出で来たれ」
男の声と共にお守り札が弾け、濛々たる白煙が辺りを覆う。
「煙幕のつもりかよ、こんなもん!」
「いや、これは……」
仙狸が足を止め、槍を構える。
その尻尾の毛が逆立っている。
「羅刹、気を付けよ!」
駆け寄ろうとする羅刹の足元に、煙が低く忍び寄る。
その煙から冷気と、それ以上に不穏な気配を感じて、羅刹は思わず飛びのいた。
「……なんだこれ!こんな術があんのか?!」
羅刹の足元に忍び寄っていた煙が、有ろうことか、吹き降ろす山風に逆らい中空に集まり始める。
夜霧にも似た、もやもやと捉えどころのない姿には、仙狸は何となく覚えがあった。
これは式や術ではない。
「煙煙羅(えんえんら)……」
戦慄を伴う仙狸の言葉に、羅刹が唸るような声を上げ、こちらに手のように伸びて来た煙から、再度身をかわした。
「妖(あやかし)じゃねぇか?!」
何で陰陽師が妖怪とつるんでいやがる。
ひぃひぃひぃー。
その羅刹の低い呟きに応えるように、その煙にしか見えない妖から、木のうろを吹き抜ける風のような音が聞こえた。
「……この野郎、笑ってんのか?」
「まぁ、笑いたくもなるじゃろうよ……わっちの武器は槍、お主は斧」
押し包むように迫って来た煙から、仙狸は大きく飛び退って距離を取った。
「こやつの煙の体に傷を負わせるに、向いた武器では無いでな」
「畜生……それじゃどうすりゃ」
こんな奴の相手をしてる暇はねぇのに。
「ええい、わっちにも判らぬよ!」
煙なら風で吹き飛ばせる物だが、ちょっとくらいの風では意味が無いのは、最前見た通り。
打開策を探るべく、記憶を辿りながら、仙狸は鋭く声を上げた。
「羅刹、煙の薄い部分は、多少触れても痛いで済むが、濃い部分には気を付けよ、あれに取り込まれたら、わっちらとて力を奪われ、最悪存在が消滅するぞ!」
「そいつは……ぞっとしねぇなっ!」
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式姫の庭、二次創作小説になります。
ヒロイン……その内出てきますよ、ハハハ……
承前:http://www.tinami.com/view/892392
1話:http://www.tinami.com/view/894626
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