No.885474

真・恋姫†無双 ~夏氏春秋伝~ 第百三十話

ムカミさん

第百三十話の投稿です。


遂に出陣の時、来る。

2016-12-27 02:20:17 投稿 / 全4ページ    総閲覧数:2401   閲覧ユーザー数:2004

 

許昌から南西に向かった先にある小さな河。一刀たちはそこで水練を執り行っていた。

 

小さな、とは言っても、それは長江や黄河に比べれば、というだけの話。

 

日本の川のように幅が狭く流れの速いようなものでは無かった。

 

そんな、ある意味穏やかに見える河に船を浮かべて毎日のように水練を行う。

 

それを終えれば近くの砦へと戻り、一刀は自分の仕事をこなす。

 

そんな日々をここ最近は送っている。

 

 

 

今日もまた水練を終えた一刀は執務室に籠って砦の使用で様々発生する雑事に関する竹簡・書簡を片付けていると、突然一人の兵が息せき切って駆け込んで来た。

 

「ほ、北郷様っ!」

 

「何だ?何があった?」

 

「い、急ぎご報告致したい内容が……っ!」

 

「話せ」

 

兵の様子から尋常でない何事かが発生したと悟り、即座に一刀は先を促す。

 

すると、兵の口からとんでもない発言が飛び出した。

 

「きょ、教官殿が……教官が、その……密かに外部と連絡を取っているようで……」

 

「蔡瑁が?

 

 ふむ……分かった。この件は俺が預かる。

 

 こちらで少し調べてみるとしよう。報告助かった」

 

「いえ。では失礼いたします」

 

兵が出ていくのを見届けると、一刀は執務机に両肘を付いたまま手を組み、そこに額を乗せて顔を伏せて大きく息を吐いていた。

 

 

 

 

 

一刀の方で調べる、と言ってもやることなど一つしか無い。

 

つまり、こっそり侵入してこっそり証拠を探すということ。

 

そしてそれはなんと、その日の内にあっさりと見つかってしまったのである。

 

蔡瑁に与えられた机の上に無造作に置かれた書簡。

 

それにはなんと、とある策が進行していることを示唆する内容がしたためられていた。

 

その策というのが、魏を内側から崩すというもの。

 

たった一つの書簡からはさすがに全容は見えないものの、そこから確かに分かることがいくつかある。

 

この策は周瑜が立てたこと、策の為る時期はまだ少し先であったこと、そして……蔡瑁が内通していたこと。

 

「……残念だ。

 

 いくら上手くやったつもりでも、これでは……ダメだろう」

 

書簡に目を通し終えた一刀は軽く目を瞑って溜め息を吐いた。

 

ここからこの砦での処置をどうするか、華琳たち本隊への連絡をどうするか、それらを瞬時に脳裏に展開する。

 

「誰かいるか?」

 

「はっ、ここに」

 

一刀の呼びかけにすぐに表れた兵は当然のごとく黒衣隊の兵だった。

 

当たり前と言えば当たり前のことだが、桂花は水練の部隊を編制する際、第一陣の兵数を水増しして砦に配置する予定の黒衣隊員を投入していたのだ。

 

物事を早急に動かすに当たって、黒衣隊を使う以上に有効な手はこの砦には無いのだった。

 

「蔡瑁を捕えろ。それと兵を集めておけ。

 

 内通発覚だ。公開処刑に処する」

 

「はっ」

 

特段、驚くことも無く隊員は行動を開始する。

 

黒衣隊が任務に当たるようになってから実質始めての謀反人であろうとも、やるべきことは既に全て訓練済み。

 

その過程が滞ることは無かった。

 

 

 

 

 

 

「ほ、北郷様っ!おまっ、お待ちくださいっ!

 

 どうか……どうかお話をっっ!

 

 これは何かの間違いですっ!」

 

捕えられ、磔刑の如く棒に縄で縛り付けられた蔡瑁が悲鳴にも近い声で喚く。

 

そのあまりにも必死な表情はとても演技には見えなかった。

 

「少し黙れ、蔡瑁。既に証拠は上がっている。

 

 最早言い逃れなど出来ない状況なのだと知れ」

 

強烈な睨みを利かせて蔡瑁を黙らせると、一刀は集まった時から一体何事かとざわつく兵たちに向けて叫んだ。

 

「皆、聞け!

 

 ここにいる者は密かに敵方と内通し、我等を内部から取り崩すつもりであったことが発覚した!

 

 その罪は万死に値する!よって……ここに、この者の処刑を行う!」

 

「ほっ、北郷様っっ!!どうか……どうかっっ!!」

 

”処刑”という言葉に反応して蔡瑁は一層慌てて一刀に訴えかける。が。

 

「おい、例の剣を持って来い」

 

「はっ」

 

一刀は一切耳を貸さず、淡々と処刑の準備を進める。

 

その間も蔡瑁は必死に喚き続けていたのだが。

 

やがて先ほど引っ込んだ兵が一振りの剣を持って出てきた頃には絶望の淵を通り越してしまったようで、すっかりと静かになっていた。

 

「皆の者、よく見ておけ!

 

 我等が魏の和を乱さんとする者は……こいつと同じ末路を辿るっ!!」

 

言葉と同時、一刀は大上段に構え。

 

バッサリと。蔡瑁を袈裟斬りに切って捨てた。

 

蔡瑁の身体に食い込む刃と共に真っ赤な血が噴き出す。

 

その血が一刀の身体と刀身を染め上げることを気にも留めず、一刀はポツリと言い放った。

 

「お前が教えていた船上戦闘技術は確かに本物だった。それは紛れも無い功績だ。

 

 ……晒し首だけは勘弁してやる」

 

その言葉は果たして蔡瑁に聞こえていたのか、言い終わるや否やのタイミングでガクンと蔡瑁の首が力を失い、事切れたことを伝えてきた。

 

それを合図に、一刀は再び目前に集まる兵たちに向けて叫ぶ。

 

「良いか!もしも我等が魏国に対して弓引く者があらば、それが誰だとて容赦などしない!

 

 それを皆も肝に銘じておけ!」

 

言葉通りの実演振りに、集った兵たちは皆、一刀の力を改めて記憶に刻みつけたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「冥琳様、部下から北郷の動きについての報告が上がっております」

 

「ほう?話せ」

 

一刀の動きはすぐに呉に知られることとなっていた。

 

その報告を受けた周瑜は、思わずといった様子で言葉を漏らす。

 

「ふむ……北郷の動きがあまりに早いな……」

 

「それだけ本気、と取れるのでは無いでしょうか?

 

 元々北郷は私のような草の仕事にも精通しているようでしたし」

 

呉が策を打ってからの一刀の対応の早さに、周瑜が軽く疑問を抱く。

 

そうなるように施したとは言え、一刀を相手にしてここまでトントン拍子に事が進んだことが今までに無かったために、慎重になっているのだろう。

 

「…………私たちからすれば、呉の情報収集の速度も非常に早いのですが……」

 

そんな折、思わずと言った様子でポツリと諸葛亮が漏らす。

 

その言葉は周瑜の考え方に微修正を加える後押しとなった。

 

「ふむ……基準となる見方に違いがあれば、速度の感覚にも差が生じるのは当然、か。

 

 確かに、北郷の対応はあまりに早いとはいえ、異常と言うべきほどの早さでは無かった。そうだな、明命?」

 

「はい。私の部下が策を仕掛けてすぐではありましたが、仕掛ける前から気付いた様子などは全く見られなかった、とのことです。

 

 何より、北郷は我等の策の発覚の後、蔡瑁にかなりの怒りを覚えていた様子。

 

 物見も兵も思わず恐怖に駆られたほどだとのことでした」

 

周泰の補足を聞き、周瑜はきっぱりと決める。

 

そのまま次の行動へと動きを移していった。

 

「ならば、今はこれ以上深く考えるのはよしておこう。

 

 明命、北郷のその後の動きについては報告は上がっているのか?」

 

「はい。少しですが。

 

 北郷はその後、許昌に帰る素振りは見せず、文を持たせた使者を出したのみです。

 

 北郷自身は砦に残り、水練の続きを行っている様子だとのことでした。

 

 ただ、その様子がどうにも不可思議なもののようで……

 

 水練を施す兵を船に乗せるだけで、模擬戦をするでも無く……時折素振りをさせているだけだそうです」

 

「そうか。これ以上の妨害策は現実的では無いと見るべきのようだな。

 

 それに、確かにその北郷の水練の様子は気になるところだ。船酔い対策だろうか?いや、だが今更……?

 

 ……何にせよ、北郷のやることだ、野放しにしておくには危険すぎる。

 

 孔明、そろそろ連合軍を動かしたいところなのだが、そちらの準備の方はどうだ?」

 

「既に成都からここまでの行軍の疲れも水練の疲れも取れ、将兵共に万全の状態で待機しています。

 

 後はそちら次第でいつでも出られますよ」

 

「そうか。では、亞莎。全軍に通達。二日の後、出陣する。

 

 穏、軍を二つに振り分けておいてくれ。半数は先に赤壁へ向かわせ、水上戦の準備をさせる。こちらは穏が指揮を執れ。

 

 孔明よ、そちらの采配は任せる。ただ、釣り部隊に一定の数は振り分けてくれ」

 

「分かりました。すぐに準備します」

 

諸葛亮は否やを唱えることなく受諾し、退室する。

 

宣言通りすぐに準備に取り掛かるのだろう。

 

恐らく蜀の諸々の準備は明日出陣だとしても整うだろうと思われる。

 

諸葛亮、龐統、徐庶の手腕はそれ程までに素晴らしいと見ている。

 

そして、改めて間近で相対してみて分かる、大粒が揃った蜀の将たち。

 

蜀という国は総兵数はともかく、戦い方次第では非常に厄介極まりない軍であろうことは間違いない。

 

手を組んでおいて良かった、と密かに安堵していると、不意に周瑜に声を掛ける者がいた。

 

「おお、冥琳。丁度良かったわい。ちと聞きたいことがあるんじゃが」

 

「どうかされましたか、祭殿?」

 

声を掛けてきたのは呉の宿将・黄蓋だった。

 

黄蓋が周瑜に尋ねること自体はさして珍しいことでは無い。

 

周瑜としても、孫堅と共に長年戦場を渡り歩いてきたその経験からくる気付きなどは重宝すべき情報となるのだから、特に開示を渋る理由も無かった。

 

「現状分かっておる限りで構わんのじゃが、儂らの連合軍と魏の連中の兵数は如何程のものかと思うての」

 

「兵数差ですか。あまり声を大にして言いたいことではありませんが、そこには大きな開きが出来ているようです。

 

 我等連合軍は我々呉の八万余人に蜀の六万余人、合わせておよそ十五万ほど。それが予備兵力も合わせた我等の全軍となります。

 

 対して魏は……詳細は分かりません」

 

「分からんじゃと?明命の奴に探らせておったのでは無かったかの?」

 

周瑜の答えに黄蓋は心底驚いた様子だった。

 

それもそうだろう。黄蓋の言った通り、魏の内情偵察には周泰が直接赴いていた。孫堅がそう決めたのだ。

 

今までの実績と実力から考えて、周泰であれば確実に必要な情報を持って帰れるはずだと踏んだということなのだから。

 

「明命でも探り切れないほどに魏の情報に対する守りは堅かったということです。

 

 それでもある程度は判明しております。曖昧となるのは守りが堅いのに加え、兵の集まり方に推測がしにくい原因があるからなのです」

 

「推測が難しい原因とな?それは一体何じゃ?」

 

「数え役萬姉妹とやらが、魏の兵の慰撫と徴兵を担っているらしいのですが、これが中々予測しづらい動きでして。

 

 魏の領土中をあちこち飛び回っては色々と行っているのです。

 

 ただ、一たび徴兵に乗り出せば、驚くほどの数の者が兵に志願するそうで」

 

「ふむ。聞く限りでも厄介な連中のようじゃの。

 

 そやつらの始末は出来んかったのか?」

 

「護衛が多数おり、難しい、と。ここ最近は許昌にて北郷周辺の者が目を光らせているようで尚更」

 

試みようとはした、との言が周瑜の口から出て来る。

 

黄蓋もいくら周泰であっても無理な事があるということは理解している。

 

出来なかったことについて特に責めるつもりは無かった。

 

「して、曖昧じゃとしても魏の兵数の予測はしておるのじゃろう?」

 

「はい」

 

「数は?」

 

「二十万を超えるかと」

 

「そうか……」

 

「兵数には明確な差があり、厳しい戦いが予想されます。

 

 だからこそ、我々軍師がその差を埋められるだけの策を考え出さねばならないところです」

 

「……うむ、そうじゃな。

 

 期待しておるぞ、冥琳」

 

「はい、お任せを」

 

簡単な檄を残し、黄蓋はその場を後にする。

 

その表情はどこか曇っているようにも見えたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「北郷様、許昌より返事の文が届いておりますが」

 

「もう返ってきたか。すまない、ありがとう」

 

今日も今日とて砦の雑務をこなしていた一刀の下にやってきた兵から文を受け取る。

 

文の差出人は桂花であった。

 

互いの出陣のタイミング、合流のポイントやそもそもの策など、状況に応じて都度変えていくべき内容を現状ではアドリブで合わせていかなければならない。

 

だからこそ、こうして連絡を取り合いやすい時にそれらの打ち合わせはなるべく行ってしまっておく。

 

想定しうるパターン全てに対して対策を講じるなどは流石に無理であるが、主要なパターンを振って動きを決めておきさえすれば、後は桂花を筆頭に優秀な軍師が合わせてくれることだろう。

 

もちろん、一刀の方が合わせる場面となることもあるだろう。その時によろしくない行動を取ってしまわないためにも。

 

一刀からの文には先の顛末が記されていた。

 

加えて、ここからは一刀が水練を引き継ぐことも報告済み。

 

その上で次の動きについて桂花に修正があるかを尋ねた。

 

返ってきた文に寄れば、今のところ予定に変更は無し、とのこと。

 

呉の動き、蜀の動きはともに予想の範疇であり、当初の計画通りに事を進めていれば良い、と記されていた。

 

「ふむ…………よし、概ね順調なようだな。

 

 皆に通達、明日からも予定に変更なし。昨日まで同様船上戦闘の為の基礎鍛錬とする」

 

「はっ」

 

通達は兵に任せて一刀は雑務に戻る。

 

今この時点で一刀がするべき事はさして多くない。

 

目下重要なのが兵の水練であり、それは着実に積み上げさせている。問題は無い。

 

次いで重要と考えているのが自身の武の強化。

 

こちらは仕合を行えないだけに何も問題が無いとは言い切れない状況ではある。

 

が、その分今まで以上に氣の鍛錬に時間を割くことが出来ているので、案外悪くは無い。

 

不安なのは実践経験が不足しがちとなってしまうことだが……こればかりは仕方が無い。

 

最悪の場合、ぶっつけ本番でも実力を発揮出来るだけの練度に仕上げておくことを自身に誓うことが精一杯であった。

 

 

 

 

 

「皆、いいか?!何度も言うが船上と地上とでは戦いの勝手は全く違う!

 

 弓の一射、剣の一振りにしたところで、船上に慣れない者がそこで行えば素人以下のそれになり下がる!

 

 甲板を踏みしめろ!体幹をブレさせるな!船の揺れに対応するんじゃない!甲板と一体と為れ!

 

 それが出来れば、どれだけ船が揺れようとも揺らぐことは無くなる!

 

 船上戦闘では矢戦が主となるだろう!己の身体のブレを止め、地上と変わらぬ射撃能力を得た兵はまさに一騎当千の兵と為れるぞ!」

 

一刀が声を張り上げる先には、揺らされる船の上でひたすらに立ち続けようとする魏の兵たちがいた。

 

兵はそれぞれの得物、剣や弓をその身に携えてはいるが、それを手に取る様子は無い。

 

まずは先ほどの言葉の通り、立ち続けることを要請しているのだ。

 

今目の前にいるのは、先日砦に到着したばかりの水練対象の兵たちである。

 

まだまだ船上に不慣れなだけあって、一刀の目前にいる兵たちはよく転げたり、中には顔色を青くしてしまっている者もいた。

 

船酔いはともかく、不安定な船の上でブレなく立ち続けるには訓練が必要。

 

一刀は砦に来た兵達に、まずたった一つだけ技術を教えていた。

 

一刀が教えたのは、今回役に立つと考えたとある立ち方。知っている人も多いのではないだろうか。

 

かつて現代の日本は沖縄の地がまだ琉球と称されていた頃、不安定な船上での戦闘を有利に進めるために編み出されたというその立ち方。

 

そう、『三戦立ち』である。

 

これは非常に安定した立ち方であり、正しく習得すればそれこそよく揺れる船上ですら普段と同じく戦えるというもの。

 

尤も、いくら何でもほんの数日かそこら練習したところで完全に習得できるわけが無い。

 

しかし、しないよりはマシで、実際確かな効果は得られていた。

 

特に踏み込みなどをあまり必要としない弓兵には効果が高く、勘の良い者は格段に命中率を向上させるに至っている。

 

当然の事ながら、大陸にはこの三戦立ちに関する知識はどこにも無い。

 

つまり、これは魏にとってかなりのアドバンテージになると考えられるのだ。

 

次にして最後の戦の舞台は水上戦闘。

 

経験は敵に分がある。

 

しかし、こちらにはこの新技術と、さらに”未来で知った情報”がある。更には兵数も敵の連合を大きく越せるだろう。

 

有利な点は伸ばす。不利な点は今更どうしようも無いのだから、そうして差を縮めるのが現実的なのだ。

 

物理的な差は兵数を揃えることで有利を取る。

 

技量的な差はこうして埋めているところ。

 

そして精神的な差は――――今のところ、無いだろう。

 

どちらの陣営も、将兵ともに次なる戦の重要度をその全身で感じ、否応にも士気は高まっているはずだからだ。

 

だからこそ。

 

決定的な差を作り出そうと思えば、精神的な部分で攻めてやれば良い。それが魏にとって効率的で効果的な策となる、と一刀は考えていた。

 

「……よし!弓を持つ者と剣を持つ者とに分かれて弓兵は的射、剣兵は素振り!

 

 但し軸は忘れるな!はじめ!」

 

ともあれ、どのような策を立てるにしても、兵が船上で使い物にならなければどうしようもない。

 

一刀はひたすら基礎を教え込み続けるのであった。

 

 

 

 

 

「さてさて……もうそろそろ呉も蜀も動き始めていることだろう。

 

 こちらも準備させていたものを持って来てもらうよう、念を押しておかないとな」

 

「室長殿への文ですか?

 

 短いようでしたら私が伝言として受け取り、すぐにでも出立いたしますが?」

 

調練を終え、居室へと戻る途中、誰にともなく呟けばすぐ傍に黒衣隊員が現れた。

 

自らが育てたわけではあるが、もうすっかり忍者のようだな、などと思いながら一刀は隊員の提案について一考する。

 

確かに、送ろうとしていた文は文面が短いものとなるだろう。ならば、伝言で伝えさせる方が時間の短縮にはなる。

 

相手が華琳で無い限り、その方法に特に問題も無いだろう。

 

「そうだな、それで頼む。ただ、桂花では無く真桜への伝言だ。それでも頼めるか?」

 

「はっ、お任せください。して、その内容とは?」

 

「『例の奥の手を持ち出して来い。それと春蘭に頼んでおいた件も合わせて頼む』これを伝えてくれ」

 

「はっ!」

 

伝言内容を伝えると、控えていた隊員はすぐにその姿を消した。

 

「……この分だと今の兵達が最後だな。

 

 まあ……そこそこの数の兵に基礎水練は施せたから良しとしよう」

 

もう数日の内にはこの砦にも出陣の令が届くだろう。

 

それまでに最後の基礎訓練を終わらせなければ。そう胸に刻んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一刀が伝言に兵をやってから暫くの後、許昌から魏の動きは始まった。

 

その日、定例の軍議の空気は非常な緊張感に満ち満ちたものとなっていた。

 

室内全体に息苦しいほどの沈黙が落ちていたのだが、これを破ったのは華琳の静かな声だった。

 

「もう一度だけ確認するわ、桂花。

 

 呉と蜀が動き出したという情報は確定ということなのね?」

 

「はい」

 

「ただし、その行軍の行き先は赤壁では無さそうだ、という情報も?」

 

「はい、確かなものです」

 

「なら……一刀の策は失敗かしら?」

 

「いえいえ、そうとは限りませんよ~。

 

 むしろ、風はこの報告を聞いて逆に確信しましたので~」

 

横から風がそんな言葉を投げ入れる。

 

華琳も心から先程のように言っていたわけでは無いので、特に目くじらを立てることなく視線で風に続きを促した。

 

「蜀と呉が同盟を結んでいることは分かっておりました~。

 

 であれば、その利を活かして動くことになるでしょう。先手を取るならば尚更のことですが~。

 

 ですが、蜀と呉はどうやら一塊になって動いている様子。

 

 折角二国が正式に手を組んだのでしたら、より息を合わせた二正面作戦を展開される方が厄介というものです~。

 

 それがわざわざ二つの軍を纏めて行軍してくるのだとすれば~」

 

「何か罠を仕掛けている、ということね?」

 

「はい~。それに、蜀はほぼ全軍で呉に入り、国に残るのは防衛のための最低戦力程度らしいですので~」

 

風の語る内容に付いていけている者は皆納得の表情を見せる。

 

蜀と呉が足並みを揃えて行軍してくることが罠。

 

後背を突くのに効果的な数の部隊を残している様子も無い。魏に対して周り込もうとしていたりする気配も無ければ、直前に至ってのそれを魏の軍師や将たちが許すはずも無い。

 

ならば、残るは敵自身の背後。つまり、退くという選択肢。

 

行軍の方向を少しばかり弄ってやれば、連合軍の後方に河を背負うことは容易いだろう。

 

つまり、一刀の言う通り、船上戦へと引きずり込もうとしていると見える。

 

それが赤壁の地かどうかまでは現状では分からない。だが、ここまでくれば最早誰も一刀を疑ってなどいなかった。

 

「…………桂花」

 

「はっ!すぐにでも出立出来るよう、輜重隊の準備は既に整えてあります。

 

 後は兵の招集のみとなりますので、二日もあれば出立出来るかと」

 

「流石ね、桂花。ならば我等魏は二日後に出陣としましょう。

 

 零」

 

「急ぎ伝令を出しましょう。

 

 各地の砦に詰めさせておいた兵と将に、我等本隊の出陣に合わせて合流の指示を出します」

 

「ありがとう、零」

 

魏の軍師筆頭たる桂花、名実ともにNo.2の零。

 

直接指示内容を口にされるまでも無く、この二人は早々と的確な仕事を行っていた。

 

その様子に華琳はいたく満足気な様子だった。

 

「では、皆の者に改めて告げるわ。

 

 二日後、決戦の部隊へ向けて出陣とする。

 

 今日、明日で準備を整え、残った時間は英気を養っておきなさい」

 

 

 

 

 

 

 

そんな華琳の宣言通り、二日後の朝には許昌の城門前に兵が綺麗に整列していた。

 

列に乱れも無く、皆が一様に見上げる先は城壁の上。

 

そこには華琳を中心に武将、軍師といった魏の中心人物たちの多くが揃っていた。

 

ちらほら、姿の見えない者もいるが、それは一足先に各地の砦へと赴き、兵を纏め上げているが故。

 

やがて城壁の上でも下でも全ての者が揃えば、誰からともなく黙り込み、他人の心音すらも聞こえてきそうなほどの静寂が訪れる。

 

暫くの沈黙の後、朗々とした華琳の声が響き渡る。

 

「私が旗揚げして早幾年月……この大陸は激動の時代を迎え、情勢が大きく動いた。

 

 長らく大陸に暗い影を落としていた大きな雲は巨大な暗雲へと成長し、僅かな先ですら目を凝らしても見えないほどであった。

 

 しかし!我等はそれを甘んじて受け入れなどはしなかった!

 

 例え先が見えづらくとも、我が眼が光を失ったわけでは無い!

 

 我等自身が道標となることで、一歩ずつでも先へ先へと歩みを止めなかった!

 

 やがて、我等の下に大きな光がやってきた。皆も分かっているだろう。そう、北郷一刀よ!

 

 かの人物が”天の御遣い”として打ち立てた、大陸がこれから進むべき道だとでもいうかのごとき斬新で効果的な策の数々、皆の記憶にも新しいだろう」

 

ここで華琳は言葉を切り、数瞬、目を瞑る。

 

そして再び開かれた瞳には、誰の目にも炎の揺らめきが幻視出来るほどに強い意志が込められていた。

 

「今、大陸の激動は収束を迎えようとしている!

 

 そして同時に!機は熟した!!

 

 この曹孟徳自らがその才を見抜き、引き入れた将と!そして”天の御遣い”北郷一刀がその人望と大いなる器を以て引き入れた将!

 

 我等魏の旗の下には大陸でも有数の将が揃っている!!

 

 将兵の数と質、二つが揃った今、我等に敗北の道理は無い!

 

 皆の者!これが大陸平定のための最後の戦となる!!

 

 我等の手で大陸に立ち込める暗雲を塵も残さず打ち払い、その先の道を共に歩もうぞ!!」

 

『おおおおぉぉぉぉぉぉおおぉぉっっっっ!!!!』

 

万を軽く超える数の兵たちの鬨の声が大気をビリビリと震わせる。

 

最後の戦い。

 

雰囲気から察してはいても、それが本当に言葉として出されれば、これに臨む意欲も俄然湧いてくるというもの。

 

今や、魏軍の士気はかつてないほどに満ち満ちているのであった。

 

「今こそ大陸を我等の手に!!

 

 いざ!出陣!!」

 

未だ鳴りやまぬ鬨の声の中、それでもはっきりと通る華琳の出陣を告げる声。

 

それを合図に、魏軍は整然とかつ意気揚々と出陣を始めたのだった。

 

 

 

次々に南東へ向けて出陣していく兵を、華琳はまだ城壁上から見つめている。

 

勿論のことながら、華琳は後方の本隊で出るため、まだ時間に余裕があるのだった。

 

その華琳の周囲にも、まだ残っている人物たちがいて。

 

「後のことは任せたわよ、蕙」

 

その中の一人に向かって華琳は言葉を掛けた。

 

「お任せください、華琳様。

 

 劉協様と劉弁様にお赦しいただき、月様、一刀様、華琳様に拾っていただいたこの命に掛け、皆さまのお帰りまでこの地を守らせていただきます」

 

蕙。一刀が協と弁を救い出した時、同時に救い出した月の元部下・李儒その人。

 

その名は現代において軍師としても有名なもの。

 

そのため、一刀は幾度か蕙に最後の戦では軍師として出陣する気は無いか、と問うたことがある。

 

しかし、応えは決まって否。罪悪感云々を抜きにしても、自分は純粋な文官だから、と言ったのであった。

 

ならば、と決まったのが、戦力のほとんどを赤壁に注ぎ込んだ後の許昌の管理。

 

最初は蕙一人で大丈夫なのだろうか、との意見もあったのだが。

 

「蕙なら大丈夫だと思うわ。

 

 文官の仕事は言わずもがな、軍師としての才もボクが保証する。

 

 この許昌が攻められたとしても、籠城で堅く守りに入った蕙を抜くのは困難を極めるでしょうね」

 

と、そんな詠の言が皆の背を押した。

 

 

 

斯くして、魏は後顧の憂いを排し、決戦の地へと赴く。

 

誰一人臆する者のいない、勇壮な兵たちの行軍の姿がそこにはあったのだった。

 


 
このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
14
1

コメントの閲覧と書き込みにはログインが必要です。

この作品について報告する

追加するフォルダを選択