No.887054

大晦日

zuiziさん

オリジナル小説です

2017-01-03 22:54:19 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:311   閲覧ユーザー数:309

 大して働いてはいないのだけれども年末も仕事が終わってしまったらもうこの一年間自分はずっとまじめに、一生懸命働いていたのだという気持ちになって、それ以上何にもしなくてもよいのだという理解がされてくるのは困ったもので、これから年を越すにあたっていろいろのやらなくてはならないことが残っているのにみんな私はしなくても良いのだ、それは自分がやるべきことをみんなやってきたからだ、と思ってしまい、家に帰る途中、塀の上に猫が寝ていて気持ちよさそうなものを猫が自ずと気づくまでじっと見ていてしまったけれども、そんなふうに時間を浪費することも一向平気なのだ。猫は私の顔を見てなんだこいつというような顔で歩き去ってしまうが、私だってなんだこいつという気分であり、どうしようもなく企まれた感があっていけすかない、猫にだって猫のやることがあるだろうにと思う。それが塀の上で寝ていることかしら、どうかしら、私もよっと言って塀の上によじ登ってみようと思ったけれども、もしかしたら良識のあるひとが見ていたら私を不審者だと思って通報してしまうかも知れないと考えるとうかつなことは出来ない、でももっと良識のある人だったら、私は猫のまねをして塀の上に登っているんだなあと思ってくれるはずであろうし、結局半可に良識のある人間というのが一番やっかいなのだなと思って塀に登るのはやめておく。

 家へ帰って何もやる気が起きずにぼんやりしていたら不意に一昨年の暮れ頃にちょうど同じ時期にふっと蒸発してしまった年の離れた兄のことを思い出して、そういえば兄もそのころそんなことを言っていたなあと思い出して、兄は何で消えたんだか、借金がらみであるとかやくざの女に手を出したのだとか、いやいや文学者気取りであったから文学的な気分になって鬱屈として失踪してしまったんだろうとか、そんなことをつらつらと思っていたりまた人がそう言っていたことをつらつらと思っていると、表の方で除夜の鐘がゴーンとなってびっくりして、私は不意にその兄を探しに行かなければならないような気がしてならなくなった。いるんだったら海だろう、海沿いの漁師町のもう崩れそうな一室を借りて自己を韜晦しているんじゃないだろうかという気持ちがありありと見えてきて、何年か前に行った千葉の南の方の漁師町の入り組んだ坂道を二人でふうふう言いながら登っていったとき、兄がふと遠くの方を見て私の方を見て水平線が見えるねとぽつりと言った時のことをぼんやり思いだし、水平線がなんだと言うんだ、まったく、そのときは思ったけれども、今ならば私にも水平線が見えるような気がする、そうだあの町だ、と思って、電車に乗って今日は一晩中電車が動いているから、どこまでも線路を辿っていくことが出来る。

 電車の中は空いていて私は椅子に座ってぼんやりして、そういえばあのときどこへ行ってなんという町で下りたのかということをちっとも覚えていないことに気づき、確か千葉の外房線だったと思うのだけれどもそのときに乗った電車のことや兄の少しやつれたような顔のことやまつげが長いなあと思っていたことなどが思い浮かんでくるけれども肝心の駅の名前は出てこない、まあ感じで分かるだろう感じでと思いながらぼんやり座っていると、電車は瞬く間に東京をまたいで千葉に行ってしまって、さあそこから乗り換えでどうにかこうにか南の方まで行かなくてはいけない太平洋の見える方まで行って、それからそこでどうしようか。サンタクロースのコスプレをした人が私の前によろよろと立って、酔っぱらっているのかでも顔はまじめでよく見えない白い髭に口元が隠れているから分からなくて、私に袋の中から小袋をくれる、サンタの季節はもうとっくに終わっているのにどうしてこの人はこんなふうにしているんだろう、目つきは優しいから、まともなように見えるから、私はその小袋をもらってしまって、さて、中身はなんだろうと思うと、ちょっと型の古い地図だ、でもそこには千葉の南の方も載っていたから、私はその地図を目でたどりながら兄と歩いた漁師町のことを思い出すことが出来るだろう、ありがとう、私がそういうとサンタクロースは隣の車両に億劫そうに消えて、それでもう配るプレゼントはみんななくなってしまったのだろう扉の向こうでいそいそとサンタ服を脱ぐところが見えて、私はそれ以上は見てはいけないんじゃないかと思って目をそらして地図を見ていると、太海、そう確かそういう駅だった。私の思い出はいつも正確だよ。

 南の方まで、千葉の太平洋側をぐるっと回る外房線に乗っていつまでも揺られていると、何年も前に見たことのあるような景色が途切れ途切れに窓外に現れては消え現れては消え、もう夜なのだからそんなに見覚えのある景色が見て取れるわけはないのだけれども私はみんな見覚えがある、みんな見覚えがある、一説によると人は見たもの感じたものを忘れてしまうのではなくてただ意識の表層に登ってこられないように蓋を閉めてしまうだけなのだという、そう考えれば私が見てきたもの電車の窓から見える景色はみんな既に見た景色なのだ、私がそう考えていると電車が着き、駅名にかろうじて覚えのある小さな駅に飛び降りた。

 もう年は明けており深夜にも関わらずそこかしこで人の気配がして賑やかで私は寂しくなく、そういうふうに今日の夜だけは一人でうろうろしていても不審ではない一年で唯一の夜で、私は毎年夜通し歩いてそうすると初日の出を見るためにうろうろしているみたいだったから私は初日の出を見るためには外に出たのではなかったから、夜明けになる前に家に帰ってしまってそれで冷たい布団に服を着たまま入ると、しんなりとしおれた白菜みたいに眠ることができる、年始の朝だけは私は不眠症ではなくなるのだ。人々の気配、除夜の鐘のずっと鳴っている遠くの空のわんわんわんという反響のかすかな残りかす、どこかでたき火やどんど焼きの燃える臭い、正月の朝の暗闇の中で私の脳味噌はだんだんと兄の痕を辿っていくのが巧みになる。崖になっている道の急な下り坂を下りていくと崖にへばりつくようにして何軒か家があってそこのうちの一つが民宿で、看板を出している、もう深夜を回っているのに煌々と灯りが灯っていてもしかすると初詣に行くお客のために今夜は一晩中空いているんじゃないかと思うと私はそこに入ってみたくなる、そこに兄の足跡があるのが見えるような気がするからで、ドアを叩くと宿の主人がのっそりと大儀そうに出てきてどうかしましたかと言う、私はつっかえつっかえ今日これから泊まることはできますかと言うようなことを言うと、宿の主人はプイと言って宿の奥に入っていって、これは泊まってもいいということだろうと合点して私は三和土で靴を脱いでしまう。通された部屋には古いテレビが点っていて、お正月の番組を思い出したように流しているので繋がっているんだなと思ったけれども、宿の主人曰くそれは一昨年のお正月に録画したものを流しているだけで、本当には電波はこの民宿には通っていないのだという、近所に巨大な大仏があるから、そのせいで東京から来る電波はみんな拡散されてしまって、うちには兎の毛ほどの電波も通っていないんだ、そういってご主人はテレビの裏にある埃をかぶったビデオテープの山を指して、どれでも見ていいよという、それからもし気に入ったのがあるんだったら、と付け足して、ダビングもしてあげるよという、素泊まりだからご飯はでないけれども、目刺しや栗きんとんだったら分けてあげることもできるよ。私がそれはおせち料理の残り物でしょうというと、ご主人は喉が悪いみたいな笑い方をして、それではお休みなさい、眠れないんだったら私の常用している導入剤を分けてあげるよと言って、なぜ分かったんですかと聞くと、大晦日の夜に歩いてうちに来るような人はみんな欲しがるんだと言った、分からんかね睡眠障害を患った人だけがたどり着くことのできるような民宿があってそういう人たちはどう言うわけかこの崖を下りてくるんだ。

 畳の下の下のずっと下の方から海潮音が聞こえてくるけれども建物がみんな吸収してしまうから、低い巨大な生き物の寝言みたいで私には耳障りではないしここなら静かに詩集を読むこともできる、持ってきてはいないけれどもいつもなら持ってきているのでいつもの私ならそうしているのだけれども、今日は何も持っていない、持参した安い粉末海草スープを宿のコップに入れてポットからお湯を入れて飲む、しばらくぶりにそんなことをする、私はずいぶんと遠くから来たような気もしまたそういうふうなことにも慣れてしまったけれども、本当は私のすることではないという思いに駆られている、こんな遠くまで来てしまったこと、兄など本当はいないのではないかということも十分に分かっていること、湿気った柔らかいゴワゴワと沈む畳の上で寝ころんでいると、いつか自分もその底の方に――きっと真っ暗な海まで繋がっている――落ちていってしまうのではないかと思っていることもみんな。

 三時過ぎ四時過ぎ、時刻は分からない、部屋の古い鍵がすっと開いて、樟脳の匂いの立ち籠める廊下の風が入ってくるのに気が付いて私は目をぼんやりと上げ、そこに誰か人の立っていることに気づき、兄さんと呼ばう、兄は私の寝ている枕元まで幽霊のように動いて歩いてきて私の頭の傍にかがみ込んで、何事かを二言三言呟いて、それはたぶんこんなところまでよく来てくれたねだとか実家の古い仏壇は掃除したのかしらだとか、そんなことだったと思うけれども、それだけで兄のすることはおしまいになってしまって、再び音もなく後ずさったかと思うと部屋の扉がすっと閉まって、それで私は動けるようになって扉まで近づいて開けたけれども、廊下は有明の豆球が点っているばかりで人の気配はないし、宿の主人は導入剤を飲んで今度こそ眠ってしまっていて、飼い猫が長押の細い隙間の上にどう言うわけか巧みに乗っているのを私はいつまでもいつまでも見つめていた。

 けれども部屋の中に漂っている兄の気配とそして枕元に落ちていたメモ用紙……そこには私たち兄弟だけに分かる符丁で秘密の言葉が書いてあり、私は間違いなく確かにそこに兄が来ていたのだと言うことを知る。朝になって、宿の主人に礼もそこそこに東京行きの列車に乗ると、世間は既にお正月でみんな初詣に行く列車になって、たぶん成田山だろう、成田山に行こうという人々がごった返す中で、私は兄の確かに生きて今でもあることを知った。


 
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