人修羅の消失から一週間が経過した。
「よし、それでは今日の訓練はここまで、各員身体をしっかり休めておくように」
新人達を前にそう声を張るのは人修羅ではない、メルキセデクだ。彼は言うが早いか新人達に背を向け、逃げるようにしてその場を去った。残された新人達は互いに顔を見合わせ、心配げに鋼の大天使の背翼へ視線を送った。
「どうしたんだろうね、人修羅さん達」
シャワー室へ向かう傍ら、俯き気味のスバルが誰に話しかけるでもなく呟いた。ピクシーにスルト、トール、オーディン、そしてだいそうじょう、人修羅消失の報を聞いた彼の仲魔達も同様に姿を消した。残っているのはメルキセデクとセト、そして姿こそ見えないもののシステムに潜り込んでいるグレムリンだけだ。だが彼らも訓練などの必要最低限の間のみしか姿を見せず、それが終われば逃げるように去っていく。人修羅と最後に接触したなのはも、何故か口を噤み、親友のフェイトとはやてにも何も語ろうとしない。何度かシグナムやシャマルがメルキセデクやセトに人修羅のことを尋ねたが、彼らは何も言わず首を振るだけで回答を拒絶した。
「どうしたのかしらね……」
回答ではなく、同じく疑問の言葉をティアナが吐いた。勿論それに答えを出すことが出来るものはこの場には居ない。
「彼等が私達には理解出来ない行動をとることがあるってことは、ここに来る前から聞いていたけど、今回のように唐突なのは初めてなの?」
ギンガが妹に視線を向け首を傾げる。
「うん、人修羅さん達は突拍子もないことをしても、必ず後で説明してくれるし、たとえ今は説明出来ない事だとしたらその理由を述べてくれる。今回みたいに逃げるっていうのは初めて」
「……それに、何で訓練場を使わせてくれないんでしょう?」
スバルの言葉に続くように、キャロが新たな話題を振る。人修羅達が姿を消してからというものの、何故か悪魔達は頑に訓練場へ立ち入ることを許そうとせず、グレムリンが扉に厳重なロックをかけたため、この一週間、悪魔達も含めて誰も訓練場には入っていない。
「訓練場に欠損があったのかしらね? あれって結構無茶して改造したんでしょ? それが理由で人修羅さん達がいないとか」
「でもそれなら別にメルキセデクさんが何か言ってくれるはず。それにあの人修羅さんがミスするとは考えにくいよ」
「そういえば訓練場が閉鎖される前に、無限図書にいるはずのトートさんやオモイカネさんが来てましたよね。僕も遠目に見たくらいでしたけど」
口々に様々な憶測を立て、言葉を交わし合うが、言わずもがな誰も結論にはたどり着く事は無かった。
「あれ?」
最初にそれを見つけたのはキャロだった。午後の訓練を終え、通常ならば自主鍛錬などで時間を潰している頃、人修羅達の失踪により何となく鍛錬に身が入らず、エリオと漫談していたキャロは視界の端に光を捉えた。中庭に設置されている、人修羅達がターミナル、もしくはアマラ天輪鼓と呼んでいたドラム缶のような装置が、白い光を放ちながら高速で回転していたのだ。
「どうしたの?」
キャロの視線を追い、エリオが振り向く。
「!?」
エリオの眼が一瞬で驚愕に見開かれた。困惑でも惑いでもない、まるであの現象を知っているかのようなエリオの表情に、キャロはエリオに問うた。
「エリオ君、どうし———」
しかしエリオはキャロの問いの半ばで、弾かれたようにアマラ天輪鼓へ向けて飛び出した。
「エリオ君!?」
キャロの声を置き去りに、エリオはストラーダを展開。ブースターも使って更に加速し、全速力で白い光の前にたどり着く。だが既に光の前には先客の姿があった。
「メルキセデクさん !セトさん!」
自分達の背後に着地したエリオに、しかしメルキセデクは軽く一瞥したのみで何も言わず、セトに至っては完全に無視を決め込んだ。やがて彼らの眼前で白の光は収束し、徐々に人の形に固まり始めた。
「お疲れ、で? どうだった?」
質量を宿し、実体化した光に向けてセトが言葉を放った。
「聞くか? 我としては口にしたくもない故、可能ならば気にせずにいてほしいのだが」
質量の次に色を取り戻し、そして個を取り戻した光、オーディンがそう口を開いた。隻眼の魔神は自らに遅れて顕現した神槍を手にし弄ぶように回す。
「そんな戯言のたまえるなら、まだ余裕はあるのね」
オーディンの言葉を一笑し、セトは肩を竦めた。
「かと言って、楽観視出来るような状況でもないようですがね……」
オーディン以外の悪魔達、スルトやトールを吐き出さずに回転を沈めていく天輪鼓を見ながらメルキセデクはそう言った。
「どちらにしろ、一度報告を聞きましょう。それに、この世界に置いては我々だけの問題ではないのですし」
メルキセデクは再び肩越しにエリオを振り向き呟く。エリオだけではない、既にアマラ天輪鼓の周囲には音や光を感じ取ったのか、機動六課の各員が集いつつあった。
「さて……で? 誰が話すの? 私とセデクは嫌だよ。外様なんだから。ねえオーディン?」
天輪鼓に腰掛け、脚を自由にさせるセトがこちらを見ながら嘯く。現在中庭には、天輪鼓を中心としてこの世界で機動六課に所属している者達の大半が集まっていた。いないのは昼寝中のヴィヴィオと帰還中の悪魔達、そしてもう一人。
「まあ順当に往くならば、我であろうな。あの世界では我だけが唯一の中立であったのだから、贔屓なく語れるだろう」
分かっていた事だが、今一度自分に言い聞かせるように声を張る。一度ぐるりと視線を巡らせ周囲を見回し、“彼女”が居ないことを確認した後、口を開いた。
「我々も総てを語りたい所だが、正直に言って時間がないのだ……故、尋ねてこい。我等はそれを時間の許す限り回答しよう」
「なら丁度ええわ、聞きたいことなんて、端から決まっとる」
そう強い言葉で言うのははやてだ。彼女は正面からこちら見据え、問いを放った。
「人修羅さんはどこに行ったん? 理由も込みで聞きたいんやけどな?」
有無を言わさぬ強い口調ではやては言葉を向ける、受けたこちらに最初から隠す気など欠片も無い、一つ頷き回答した。
「我が主は今、我々の拠点とも言える世界に帰還しておられる。理由については……まあ言ってしまえば抑鬱された感情を解き放つため、とでも言っておくか」
「だから……!」
「急くな……主の暴走の理由は、先日、我が主の無二の親友にして、かつて袂を分かち殺した筈の存在。ヨスガの長、橘千晶の生存が確認されたからだ」
そう言い終えると、場には疑問と困惑の気配が広がった。
「待って下さい、確かその千晶って人、前にオーディンさんが話してくれた……」
「そうだ。世界の覇権を奪い合った者の一人、そして我が主が殺害した者だ。人間は死ねば生き返ることは無い、その筈だった」
「でも千晶って人は生きていた……もしかしてそれって、バアル・アバターって悪魔と関係がありますか?」
なのはがその名を出した途端、悪魔達の顔には苦いものが浮かび、人間達の顔には訝し気な表情が現れた。
「バアル、アバター?」
眉を寄せるフェイト等を疑問を無視し、なのはに言葉を放つ。
「やはり、先日に我が主と会っていたのはヨスガの守護だったか。然り、バアル・アバターは千晶の同胞にして分身。ともに弱肉強食の世界を産み出さんとした守護だ……奴も殺した筈だったのだがな。しかし奴が生きているならば、橘千晶の生存も確実だろう」
「それで、何で人修羅さんがミッドから居なくなる理由になるん? 親友が生きてたんは良いことじゃないんか?」
はやての疑問に思わず嘲笑が浮かんだ、貴様がそれを問うのかと。
「はやて、はやて、八神はやてよ。お前は
「ッ!!」
その名を口にしてやると、見ればフェイトやなのは、シャーリーなど一部の者が警戒態勢に入った。シグナムやヴィータに至ってはデバイスを展開してさえいる。だが事情を知らぬ他の者達はこちらとリインフォースⅡへ不思議そうに視線を向けるだけだ。
「……何でリインフォースが何を意味するか知ってるん?」
「問うているのは我だ、答えるのは貴様だ。述べよ、どうする?」
「………」
「答えられぬであろう? 管理局の貴様としては奴を抹殺するか、あるいは封印するのが正しい回答だな。しかし夜天ではなく“闇の書”の主、八神はやてとしては、とてもそんなことは出来ぬだろう? 何せ貴様にとって———」
と続きを口にしようとしたとき、それを遮るように太刀と鉄槌が突きつけられた。
「そこまでにしてもらおうか、いくら貴様と言えど、それ以上の無礼は許さんぞ」
「そもそもなんでテメエが闇の書のことを知ってやがる?」
「天知る、地知る、我知る、人知る。覚えておくが良い
武器を突きつけられて尚、口元には愉悦が浮かび、シグナムとヴィータ、そしてはやてに対する嘲笑を消せはしなかった。
「しかし、多少脱線したことは認めよう、話を戻そうか。我が主は今、橘千晶を殺すか、殺さないか、それの選択肢を己に迫られている。だがそれは今、八神はやてが沈黙したようにおいそれと決めて良いものではない。だが我が主の都合を無視して、状況は絶えず変化する。スルトやトールが去った原因はこちらにある」
「彼等の、一体何が問題なんです?」
顔面蒼白となったはやてを支えながら、フェイトは睨むようにして言った。
「以前にどこかで話した事があっただろうか。かつてトールは橘千晶の率いていたヨスガの重鎮であり、そしてスルトはそれに敵対していた氷川の率いるシジマの重鎮。この二陣に加えて新田勇の率いていたムスビ。この三つのコトワリは我が主によってその首魁を殺害された事で、配下の者達は主の軍門に下った」
しかし。
「今回、橘千晶の生存が確認された事で、我々の内の元ヨスガの悪魔等が荒れている。そしてそれに呼応しシジマ、ムスビの悪魔他、何の関係もない悪魔達、そして魔人達もだ」
はっきりとした自嘲を込めて言った。
「今、我々は軽い内戦状態にある。トールはヨスガの、スルトはシジマのかつての部下を沈める為にここを離れなければならぬ程にな、そしてそれに加え、主の支配から逃れた魔人達へ睨みを効かせるために、最上位の悪魔達の大半が戻って来たことも拍車をかけている」
思わず大きく息を吐き、自らの声に苛立ちが僅かに含まれたのが自分でも分かった。
「それもこれも、我が主が正気であれば鶴の一声で総てが片付くだろうにな」
「正気であれば……って何です? まるで今、人修羅さんが正気じゃないって言ってるように聞こえますけど」
「今、貴様が言った言葉の通りだ。それが今回の件の最も重要な案件だ」
それを言う前にもう一度、“彼女”の気配が無い事を確認し、探すように周囲を見渡すと再び語り始める。
「以前に言ったことがあったな。かつて我が主がその精神に掛かる不可に耐えきれず暴走したと……だが、そのとき疑問に思った者はいないか? あの人修羅が、親友を殺害した、高々その程度の事で暴走などするのかと」
その場の何名かが反応を示した。その反応に頷き言葉を続けた。
「人修羅は暴走などしておらん。暴走をするのは混沌王だ」
「混沌王……?」
なのはやフェイト、一部の者達がその単語を聞きそれを反芻するように呟いた。
「貴様等には言っていなかったがな」
そう前置きし、姿勢を正して再度口を開く。
「魔人という存在は更に細かく三種族に分ける事が出来る」
指を一本立て言う。
「一つは人間や神が死を想い、こういった死を振りまく者がいるのではという考えの果てに実体を持ち生まれた者。貴様等はこの系統の者とあった事はないであろうから割愛するぞ」
この系統に居るものはケムトレイルやヤクビョウガミ、死の概念に近いが、それ故に自我の薄い魔人達だ。中にはときのおきなのように悪魔の一部だけが分離して死の概念を得て魔人化した者もいる。
二本目を立て続ける。
「次に、人間が死の瞬間に、自が死すらをも上回る死を願う渇望から、死の間際に魔人へ転生した者。だいそうじょうがここに該当する。この者達はその死への渇望から例外無く白骨の身体を持っている」
この系統はだいそうじょうやペイルライダー、殺害そのものに何らかの意味を見いだし、死しても殺し続けたいと願った生粋の殺戮中毒者共だ。
最後、三本目を立てる。
「そして最後に、死の間際でありながら、常規を逸した尋常ならざる願い。二種目の渇望など些事でしかない程の祈り。たった一人で全人類を上回る程の死の願いを持った者が、外部から神か悪魔かいずれかの力をその身に流し込まれ、死に触れながらも生を失わずに存在出来た矛盾を抱えた者。アリスや橘千晶、そして我が主が該当する、この者達は体内のマガツヒやマグネタイトの質が不自然に混ざり、その影響が瞳に現れ、例外無く黄色の瞳を持つ……そして、後の者ほど戦闘能力が高い傾向がある」
そしてこの三種目が問題なのだと、三本の指を軽く振る。
「矛盾を抱えたこの魔人達は、ときにふとした拍子でその矛盾から悪魔に戻ろうとし、しかし戻る事が出来ず、結果として死の概念に更に墜ちていく事がある。肉体、或いは精神に耐え様の無い負荷が掛かった場合などにな」
「戻るって……人修羅さんは悪魔じゃなくて人間だったんでしょう?」
「比喩だ。不安定なものが安定を求めて偏ろうとするだけだ。しかし魔人は死の化身、人間と悪魔に戻る事はどう足掻いても出来ぬ。それ故に悪魔の肉体と人間の精神は互いを拒絶し合い、死に沈んだ魔人の内側で桁外れの力が暴走を始める。しかし、以前の暴走の際に、我が主はこれを弱くとはいえコントロールする術を身につけた。貴様等も見た事がある筈だ、我が主の瞳が深紅と化す瞬間をな。あれは体内のマガツヒの活性化の影響が瞳に現れた結果だ……どうやら、この世界のアリスも同じ術を身につけているようだがな」
だが。
「普段の主であれば何の問題も無い。だが今回の件で人間側の精神が削れた我が主は再び暴走を始めた。我が主の名は人であり修羅である、故に人修羅。だが完全な死の概念となった今の主にその名は相応しくない。そのため、化身となった我が主は別の名で呼ばれ、恐れられた」
「それが、混沌王?」
「然り、そしてそれに貴様等を巻き込まぬ為に、最後の人の理性を絞り出し、我等の世界へ帰還したのだ。今回の暴走は主でもコントロールのしようがなかった……今、我々の世界は酷い有様だぞ? 荒れ狂う主とそれを止めようと奔走し戦闘する最上位の悪魔達、そして内戦を続けるヨスガの者等とそれに便乗するムスビとシジマ、そして死への欲求を解放した魔人達……以前の暴走の際はそれが一年は続いた、今回はそれを上回ると見積もるべきだろう」
そこで意図せずに深く息を吐いた。今まで誰にも見せた事が無い、疲れを秘めた深い溜め息を。
「まるで、あの頃のボルテクス界へ戻ったようだ」
思わず眼を伏せた。
だが、と視線を上げ再び口を開く。
「貴様等に協力を願———」
言いかけて、気付いた。
“彼女”が居る。
しかも最悪の状態でだ。周囲の何人かがこちらの以上に気付き、眼を見開くこちらの視線の先を追う。
そこには不自然に歪んだ笑みを浮かべる妖精が居た。
「あ、アンタ戻って来たんだ。気付かなかった」
最初に動きを見せたのはセトだった。邪神特有の広範囲探知でセトは真っ先にピクシーの存在に気付き、彼女へ対する心構えを終えていた。それゆえにその姿を最初に目視したオーディンよりも素早く動く事が出来た。
「……普段の貴女だったら、オーディンの帰還に気付かないわけが無い。妖精でありながら、私と同等以上の感知範囲を持つ貴女が」
言いながら悪神は天輪鼓を降り、ピクシーとの間へ壁となるように立つ。妖精は一見すれば、普段と何も変わらないように見える。だがそれも一見の間だけだ、少し詳しく見れば、彼女の動きが歪んでいることに嫌でも気付く。口調から羽ばたきまで、その一挙手一投足総てが、まるで半世紀も油を注していない歯車のようにぎこちなく軋み、悲鳴を上げて泣き叫んでいる。
「ま、あたしだってそういうことくらいあるよ」
笑みの表情を凍らせたまま、ピクシーはそう言う。だが彼女の言葉の只の一節でさえ、セトの背後に佇む魔導師達の耳には入る事は無かった。彼女達は折れそうになる自らの膝を立たせることに精一杯で、身体の機能を他へ回すだけの余裕がないのだから。恐らく、セトが前に立った事に気付かぬ者すらも居るだろう。
(なに……これ!?)
ピクシーが彼女達を見ていた。睨むわけでも注視されているわけでもない、ただ単に視線を向けられている。しかしただそれだけで、悪魔達以外の誰もが身体の震えを抑えられない。途轍もない密度の重圧と悪性を孕んだそれは、原油のように身体へ粘り着き蝕み、阿片のように精神を腐食し陵辱し、汚泥のように魂を穢してゆく。
(気持ち、悪い……)
その場の誰もが不快感に顔を歪めた。なのはやフェイトといった歴戦の魔導師達からしても、今まで経験してきたどの害意よりも巨大で威圧的な敵意、そして悪意。しかもそれを恐らく、ピクシーは無意識の内に吐き出しているという事実。
(主とピクシーを除いた我々六体、そして隊長陣も含めた貴様等前線の十一と一匹。ついでにシャマルとザフィーラを加えた計二十名。その総てが結束したとして、やっとピクシーと勝負が出来る)
オーディンがかつて言ったその言葉、それが決して過剰なものではなく、寧ろ過小であったのではないかという疑惑が魔導師達の脳を支配した。
「……どうやって抜き出て来たの? 貴女はトートにオモイカネ、ダンタリオンが訓練場に封じていた筈だけれど?」
張りつめた声でセトはピクシーへ問う、妖精はその張り付いた笑みのまま、不気味な程流暢に返す。
「中から出られないなら、中を広げて外を狭くすれば良い。セト、アンタでも気付いてなかったの? ここは既にアンタ達の造った牢の中よ」
ピクシーがその小さな手で柏手を打ち鳴らした。瞬間、世界が変貌した。
「なッ!?」
「まさか……」
機動六課の宿舎はそのままに、世界が深紅へその姿を変えた。それは以前にまでよく見ていた、人修羅の改造した訓練場のものだった。
「世界そのものを広げたのか……無茶をする、一歩間違えれば貴女ごと押し潰れていただろうに」
「でもあたしは成功した、だって人修羅の隣に居るべき存在だから。それにしても……」
ピクシーが凍った笑みを更に冷たく、深いものに変えた。
「あたし抜きで、楽しそうな話してるね?」
直後、セトが前動作無しで動いた。悪神はその場の誰にも視認出来ない瞬間移動にも近い速度を発揮し、一瞬でピクシーとの距離をゼロにした。
『砂漠の風』
そして超近距離からの突風。なす術無くその直撃を受けたピクシーは一直線に背後へと吹っ飛ばされた。そしてそれを追ってセトも再びの瞬間移動で消えた。
「行きますよ!」
「うむ……いや、少し待てセデク」
立ち上がったオーディンがその手に持った神槍の石突きで足元の石畳を軽く叩いた。鉱物と鉱物が響かせる硬質な高い音が鳴る。
『メパトラ』
それと同時に、六課隊員達を支配していたピクシーの悪意が一瞬で消えさった。悪意から解放され、非戦闘員は勿論、前線組の内の何名かも緊張の糸が切れたように膝をついた。いや、ようにではない。膝をつき、そのまま倒れた。気絶したのだ。
「やはりか、しかし思った以上ではある」
オーディンが視線を巡らせ、何人残ったか確認する。
「五人、否、六人か」
非戦闘員は全員、前線組でも新人達は全滅、シャマルやザフィーラですら気を失いこそはしていないものの、立ち上がる事は出来ていない。妖精の底無き悪意に耐えきり、己の脚で己を支えたままでいられたのは、隊長陣三名、副隊長二名、そして少し前に来たギンガだけだった。
「ふむ、恐怖状態へ対する経験の差が出たか。微々たるとはいえ経験も馬鹿には出来んな」
「恐怖状態、ですか? 『デビルスマイル』でも使われていました?」
「少し違う。人間は繊細なのだよセデク、我々と違ってな。しかし、腑抜けるにはまだ早いが、仕方ないか」
気を失ったエリオを軽く石突きで小突き、目覚める気配がない事を確認しながらオーディンは言う。
「な、何なんだったですか、今の、あれは」
軽く嘔吐きながらギンガがオーディンを見る。
「今の、あれ、ピクシーさん、ですよね? あの人もオーディンさん達と一緒にあっちに行ってたんじゃないんですか? 何で、あんな……」
「いや、いいや、ピクシーはずっとこちらにいた」
そのときピクシーとセトが消えた先、赤と黒の混じり合った闇の中から、鈍い響きと激しい戦闘音がやって来た。
「問いには後で答えよう。ギンガ、貴様はここのこいつらを頼んだ。先のあれに耐えたとはいえ、その様では満足に駆けることも出来まい」
そう言ってオーディンとメルキセデクは地を蹴り、響きのやってくる先へと行ってしまう。
「ちょ、ちょっとどういうことなん!?」
妖精の縛鎖から解放され、未だに事情の飲み込めていないはやてが、駆け出したオーディン等を問いながら追った。無論、ギンガを除き他の四名も各々がデバイスを展開しながら着いてくる。
「後だと……まあいい」
眉を歪めるオーディンの隣で、メルキセデクが言う。
「事後承諾ですみませんけど、実はここの訓練場にピクシーの姐さんを封印させてもらってました。そして今からそれを抜けて来た姐さんと戦闘になります」
「はぁ!?」
「トートやオモイカネ等に任せてな。だが、奴は訓練場だけに重ねていた主の空間を無理矢理押し広げてこちら側の世界を浸食し、我々を飲み込んだらしい」
駆けながらオーディンは説明する。その間にも前方から、訓練場の方角からは途轍もない破砕音が連続して響いてくる。
「封印って、え? 何でピクシーさんを?」
「先程の彼女の圧を肌で感じ取ったでしょう? 今の彼女は正気じゃありません」
そう言いきったメルキセデクの言葉を補強するように、オーディンが忌々しげに、実際に忌々しく唇を動かす。
「我々は我が主からのマガツヒ供給でこの身体を造っている。故に我が主からの供給が不安定になれば、自ずと我々にも影響が来る。しかしそれも微々たるもの、それぞれ己の意思でそれを封じる事も出来る。実際、主の仲魔全員が主の狂気に抵抗し、封じた……自ら狂気を受け入れた一人を除いてな」
忌々しく、そして苦々しくオーディンは口の中を噛む。
「以前の時もそうでした。他の悪魔達が我が主を止めようとする中で、彼女だけが主を全肯定し共に暴れ回ったんです。ですからスルトやトールと共に向こうへ戻らせるわけにはいかなかったんです。放っておけば、必ず彼女は主の元で共に破壊と狂乱を撒き散らすでしょうから」
いつになく緊張した様子でメルキセデクは語る。
「でもどうしてピクシーさんはこっちに出て来たんでしょうか?」
「……どういう意味です?」
フェイトの言葉にメルキセデクは問い返す。
「だって、彼女の力なら封印を押し広げた時点で人修羅さんのところに向かう事だって出来るはずでしょう? なのにわざわざ私達の前に姿を現して、セトさんと戦闘になっている。いくら錯乱してるったって、そこまで狂うものでしょうか?」
「そんなことか」
簡単な事だと、オーディンは鼻を鳴らした。
「ピクシーは我が主と最も長い時を過ごした悪魔であり、そしてそれ以前に女でもある。一人の男が目覚め、力を得て成長し、過去を砕き障害を蹴散らし、そしてそれが壊れるその瞬間。その総てをひと時としてはなれずに側で見続けた女だ。しかし、その身が悪魔であるが故に、我が主を救う事が出来ず共に狂う事しか出来ない……女である貴様達に言うことではないが、女の嫉妬程に怖いものは無い」
「……嫉妬?」
「そろそろ口を閉じよ、余裕もここまでだ」
駆ける先。完全に解放され、絶えず土砂と粉塵を吐き出し続ける訓練場の扉がある。
「しかし、本当に申し訳ありません。まさか封印を押し広げられるとは思ってもいませんでした。本来であれば、貴女達には逃げてほしいのですが……この状況ではそれも出来ませんし」
「逃げませんよ。ピクシーさんに勝てる気は全くしないですけど……それでも、貴方達から背を向けちゃえば、人修羅さんに会わせる顔がありません」
「勝手にしろ……グレムリンッ!」
オーディンが虚空に向かって電霊の名を呼ぶ。直後、彼に追走してモニターが一枚展開された。
『あいよ』
「頼んだぞ」
『了解……お前等は死んでも良いけどさ、そっちは護りきれよ?』
「是非も無し。例えこの身滅びようと、だ」
オーディンとグレムリンの会話に魔導師達が疑問符を作る前に、最小の暴君の狂声がその脳内へ届き始めた。
「何であの女が生きてるのよ? ヨスガもバアルもムスビもノアもシジマもアーリマンもカグツチもマネカタも悪魔も魔人も世界も何もかも全部全部壊して砕いて殺して殺して殺した筈なのに何でまだ人修羅の邪魔するの何で何でよ何で何でバアルが何でなんでなんでナンデナンデナンデ」
「………ふぅ」
狂ったように、否、実際に狂った妖精を前にして、セトは息を吐く。未だに黒龍ではなく人型であるとはいえ、妖精と悪神の力量差は隔絶していた、ただし通常とは逆の方向にだ。
(これは、まずい)
狂気に蝕まれたピクシーは、普段よりもその力を大きく落としてた。当たり前だ、闘争とは心技体の緻密なバランスによって成り立つもの、狂気によって強化される力など、個人ではなく圧し潰す軍勢の力か、そもそも
(そう確かに今のピクシーは弱い。だからって、勝てるわけじゃないけど……)
それでいてなお、ピクシーには届かない。それはそうだ、病んでいようが老いていようが狂っていようが自力が隔絶していれば些事でしかない。一万の膂力を持つ者が半分の五千になったところで、百しか持たぬ者では太刀打ち出来ぬのは道理だ。しかしセトも上位の邪神種、彼我の実力差が分からぬ程の弱者ではない。
(しかし、ちょっとは喰いつけると思ったんだけどな)
未だ悪神の攻撃はピクシーに当たるどころか、届きすらしていない。全力を出せばいくらか増しにはなるだろうが、しかし黒龍の巨体ではピクシーの魔法を回避する事が非常に困難になる。妖精の魔力は別の意味で狂っているのだから、直撃すれば例えセトといえど耐えきれるものではない。そして、背後に聞こえる足音の者達ごと粉砕する可能性が非常に高い。
「セトッ!」
と、そこに足音の主、大天使と魔神そして魔導師達が訓練場に入って来た。そしてピクシーの瞳孔の開ききった瞳が間髪容れずにそちらを向いた。
「あんな女が居るからいけないに決まってるだから潰れろ、潰れろ潰れて潰れろ消し飛べ散けろ破片も残さず塵となれ」
ピクシーは視線で乱入者の存在を認識したその瞬間に、既に次の行動に移っていた。ピクシーの手がサイドスローで投じるように振るわれ、その掌から雷撃が迸った。
『ジオダイン』
そしてそれが向かう先など決まっている。
「拙いッ!」
雷撃の威力は度外れている。真っ正面から対抗出来るような生半可なものではない。今この世界でまともに鬩ぎあう事が出来るのは、それこそセトしかいないのだ。例え未だに反応出来ていない乱入者達が全員で全力の魔法を全開で叩き付けたとしても、相殺すら出来まい。故にセトが動くしかない。
『ザンダイン』
もはやセトにデメリットを考えている間など無かった。瞬きよりも短い時間で瞬時に四肢だけを少女から黒龍に転じさせたセトは、雷撃に対して添うような形で衝撃を放った。無論、ぶつかり合ったところで減衰すら出来ぬ、しかしそれでも横から衝撃の直撃を受けた雷撃は、その進路を僅かにずらす。
「ッ!!」
結果、雷撃の狙いは逸れ、その威力を保ったまま入り口のすぐ隣の壁にと激突し破裂した。その余波で砂嵐の如き膨大な量の粉塵が巻き上がる。
「砕けろ千切滅、滅滅滅滅」
電撃がズレても、ピクシーは視線をずらさなかった。そして今度は雷撃の光を両手に収束し始めた。
『マハジオダイン』
セトは今度は衝撃を放たずに、地を蹴り。両翼を羽ばたかせて彼等の元に向かった。何故なら防ぐ必要がないからだ。初撃を防ぐことは出来なくても、第二波から先であれば、魔神一人がいれば事足りる。
『マハラカーン』
電撃が、その速度を維持したまま方向だけを真逆に変えた。即ち妖精の元へと。自らが放った雷撃に妖精が呑まれる瞬間に、彼等の元に着地する。
「遅いんだけれど? 死ぬかと思った」
「力及ばずなら死んでおけ、世界要領が空く」
「只の魔神が、私を誰だと思ってるの?」
『マハラカーン』を展開していた手を下げるオーディンへ一瞬だけ視線を向け言った。その瞬間に小柄な妖精の身体が雷電に呑まれ、二度目の瀑布が巻き上がった。
「……状況は?」
「下の下、最悪の一歩手前、そんなところ」
空高くまで舞い上がり、収まる気配を見せない砂嵐を睨みながら魔神と邪神は言葉を交わす。
「それよりも……連れて来たの?」
セトは肩越しに振り向き、そのままオーディンと会話を続ける。
「彼女等の行動にに強制はせん。それが我が主の令だろう? それに彼女がいれば危険度こそあがるが、同時に勝率も上がる」
「ま、それはそうだけど…」
砂煙が治まり、徐々にではあるがその中に妖精の陰を映し始めた。鉄塊すらも砕き散らす雷が直撃したにもかかわらず、そのシルエットにはどこも損傷した様子は見られない。しかしそう誰もが認識した瞬間、妖精のシルエットが大きく歪んだ。
「おっと失礼」
不意にメルキセデクが隣に立っていたなのはの腰を抱えて己の側に寄せた。なのはが、え? とメルキセデクの顔を見た瞬間、直前までなのはが立っていた場所が空間ごと圧し潰された。
『グラダイン』
地殻そのものが加重を受け半径三十センチ程の円形に十センチ程沈められていた。ぎょっとした顔でなのはは今の今まで自身が立っていた大地を振り向いた。非殺傷設定があるとはいえ、この重力の前にはそんなものは関係ないだろう。人体など容易く圧し潰してしまうだけの圧力を、妖精はなんの躊躇も無く同盟者である筈のなのはに向かって放った。
「何で避けたの? あたしが潰れろというんだから大人しく潰れるのが礼儀でしょ? ねえなのは? あれ千晶だっけ? どっちでもいいしどうでもいいから早く潰れてよ、ねえ?」
晴れゆく砂煙の中から、姿を現したピクシーが吐き捨てる口調とは裏腹に笑みを湛えたままそう言う。そして彼女の指先はなのはに向けられている。彼女が放った特大の重力圧魔法、それは明らかになのは個人を狙った攻撃だった。砂煙の中に隠れ、前触れも何も無い加虐の重力、であるにも関わらずメルキセデクはまるで、なのはにそれが向かってくることを前もって知っていたかのように対処してみせた。
「ピクシーさん!」
大天使に抱えられたまま、なのはは狂う妖精に向かって声を張り上げた。その拍子になのはの視線と淀んだピクシーの視線が交差する。
「人修羅さんのことはオーディンさんから聞きました! 彼が何でここに居ないのかも! 彼が何に苦しんでるのかも! 人修羅さんは貴女の大切な人何でしょ!? だったら周りがどう思うと関係ない!」
大天使から離れたなのはは息を吸い、最後の一言を吼える。
「貴女が人修羅さんの側にいてあげるべきじゃないんですか!?」
なのはがそう叫び終えると同時に、訓練場に静寂が舞い降りた。ピクシーは何も言わずにただ悪意を持ってなのはを見つめ、そしてなのはもそれに視線で応じる。しかし、徐々にピクシーに変化が現れ始めた。
まず始めに彼女の笑みが消えた。そして次に何かが砕けるような音がした。最後に、狂う妖精は呟いた、静かにたった一言を押し出すように、或いは押し潰すように。
「黙れ」
瞬間、場を支配していたピクシーの悪意が四散し、そして一瞬で殺意へと変貌した。
「黙れええェェェッ————!!」
ピクシーが咆哮した。いつも無邪気に笑みを浮かべ、軽い口調で喋っていた彼女からは、想像もできない悪鬼の如き表情でだ。
「貴様がァッ! 知った風な口を利くなああァァァッ———!」
そのとき彼女の放つ殺気は、人修羅やアリスといった魔人達と比べても何ら遜色がないほどに凶悪だった。咆哮と共に周囲を方向性を与えられなかった魔力が衝撃として暴れまわる。
「貴様の尺度でェッ! 彼を語るなああァァァッ———!」
無造作で無差別な破壊の嵐は、触れた総てを塵芥に帰した。そしてその中で唯一その影響を受けないピクシーの双眸に、殺意を形にしたような凶悪な光が宿り、そしてその光が伝播したように彼女の両掌が薄紫の光を発し始めた。
「お前だけはッ! 絶対許さないッ!!」
「私の後ろにっ!」
そのときその場の全員を庇うかのように大きく前に出た姿があった、黒衣の裾と漆黒の髪を散らせて先頭に立ったのはセトだ。一瞬で黒龍の姿へと転じたセトが妖精と同じようにその双眸に薄紫の光を宿らせた。
「耐えろよセト!」
両者から破壊の光が放たれるその直前、訓練場全域に焦ったオーディンの声が響き、その直後にピクシーから放たれていた光が幾らかの減衰を見せた。
『タルンダ』
「余計な事をッ!!」
ピクシーの憤怒が増す、だが今更魔法を止める事など出来ない。
『メギドラオン』
『メギドラオン』
妖精の両掌と悪神の顎門から同一の魔法が放たれた。下位種族である妖精族の中でも最底辺に近いピクシーと、上位種族である邪神族の内でも最上位に近いセト、悪魔に対して多少なりとも心得があるものなら、ピクシーとセトの戦闘、しかもピクシーにはデバフが掛かっている状況など賭けにすらならない戯言だろう。だがこのピクシーだけにはその常識は当てはまらない。人修羅と契約した原初の悪魔であり、その総てを傍らで見続け、そして彼の心情を最も理解している存在なのだ。“人修羅を支えられる存在になりたい”彼女は心の底からそう願い、そして妖精にあるまじき強大な力をその身に宿し、最上位の魔王や破壊神であろうと対等に戦える程に強くなった。もはや仲魔内でも彼女と対等に渡り得るものなど、メタトロンやデミウルゴスといった一握りしか居ない。
「グゥ……!」
「許さない許さない許さない許さない。許さない」
セト程度では話にならないのだ。両者が放った魔法は同一のもの、そして放ったタイミングも同一のもの、しかし破壊の規模だけが同一ではなかった。ピクシーとセトの放った『メギドラオン』が拮抗したのは一瞬にすら満たない刹那。一瞬で力の均衡は崩れ去り、万能の破壊が黒龍へと襲い来る。ここがフィールド全体の耐久度が尋常でない訓練場以外の場所であれば、オーディンが『タルンダ』をかけていなければ、ピクシーが狂気に呑まれていなければ、ピクシーの『メギドラオン』は星を抉り取り、世界崩壊に手を掛けたかもしれない。そしてそんなものの直撃を受ければ、いくら悪神と名高いセトですら危うい。
「ッ! オーディンッ! メルキセデクッ!!」
「是非も無しッ!」
「言われるまでもない!」
黒龍の脇から左右に飛び出した二人の悪魔。迫り来る万能の力に対して新たに二つの力が喰らいついた。
『真理の雷』
『アカシャアーツ』
放たれたのは雷霆と爆圧。オーディンの神槍と、メルキセデクの手刀から大規模破壊が万能目掛けて撃ち込まれる。半ば質量を宿した雷と圧は、総てを貪る万能に唸りを上げて激突した。雷霆と爆圧が、魔神と大天使の合わせ技がたった一人の妖精の魔法と鬩ぎあう、いや、いいやそう見えているだけだ。一見すれば三つの破壊は押し合っているように見えるが、実際は広がり続ける万能を、何とか減衰させているだけに過ぎず、ただの時間稼ぎにしかなっていない。だがそこに彼等が生んだ拮抗を追うように、更に攻撃の手が加わった。
「乾坤一擲———デスバウンドッ!!」
『デスバウンド』
一つは烈火の将から放たれた剣圧の衝撃。
【Gigant Form】
「轟天爆砕ッ!! ギガントッ! シュラアアァァ———クッ!!」
もう一つは紅の鉄騎が放った鉄塊の墜撃だった。
雷霆と爆圧の後を追うかのように、剣圧と鉄塊が暴食の万能に叩き込まれる。
「シグナム! ヴィータ! 貴様等は下がっていろ!!」
余裕の無いオーディンが声を飛ばす。言いながらも『真理の雷』に魔力を注ぎ続ける手は止めない。
「それだけの余裕がある相手か!?」
「つゥッ! 何つう馬鹿魔力だよッ!!」
シグナムとヴィータが加わっても、ピクシーの魔法は未だに広がり続ける。既に訓練場の六割を飲み込みそしてそれでもその規模を拡大させていく。が不意にその力が前触れも無く四散した。
「む!?」
「何だ!?」
驚愕の声を上げたのはシグナムとヴィータだ。彼女等も先程まで眼前にあった暴食の圧を、まさか自分達が四散させたと思える程に楽観的ではない。万能が消えた先にあったのはこちらに向けて両掌をかざすピクシーの小さな姿。彼女は舌打ちを鳴らした後に、憎悪と赫怒の、そして殺意が入り交じった声で一言呟いた。
「……ムカツク」
その場の全員が同時に理解した。『メギドラオン』を『真理の雷』や『アカシャアーツ』もろとも消滅させたのはピクシー本人だということに。
「さあ、ここからが本番ですよ。業を煮やした暴君が、自らの全てを持って鏖殺に来ます」
苦笑いの混ざった声でメルキセデクが誰に言うでもなくそう告げた。
『デクンダ』
「え?」
大天使のかざした掌は前方のピクシーではなく後方、なのはとフェイト、そしてはやてに向いた。直後、彼女等の体からガラスを砕くような爽やかな音が鳴った。
「……すみませんね。勝手ながら魔力制御、砕かせて頂きました」
メルキセデクはピクシーを視界に収めたままそう言った。
「貴女方が抑えられたままでは、我々も危険と判断しましたので」
有無を言わさぬ物言いに、隊長達も黙ってピクシーを視界に収めた。
「怒られる程度なら後でいくらでも付き合ってあげますから、今この時だけは、お願いします」
大天使はそう言いながら、先頭に立つ二人の仲魔と並び立った。
「私が攻撃、オーディンが妨害、セデクが回避。異論は?」
再び少女に戻ったセトが全身を軋らせながらそう言う。
「ありません、それが妥当でしょう」
メルキセデクが各間接を鳴らしつつそう言う。
「是非も無しだ」
オーディンが全身に風圧と衝撃を纏わせながらそう言う。とその瞬間に総てを無視してピクシーが動いた。否、その姿が消えた。え? と何名かが視線を虚空へ彷徨わせた直後、ピクシーの姿はなのはの眼前に再出現した。
「潰れろ」
『グラダイン』
再び放たれた加虐の重圧。しかし重圧がなのはを押し潰すその瞬間に、今度はなのはの姿が消えた。
「……またあんた?」
ピクシーの視線が胡乱に上を向いた。そこは遥か上空、訓練場の最高高度ギリギリになのはを肩に担ぎ空を疾駆するメルキセデクの姿があった。
「決して逃がさない、消して逃がさない。決して消して芥子潰す」
そしてピクシーはそれを追うべく双羽を羽ばたかせ、一瞬で大天使と同高度まで跳ねた。その間、彼女はなのは以外の一切を視界内に収める事無く動いた。集団の中心に出現したにも関わらずだ、それこそ先程の『マハジオダイン』でも放てば全員とはいかずとも、数名は消し炭に出来たはずだ。しかし、ピクシーはなのはを追った。
「魔導師達! 聞こえてる!?」
四肢のみを黒龍に転じさせたセトが全員に聞こえるよう、声を張り上げた。
「もう分かってると思うけど、ピクシーはなのはだけを狙う! だから、だから少し間だけで良い! なんとしてもなのはを死なせないで!」
「え、少しだけ? 何で……?」
「質問は受け付けない! 行くよ!」
セトは言い終えると同時に完全に黒龍へと変化し、大天使を追って飛んだピクシーを更に追って羽ばたいた。
「なのは!」
セトと同時にフェイトも跳躍し彼女等を追う。速度の一面だけを見れば、機動六課の魔導師で最も優れるのはフェイトだ。雷速に等しい速度を発揮出来るフェイトだが、しかしそこまでの速度を発揮出来るフェイト以外の魔術師は、最高速で飛翔する悪魔達に追い縋れない。
「ッ! どういう速度!?」
しかし、それでもピクシーの速度には敵わない、文字通り桁が違った。ほぼ直線で彼女を追うフェイトとセト、そして逃げるメルキセデク、彼等の速度はほぼ等しく、二人分の質量を持つメルキセデクがやや遅い程度。だがその中でピクシーだけが異常だった。メルキセデクの肩越しから、ピクシーを狙うなのはの魔砲が乱打に近い頻度で連射されているため、それを回避するピクシーは出鱈目に蛇行飛翔している。しかも彼女自身、慣性を制御しようとせず力任せの移動を行うため、ピクシーの飛行距離は数倍にも膨れ上がっている、にも関わらず。
「引き離される!?」
僅かに絶望を含んだ声でフェイトが声を上げた。彼女の視界の中、ピクシーの姿は徐々に徐々に小さくなり、なのはとメルキセデクへと近付いている。
「今度こそ、焼け潰れろ」
ピクシーの右手が紫電の輝きを纏う。そして決して外さぬ至近距離まで近付いたとき、ピクシーはその手を振るった。
(上がれ!)
ピクシーが雷撃を放つその一瞬前、フェイトとセトの脳内に、オーディンの声が響き渡った。有無を言わさぬその大音声にフェイトとセトは反射的に高度を上げた。その直後、事態は転ずる。
『ジオダイン』
ピクシーの放った雷撃が、なのはの元へと一直線に飛ぶ。しかし。
「起立」
雷撃は突如盛り上がった岩塊に遮られ消滅した。なのは等とピクシーを遮るように、両者の間に岩壁が迫り上がったのだ。いくらピクシーの速度が常規を逸しているとはいえ、岩壁に激突すれば、砕け散るのはピクシーの方だ。狂気に呑まれているとはいえ、そこまで分からぬ程に頭のネジを外しているわけではない。ゆえに岩壁に激突する直前にピクシーは動きを止めた。
「追加だ」
一瞬とはいえ動きを止めたピクシーを覆うように、彼女の周囲に岩壁が迫り上がり妖精の姿を岩の中に隠した。その岩壁の根元には周囲に幾枚ものモニターを展開したオーディンがいる。この場所は只の荒野ではなく、六課の訓練場だ。設定によってその姿を自在に変える。障害物の細かな調整程度を行うのは主にシャーリーとグレムリンの仕事であったが、大雑把でも良いのならオーディンにも可能だ。その方法を用い、オーディンは訓練場そのものを使ってピクシーの動きを止めた。
「やれッ! ヴィータッ!!」
オーディンが肩越しに振り返り、声を上げた。視線の先には空中でカートリッジを弾くヴィータの姿がある。
「本日二度目だ! 轟天爆砕ッ!!」
語気を荒げるヴィータが、カートリッジの薬莢を撒き散らし頭上に巨大化させたグラーフアイゼンを振り上げ。
「ギガントッ! シュラアアァァ———クッ!!」
ピクシーを覆う岩壁めがけ振り下ろした。対物としては最高クラスの破壊力を秘めた鉄槌の一撃が、岩塊もろともにピクシーを砕きにかかる。だが。
「ぎッ!?」
岩壁を半ばまで砕いたところで、アイゼンがいきなり動きを止めた。術者の意思とは関係のない停止であったらしく、予期せぬ反動の衝撃を受けたヴィータは歯を食いしばる。
「調子に乗るな」
一瞬、グラーフアイゼンの全高を小さな雷光が駆け抜けた。
『マハジオンガ』
直後、アイゼンが跳ね上がった。全長二十メートルを上回る鉄の塊が、その質量を感じさせぬ動きで吹き飛ばされる。
「うおッ!?」
無論、デバイスの主であるヴィータも諸共にだ。
「ヴィータ!」
「眼ヲ離スナッ!」
彼方へと飛んでいくヴィータとアイゼンを追おうとするはやてにセトの鋭い叱責が飛ぶ。そして同時に崩れかけの岩壁を稲光で砕き散らしながらピクシーが姿を現した。
「めんどくさい、もう加減しない、その方が楽だし、楽しいし楽だし、人修羅も多分許してくれる。皆すべからく、私と人修羅の礎と糧になれ」
安定しなくなった口調でなにかを呪うように呟きながら、虚ろを通り越し、空虚さで溢れんばかりの瞳をピクシーはギョロギョロと動かした。
「シッ!!」
瞬間、鋭い呼気と共に音速を超える連結刃の切っ先がピクシーの死角から襲いかかった。切っ先の正体はレヴァンテイン、即ちシグナムのデバイスだ。そしてそれと同時に。
「シャッ!」
同じく、音の壁を突き破る切っ先があった。敢えてピクシーの視界内へ彼女目掛け放たれたのはオーディンの神槍グングニル。ピクシーは魔術面では人修羅に迫る事の出来る程の力を持つが、逆に物理面では並の悪魔程度の力しか持たない。刀身と穂先、迫る切っ先のどちらか一方が直撃すれば、それだけで致命傷だ。そして、ピクシーの力ではその片方しか止める事が出来ない。『テトラカーン』は壁なのだ。一面にしか張ることは出来ない。
「と、アンタは考えてんのオーディン……甘えてんの?」
ピクシーの視線がオーディンを、そして迫る神槍を視界に収めた。瞬間、慣性も運動も何もかもを無視して、連結刃と神槍がピクシーに届く前にいきなり停止した。
「む……」
強制停止を受けた事で、連結刃のつなぎ目が狂ったように舞う。
「甘えてんの舐めてんの巫山戯てるの? ねえ? ねえ? ねええェェ———ッ!?」
絶叫とともに連結刃と神槍が再び速度を得た。ただし、双方が向かう先はピクシーではなくシグナムにだ。
「くっ!」
紫電を宿し、音速どころではない速度を出したレヴァンテインを視認した瞬間、咄嗟にシグナムはレヴァンテインを基礎状態に戻した。それにより直撃寸前に連結刃は形と速度を失ったが、それでも神槍は残っている。しかし、槍はシグナムに直撃することなく数メートル手前の地面に浅い角度で突き刺さり、しかし止まる事無く大地を爆砕し削りながら進み続け、数十メートル程削るとやっと止まった。シグナムは知り得ないことだが、グングニルには絶対必中の加護がある、オーディンの狙った獲物を必ず貫き穿つ加護だが、それは逆に言えばオーディンが狙っていなければ絶対に当たらないということだ。
「何だ今のは!?」
レヴァンテインを再復元したシグナムは、ピクシーから距離をとりつつレヴァンテインに眼を向ける。そしてその刀身が赤熱し溶けているのを確認し声を張った。戦闘が始まってから刀身が溶ける程の過重をレヴァンテインにはかけていない、ならばピクシーに弾き飛ばされたあの一瞬にレヴァンテインを溶かされたと考えるのが妥当だ。炎熱魔法の力を付与しても、焼け付きすらしないのがレヴァンテインだ。例え炎の中に放置したとしても問題無い。そのレヴァンテインを溶かす程の過電圧、そしてシグナムはそれが何に使われるのか知っていた。
「
以前に正真正銘のそれを見た事のあるシグナムはピクシーが行った事の正体を一発で見抜いていた。電磁砲、即ち電磁加速による弾丸の射出兵器だ。無論、質量兵器運用の総てが禁止されているミッドチルダで拝むことのできるものではない。恐らく先程グラーフアイゼンが弾き飛ばされたのも電磁砲の応用だろう。よく眼を凝らせば、ピクシーを中心とした周囲十メートル程の空間が帯電している。
「あの磁界に入った鉄類を問答無用で電磁砲の弾丸に変換させるのか……」
一瞬で稲妻を上回る雷電を産み出す事の出来るピクシーにとってみれば、荷電と電磁誘導以外のものなど必要ないのだろう。電磁結界の内側に入った鋼は問答無用で彼女の武器となる。仮にこの訓練場が都市部の形をしていたら、被害は更に凄まじいものになっていた事は想像に難くない。自動車やら鉄骨やらを、全方位に超音速でマシンガンの如くぶちまけ続ける災厄と化すだろう。インテリジェントデバイスであればまだ問題はなかったろうが、近接戦闘が主体として構築されたアームドデバイス持ちの魔導師にとっては致命的な結界だ。対抗手段が存在しない。
(オーディン! 奴の電磁砲はどの程度持つ!?)
シグナムを無視し、再びなのはを探し始めたピクシーから視線逸らさず、シグナムはオーディンに念話を飛ばした。電磁砲には多大な電力を使う、たとえフェイトクラスの雷魔法の使い手であろうと、あの規模の発雷を続けるのは二分が限度だ。如何にピクシーが桁外れだとしても電磁結界を何時間も展開していることなどできないはずだ。そう思いオーディンに問うた。
(電磁……なんだと?)
(は!?)
しかしオーディンからの言葉はシグナムの予想していたものどころか、回答ですらなかった。
(今姐さんの使ったあれのことですか? 申し訳ないんですが、あれ、私達も初見です)
脇から来たメルキセデクの言葉に、念話を繋いでいた魔導師達全員の眼が驚愕に開かれる。
(ピクシーノ使イ方ハ……特殊スギル。誰モ再現ナド出来ヌ)
(そういうことだ。我々にはあれが何なのか分からん。我が主でさえもピクシーの真似をすることは出来なかった)
(……ピクシーのあれは電磁砲だ。自身の周囲を電磁の結界で支配し、内側に入り込んだ鉄器を電磁圧によって射出する……正直に言おう、私とヴィータにとって、あれは鬼門どころか最悪だ。奴が結界を張っている間は何も出来ん)
シグナムもヴィータも、遠方に対する攻撃手段は有しているが、どちらもデバイスを通し鉄器を射出する技能だ。発射した瞬間に帰ってくるのは眼に見えている。口惜しそうにそう呟くシグナムに、その主人から凛とした声が返された。
(ええよシグナム。出来ん事をやろうとしても無駄なだけや。あの結界、見た限りやけど二十メートルもないやろ? だったらな)
「近付かんかったらええんやろ!!」
訓練場にはやての声が響き渡る。そしてそれと同時に訓練場全体の温度が低下を始めた。
「仄白き雪の王、銀の翼以て、眼下の大地を白銀に染めよ。スルトさんは居らんし、ええよね?」
温度の異常低下に脅威を感じたか、ピクシーが上空に佇むはやてに初めて視線を向け———歯を剥いて笑った。
「皆! ちょっと冷えるけど我慢せえよ! 来よ、氷結の息吹———アーテム・デス・アイセスッ!!」
はやてがデバイスを振るうと同時に温度が一気に氷点下を下回る。無論、その中心はピクシーだ。徐々に、などという生易しい速度では断じてない。時空管理局内でも最高位の魔力を持つはやてだ。瞬きをする間に妖精の身体には霜が張り付き、指先爪先から凍り付き、周囲は冷気と氷柱に満たされていく。だと言うのにその真っ直中にあって妖精はその笑みを消そうともしない。彼女はゆっくりとした動作で、左の掌を上に向け、同じくゆっくりと唱えた。
『マハラギ』
ピクシーの手から火炎が溢れた。しかしその規模は篝火か松明の様で、氷の世界と競い合うには非常に狭く弱い。
「そんな炎じゃ私の冷気は破れんよ!」
彼女に張り付いた冷気と周りの氷は溶かされ、周囲は多大な水蒸気で溢れる。しかし、それだけだ。先日にスルトが見せたように気温そのものを塗り替える程の爆炎では決してない。すぐに炎は寒波に飲み干されるだろう。
(変やな……)
空間を氷界に支配させながら、はやてはふと心の内にわき上がって来た疑問に首を傾げる。
(弱過ぎるやろ……)
ピクシーが放つ火炎のことだ。先程、彼女は五人掛かりでも押し勝てる程の大魔法を放って来た。単純な保有魔力でいえば、彼女は六課トップのはやてすら越え、人修羅と並ぶ
(だとしたら、何や?)
はやては上がって来た冷気に身を包ませながら疑問する。気温は変わらず氷点下であり、ピクシーに溶かされた水蒸気は再び固まろうと凝結を開始していた。
(氷点下に、水蒸気———!?)
「———あッ!?」
はやてから血の気が一瞬で引く。そんな青白い顔をまるで馬鹿にするようにピクシーは亀裂を走らせたかのような嘲笑を見せ、そして見えなくなった。
「まさか……!」
度外れた濃さを持つ霧でピクシーのシルエットが覆い尽くされたのだ。
「霧のメカニズムを再現したんか!?」
即ち、暖かく湿った大地に冷えた環境を与える。それが霧発生の大まかな概要だ。大地によって蒸発した水分が空中で再び凝結し霧となる。無論、再現したとしても即座に濃霧が発生するわけではない。ただしかしそれは普通の場合だ。はやてとピクシーが放った魔法はどちらも即座の温度変化を強制するもの、水は刹那に凍り、そして溶かされ蒸発し、そして再び凝結す。その変化すらも即座に行われ、結果として濃霧すらも即座に発生する。
「あかんて!」
はやては慌てて氷結を止めるが、氷結魔法の規模が規模だったためにすぐには収まらない。そして霧の範囲もそれに倣って広範囲だ。十秒でピクシーどころか悪魔や魔導師達の姿も隠され始める。それに加え霧で訓練場が覆われると同時に『エストマ』でも使ったのか、ピクシーの気配が消滅すr。
(ごめん間違うた!)
アーテム・デス・アイセスではなく、破壊力の高いデアボリック・エミッションやクラウ・ソラスを撃つべきだったかと、はやては心の中で舌打ちした。
(いえ、間違えてません。むしろ直接攻撃しなかっただけマシかもしれません)
(下手な攻撃を放てば、最悪反射される恐れがある。足止めの魔法を放った選択肢は間違っていない)
(それにねはやて、別にピクシーさんが見えてなくても問題無いよ。どこに来るかなんて分かってるんだから!)
念話内のフェイトが吼える。そしてそれと同時に天高く、先程ヴィータに叩き潰された石壁の頂上付近で、稲光が走った。そこには霧の中から音も気配も何もなく躍り出たピクシーと、それを大剣の雷刃で受け止めるフェイト、そしてその背後にメルキセデクとなのはがいる。
「よし」
思った通りだと、フェイトは未だ電磁砲の結界内でありながら射出されない自がデバイスに視線を落とす。フェイトのデバイス、バルディッシュは持ち主の魔力質を体現し、その身に雷の力を宿している。異なる電子で対抗することさえ出来れば、電磁砲の弾丸として使われる事はない。飽くまで机上論だったがその結果は正しかったと、フェイトは頷く。
「あははっははははははあはあああああああァァァ————ッ!!」
そんなフェイトを完全に無視して、電磁砲の結界がピクシーの右手に収束させ始めた。広範囲に広がりうっすらとしか認識出来ていなかった電子と磁力の力は一所に集中し、ピクシーの右手は太陽を握っているかのように白く光り、輝きを放つ。電子の収束、そしてそれから見える白い光。もはやピクシーの魔法は魔法と呼んで良い使い方ではない。
「まさか荷電粒子砲!?」
驚愕に声を上げたフェイトを尻目に、数万度に達する白熱の光をピクシーはバルディッシュに遮られたまま、なのはに向けて放とうとした。
「んッ!!」
咄嗟にフェイトはカートリッジをリロード、得た魔力を筋力へと転嫁し、無理矢理に力づくでピクシーをバルディッシュで押し込み、荷電粒子砲の狙いを逸らす。
「熱ッ!!」
当たったわけでもないのに、側を通ったというだけでバリアジャケットすらも貫通するその高熱にフェイトは顔をしかめた。バランスを崩し、ピクシーの放った白熱の光は大きく狙いを逸らし、誰もいない大地を薙ぐように焼き払った。数万度の熱に晒され、大地は一瞬で気化しプラズマ化して熱を放つ。その余波で氷点下であった温度が一気に跳ね上がり、氷の世界は一瞬で熱の世界と化した。
「そう結局あんたはそっちに付くのねトール?」
雷刃を素手で掴み、その腕を紫電に焼かれているにも関わらず、ピクシーはフェイトを見ずに、しかしフェイトに口を開く。
「人修羅に膝をついて
否、フェイトどころではない。ピクシーは
「ねえやっぱり今でもヨスガが愛しいかしら?」
魔力と狂気でしとどに濡れて、此方を見ているのに此方を映さぬその瞳その言葉、それはまるでかつての“母”のようで……。
「っ……さっき、からッ!」
ピクシーの瞳に、幼少の記憶を想起しかけたフェイトは、脳裏に浮かんだそれごと吐き捨てるように声を上げた。
「私は、トールさんじゃないッ! 何を……誰を見てるんですか貴女はッ!」
フェイトは思い切り大剣を振り下ろし、ピクシーを眼下の大地に叩き付けるようにして振り飛ばす。
「過去しか見えていないのに! それを私に、私達に向けないで!」
そして追撃と言わんばかりに、大剣を振るって一回転、その刃をピクシー目掛けて切り離した。柄から外れた雷刃は、遠心力と重力とフェイトの視線に従うままに、ピクシーを追って真下に飛ぶ。そして体勢を立て直す前のピクシーに思い切り突き刺さると、そのまま諸共に大地へ激突、収まりつつあった濃霧を総て吹き散らし、紫電を纏った砂塵を吹き上げた。
「セトッ!」
「承知…!」
一時的とはいえ、刃を失ったフェイトの横を、白と黒の二つが墜ちるようにすり抜けた。
「ちょ…セトさんメルキセデクさん!?」
ピクシーは物理的攻撃には弱いと聞いていたフェイトは、雷刃の直撃を受け、大地に叩き付けられた妖精へ、当然のように追撃を仕掛けようとする悪魔達を咎めるように名を呼んだ。
「姐さんは電撃属性に耐性を持っています! 今追撃しなければすぐに動き始めますよッ!」
「“王の右腕”ヲ侮ルナ……! アノ程度デ果テルヨウナ、甘イ存在デハナイ……! 貴様等ハ我ニ合ワセヨ……」
言葉を紡ぎながらも二人の悪魔は動き続けていた。セトは双翼を大きく羽ばたかせ上に、そしてそれによって巻き起こった突風に乗って、メルキセデクは更に加速しながら下へ、下へ。ピクシーの元へと。
「Take this!!」
吼えながらメルキセデクは背翼の一方のみを羽ばたかせ、空中で高速に横回転。発射加速と落下の速度にセトの追い風、更に回転の遠心力を加え、超加速の黄金の拳を大地に背を預けたままの妖精に叩き込んだ。
『ゴッドハンド』
小さな島であれば爆散しかねないその黄金の砲弾を、しかし小さな暴君はそれを文字通り寸前で止めた。
『護りの盾』
妖精と大天使を隔てる青白い盾。黄金の衝撃は総て盾に残さず飲み込まれ、激突したというのに物音すらしない。
「Stand still!!」
大天使は再度拳を振りかぶり、盾に向かって振り下ろす。既に黄金が散った拳ではあるが、それでもメルキセデクは構わずに拳を止め処無く振り回した。二度、三度、十度、盾を砕かんとする乱打の勢いで。
『暴れまくり』
勿論、そのどれも盾を砕くどころか衝撃を伝える事すら出来ていない。しかし、無呼吸で乱打される拳打の前に、ピクシーは『守護の盾』を解く事が出来ない。であるならそれで良いとメルキセデクは思考する。一対一ならば先に果てるのはこちらだが、今はそうではないのだからと。
「ん!?」
いきなりピクシーの小さな体躯に桜色と橙色、二色の縛鎖が幾重にも絡み付き、四肢、胴、そして羽から頭部に至るまで総てを拘束した。
「双重のバインドだ。容易く解けると思うなッ!」
ピクシーに手を向け、バインドを形成したシグナムと戦線に戻って来たヴィータの声がメルキセデクの耳に微かに届いた。そしてそこに更に、桜と橙の上から白銀の縄が何処から現れ、ピクシーの拘束を更に強靭なものにした。
「神縄グレイプニルだッ! トールやフェンリルですら千切れなかったこれをどうにか出来ると思うなピクシー!」
拘束というよりか、もはや封印に近い有様で雁字搦めにされたピクシーの大盾に最後の一撃とばかりに、踵落しを見舞ったメルキセデクはその反動で宙返り、素早くその場から離脱した。そして、身動きのできない妖精に三つの叫びが叩き付けられた。
「全力全開ッ!」
「雷光一閃ッ!」
「終焉を告げる笛の音ッ!」
ピクシーを中心に、三隊長達がトライアングルを描き、足元や背後に特大の魔方陣を展開させていた。
「スターライトッ!」
「プラズマザンバ————ッ!」
「ラグナロクッ!」
各隊長それぞれの持つ最も破壊力の高い砲撃魔法の同時発射。通称トリプルブレイカー。過去の戦いで
「……砕ケ散レ」
トライアングルの中央、ピクシーの真上に双翼を広げる大黒龍の姿があった。龍は顎門を裂けんばかりに大きく開き、その喉奥には先の『メギドラオン』と同じ、薄紫の光が溢れんばかりに溜め込まれている。三連に加え合わせて四連、都市破壊級の大破壊が、四十センチにも満たない小さな悪魔に向かって。
「「「ブレイカァァァッ———!!!」」」
『ロストワード』
放たれた。
ピクシーの思考は醒めていた。
狂気と狂想に支配されていた脳内は、先程フェイトの雷刃の一撃によって嘘のように晴れ渡っており、妖精は全盛の思考を取り戻していた。
(さて)
迫る四連破壊の気配を感じながらも、ピクシーは一切の焦りを持っていない。五感は封じられ、回避も防御も反射どころか、軽減の手段すら封じられているというのに。
久方ぶりに全うな思考回路を取り戻したピクシーだが、目前に迫っている大破壊のことなど一切考えていなかった。端から見れば異常でも彼女にとっては当たり前の思考だ、ピクシーは時空管理局のことなどどうでも良いのだ。人修羅に連れられて来た他の悪魔達とは違い。彼女だけは自分の意志でここに居る。それは決して管理局や六課への情や興味では断じてない。人修羅と一緒に居たいから、それだけなのだ。究極、管理局が滅ぼうが六課が全滅しようが、ミッドチルダが消滅しようがピクシーは眉一つ動かすまい。
(そういえば、いつからだっけ?)
頭の隅に浮かんだふとした疑問に、ピクシーは自問自答する。人修羅と一緒に“いきたい”と願ったのはいつだったかと。
シンジュク病院で出会った当初ではなかった筈だ。あの頃は二人とも、フォルネウスを打ち倒し病院から抜け出す為の戦力を必要としていただけだった。
ヨヨギ公園に着いた時でもなかった筈だ。ティターニアからの招集が来ていたにも関わらず、それを蹴って人修羅に着いていったのも、ただヨヨギに居るよりも人修羅に着いていった方が面白そうだからという、単なる気まぐれでしかなかった。
(じゃあ、いつ?)
シブヤ、ギンザ、イケブクロ。次々に想起していっても分からない。
(そういえばハイピクシーになったのは、シブヤでだったかな?)
進化というかつてなかった感覚と新たな姿と力に、己と人修羅は共に困惑し、そして喜んだ。ただハイピクシーとなった己の姿を見て、人修羅が何故か笑顔なかに寂しそうなものを含ませていたのだけは、今でも鮮明に思い出せる。ただそれよりも、ディスコで出会った千晶と人修羅の声と顔が忘れられないのだけれども。
(ああそうか、あのときだ)
記憶の奔流に身を委ね、流されていく先に一つの光景が浮かんで来た。ニヒロ機構でオセを打ち倒し、ナイトメア・システムによって崩壊したマントラ軍営に戻った時だ。
(橘、千晶)
結局はそこに収束するのかと、記憶の中で苦笑する。マントラ軍のビルの入り口で、千晶が人修羅に手を差し伸べたあのときだ。仲魔達に視線を向けようともせず、あなたは強い人だからと、人修羅の眼を見て一緒に来てと口にした千晶。
(なーんか、腹立たしかったのよね)
意味も分からずただ千晶に不快感を覚えたのはどうしてだったか。当時は分からなかったが、今思い返してみれば何故分からなかったのか愕然とする程に明らかだ。
(置いていかれる、そう思ったんだよね。あの頃のあたしは)
その頃の自分は人修羅の成長に着いていけず、一線からは退いていた。千晶の掲げたコトワリは弱肉強食、優れた者だけが生存を許される世界。そんな世界になれば、進化したとはいえ、未だに弱小である自分などどうなるかなど火を見るよりも明らかだ。
(だから、人修羅が首を横に振ったとき理由は分からなかったけど安心した)
そして置いていかれるのが嫌だと理解していなくても、何となくで分かっていた自分は、魔人である彼に無理矢理にでもついていこうと足掻いた。
そしてその果てに二度目の進化を迎えた。
(夜魔クイーンメイプになったのは……ヨヨギ公園に着いたころだったっけ)
二度と戻ってくることはないだろうと思っていた妖精の聖地。そこに既に妖精ではなくなった身で訪れたためか、既知の妖精の誰もが自分がピクシーであるとは気付かなかった。クイーンメイプの力はハイピクシーだった頃と比べれば天地の差だった。以前までは何発も『ジオ』を落とさねば倒せなかったような強敵も、指先一つで消し潰せた。再び人修羅の隣で戦える快楽に歓喜したものだ。
(でも、それも長くなかった)
魔人の進化速度は尋常ではない。ヨスガ、ムスビの二陣営が守護を降ろしコトワリを掲げたころにはまたも、一線からは退いていた。その頃の人修羅の仲魔はアバドンにガルーダ、そしてスカアハ。オーディンも居た筈だ。いくらクイーンメイプとはいえ、上級種族達と並び立つ程の悪魔ではない。
終末の騎士を邪魔だと蹴散らし、四大天使を鬱陶しいと跳ね飛ばし、蠅王を道を開けろと蹴り飛ばす彼の背を追う事すらも、日に日に困難になった。
再び訪れた置いていかれるという絶望。最早、彼女の中のそれは“かもしれない”ではなく、“絶対に”という変化を遂げていた。
しかし、そうだからといって、もうピクシーに、否クイーンメイプに残された手段は存在していない。既に二度も進化したのだ、これ以上の変化が訪れるのはあり得なかったし、しかしかといって、ただこの身を鍛え経験を積むというのも論外だ。それは既に過去に何度も何度も何度も、幾度となく繰り返した諸行、その果てにあるのが今だ。既に仲魔内では同期など居ない最古参、経験値だけならば人修羅と同等なのだ。
手段は皆無、八方塞がりの現状に、しかしそれでも人修羅は離れていく。普通の悪魔であれば悪魔合体に頼り、人修羅の次となる礎になることを選ぶだろう。しかし、ピクシーの選択肢にそんなものは存在しない。ただただ切に、愛した男と並び立って生きていたい。“ピクシー”として生を受け、そしてその一生を捧げても構わないと
(そして“私”は再び”あたし“になった)
最上級の最高位の悪魔達、魔神や破壊神、大天使にも匹敵する最下級の最底辺。ある意味では人修羅以上の異常事態。メタトロンに真っ向から挑む事の出来るピクシーなど、イレギュラーにも程がある。
ヴィシュヌやミカエル等の大物に加え、赤のロングコートを纏った魔人や書生姿の召喚師と共にピクシーは人修羅の側でカグツチ塔へと乗り込んだ。手始めにシジマを潰し、ムスビを潰し、そして立ちはだかったトールも叩き潰し、そして
(そう、勘違いでしかなかった)
総てを内側に閉じ込めたその赤色の瞳が時折見せる黒色に、ピクシーが気付けたのは総てが手遅れになってからだった。人修羅の精神の決壊による最初の暴走。その原因が何だったのか、それにまつわる因果関係の総ては人修羅の暴虐が総て押し流し、ピクシーにも他の仲魔にも、そして当の人修羅にも分からない。無表情のまま、ただ爛々と深紅の瞳を輝かせ、破壊と死滅と狂乱をぶちまける人修羅を今の状態に戻す事が出来た事すら奇跡に近いのだから。
(黒の瞳で涙を流す彼を見て、そのときになってあたしはやっと気付けた)
ああ、
(貴女が人修羅さんの側にいてあげるべきじゃないんですか、ね)
なのはが言ったあの言葉、あれは幾つかの意味で痛恨だった。
(あたしは人修羅の隣に立ちたい。でも悪魔は人修羅の隣に立っちゃいけない)
愛した男と並び立って生きていたい。しかし愛した男の幸せを願うなら、それは絶対に許されない。
(分かってる、分かってるんだよそんなこと。理性的に考えた事は何度もある。態々説教されるような事じゃない。あたしが一番分かってる)
でも。
(感情が、納得出来るわけないじゃない!)
愛した男の一番になれたのに、それを他の誰かに譲り渡せ? 何だよそれは巫山戯るな。あたしがどれだけ血反吐を吐いたと思ってる。
(だから)
貴様にこの場所は渡さない。総てが人修羅によって破滅するというのなら、あたし諸共に滅び砕けろと、ピクシーは迫る四の光に初めて意識を向けた。
「……ム」
始めに違和感に気付いたのは、やはりセトだった。黒龍の眼下の先、多重の拘束で身動きを取れぬピクシーの姿がある。シルエットすら定かではないそれは、僅かに露出している指先や爪先、そして微かに見える妖精の羽がなければ、ただの縄と綱の塊にしか見えない。それに異変が現れたのは『ロストワード』を放った直後だった。今の今まで殺意と狂気を驟雨のように吐き出していたそれが、潮を引くようにとてつもない速度で薄れていったのだ。それはつまり、ピクシーが己の狂気を押さえ込んだという事、狂気によって弱体化していた妖精の暴圧が元に戻るということで。
(来ルカ)
セトがそう思考した瞬間、そうだとばかりにそれは現れた。拘束されたピクシーの真上。虚空に穿たれたように身じろぐことなく存在している小さな、しかし黒以外の何も映さない穴が前触れ無く出現したのだ。
『マハグラダイン』
なのはもフェイトもはやても、そしてシグナムもヴィータも、一瞬それが何なのか理解出来なかった。四の光に対抗するには、それはあまりにも頼りない大きさだったから。しかしそんな甘い思考も次の刹那で消滅させられた。
「あ!?」
「な、に!?」
引きずられる。黒の穴から溢れ出す、否、引きずり込む尋常ならざる超引力。それは吸い込むというにはあまりに凶悪に過ぎていた。一点が引き込まれるのではない、大地が空地がそして全身が、普く総て我に呑まれよと無尽蔵に貪られていく。
「ま、さか!?」
ラグナロクを放ちながら引力に逆らい、はやては黒の穴の正体に必死で思考を巡らせようとした。そうしただけだ。思考するまでもなく、実物を見た事がなかったとしても、あんなものの回答は限られている。一点収縮した加重力、自身の重力そのものに引きずり込まれ、留められた重力塊が引き起こす現象など一つしかない。
「ブラックホール!?」
光すらも脱出不可能の暗黒球体。当たり前だが宇宙空間で星を材料に造られるものよりも遥かに小さい、しかし正真正銘の暗黒の星を唯一それの影響を受けていないピクシーは四連魔法の前に掲げるように向けた。
「嘘やろ!?」
「まさか……!」
その光景に全員の脳裏に嫌な予感が走った。そして現実はそれを裏切らない。その通りに四連魔法は跡形も無く暗黒に飲み込まれ、消滅した。
「出し物はお終い? じゃあこの場ももう、終わりにしよ?」
過重で無惨に千切れた拘束を掴みながら、ピクシーは暗黒の星に逆らう者達を睥睨し、そして暗黒の星を解放した。圧縮されていた重力が解き放たれ、星の重力と同化したその瞬間。
「がッ!?」
訓練場の総てが押し潰された。迫り立った岩壁、残っていた氷柱、プラズマ化した大地、そして悪魔も魔導師も。その総てが数百倍に膨れ上がった重力の前に、巨人の掌で押し潰されたが如く、等しく頭を垂れ地に伏した。
(これは……!?)
押し潰れろ、押し潰れろ、大地を彩る血花となれと、世界がそう吼えているにも関わらず、未だ誰一人そうなってはいないのは、偏にその相性故だ。悪魔達は人間とは隔絶した耐久性を盾にして、個別に狙われることさえなければ耐えてみせると食いしばり。そして人間達は飛翔魔法という、重力に逆らうための魔法の出力を全開にすることで、砕ける瀬戸際で持ちこたえていた。しかしそこから先は存在しない。耐久など関係無しに押し潰す。飛翔魔法で抵抗しているにも関わらず押し潰す、細胞単位で引き千切ろうとする重力の洪水に、全員の全身の肌から血液やマガツヒが繁吹き、そしてそれすらも押し潰される。
「
世界の総てを見下しながら、過重の主はそう吐き捨てる。重力への供給を欠かさぬまま、妖精はふわりと浮き上がった。
「さて」
訓練場全体を支配する過重の中、たった一人だけその影響を受けぬピクシーは悠々と壊れかけのバインドを引き千切り、グレイプニルを放り出すとひれ伏す者達へ更なる追撃を加えるべく、自身の胸に手を当て普段通りの軽い口調で唱えた。
『デクンダ』
『ディアラハン』
『ヒートライザ』
『コンセントレイト』
妖精の姿が四度の魔力光に照らされた。そのたびに鎖を断つような音が鳴り、ピクシーの発する魔力が跳ね上がる。
「あーあ、バカみたい。自分のした事にこう言うのもなんだけどさ、どう考えても無駄な消費だよ。普通に電気なり衝撃なりをぶつければ死ぬのに、無駄に科学魔法なんかぶっぱなしちゃって。ホント無駄、だから反撃を許しちゃうっていうのに」
ピクシーの使う科学魔法は格上殺しの殺戮技法だ。電磁砲も荷電粒子砲も、そして勿論ブラックホールも。自分以上の大悪魔や、世界司る神に向けて叩き込むために練り上げた技法であり、格下に放ったところで単なる魔力と技術の無駄遣いのオーバーキルにしかならない。そしてそんな過剰兵器を
「戦闘に高度な読み合いも、術技の噛み合わせも要らない。必要なのは純粋な力、敵に行動を許す前に大火力で一方的に滅却する。それが理想、なーんて言っちゃったこともあったしね。丁度良いし見せたげる」
そう笑うピクシーの全身が、薄紫の光に包まれ始めた。それは先程放った『メギドラオン』と同質のもの、しかしその規模、質、そして密度。総てが比べ物にならない程に高純度。ピクシーが放とうとしているものに比べたら、先程の『メギドラオンも』ブラックホールも童遊びの域を出ない。
「巫山戯るなピクシーッ!! そんなものを放てばこの大地が……否、この世界が終わるぞ!?」
重力に押さえつけられたまま、オーディンがピクシーに悲鳴混じりの怒号を放った。
「大丈夫大丈夫。あたしを信用しなって。上手く調整して世界に影響は与えないようにするし、全員半死半生の一歩先くらいに済ませたげるから」
暖簾に腕押しを体現したかのように、ピクシーは怒号の一切に取り合わず。底冷えのする笑みを浮かべたまま双手を掲げた。
「メギドラダイ————」
ピクシーが破滅の魔法を唱え終えようとしたそのとき、何の前触れも無く、なのは達の背後から別の万能が飛来した。
『メギド』
それはピクシーの掲げるそれから見れば小さなもの、しかしそれ故にピクシーが放つよりも早くに着弾し大爆発を起こした。
「!?」
その衝撃でピクシーの大魔法が霧散し、重力の拘束も消滅した。
「少しばかり意地を張り過ぎではないかの? 御主らしいと言えばらしいが、何事にも限度というものが有ろう?」
嗄れた、しかし底知れぬ重さを秘めた声が地鳴りのように響いた。全員が万能が飛来した先、声のした方へ首を向けた。
「あいつ!!」
「あのときの!?」
「ようやく来たか……」
「首の皮一枚ってところですがね」
魔導師達の眼が驚愕に見開かれ、悪魔達の全身から力が抜ける。そこにいたのは双陣営とも初見の存在ではなかったからだ。空気を薙ぐように宙を舞いこちらへと飛んでくる、途轍もなく巨大な蠅の姿があった。見る者に否応無しに強烈な不快感を催させる、十メートルを超えようかという巨躯を持ったその姿。蠅王ベルゼブブがいた。
「あんたも私に逆らうの? 潰すよベルゼブブ?」
不安定な感情を隠そうともしないピクシーは、その矛先をベルゼブブ一人に集中させた。まるで他の者は存在しようがしまいが変わらないとでも言うかのように。
「賢い御主のこと、正気だろうが狂気に肩まで浸かっていようが、今この場でワシ等が争ったとて何の益も無い事は分かっておろう?」
しかしそう言いながらもベルゼブブは血に降り立ち、その姿勢を戦闘向けの構えに移行させた。その手に持った骸の杖は、不気味な光を宿し、他の三腕からは先端にある鉤爪からは硬質な音が鳴る。対するピクシーもベルゼブブが下手をすれば自分に届きかねない悪魔だということを知っている。荒れた感情は急激に静まり、その代わりに刃の如き冷たい殺意が溢れ出した。
「………」
「………」
極大の殺意と殺意は視線を介して妖精と蠅王の間を行き来し、一発即発の気配となって充満し始める。が、不意に何の前触れもなく妖精から発せられていた殺意が霧散した。
「やめた」
そう呟き、妖精は魔導師や悪魔達を一瞥する事も無く出口へと向かって飛んでいった。
「やれやれ、相変わらず容赦のない」
ピクシーの背を見送りながらベルゼブブは呻いた、そしてぐるりと蠅の頭部を魔導師達を見下ろした。
「その様子では説明を終える前にピクシーに襲われたと見える。オーディン、貴様は説明の続きをせよ。ワシは向こうへ戻る
」
そう言ってベルゼブブもピクシーの後に続いた。その間際、蠅の複眼の総てがはやてを方を向き、ベルゼブブは笑うように短く喉を鳴らした、がその動作はほぼ一瞬のもので、ピクシーとの戦争に体力も気力も、そして魔力も枯れ果てた魔導師達の誰も気付く事はなかった。
「続き、と言ってもな。全員の意識が戻ってからの方が良いだろうに」
気の抜けたように地面に座り込み、槍に身体を支えさせたオーディンがぼやく。
「しかし結論、というか私達の目的くらいは今言っておいた方が良いんじゃありませんか?」
身体を動かすたびに全身の至る所から不協和音の鳴るメルキセデクが覇気のない声でオーディンに言った。
「そう、だな」
言葉を受け、オーディンは槍を杖代わりにし立ち上がると、なのはの側に歩み寄り膝をついた。そしてオーディンの背後にメルキセデク、セトが並び彼等は膝をついた上、深々と頭を下げた。
「魔神オーディン、並びに大天使メルキセデク、邪神セトが高町なのはへ願い給う」
何が何だか分からない様子のなのはは、オーディンの言葉にリアクションが取れずにいた。
「我が主を救って頂きたい」
そう言ってオーディンも深々と頭を下げた。
「……え?」
悪魔の願いに、なのはが取れた返答はそれだけが限度だった。
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第28話 神聖なる狂気