[声音の話]
ふわりふわりと風を追い、ヒエンが足を踏み入れた所はボロボロになった道場のような場所だった。
放置された石を足で弾き、荒れ果てたこの場所にカラカラと音を響かせれば、ただただ無情の風が流れる。
どうやら人はいないらしい。
此処も外れかと残念そうな息を漏らし、ヒエンは荒れ果てた建物に背を向けた。
その瞬間、ざわりと背筋が波打たれヒエンは反射的に刀を抜いて己に向けられた気配に刃を向ける。
「うわ!?」
ギラリと輝く刃を恐れたのか、気配の主は悲鳴を上げてドスンと尻餅をついた。
音が軽い。ならばこの気配の主は己と同じくらいの大きさだろう。
一瞬で予測を立ててヒエンがキチンと相手の方へと目線をやれば、眼に映るモノは確かに己と同じ年頃の少年だった。
まあ幼かろうがなんだろうが、敵ならば敵。
ヒエンが刀を妖しく光らせながらそれに負けじと目付き鋭く威圧を掛けると、少年は怯えたように目を彷徨わせ手をパタパタと左右に降る。
「待って待って待って!話、話したいだけだからそんな物騒なものしまって!」
いっそ哀れに感じるほどにぷるぷると首を振る少年に毒気を抜かれヒエンが刃を下ろせば、少年はほっとしたように表情を崩した。
まだ、刀を納めたわけではないのだが、安堵するとは。
ヒエンが呆れたような表情を向ければ、なにを勘違いしたのか少年は「ボクはウーフー」と名前を名乗る。
別に名前など知る気は無かったのだが、名乗られたのならば名乗り返すのが礼儀だろう。礼に則ってヒエンも己の名を伝えた。
しかし人がいたのだな、とヒエンは先ほど「誰もいない」と判断した己を振り返る。気配を上手く読めぬようではまだまだ己は未熟なのだろうと眉を下げた。
こんな事では、探し物など一生掛かっても見付からない。
突然落ち込んだヒエンを見てウーフーは首を傾げ「どうしたの?」と声を掛ける。
なんでもないと完結に答え、ヒエンは逆に何用かと問い掛けた。
「えっと、こーんな感じの、目付きの悪いひと見なかった?」
そう言いながらウーフーは己の顔を引っ張って人相を変える。
わかりやすく伝えようとしているのだろうが、その姿はかなり滑稽だ。いきなりにらめっこを仕掛けられたヒエンは思わず吹き出し慌てて口を抑える。
こんな事で揺さぶられてどうするいやこれは卑怯だろ狡い。
笑いを堪えるヒエンを見て、ウーフーは
「やっと笑った!」
と嬉しそうな笑顔を向けてきた。
■■■
ヒエンとウーフーは片付けられていない瓦礫の上に並んで座る。
未だに「不覚…」と落ち込むヒエンを何でそこまで落ち込むのかと若干疑問に思いながらも、ウーフーは気にせずへらりと笑い掛けた。
笑い掛けたがどうやらヒエンは落ち込むのに忙しいようだ。ウーフーの方を見やしない。
ウーフーが人を探しているのは事実であるため返答がないのは困ったなと頬を掻き、辛抱強く幾度と声を掛ければ、しばらくしてヒエンはようやくゆっくりと顔を起こしウーフーの顔をマジマジと見つめ目をパチクリさせた。
やっと話が出来ると安堵したのはいいのだが、ヒエンは今度は逆にウーフーの顔を穴が開きそうなくらいにじっくりと見つめてくる。
「…ボクの顔になにかついてる?」
「……いや、」
ウーフーの問いにゆるりと首を振り否定した。それでもヒエンはウーフーから目を離さない。
何だろうと少しばかり恐怖を覚えながらもウーフーが話をしようと口を開いたが、それは当のヒエンに阻まれてしまった。
「…話、とは」
「う、うん?話していいの?」
その声がいやに深刻で、向けてきた目が妙に真摯で。戸惑いながらも迫力に押されるようにウーフーが首を傾ければ、ヒエンはパァと顔を明るくさせる。
何かに期待しているような表情に混乱しながらも、ウーフーは己の事を語り始めた。
ボロボロになってしまった道場に目を向けながら、空気が暗くならないように頑張って、師匠が死んだことを、その上奥義秘伝書も奪われたことを、だから探しているのだということをつらつらと語る。
奥義秘伝書が奪われたってのは、ついさっき、ここの片付けをしていて気付いたんだけどさと苦笑しながら頬を掻けばヒエンが怪訝そうな表情を浮かべていた。
「………、名前を、もう一回」
「ボク?ウーフーだよ」
「…兄がいるのではないか?兄の名前は?」
「あれボク話したっけ?兄って言っても年上なだけで、同門の兄弟子で…名前はリュウロンって言っ、」
ウーフーが問われたことに答えていったら、言葉の途中でヒエンはがっかりと項垂れてドヨドヨとしたオーラを放ち始める。
名前教えただけでここまで絶望されたのは初めてだったウーフーは、驚き戸惑いオロオロとしながらも疑問符を浮かべた。
そんなウーフーに気付いたのかヒエンは慌てて顔を上げ、取り繕うように姿勢を正す。
「…いや、すまない。…こちらが勝手に勘違いしただけだ」
気にするなとヒエンは言うが、表情はウーフーが心配になるくらいはまだ暗い。
そのまま、片付けの最中に邪魔をしてすまなかった、と頭を下げて立ち去ろうとするヒエンの背中がとても小さく見えて思わずウーフーは、去ろうとするヒエンの手をがっしり掴み引き止めながら
「よくわからないけど、探しモノしてるのは一緒みたいだし、一緒に探さない?」
と提案していた。
きょとんと目を丸くするヒエンにウーフーは「ふたりで探したほうが効率良さそうじゃない?」と微笑み掛ける。
よくわからないがヒエンを落ち込ませてしまった原因は自分らしい。
凹ませたまま別れるのは目覚めが悪いと不意に口についた言葉だったが、言いながらウーフーは己でも良い案だと思い立つ。
そもそもウーフーも仇討ちの旅、奪われたものを取り戻す旅に出るつもりだったのだ。
お師匠さまとの思い出に引っ張られて、片付けを言い訳に出立の日を先延ばしにしていただけで。
それにヒエンは先ほどの刀さばきを見る限り人並み以上に腕がたつようだ。剣と拳でジャンルは違うが、同じ武道家として彼の太刀筋を間近で見てみたい。
あとは師匠が生前散々言った「ウーフーは、もう少し、落ち着きを身に付ければ拳の道を極められるだろうに」という言葉。
ヒエンを見習えば自分ももう少し冷静さが身に付くかもしれない。
掴んだ手を握りしめながら、ウーフーはヒエンの返答を待った。
■■■
ヒエンとしてもウーフーの提案は魅力的だ。
軽く見渡したがそこそこ大きな道場の拳士見習い。また秘伝書と呼ばれるものを宿すほどの流派。
それに散々師匠にも言われた「ヒエンは、もう少し、柔軟性があれば剣の道を極められるだろうに」という言葉。
ウーフーとともにいれば自分ももう少し頭が柔らかくなるかもしれない。
利害自体は一致して、あとは頷くだけではあるが少しの理性が邪魔をする。
同じように人探しが目的だが、探す人は互いに別の人だ。一緒に動いても良いものか。
ヒエンがその疑問を口に出せばウーフーはきょとんとしながら不思議そうに答えを出した。
「石像探してるわけじゃないでしょ?生きてる人を探すんだから。石像探すなら二手に分かれたほうが効率いいだろうけど、生きてる人なんかあっちこっち歩き回るんだし、ボクがヒエンの探してる人を見付けたらどうするのさ。ふたり一緒にいたほうが良くない?」
あっさりと答えられ、ヒエンは目から鱗が落ちたように口を呆けさせる。
言われてみれば確かにそうだ。
石像ならば片方にどこそこにあったよと伝えれば解決する話だが、生きている人が相手ならば場所を伝えても当人が到着するころには探し人などとうの昔にいなくなっているだろう。
さらりと答えられたことに動揺して、どこか前提がおかしいことには気付かずヒエンは納得したようにこくりと頷いた。
断る理由も悩む理由も消え失せたヒエンは、ウーフーとともに旅に出ることを了承する。
「うん!じゃあちょっと準備してくるから待ってて!」
ヒエンから了承を受けたウーフーは嬉しそうに笑顔を見せて荷物を取りに道場の中へと入っていく。
つもりだったのだろうが、途中でピタリと足を止めヒエンの方へと向き直った。
「そういえば、ヒエンはボクと何を勘違いしたの?」
「…道すがら話す」
わかったー、とあっさり承諾しウーフーは道場の中へと消えて行く。
ウーフーの気配が見えなくなったのを確認したヒエンはふうと大きく息を吐き出した。
己の失敗談など口に出すのも恥ずかしいが、まあ多少誤魔化して語ればいいだろう。
探し人の顔を知らなかったから、間違えた程度で大丈夫だろうか。
正直なことなど言えるはずがない。
ウーフーの声色があの人と同じだったから
探し人だと確信した
などと。
____
いつだったか昔、一度だけ。
師匠の子息と顔を合わせたことがある。
かといって、大々的に出会った訳ではなくその子息はお使いで道場にいる師匠に会いに来ただけだったのだが。
『父上、稽古中申し訳ありませんがこの件に関して早急に返答が欲しいと』
『…ああ、その子が今一番目を掛けているという…』
そう言ってその人はヒエンに向けて軽く会釈をしてくれた。慌ててヒエンも深々と礼を返し、姿勢を正す。
まっすぐヒエンの目に映ったその人は、師匠に似た立派な高い鼻を持ち、師匠と同じく厳しいけれど優しい目をした人だった。
その人に言われ、ヒエンに待機を命じた師匠は返事を書くため奥に引っ込んでいく。
師匠がいなくなったあと、その人はヒエンを見て小さく呟いた。
『…弟と同じくらいか。アレもこのくらい礼儀が身に付いてくれれば…』
扇で口元を隠しながらため息を吐くその人からは、多少疲労の色が滲み出ている。
すぐに戻ってきた師匠から返信を受け取り、その人は用は済んだとばかりに帰り支度を始めた。
『…優秀な弟子だと聞いている。父上は厳しいだろうが、無茶はするなよ、ヒエン』
とヒエンに声を掛けながら。
師匠があの人にヒエンの名を教えてくれたのだろう。
急に師匠の子息から名を呼ばれ、ヒエンが驚きオロオロしている間にその人は出て行ってしまったらしい。返事もまともにしていなかったのに。
しょんぼりしていたら師匠にあの人の名前を教えてもらった。
『オロシは言われたことは何でも出来る息子でな、そこが欠点でもあるのじゃが…』
まあ欠点は完全に直さんでも誰か別の者が補えば良い、と優しげに微笑み師匠はヒエンの頭を撫でる。
さあ稽古を再開するかと師匠の声を聞き、ヒエンも元気よく返事を返した。
___
その、師匠の子息とウーフーの声色が、そっくりだったのだ。
耳に届く声そのものはあまり似ていないのだが、声質がほぼ同じ。
故にヒエンはウーフーのことを「師匠の子息の弟のほう」と勘違いしたのだ。声が似ているならば血縁者だろうと。家出して現状行方不明な弟だろうと。
気配があちこち動くせいで上手く足取りが追えず、ようやく気配に追い付いたと思ったら、そこにいたのはオロシと声質が似たウーフー。
ならば勘違いするのも仕方ないだろう、とヒエンは目線を泳がせる。泳がせつつも心の中では「修行が足らない」と気付いていた。
目先の声音に気を取られ、気質の違いに気付かなかったのだから。
ふうとため息を吐いて、ヒエンは空を流れる風の舞を目で追った。
師匠がいなくなったら
七笑流は誰が継ぐのだろう、と思った。
己が継ぐなどそんな自惚れた思想は持っていない。
自分よりも相応しい人物がいるだろう、と。
探して聞いてようやく知った。
師匠の息子はふたりいて、弟のほうは七笑流の技を受け継いでいるのだと。
ならば、
その弟に七笑流を継いで頂ければ良い。
そもそも師匠もそのつもりだったようなのだ。
師匠の言った「跡継ぎ」は七笑流の跡継ぎのことだろう。
師匠のもうひとつの顔、風隠の森の族長の跡継ぎではなく、流派の跡継ぎの話。
まあどうやら色んな場所で色んな話が交錯して、ややこしいことになっているようだが。
呆れたようにヒエンは何度目かの息を吐く。
己のやることは、弟君を見付け出し流派の跡継ぎとなってもらうこと。
己は一介の剣客風情。そこまで深く関わるつもりはないのだが、もしや今あるゴタゴタの間を取り持つ必要があるのだろうか。
それは少しばかり面倒臭い。
ああしかし、とヒエンが小さく笑うと同時に、用意を終えたウーフーが駆け寄ってきた。
「ヒエン」
あの時のあの人と同じ声色でウーフーが己の名前を呼ぶ。その声があの時と重なりあの人の背中を思い出した。
今度あの人に会ったら、あの時出来なかった返事を伝えたい。
「あの時は労ってくださり、ありがとうございます、オロシ殿」と。
師匠とよく似た外見で、ウーフーと似た声を持つ彼の人を思い描きながら、
ヒエンは微笑み目の前にいるウーフーに手を伸ばす。
これからよろしくな、と。
ふたりの旅は、はじまったばかり。
END
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