門前市をなす閻魔庁……か。
できれば市ではなく、雀羅を張って欲しい所ですが。
我ながら益体もない事を考えていると思うが、夜摩天は登庁時に見た、自分たちの審判を待つ亡者が、列をなしている光景を思い出しながら、ため息をついた。
「朝っぱらからやーねー、幸せ逃げるわよ」
「貴女がとりついてる間は不幸せ確定ですから、今更幸せの一つや二つ……それで、今日の言い訳は何です? 閻魔」
自分より先に控えの間に居る辺りは立派だと思わなくもないが、すでに布団に包まっている同僚の姿は、毎度の光景ながら、些かならず腹が立つ。
「ぽんぽんいたいの」
「……本当に痛くして差し上げましょうか?」
軽く握り拳を作って見せる。
自慢にもならないが、断罪の斧を軽々と振るう鬼神の長の一人たる自分である、たとえ素手でも本気で殴れば痛いでは済まない。
「きゃー同僚が怖いわ」
「閻魔や夜摩天が怖くなくてどうするんです……全く」
毎度の事で、もう腹も立たない……布団から出る気配のない同僚には期待もせず、夜摩天は登庁時に纏っていた、地味な袍を脱いでから、仕事の衣に袖を通した。
毎度のことながら、この服は重い。
重々しさを出すためか、生地自体も厚手の物だが、何より、この服の示す職位の重さは、望んでなった物とは言え、慣れる事は無い。
「まー、先代から比べると、今代の夜摩天、閻魔は怖くないわよねー」
「せっせと威厳を落としてるのも居ますしね」
煎餅口に咥えながら、碌に審判も行わずに地獄行きを宣する閻魔など、別の意味で怖くはあるが、威厳もへったくれもない。
正直あんな判決乱発されて、後始末に奔走する位なら、自分が二人分の仕事をこなした方がマシ。
そう思って、彼女の怠惰に任せて、自分で仕事を全部片づけるようになってこちら、一応規定通りの人数を日々裁いている辺り、我ながら大した物だと思うが、この上で閻魔さえマシな仕事をしてくれていたら、あの門前の亡者の群れも、もう少しましになるのに……。
(我ながら損な性分です)
肩をすくめながら、仕事用の眼鏡に掛けかえる。
赤い縁を持つそれは、誰にも言わないが、色々な思いを込めた、自分なりの精いっぱいのお洒落。
最後に職位を示す冠を被り、笏を手にする。
これにて夜摩天、冥府の裁判長の出来上がり……。
「困ったもんねぇ、強面のお面でも作らせる?」
「貴女は、ひょっとこのお面でも被っていたらいいと思いますよ……それじゃ閻魔、お 大 事 に」
「悪いわねー、病弱で苦労を掛けるよ」
ごほごほと、芝居がかった咳をする閻魔に苦笑だけ向けて、夜摩天は部屋を出た。
嫌味をいくら言っても、暖簾に腕押しでは張合いもないが、とはいえ、この位は言わないと、夜摩天の方の気が持たない。
「見る目、嗅ぐ鼻」
長い廊下を歩く間に、執務の相談を済ませるべく、彼女の仕事の片腕たる鬼二人を呼ぶ。
「これに」
「控えております」
双子の、異常に歳経た老人のように見える二人が、音もなく彼女の傍らに現れる。
見る目、嗅ぐ鼻。
死者の生前の行いの全てを、三尸虫の情報を元にして、冥府の審判に供する為に纏め上げる役割を担う二人。
「今日は、何か私が心に留めておく事はありますか?」
まれに居るのだ、獄卒が賄賂を貰って、本来死ぬべき人を見逃したり、その逆をしたりする事が。
それを察知して、適切な判断を下すのも、彼女の役目。
「それが、少々ややこしい事が……」
「何と申し上げれば良いか……」
「珍しいですね、何があったのです?」
この二人が口ごもるなど、中々ある事ではない。
懸念よりむしろ好奇心をそそられて、夜摩天は二人の次の言葉を促した。
「困ったことになりました」
「羅刹が亡者を一人伴って来たのですが」
「羅刹が亡者を連れてくるとは、珍しいですね」
鬼神族でもかなり名の知れた戦士の一人であり、彼女の昔馴染みでもある羅刹の、浅黒い精悍な顔を思い出して、夜摩天は目を細めた」
「……ですが無い話ではない」
それだけでは無いでしょう?
と目で先を促された二人が口ごもる
「仰せのとおりです」
「羅刹がですな、こちらにはその亡者を絶対に引き渡さないと頑張っておるのです」
「……何ですって?」
理に合わない事を聞かされた時の、微かな苛立ちを込めて、夜摩天はわずかに声を荒げた。
「それで、二人は今どこに、まだ羅刹は暴れているんですか?」
「最初は羅刹が獄卒を蹴散らして、到底手が付けられなかったのですが」
「でしょうね」
かつて、修羅 ー終生を戦いに捧げた鬼神ー すら食らうと恐れられた羅刹の名を継ぐ末裔である。
その辺の鬼が束になっても、相手を出来るような代物ではない。
「彼女を抑えられる者がそうそう居るとも思えませんが?」
「実はですな」
「その当の亡者が、少なくとも審判は受けようと羅刹を説得してくれまして」
「今は、羅刹共々、審判の間に控えております」
「人が羅刹を説得して、大人しくさせたと……面白いですね」
実に面白い。
重ねてそう口にした彼女の目が、欠片も笑っていないのを見て、二人は背筋が寒くなるのを感じた。
「では、そういう面白い話は先に片づけるとしましょうか……それで、その亡者とはどういう人物です?」
「それが、その亡者も」
「中々難しい存在でして」
「そうでしょうね、羅刹がそこまでするというのは……で?」
顔を見合わせていた二人が、言いにくそうに重い口を開く。
「この者、本来死ぬ定めにございません」
「では、送り返すのにさほど面倒は無いでしょう、何故しないのです?」
「それが、今見た所」
「本日死ぬ定めになっておったのです」
「……閻魔帳の改竄ですか?」
「そうとしか……」
「それはそれで、由々しき事ですね。調査は?」
「むろん進めておるのですが、どうも陰陽師が絡んでおるようで、手繰り切れませぬ」
陰陽師……。あの面倒くさい連中か。
あいつらが理を弄る度に、どれだけこちらが面倒の始末をつけるのに手間を掛けているのか、判っているのだろうか、あの小賢しい輩は……。
大陰陽師として名を残すような者は、むしろ術を滅多に使わず世の理が穏やかに流れるように、あちらの世界で頑張ってくれるのだが、世の大半の陰陽師という輩はそうではない。
人の寿命を金銭で贖ったり、逆に拝み殺したり。
「調べは続けなさい。しかしよく、陰陽師が為した改竄に気が付きましたね?」
大体の場合、自分ですら気が付けないというのに……。
「……実は我らの功ではありませんでな」
「とあるお方から、ご指摘がありまして」
とある……ね。
「……聞かなかった振りぐらいはしてあげますから言いなさい、お名前は?」
最初から、夜摩天のこの言葉は覚悟していたのだろう、二人が声を低くする。
「……日ノ本の天津神が御一柱」
「思慮深く、天地万物を見透す神」
(成程、あの方か)
彼女なら、見る目、嗅ぐ鼻の二人に夜摩天が口を割らせるだろう事まで、判った上での介入だろう。
正しい事を告げただけにしても、普通、人一人の事で、そこまで動くほど神々は暇ではない。
(しかし、どういう心算です、一体)
だが、内心とは別に、夜摩天は了解したというように一つ頷いて見せた。
「亡者も只者ではないようですね」
夜摩天の言葉に、二人が頷く。
「この者、式姫を従え、大戦の途次にある者」
「それも……数十を数える式姫」
「何ですって!」
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夜摩天が如何に庭主の仲間になったのか……という、式姫の庭、妄想二次創作小説です。
そんなに長くならないと思いますが……