――夜。
琥珀を仲間に加えた一刀達だが、その後はいつも通りの日常へと戻っていた。軍事面での琥珀の政務を取り決めるなどの会議はあったが、それ以外は本当にいつも通り。一刀は警邏に向かい、細々とした案件を処理した後、城へと戻る。
そんな日中が終わり、夕日も完全に沈んだ頃。空には月と星が敷かれ、街を照らしていた。
暗がりの中、黒い衣を纏った”彼女”は街を歩いていた。仕事を終えたもの。これから働くもの。様々な人間が行き来する中、”彼女”はその衣服のせいかひどくその情景に溶け込んでいた。
いつからそこにいたのか。誰にも気づかれること無く、そこに存在している。
そっと、”彼女”が呟いた。
【??】「まだ…か」
その声色はひどく落ち着いていた。あまりに静かで、それはまるで何かに絶望したような声だった。
真横に路地へと続くわき道が見えるところ。そこで”彼女”は、ふと、目線を上げる。あまりに抽象的なその視線は何を捕らえているのか。
”彼女”は独り言のように呟く。
【??】「…………ならば、動くとしよう…」
そう呟いて、”彼女”は路地へと入り、そのまま身を闇へと消した。その場に残っていたのは、夜の静けさと、金色に輝いていた、”彼女”の瞳の跡だけだった。
【一刀】「ん、ん~~~っ!」
朝、目覚めて、身を起こす。睡眠中に歪んだ背骨を直すように、背筋を伸ばし、捻る。上体ごと腕を左右に振る。寝台がギシギシを揺れるが、朝の目覚めでそんな事を気にしていられる余裕も無い。
しかし、ある程度目が冴えてくると寝台のゆれに違和感を覚える。ギシギシという音の中に、なにやらモゾモゾとしたものが混じっていた。俺はその音のほうへと目線を移す。しかし、そこには何も無かった。気のせいかと思ったが、体を揺らすのをやめても、モゾモゾだけは止まらなかった。
違和感がまだ収まらず、俺は音のほうへともう一度、目線を移す。しかし、やはりそこには何も無い。だが違和感だけはこれでもかと訴えかけてくる。そこで俺は、目線を違う場所へ移してみた。
すると、なにやら掛け布団がありえない膨らみ方をしている。この膨らみ方ではまるで俺のからだの横幅が1.7倍くらいに膨れ上がったように見える。しかも、その膨れ上がった部分は俺の意思とは関係なくうごめいている。底知れぬ恐怖を朝一で覚えた俺は、その正体を探るべく、布団をめくり上げる―――。
【薫】「ん………」
目が点になるというのは実際に起きる現象らしい。少なくとも俺は今まさに実体験中だ。そこにいたのはつい最近まで呉にとっつかまっていたうちの見習い軍師さん。しかも上は服を着ているが下は下着だけというすばらしい格好だ。ついつい「ほう…」などと呟いてしまうが、今はそんな場合ではない。万が一こんなところを華琳あたりに知られたら………。
考えただけ恐ろしい。
とりあえず、薫を起こしてこの状況を何とかせねば。
【一刀】「薫、おい、薫」
【薫】「ん~………すぅ」
体をゆすってみるが、少し反応した程度で起きてはくれない。
【一刀】「薫、おきろよ。」
もう少し強めに揺らしてみる。しかし、それでも薫は起きてはくれなかった。それどころか、寝返りを打って状況はさらにまずいことになった。上の服がはだけてほとんど下乳が見えかかっている状態だった。
【一刀】「ちょ…お、おい。やばいってこれ以上は色々やばいから、起きろよ!」
【華琳】「一刀、はいるわ……よ……。…」
少し強めに叫んだ瞬間、軽い音をたてて、その人は入ってきた。
【薫】「……ん…一刀?」
【一刀】「………」
【華琳】「………」
俺は寝台の上で体を起こす。寝起きなので当然服はくちゃくちゃ。薫、同じ寝台の上でボケボケ。しかも下半身はほとんどすっぽんぽん。上半身もお腹と下乳丸出し。華琳、その状況を眺めつつ、こちらへと近づいてくる。
【華琳】「何か言いたいことはあるかしら?」
満面の笑みで華琳は俺に尋ねてきた。言いたいことなど山ほどあるが、俺は必死に言葉を選び――
【一刀】「おはよう、華琳。なんだよ、ノックくらいしてくれても……っどわぁぁっ!!!」
【華琳】「その勇気だけは褒めてあげるわ一刀。何事も無かったように流そうとするなんて確かに普通の神経なら出来ないことだわ!!!!」
俺の首筋にはいつの間にか、華琳様ご愛用の鎌が据えられていた。
【一刀】「お、おちつけ、華琳!こ、これには深い理由が……(あったりなかったりそうでもなかったり……)」
【華琳】「だまれ、種馬!!!!」
華琳の鎌―絶―が、振り切られる――!
【一刀】「何で!…っだあああああああああ!!」
生まれてから今まで感じたことの無いほどの速度で首を引っ込める。若干髪が切れたような感触があったが、そんな事を気にしている場合ではない。俺はそのまま寝台を飛び降り、華琳の脇をすり抜ける。
【華琳】「よけるな!!」
【一刀】「無茶言うな!!!うわぁぁあっっ!」
鎌の切っ先が俺の背中を掠めるように振り切られる。それをギリギリでかわして、俺は扉の外へ逃げ出す。
【華琳】「待ちなさい、一刀!!その節操のないモノを斬りおとしてやるわ!!!!」
【一刀】「あ、朝からなんて事言うんだよ!!」
【華琳】「うるさい!!」
あんな重い刃で斬りおとされるなんて、考えただけで朝だちも真っ青だ。
【一刀】「見ろ、すっかり縮こまってるじゃねーか」
廊下を走りながら、俺は後ろの華琳へと声をかける。
【華琳】「し、知らないわよっ」
照れるなら始めから言わなきゃいいのに、とは黙っておこう。これ以上刺激したところで意味はない。
【薫】「ん………何?」
そして、部屋に残ったのは色々なものに乗り遅れている薫だった。
ぶっ飛んだ目覚めから数刻。
追い回してくる華琳を振り切り、俺は街へと出ていた。さすがに朝からアレだけ走り回れば体もすっかり目が覚めて、異様にテンションが高かった。
【一刀】「はぁ……つかれたーーー!!!」
ただ、気持ちは高ぶっているのに体が着いて来ないようだ。昼間から疲れたなどと声をあげるのはどうかとも思うが、今は
気にせず空に向かって手を伸ばし、体を伸ばす。筋が延びていく感覚が少し痛みを伴うものの、妙に心地いい。
うなり声のような声を出しながら、俺は伸びきった体を重力に任せた。ストンと体全体が下に沈んだように落ちる。
「どうするかな」なんて呟いて、これからの行動を考える。
ふと、目線を前へ向けると、見知った顔がこちらへ歩いてきていた。
【秋蘭】「ん、北郷か」
【一刀】「あ、秋蘭。どうしたんだ?」
【秋蘭】「それはこちらが聞きたい事だ。今日は朝から華琳様の機嫌がすこぶる悪い」
若干伏目になりながら、秋蘭は俺にそういってきた。その原因はほぼ間違いなく俺だろう。しかし、そういう話題を振ってきたということは……
【秋蘭】「おかげで予定外の仕事が増えてしまったよ」
【一刀】「ははは………ごめん」
どうやら、しわ寄せが秋蘭に行ってしまったようだ。しかし、それほど嫌そうな顔はしていなかった。八つ当たりとはいえ、秋蘭が華琳からの言いつけを嫌々するはずもないということだろうか。
【秋蘭】「北郷、暇ならば少し付き合ってくれないか?」
【一刀】「いいけど、なにするんだ?」
【秋蘭】「なに、ただの買出しだよ」
秋蘭はそれだけ言うと、前へと歩き出した。それについていき、俺も歩き出す。
隣に並ぶように歩くと、秋蘭の気配を嫌というほど感じる。洗練された芸術品を思わせるような雰囲気で、周りの喧騒がかき消されるような錯覚に陥る。それだけ彼女の持っている何かに、俺は惹かれていた。
しばらく歩くと、秋蘭は「ここだ」といって、そこに在った店の中に入っていった。
【一刀】「これは…お茶?」
【秋蘭】「あぁ、華琳様がいつも飲まれている茶葉が切れそうだったのでな」
俺も中に入り、店の中を見渡す。所かしこに様々な茶葉が並べられていた。秋蘭はその中のひとつを選び、店主に何か話している。少しして、秋蘭は奥から袋を持って出てくる。
【秋蘭】「これを持ってくれるか?」
【一刀】「やっぱり荷物もちなわけね。了解」
【秋蘭】「それ以外に付添いを頼む理由などないだろう?」
【一刀】「それはまぁ」
【秋蘭】「なら、次へ行くぞ」
【一刀】「あいよ」
ここ最近味わっていなかったまともな会話に感動を覚えつつ、俺は秋蘭から茶葉を受け取り、再び彼女について行った。
また少しの時間街を歩き、次に到着したのは本屋。いわゆる書店。
【秋蘭】「ここだ。北郷」
【一刀】「ここって、秋蘭欲しい本でもあるのか?」
【秋蘭】「これは華琳様のための買出しだ。欲しいものが無いわけではないが、今日は買うつもりは無い。」
という事は、華琳の本を買いにきたのか。さっきの茶葉といい、本といい、かなり華琳の私物のような気がしないでもないが、この際突っ込むのは止めておこう。何しろこの買出しのきっかけは俺だ。不可抗力だけど。
秋蘭は書店の中へと入っていく。俺も一応ついていく。
店の中の書棚を眺めてみるが、題目ですら読めるものと読めないものが出てきた。最近になってようやく常用単語程度は理解できるようになったが、さすがに書物で使用されるような言葉になるとかなりつらくなる。
しばらく並べられている商品を眺めていると、秋蘭がこちらへと歩いてきていた。
【秋蘭】「欲しい物でもあるのか?」
【一刀】「ん、あ、いや、ただ見てただけだよ。もういいのか?」
【秋蘭】「あぁ。とりあえず買うものはそろった。」
【一刀】「そかそか。んじゃ、ほい」
俺は秋蘭へと開いている手を差し出した。
【秋蘭】「ん…?」
【一刀】「んって、荷物持ちだろ?」
【秋蘭】「あ、あぁ。そうだな。すまない」
秋蘭は俺に購入した本を手渡した。両手がふさがった状態で、俺は店をでた。
外に出ると、まだ空は明るくて、太陽が大地を焼くように輝いていた。
【一刀】「少しお腹すかないか?」
【秋蘭】「そうだな。少し、小腹がすいたかもしれん」
【一刀】「んじゃ、ちょっと飯でも食ってから帰ろうぜ」
【秋蘭】「あぁ、わかったよ」
基本的に相手に会話を合わせてくれる秋蘭。彼女と話していると会話がかなり進んで、俺もつい楽しくて話してしまう。
そんな秋蘭を隣に歩きながら、俺達は何処に入るか決めながら街の中を進む。ひとりならば気だるさ全開の気温の中、二人で歩いていればそれほど気にはならなかった。
ただ、やはりこの暑い中、熱い物を食べる気にもなれず、俺達は適当に店を選んで中に入った。
【琥珀】「………おす」
【春蘭】「お、秋蘭!北郷もいるのか」
【一刀】「………はぁ」
急に気だるさ全開の気温が襲い掛かってきた。
【琥珀】「…ヘタレ、その杏仁豆腐もらうぞ」
【一刀】「誰がヘタレだ!っつかやらねーよ」
【春蘭】「ヘタレは本当だろう」
俺達は二人が座っていた席に相席した。まぁ、それ自体はまだいい。別に春蘭の事は嫌いではない。どちらかといえば好意的なほうだ。しかし何故、俺の隣に琥珀が座っているのかだ。この子供は先ほどから俺が頼んだものを事ある毎に奪いに来る。ほとんど強盗、盗賊だ。しかも以上に手が早い。手の動きだけで残像が見えるほどだ。
【一刀】「無駄なところで体力を使うなよ」
【琥珀】「………使わせるなよ」
言葉と同時に、俺の手元に肌色の影が映った。
【一刀】「あぁっ!お前また!」
【琥珀】「モグモグ…食べてる時は静かにしろ」
気づけば琥珀の口が動いていた。まったく持って腹立たしいことこの上ない。
【春蘭】「はっははははは!!!いいぞ琥珀!!」
何を応援しておるか、このアホっ娘は!
【秋蘭】「ふふふ」
妹!お前もか!
【一刀】「くっ、完全にアウェーだな…」
周りは既に敵のサポーター。そして、その肝心の敵といえば今はもふもふと手元のチャーハンをむさぼっている。
………ちょっとかわいい。
【一刀】「敵に篭絡されてどうするかっ!!!!」
【秋蘭】「北郷は琥珀も守備範囲か。ずいぶん大きな器だ」
【一刀】「何でそうなる!?」
よく分からないが、なにやらこれも琥珀にはめられているような気がしてきた。
【一刀】「………はぁ…」
俺はとりあえず、席に座りなおして、改めて約半分になった杏仁豆腐に手をつけていく。
【一刀】「ん……モグモグ」
【琥珀】「間接べろちゅー」
【一刀】「ぶふぅぅっ!!!」
いきなりの言葉に盛大に吹いてしまった。
【春蘭】「うわっ…北郷~~!!!!」
【琥珀】「…汚いぞ、ヘタレ」
【一刀】「お前のせいだろう!なんだ間接べろちゅーって!」
【琥珀】「コハクもさっきそのレンゲで食べたんだ。」
【一刀】「あ、あぁ、口の中までいれちゃったから……って何を言わすか!!」
【春蘭】「北郷!!!貴様~~~!よくも汚してくれたな~~!!!!」
【一刀】「え、えぇ!!春蘭、ちょ、ちょっとまて!!」
【琥珀】「…読み方かえるとちょっとやらしい」
【秋蘭】「お前の人生を少し知りたくなったよ、琥珀」
春蘭が大剣を構えて突っ込んでくる。机を踏み台にするように飛び上がり、頭から見事に割るつもりのようだ……って冷静に解説してる場合かっ!!
【一刀】「うわぁぁぁっ!!!」
【春蘭】「まてえええええい!!!」
身を屈めて、とにかく店から飛び出る。こんな狭い場所で暴れるわけにもいかない。しかしその前にやることがあった。
【一刀】「おじさんっ!ここにお金置いておきます――っって、うわああああああああ!!!」
【春蘭】「ほんご~~~~!!!!」
【店主】「まいど~」
【秋蘭】「あ…華琳様の茶と本…律儀すぎるのも考え物だな…」
【琥珀】「モグモグ」
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カヲルソラ20話
トタバタな日常。もう少し平和が続きます。