「わしの、未来?」
「ああ、こうめの決めた未来に、俺は、思いを託せた」
だから、悔いは無い。
「そりゃ、寂しいけどな」
「お主も、寂しいのか?」
当たり前だ、阿呆。
そう言いながら、男はこうめの頬をつまんで引っ張った。
こんな真似をしたのも、何年かぶりだろう。
幼子の頃なら、気安く接することもできたが、ある年を境に、彼はほとんどこうめに対し、親しく接することはしなかった。
激化する戦闘、拡大する戦線、増え続ける仕事を、自他への言い訳に使ったが、結局、どんどん美しくなっていく彼女を直視するのが怖かったんだろう。、
幸い、自分など居なくても、彼女の母親や姉代わりになってくれる存在達は沢山居た。
そして、今……こうめ自身に、彼女の人生を返す時がようやく来た。
顔の位置が思ってたより高い。
あの、やわらかくてもちもちしていた頬も、今では滑らかだが鋭い輪郭を形作っていて、つまむのも大変。
十年。
全く、あの食欲魔人のちんちくりんが、綺麗になっちまってまぁ。
ほっとするような、寂しいような。
「ひゃにほ」
「こうめ……俺の祭りは終わったんだ」
神々の戦いに、式姫達と共に挑んだ、一世一代の大祭。
「何を言う、そんな事は」
「いいや、俺の祭りは終わった」
何か言い返そうとしたこうめの言葉を、男は優しく、だがきっぱりと否定した。
「こうめや式姫みんなのお蔭で、ちゃんと、笑って終わらせる事ができたんだ」
みんなで泣いて、その終焉を惜しんで。
でも、笑顔で終わらせた。
だから、式姫の皆は寂しそうに、でも誇らしそうに。
確かに笑顔で、この門から彼に見送られ、一人また一人と去って行った。
だけど自分は。
「……いやじゃ」
あの日々が終わりなどと、言わないで欲しい。
「いや……か」
「いやじゃ」
式姫たちと話し、彼女たちの心情を聞かせて貰い、自分でもよく考えて、結論を出した。
そのつもりだった。
せめて、出会いからずっと迷惑をかけ続けた人と、別れの時くらい、困らせずに去るつもりだった。
だが、最後に庭の名残を惜しんできた事が、その決心をぐらつかせる。
あまりにこの庭は、今までの彼女の生と想いの、最も濃密な部分でありすぎた。
「わしは……」
ここに。
式姫の一人も居なくなった……貴方の傍に。
黄龍の顎が建御雷に迫る。
それを力を込めて押し返してはいるが、もはや建御雷は防戦一方。
均衡はすでに崩れていた。
増大する一方の黄龍の力と、乏しくなっていく自分の力。
「く……」
罵り声を上げる余力も無い。
(ボクは!)
自分のこのかりそめの体が消えるのは仕方ない、神たるこの精神は不滅。
だけど。
(今ここで自分が倒れたら)
ボクが認めた、あいつらは……。
「では、軍神建御雷よ……式姫としてこの者を認め……」
何か言いかけたこうめを、建御雷は手を上げて制した。
「必要ない」
「必要ないとは、いかなる?」
「ボクはそいつを殺そうとしたんだよ」
「……!」
その言葉にこうめという少女の顔が強張り、無意識なのか、その小さな体で、男をかばうように前に立とうとする。
「心配するな、こうめ」
その小さな肩を苦笑しながら押さえて、男は建御雷に向き直った。
「殺気は伝わってこない」
「例え実体化したにせよ、殺気なんて見せずに君を殺すくらいは出来るよ」
ふんと鼻を鳴らして、建御雷は男を睨みつけた。
「武神たるボクが、自ら手を下そうとした程の男だぞ」
暴走した慈愛の光の力を抑え込み、ボクの手による死すらかいくぐり……この庭の主となった男。
「最初から……認めてるさ」
「……ありがとよ」
あっさりした言葉のやり取り。
これで、二人の約定は済んだ。
式姫と主が誕生した。
それが判り、安堵の息をつくこうめの傍らで、だが男と建御雷は厳しい表情を崩さなかった。
今交わされた約定は、恐ろしく重いもの。
式姫と主は、その運命を共にする。
神々としての建御雷の強大な力と共に、彼女が負ってきた重荷を、彼も担うことになる……。
「君こそ、本当に良いのか?」
「ああ」
自分が開放してしまったもの、それがもたらすもの。
建御雷の記憶が、教えてくれた。
「君が、ボクに代わってこの地の守りを担うことになるんだぞ」
「判ってる」
「……ずいぶん、あっさり言ってくれるね、軽く考えて無いかい?」
「やるしかないんだろ」
「まぁ……ね」
二人だけが判っていた。
傍らで見ていたこうめには、判らなかった。
10年後に……残酷な現実として突きつけられるまでは。
黄龍の顎の圧力が更に高まる。
それに抗するために力を高めるにつれ、体から失われる力も膨大になっていく。
「……もしかしたら、ここで終わりにした方が良いのかな」
所詮、今を切り抜けた所で、その後に待ち受ける試練と比して、余りに得ること少なき報い。
……なら、いっそ今滅び、神々の戦いに全て委ねてしまった方が、あいつには楽かもしれない。
あいつはやると言ったけど……ボクの重荷を背負わせる位なら。
「腑抜けんな!」
怒号に近い声が、建御雷の頭の中で響いた。
結びつき深き式姫と主は、言葉を介さず、意思をやり取りできる。
「君は!?」
「何を弱気になってやがる!軍神なら軍神らしく、勝つことだけ考えろ」
「だが……君も判るだろ、今のボクじゃ」
「だから手を貸すと言ってるんだ、ちっとはてめぇが見込んだ主と式姫達を信じろ……俺は」
この庭と……あの、頼もしい奴らの主だぞ。
「狛犬ちゃん、ここです!」
天女が地面の一点を示す。
「判ったッス!」
槍の残骸、そう呼ぶのも悲しくなるような、今や狛犬の背より、わずかに高い程度になってしまった槍の柄。
その先を雑に削って尖らせたそれを手に、狛犬が走り出す。
この槍は、常に彼女とともにあった。
多くの物の怪と彼女の血を浴びながら、あらゆる戦場で、彼女と味方の運命を切り開いてきた、先駆けの槍。
走る勢いを一切緩めず、狛犬は高く跳躍した。
目指すのは天女が指さす地の一点。
刺し貫く場所があるならば、彼女に一切の迷いなし。
「うおーーーーーー!突撃ッスーーーーー!」
大地、そして溢れるほどの龍脈を走る気の力。
それすら物ともせず、上空からの狛犬の一撃で、槍がその身の半ばに達するほど、大地に撃ち込まれる。
「うがー……これ以上は無理ッス!」
「十分よ、狛犬ちゃんは離れて……悪鬼ちゃん」
「任せろ!」
傍らにいた悪鬼が、あの一つ目入道が携えていた巨大な棍棒を振り上げた。
「アタイにゃ力しかねーかもしれねぇけどよ」
ならば、その力を磨きに磨け。
そうして磨いた珠を手にした時、全ては逆に、単純な解決に収斂する。
(アタイらはそれで良い、だよな、姉ちゃん)
「おらぁ、斧で一発ぶっ叩けっ!」
狛犬の撃ち込んだ槍の柄が、悪鬼の叩き付けた棍棒により、完全に地にめり込んだ。
「天女、これで良いか!」
「ええ!」
長きにわたり式姫の手にあり、自他の血に塗れ、今や霊槍に等しいそれを、狛犬と悪鬼、二人の式姫が打ち込んだ。
霊気の流れを断ち切る杭として、これ以上の物はない。
悪鬼の力のすさまじさを示すように、棍棒自体も大地を穿ち、周囲を陥没させながらめり込んでいる。
その柄、まだ悪鬼が握ったままのその上に、天女は手を重ねた。
大地を穿つ槍を通して、その深奥に意識を繋ぐ。
強大な力だが、あの大樹と対したときに比べれば、この程度の力、何ほどの事があるだろう。
「土枯れ……水淀む……」
普段の彼女に似ない、禍々しい響きの言葉が、その可憐な口から零れだす。
「病あれ、厄あれ、災渦あれ」
悪鬼もまた、それに和すように、低く呟く。
彼女が式姫になった時に封じた、もう一つの姿。
地を痩せさせ、水を汚し、風に悪疫を撒き……この世界を弱らせる、悪鬼の力。
それを、地脈に流し込む。
「弱れ、絶えろ、こんちくしょーが!」
「天女さんも無茶を考えますこと」
「だよねー、天女ちゃんって、怒らせちゃダメな類の人だよね」
「……ですわね」
天狗と白兎が、一見のんきな会話を交わしているのは、空の上。
小柄とはいえ、白兎を支える帯が、天狗の肩に食い込み痛い。
後ろから抱きかかえる、本来は力仕事に向かない、華奢なその腕も悲鳴を上げている。
「天狗ちゃん……大丈夫?」
「あまり大丈夫ではないですね、それより白兎さんは、この状態からでも撃てますか?」
「私も大丈夫じゃ無いけど……ね」
胸の下を押さえつける紐や天狗の腕が苦しい、肺が詰まる。
でも……やる。
「始めますわよ」
「うん!」
二人が眼下に目を向ける。
闇の中、大地に、燐光のような淡い光の線が走る。
あの一本一本が黄龍に力を送る、地脈の光。
「……綺麗だね」
「……ええ」
自分たちが今から行うのは、この美しい光の乱舞を汚す行為。
白兎が不自然な姿勢で矢を番える。
息をつめ、右手を引き大地の一点を見据える。
(私たちで、地脈の勢いを弱めます)
天女が静かに計画を語りだす。
その弱まった地脈の、次の要。
(上から真っ直ぐに、深く鋭く調伏の呪を込めた征矢を射こむ)
始点と終点は見えている……だが、次にどこが急所になるかは誰にも判らない。
だから、上から見続けて、生じた一瞬を捉え、そこに撃ち込むしかない。
(天狗さん、白兎さん、お願いします)
出来ますか?とは聞かれなかった。
つまりは、そういう事。
「やれやれ……」
白兎を抱きかかえ、天狗が低く真言を唱えだした。
「オン シュチリ キャラロハ……」
羽団扇の力を失った今、術の負担は全て彼女の身に掛かる。
消耗しきったこの身をさらに削る術。
天狗の笑みに凄愴の気が籠もる。
(貴方様だけに、汚れを負わすなど……)
もとより、己の命程度を込めずに、為せる術でもない。
後ろから白兎を抱く、そのお腹の前で交差された天狗の腕から、異様な力が白兎の手を通し、矢じりに集まっていく。
身を伝う、異質でありながら、馴染みのある力。
気持ち悪い。
だけど、この手は揺るがさない。
見据えた目も閉ざさない。
銀の鏃が、人参の色を模した矢羽が、昏い光に包まれる。
「終わりましたわ」
天狗の息が荒く、いつもは澄んだ響きの声がひび割れる。
視線を眼下に据えたまま、無言で白兎は軽く頤を引いて、了解の意を示す。
後は、術の助けを借りて、この姿勢と高さを維持しないと……。
掛かる白兎の重みに腕がきしむ。
(まだ……ですの)
白兎は、弓を引き絞ったまま、身じろぎ一つしない。
卓越した射手らしい、途方もない集中力で、視線を動かす白兎。
その視線を辿った天狗の先で、光の道の中、一つの太い光の線が明滅した。
「あ」
覚えず天狗から声が零れる。
ごく自然に、なんの気負いも無く放たれた白兎の矢が、その明滅した光の線に吸い込まれる。
「白兎さん」
大地を走る光が、激しく瞬く。
「大丈夫」
急激にせき止められた力が、行き場を失い、暴れ、そして。
数多くの細い流れに、散り、明らかに光が弱まった。
「……お見事」
「えへへ、天狗ちゃんも……ね」
大樹の根。
男とこうめの傍らで、小烏丸は静かに目を閉ざしていた。
心気を澄ませ、足下にした大地の力の……そのわずかな違いを感じ取ろうとする。
最初はただ、その力に圧倒されただけだった。
だが、徐々に、見えてくる。
巨大なそれに圧倒されるのではなく、その巨大さを計る。
刀とは不思議な武器だ。
槍のように、長さで敵の間合いを制する戦いが出来るわけでもない。
斧のように、破壊力で敵を圧倒出来るわけでもない。
弓のように、そも相手に己を認識させぬうちに倒せる射程もない。
だからこそ、刀は常に、相手の見せる隙を逃さず、その刹那に最高の一撃を放つ事で戦ってきた。
いかなる相手にも怖けず、対抗しえないと思われるほどの相手でも、目を反らすことなく見続けて、その隙を探り、生死の狭間を見切る事で、その先の生を掴む。
(最後は小烏丸さん)
彼女自身である、神鉄の刀身を振るい、地脈を絶ち切る、最後の一撃を。
(貴女に託します)
「地脈を絶つ!?」
「ええ、地脈があの龍に力を送る道になっています。全ては無理でも、大きな一つでも絶てれば」
均衡は崩せるはず。
地脈は龍脈。
龍の力の源。
天女の言は正しい……正しいが。
「地脈を絶つって、でも、それは」
呪詛そのもの。
地脈を絶つという事は、その地に流れ込む力を遮断、拡散させ、その地を衰退させる事。
多くは、その土地を攻め、再起すら阻むために、敵対国が行う……おそらく最悪の呪詛の一つ。
「……私たちがそんな事をしてしまって……良いと思ってますの?」
「良いとは思っていません、ですが体が死のうとしている時、その腕を絶って体が生きるなら、それも一つの方策です」
「ですが、天女、そんな真似をしたら、私たちの本質まで穢れを背負う事に……」
小烏丸の言葉に、天女の端正な顔が悲しげに歪む。
「……それは私が」
「俺が引き受けよう」
「お主……」
「お前たちが為す事、その結果は、俺が全て引き受ける」
出来るんだろ?
そう問いかける男から、天女は目を反らしたが、天狗はそれを受け止めた。
人が背負うべき罪穢れを、形代に背負わせ、それを焼き、あるいは川に流す。
呪術というのは、本来がそういうもの。
だが、その形代と痛みや穢れを、主が共に負う事で、単に使役するだけの式神では及びもつかない、力を式達は行使できるようになる。
そんな、普通はあり得ない考えの下で生まれた。
それが、式姫。
式に全てを負わせ、己だけが高みの見物をせんとする、そんな怯懦な輩は、如何に陰陽の法を修めようと、式姫の一人も従うことはない。
そして、共に命を懸けて戦場の血泥の中に臨む覚悟があるならば、只の村の少女であれ、彼女たちの主足りうる。
普通の術者は、式姫と心通わせ、寄り添い、式姫と触れ合う中で徐々にその真実に至る。
だが、この術の心得すら無い筈の男は、その過程を飛ばして、そこに至ってしまったのか。
なるほど、偶然とはいえ、建御雷を式姫として従えただけはある。
「よくご存知ですわね」
「誰かの主になるってのは、そういうもんだろ」
反論を許さない様子で、男はきっぱりそう言い切って、一同を見渡した。
「何でもいい、やってみてくれ。頼む」
そう言って空に視線を向ける。
「いくら強大な神だからって……あいつを一人で戦わせて、苦境に陥ってるのに指咥えて見てるだけなんぞ」
「ししょー」
「お兄ちゃん」
「余りに情けねぇだろうが」
(ご主人様)
不思議な縁で、私たちの主になってしまった方。
(貴方様が、私たちの為す事の罪穢れを、共に負うと仰って下さるならば)
腰を落とす。
深く息を吸い、止める。
己の気で、世界を乱さぬように。
己の内なる気を、他に散らさぬように。
深く深く、その力を全身に満たす。
(私は、貴方様の運命を切り開く、刃となりましょう)
朱鞘に収まる、神剣たる彼女の分身の鯉口が切られた。
「ご主人様」
「……何だ?」
普段無表情な小烏丸の顔が、莞爾と笑みを浮かべた。
「この小烏丸、地獄の底まで、ご主人様にお供致します」
腰間より光が迅る。
本来は形無き大地の力が、今の小烏丸には、迫る龍の姿としてはっきり見えていた。
その真向に斬り付けた、その手に衝撃が走る。
硬い……何より、その力も重圧も圧倒的。
地脈を絶とうという行為は、大地そのものに斬りつけているようなもの……無理もない。
だが、無理など最初から承知。
私は刃。
抜き打ちに斬り付けた右手の内を引き締め、さらなる力を伝える。
左腕をたたみ、相手を押し切るように、片刃の背に左肘を叩き付ける。
ぎしり……と軋む音と共に、小烏丸の刃が、龍に潜り込んだ。
私は、人がその心魂を傾けて鍛え上げた鉄。
鍬として大地を穿ち、斧として森を切り開いてきた鉄。
ずぶり……ずぶりと刀が龍を切り裂いていく。
私は、人が自然と戦うために手にしてきた、そんな「もの」の精髄が凝って姿を得た、刀の式姫。
その刃が、大地の精髄を確かに捉えた。
「小烏丸……龍殺し仕る」
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小烏丸の名台詞を使いたいだけのSS書きじゃった ('、3_ヽ)_
第一話:http://www.tinami.com/view/825086
第二話:http://www.tinami.com/view/825162
第三話:http://www.tinami.com/view/825332
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