中級と言うよりは下級の方が近い、一官吏である私の朝は早い。
未だ人もまばらな庁内寮の食堂で、いつもと同じ簡素な朝定食を注文する。給茶場で茶を一杯汲み、これもいつもの指定席に座ってもそもそと食べ始める。
入庁時に純(田豊)さんと静(沮授)さんから庁内食堂もこの時間からやっているからそっちを使ってもいいんだと聞いてはいるが、あちらは私のような下っ端から王まで誰でも来てしまうのでこちら(寮)の方が気楽でいい。
新聞を読みながらゆっくり食事をする者も居るが、私は元が小食で直ぐに食べ終わってしまうのでながら食べはしない。荷物を肩に掛け、下膳をすると直ぐに職場へ向かう。『経産部』と看板のかかった門を抜け、更衣室に荷物を置き出勤札を裏返して執務室に入る。
――――この時間は割と嫌いではない。
新人だった頃に同期が朝の雑用を新人が行うなど時代錯誤な不合理だと愚痴って居たが私は必ずしもそうは思わない。
そもそもが現代の都では高位の者程その職として高能力だというのが徹底している、故に下っ端が雑用を行うのは効率上当然至極である。しかも雑用と言えど機密性のある事務が多いのでこれ以上の外部委託はそぐわない。それに各課の配布物や郵便物、決裁書類等の運搬に伴い日常事務では知り得ない多様な情報を目にする機会もあり、また配送時に他の幹部級の方々に顔を覚えてもらえる機会も得られる。出世する気の無い奴は執務室に籠って定時に来て定時に帰るといい。
「おはようなのです」
「おはよう御座います」
部長、課長の順から先輩たちの机を拭き、軽く床掃除とゴミ捨てをした頃に経産部長―――――ねね様が出勤された。
ねね様も朝は早い。私が配属されたての頃は今日こそ一番で出勤だろう、と思っていたら既にねね様が出勤されていたというのを何度も繰り返し漸く今の時間なら一番になれるというのを確立したものだ。
「相変わらず柳花は早いのです」
「ねね様こそ」
ねね様――――陳宮様は殊の外私に目をかけてくれ、何かにつけ親身に指導をしてくれる。配属時の初対面で名乗った時は案の定と言うか『そうですか、【あの】桂花の妹ですか…』と顔を顰められてしまったが、その後の暫くのやりとりのうちに「中々見どころのある子なのです、ねねが直々に育ててやりますぞ!」と真名まで交換して頂けた。ねね様の御指導ではたまに二足程経過が抜けて結論を言われてしまう事があるが、それは斯く斯く云々であるからそうだと言う事ですかと推論して補えば非常に有用であることばかりだ。私が出世を目指すのはねね様の御恩に応えたいという一面もある。
「そうそう柳花、昨日の衣料組合との出店区画…ふぁ…打ち合わせを反映した計画図の修正は今週中にやっておいて下さい」
「はい」
口を押え目尻に僅かに涙を浮かべたねね様の欠伸を見て、ふと思い出す。
「寝不足ですか、ねね様」
「………そ、そんな事は無いのです!ちょっと太陽が目に染みただけなのです!」
途端に赤くなって目尻を拭くねね様は明らかに嘘をついている。昨夜はねね様が一刀様の御伽番だった事は当番表を見れば直ぐわかる事だ。
当番表は基本的に実名を書く事になっているが、個人情報である為予め総務部と取り決めた偽名も認められている。尤も多くの者が自身の寵愛を示す為に実名を書いているが、中には姉やねね様のように偽名を用いる者も居る。とは言え黄金の右足と書かれて居て誰だか分からない等と思っているのはねね様御本人だけに違いない。
「そうですか。私が帰らせて頂いた後に一刀様とお打合せの御予定との事でしたから、さぞ遅くなられたのかと」
「……あ、ああ、そうなのです!あの馬鹿が、いつまで経ってもその……わからんちんなので、全く遅くなってしまったのです!」
「そうでしたか。大変でしたね」
先程は寝不足ではないと言われていたのがあっという間に一刀様の所為となっている。御伽番の日はねね様は夕方になるとそれはそれはそわそわされており、その日は皆定時退庁することが経産部の不文律だ。恐らくは仕事の話など言い訳で、一分もせずに一刀様に可愛がって頂いていたのだろう。叔母が『ツンデレは病気』と言っていたが、姉のそれはともかく頬を染めたまま怒っているようでいて口元が緩みかかっているねね様のそれはとても愛らしいものだ。
「ま、全く…良いですか、柳花」
「はい」
ああ、いつものお説教だ。
「柳花はいつまでも清い体でいるのですよ」
ねね様が一刀様の事を考えていて、目の前に私がいると必ずされるお説教だ。これを聞くといつも胸に生温かいものが沸き上がり、笑みを抑えるのに心地よい苦しさを感じる。
「はい、ねね様」
嘘です。
私は既に身も心もとっくに一刀様の物になっています。…くふ。
「柳花はまだ色事等に構わず、しっかり勉強することが必要な時期なのです」
「はい」
一刀様に性の勉強を体の奥深くに教え込んで頂いています。それはもう、ずっぷりと。
「と・く・に!あの種馬には、必要以上に近づいてはなりませんぞ!」
「はい、仰せのままに」
必要な時は必要なだけ、熱く濡れた身体の奥まで、敏感な粘膜や喉の奥までも近づかさせて頂きますが。くふふふふ。
「最近は些細なきっかけであいつの毒牙にかかってしまった者も居ると聞くので十分気をつけるのです」
「はい、注意致します」
きっかけは、確かに些細かもしれない。
私が潁川の実家に居た頃はたまに帰郷すると曹操様の事しか喋らかなかった姉がいつの頃からかその人の悪口しか言わなくなり、姉と並んで優秀で勝気だった叔母までが特殊性癖で有名になって入れ込んでいる一刀様という方とは何者だろうと思ったのが入庁前。
就職したのを機に会ってみたいと言っても姉は碌に取り合ってくれず、冀州の仲間に頼んで『桂花の妹です』とお目通りしたら困ったように『桂花はきっと荀諶さんがとっても大事だから会わせなかったんだよ』と言われ、あんな偏屈な姉を庇えるとは優しい人なのだなと思ったのが一年ほど前だっただろうか。
そして御遣い等でちょこちょこお会いしていたある日、こっちに勤めてからすっかり変わっていた椿(審配)さんから
「柳花ちゃんもそろそろお年頃だからぁ、ちょっと社会勉強しておいた方がいいんじゃなぁい?」
と、昔と違って底知れぬ深さを湛えるようになった黒い瞳に誘われた。
その社会勉強の行先は後宮の寝室の脇にある、硝子張りのように見える――――後で名を知ったが『まじっくみらー』の小部屋だった。
その後見たものの衝撃は忘れない。
知識が全く無かった訳ではないが、ぼんやりと想定していたものとはかけ離れていた。
支配する雄と、隷従する雌。情欲に溺れる二匹のケダモノ。
それは、私の心の奥底に眠っていた倒錯的な欲望が暴き立てられた夜だった。
事が済み、一刀様が休まれた後に小部屋の扉を開けて腰が抜けて立てない私に
「ちょっと刺激が強すぎたかしらぁ?…でもぉ、柳花ちゃんも、い じ め て 欲 し い で し ょ う ? 一刀様、に」
と、太腿を伝うものもそのままにそう問いかける椿さんに、私は頷く以外には思いつかなかった。
しかしそこからの壁は中々に厚かった。
私は姉に似て顔立ちはそれほど悪くない自覚があった。体つきも姉に比すればまあましなモノを持っており、素性も割れていたので世の皇帝と呼ばれる人物ならとりあえず味見位ならされるものだろうと思っていたが、それはかなり甘い考えだと言う事を思い知らされた。
姉は当てにならない事は分かっていたので叔母伝手でと考えたが、その叔母にも『あんたが考えてるよりだいぶ一刀様身持ち固いし、最近周囲の警戒もキツイからまともじゃまあ無理よ』と執務から顔も上げずに突き放された。
しかし日に日に思いは募り、ある日思い余って御遣いを口実に直接一刀様にお召し頂けるよう伏してお願い申し上げたが、叔母の予想通り自身を大切にするようにと諭されつつ人生初の告白はやんわりと斬り捨てられてしまった。
しかしそれで諦めるような荀家の血ではあるものか。一策を講じ、冀州の先輩扮する売春の仲介人から金を受け取る現場を一刀様に目撃させ、目論見通り割り入って来られどうしてこんな事をと問われる一刀様に人生最高の本気で、一刀様の物になれぬ人生なら慰み者として捨ててしまっても構いませんと泣いて訴えた。これで駄目ならもう本当にこのまま娼婦に身を落してもいい。その覚悟を決めた願いに何かを感じて頂けたのだろうか、ややあってここじゃ人目がある、俺の部屋に来てちょっと話そうと肩を抱いて下さった。
その後はまあ、お察しの通りだ。
私の性癖等知らぬ一刀様はお優しく、あくまで処女の恋人を抱くように御自身のものにして頂いた。
二度目の御伽には思い余って生協で買った拘束具を持参したが、『うんひょっとしてそうかなって気はしてた』と驚かれなかった事にこちらが驚いた。血は争えぬとはこの事なのだろう。
「柳花には身近に悪い見本が有り過ぎなのです。殊に荀攸は雌奴隷などと自称して、あんなものは絶対に見習ってはいかんのですぞ」
ねね様が、私が既に一刀様の性奴隷だと知ったらどんな顔をされるだろう。絶望して顔色を失ってくれるだろうか?それとも嫉妬で怒ってくれるだろうか?ああ、どうせだったらその現場をねね様に見て頂きたい。清くあれとあんなに何度も念押しされた私が、熱く逞しい一刀様に蹂躙されて歓喜の声を上げているところを縛りつけたねね様の目の前に晒したい。そして私の中から溢れ出した一刀様の物がねね様の御顔を汚して…くふ。くふふ。
いやそこまで来たらそれだけでは勿体無い。更に衝撃の現場を目撃して自失しているねね様を一刀様が背後から抱え上げて、ズブズブに突き刺さったそこを私が舐めながら逐一事細かに実況し、羞恥と快楽の涙と涎に塗れた忘我の恍惚にねね様を堕とすのだ。さらに二人で一刀様の前にお尻を並べて…
くふっ。
くふふっ。
くっふふふふふふふふふふふふ。
「柳花?聞いているのですか柳花」
「あ…申し訳ありません、ねね様」
「全く、柳花はとても優秀ですが最近たまに上の空の事があるのです、気をつけるのですぞ」
「はい、心致します。ところでねね様、最近ちょっといい酒が入りましたので来週末にでも一杯如何でしょうか?」
入っているのはお酒だけじゃなく、椿(審配)さんからの伝手で入手したとあるお薬もですけれどね。
来月には寮から後宮に移るのだから、もうねね様に隠す必要もない。来週末の当番表の名前もその他(六)から実名に変えよう。
くふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ。
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その後の、とある妹の話です。