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魔弾の王と戦姫~獅子と黒竜の輪廻曲~【第5話:蘇る魔弾!解き放たれた女神の意志!】

gomachanさん

ボードワンと凱って中の人同じだったんだと今更思うわけで……

2016-09-30 11:58:36 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:417   閲覧ユーザー数:417

――ティグルヴルムド……お前はティグルヴルムドだ――

 

それが……ボクの……な……ま……え?

 

――そう、あなたはティグル――

 

ボクは……ティグル?

 

――わたしのティグル――

 

あなたの……ティグル?ボクは……

 

――かわいいティグル――

 

ティグル……ティグル……それが……ボクの……ナ……マ……エ?

 

それは、この世に生を受け、産声を上げた時の小さな記憶。

ティグルヴルムド。まだ歳を重ねていない幼子の頃の記憶である。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

――ティグルヴルムド――

 

父さん?

 

――さあ、耕してみろ――

 

そう言えば、こんなこともあったっけ?

父さんから渡された鍬で、言われた通り耕したら、手がマメだらけになって僕は根をあげた。

 

――彼らは毎日のように畑を耕している。どんな時でも生きるために、皆やっている――

 

僕だって狩りをしているよ。この前なんか、こんな大きな鹿を仕留めたんだ。

 

――ティグルヴルムド。そなたの技量は今の歳を考えれば見事なものだ。しかし、生きる為に狩りをしているのではないのだろう――

 

う~ん?よくわからないや?幼い頃の自分はそう答えた。

 

――なら、どうして、お前が、私がそれをしなくていいのか、分かるか?――

 

偉いから。僕は父さんの息子だから。そう答えたんだっけ?だってホントのことだもん。

怒られるかと思った。叱られるかと思った。でも、父さんはちゃんと理由を教えてくれた。

 

――いいか、私たちはいざというときの為にいる――

 

いざ……というとき?

 

――そうだ。彼らが解決できないことが起きた時、解決できるように努めるのが我々の仕事だ。――

 

でも、そんなことは……あんまりないんじゃ?

 

――ひとが多く集まれば、それだけ揉め事が増える。責任も大きくなる。このアルサスは小さいこともあって平和だが――

 

暖かい父の手が、ポンと僕の頭に置かれる。

 

――ノブレス・オブリージュ――

 

ノブ……レス……オグ……ジュ?

 

――先ほど、私の問いに対して、『偉いから』と答えただろう。それは間違ってはいない。だが、偉いから、偉くある為には相応の責任が伴うのだ――

 

???よくわかんないや。

 

――今のお前にはまだ難しいかもしれんが……忘れるな。ティグルヴルムド。主とは、領主とはそのためにいる――

 

朧けに映って消えた記憶。母が息を引き取った1年後、ティグルがまだ10歳の頃だった。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

――どうしました?父上、大分お疲れの様子ですが……――

 

山へ狩りに行ったとき、俺は地竜と遭遇し,倒したという出来事を父に話した。

あまりの鱗の強度と巨大さ故、証拠を持ち帰るに事が出来なかった。だが、父は戯言に過ぎないと思われる俺の言葉を、あっさりと信じてくれた。

幾重にも罠を張り、地形を利用して、牙を、爪を封じて。

地竜の鱗は固い。この地上の物質とは思えない程固く、矢を全く通さない程に。だが、――鱗の隙間――を狙えば心臓を貫けるはずだ。

その読みは矢と共に的中し、60チェート~70チェート(6~7メートル)もある地竜を倒したのだ。

 

――……ティグル。その年で地竜を倒したとは大したものだ。だが、それだけに……弓を侮蔑するブリューヌがお前を受け入れるには、まだ幼いのかもしれん――

 

――父上?――

 

――ブリューヌと時代はお前の力を危険と感じるだろう。先祖から頂いたお前の名前は、ブリューヌ語で『革命』を意味するのだ――

 

――父上!――

 

不安の兆しが現実味を帯びてきた時、ティグルは理解するしかなかった。

少年はやがて「僕」から「俺」に変わった。

くすんだ赤い若者が大人へ近づく、13歳の頃の記憶だった。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

 

――すまない。ティグルヴルムド。お前……と弓を外の世界……へ出してやるのに、時間が足り……なかったようだ――

 

――父上!?―― ――ウルス様!?――

 

――ティグルヴルムド。その黒き弓……は時代を勝ち……取る力がある。だが、今それを……解放するわけ……にはいか……ないのだ――

 

――父上!俺はこの『弓』の力を正しきことに使います!希望の為に!――

 

――ああ、もちろん私……もそう信じている。ティグルヴルムド。お前の……その正しい心を持ち続ける事。民を守る……優しい心を持ち続ける事。ブリューヌ……の人々が、世界が……そう願う事を――

 

――父上!?――

 

――あとは……頼んだぞ。バ……ートランさらばだ。ティグルヴルムド……――

 

――父上……父上ぇぇぇぇぇ!!――

 

ティグルに全てを託したかのように、ウルスは息を引き取った。愛する父の顔は何処か満足げに微笑んでいるように見えた。

父と呼ぶ、くすんだ赤い若者の声は、空虚な響きとなって木霊する。

 

(――いつか、世界に危機が訪れた時、ティグルはその黒き弓で、世界に平和をもたらしてくれるであろう。――)

 

(――同時に、不安もある。――)

 

(――そう遠くない時代の中で、ティグルヴルムドは世界の革命を賭した戦乱に、巻き込まれてしまうのではないか?――)

 

(――今の時代を生きる若人達よ。――)

 

(――ティグルは、私の、いや、全ての人々の|光明の矢《きぼう》であることを、忘れないでほしい。――)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――……父上――

 

父の墓前で誓った、あの日を思い返して幾星霜。

悲しみで乾ききっていた唇から紡がれた言葉は、決意の表明。

決意が、父の他界によって凍てついた心を溶かし出す。

想いが迸り、朱い瞳から涙があふれる。

頬を伝う涙の熱さが、アルサスとその領民への想いが強いことを自覚させる。

 

――守りたい。アルサスを。俺達の居場所を。俺の民を――

 

視界全体を覆った涙滴の向こうで、二人の人影が微笑んだ。

人影は光を浴びて、かけがえのない大切な人をティグルの瞳に映し出す。

 

――あたしは、どこまでもティグル様についていきます!――

 

傍らには、ティッタがいた。

 

――ウルス様。坊ちゃんは懸命に、立派にやっておられます!――

 

隣には、バートランがいた。

 

今より俺はアルサスの領主、ティグルヴルムド=ヴォルン。

父から受け継いだアルサス。その領主となった14歳の頃の記憶である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Vadnais10『蘇る魔弾!解き放たれた女神の意志!』

 

 

 

 

 

『一年前・ブリューヌ・アニエス渓谷』

 

熱を帯びた風を除けば、そこはほぼ湿度のない乾燥地帯。

様々な大小の砂や直射日光が皮膚を傷め、体内の水分は外気への湿度を保とうとして、血液を循環させる。さらに、体表にこびり付いた僅かな砂屑が言いようのない不快感となって、ティグルヴルムド=ヴォルンの全身を苛んだ。

 

(不快感……?)

 

思わず、ティグルは空を見上げた。山や森に狩りへ赴くときとは違う感想が、彼の頭に|過《よぎ》れた。

明らかに、他の兵士たちがしかめっ面で不快感を示しているのに、この赤い髪の若者は、ほんのわずかな不快しか感じておらず、表面上は涼し気といったところだ。それが妙におかしかった。

ティグルヴルムド=ヴォルン。親しいモノにはティグルと呼ばせている彼が、アルサスの領主になってまだ間もない頃である。

数年前、先代アルサスの領主、ウルス=ヴォルンと母と共に見つめた緑色に広がる畑の丘の上で、幼いティグルはアルサスに住む、掛け替えのない大切な人々を守ることを決意した。

それから母が、そして父が崩御した後、幼い頃の決意はやがて果たすべき使命へと変わった。もともと、統治の才に恵まれていたわけではないが、アルサスの治世がうまく円環を継続して行けたのは、ティッタやバートラン、マスハスといった、ティグルを影から支える存在がいてくれたからだ。何よりアルサスを、そこに住む人々を守りたいという強い想いが、大きな加速となったからに違いあるまい。

今、その彼は、テナルディエ公爵を指揮官とする軍の一部に組み込まれている。側近のバートランも一緒だ。それも一番後方に。

軍と呼ぶにはあまりにも程遠く、小隊や班といったほうがなじみやすい。

なぜ、ブリューヌで侮蔑の対象になっている弓しか使えない自分を、テナルディエ公爵は推薦したのか、分からないままだった。

 

 

 

 

 

――――しばらく行軍すると、そこには、『二つの竜の頭』が居座っていた。既に、竜が食い散らかした跡もあった――――

 

 

 

 

 

「あれが……双頭竜(ガラ・ドヴァ)

 

竜という存在の前に固唾を呑むティグル。むしろ、その奇形さがより唾を固くしていた。

以前、狩りの最中に山奥で地竜と遭遇したことがある。驚いたのは竜の存在というより、思わず固唾を呑んでしまうほどの生命力だった。

何より恐ろしいのは、竜の戦闘力は他の生命体を圧倒する。

幼竜期は獣と比較しても脅威としてはあまり変わらないが、成長期や成熟期となると食物連鎖の頂点を象徴するような戦闘力となる。ティグルも、木々をなぎ倒しながら迫ってくる竜の迫力に、何度も死を覚悟したことか分からない。

 

今、目の前にいるの双頭竜は成長限界と思われる、150チェート(15メートル)級。人間の最大建築物を誇る王宮と比較して遜色ない。そして疑問が一つ浮かぶ。

 

――なぜ、人間が集まるような都市や町を襲うんだ?竜は人間が放つこの匂いが嫌いだと聞いたけど……――

 

竜は人間の放つ匂いを嫌い、町や集落には現れる事はないと伝えられてきた。

生物界において、捕食者から身を護る為に、被食者は擬態なり、防衛なり、狩猟なりと一種の攻勢へと出る。

自然と住み分けが行われ、竜と人間の住み分けが行われたらしい。これはある学者の一節にすぎないが。

疑問はやがて回答へとすり替わるように、戦いは唐突に訪れた。

 

「双頭竜なんてはじめて見たぞ……」

 

アニエスの渓谷にて相対し、テナルディエ軍率いる討伐部隊と、狩猟対象の双頭竜のにらみ合いはしばらく続いた。

兵士たちの心と、双頭竜の戦意に呼応するかのように、赤茶けたレンガを思わせる砂塵が、戦いの役者達へ叩き付け始める。

異様なほど、突然に吹き付けた突風に打たれながら、テナルディエは双頭竜を見上げていた。そうしている間にも、兵達の間で困惑が広がっていく。

話で聞くのと、実際に見るのとでは、情報認識の度合いが違う。

 

 

 

 

 

 

 

 

――数刻前――

 

 

 

 

 

 

 

テナルディエは、兵力を極力最小化して出立した。

――弱小な兵を連れていけば、竜の腹が膨れるだけ。ならば兵など必要ない――との理屈の元、被害を受けないことを前提として、兵力の低下を無視して進軍した。

事実、ヒトの血肉の味を覚えた竜は、歯ごたえと濃味のクセになる。餌の量に魅了されて活気づく。

兵法や軍略において、兵の損耗率だけを見れば減少するものの、一歩間違えれば貴重な将を容易に失いかねない非現実的な構成群だ。

ただ、テナルディエは『兵力の低下という不利点より、指示伝達速度との向上という利点の方が大きい』と判断され、ロランと比肩するほどの武勇を持つテナルディエという存在が、絶大な信頼と共に、王とその側近たちを後押しした。

世が世なら、「弱者と強者の戦略―ランチェスターの法則」とも呼ぶべき理論を、テナルディエ公爵は自力で見出したのである。しかし、ブリューヌの時代の幼さ故に、それを理解し称賛する者はだれ一人としていなかった。

今、王の勅命を受けて、テナルディエが率いているのは、ナヴァール騎士団のロランとオリビエ、自軍では側近のスティード、せがれのザイアン、少数の工作兵と一定の白兵部隊のみ。西方の守りを放棄した理由は単純で、量より質を求める今回の戦いは、他の騎士団では太刀打ち出来ないからだ。

攻城兵器を一刀の元に粉砕するロランがたまたまナヴァール騎士団に所属していただけであって、そうでなければ、わざわざ西方の守りを開けるようなことはしない。ロランの代役がいれば、西方の守備をカラにする博打に出ることはなかったはずだ。

そして、時は戻る――

 

「いいか、目標が有効射程に入り次第、すぐに叩け」

 

ついに双頭竜と討伐軍は戦闘を開始した。

有効射程圏内……今だ!

それは、一斉に大地が噴火したような光景だった!

竜を拘束する為に開発された、テナルディエ軍の開発成果。

特定目標拘束兵器。それは、螺旋状という特殊な矢じりを敷き詰めており、背面には特殊な火薬が装填されている。少なくとも、今流通しているような黒色火薬ではない。もっと特別な火薬だ。

禁忌に近いとされる、無色透明の特殊な火薬。鉄よりも固いとされる竜の鱗を貫くには、それだけの矢の推進力と構造を必要とする。その精製法は、テナルディエのみ知るとされる。

時間のかかる単発式ではない。特殊な歯車の機構と撃鉄による複合設備での連射式となっているものだ。人間が弓を弾いて放つより断然速い。ただ、機械という概念である限り、定期的な点検が必要となる。

「この地上にはない物質」の竜の鱗。単純な素材強度で竜の鱗が相手では、地上界の物質に勝ち目はない。ならば、構造で勝つしかないのだ。

竜の間合いはすなわち、人間にとっての死の世界。人馬の躯が溢れかえる阿鼻叫喚の領域だ。

ブリューヌにおいての標準的な武装は決まって剣か槍を始めとした近接武器である。時折、投石機や石投げを用いた攻撃も行われている。

そもそも、竜にとって、それらの攻撃は細やかな抵抗であり、児戯に等しい。兵士が有効射程に入ったときはもう遅い。何故なら、人にとっての『有効射程』に対し、竜にとっては『確定射程』なのだから。

 

「ロラン、西方から|双頭竜《ガラ・ドヴァ》の動きを捕えられるか?」

 

壁となる兵がいない分、テナルディエの低い声帯がよく響く。兵量の低下が返って良好な結果を生み出した。

 

「駄目です!ヤツの動きが速くて近づけません!」

 

だが、ブリューヌ最強の黒騎士はそう報告する。見た目以上の運動性を誇る双頭竜は、まるで竜巻のようであった。

砂塵の嵐が……舞い踊る!

細分化されている鱗が、人間のように柔軟な動きを可能としている。ロランはそう推測した。

彼らは騎士団。飛び道具がない以上、間合いに入る前の|牽制攻撃《きっかけ》さえ掴めない。

そのきっかけを作りだしたものは、騎士団にとって意外な形となって表れた。

 

「第2陣!一斉総射!!」

 

テナルディエの怒号に近い指令を受けて、予備の工作兵は一斉に引き金を引く!

 

人間の膂力では決して得られない、嵐と錯覚しかねるほどの勢いで、矢の雨は双頭竜の頭上に降り注ぐ!

伸縮性に富んだ鋼糸が複雑に双頭竜の巨体を絡めとり、関節の動きを阻害する!

その光景に驚愕を示したのは、ロランを始めとする騎士団の面々だった。

もっとも、驚愕した原因は――|剛槍《バリスタ》のような強靭の矢の威力による――なのか、――ブリューヌが嫌悪する弓矢を平然と使うテナルディエその人――なのかは分からない。

若しくは、その両方かもしれない。

だが、しばらく双頭竜の沈静化を見守っていたテナルディエ軍は、追い詰められた竜の思わぬ底力に戦慄することとなる。

軍全体の動揺による伝染は、思いのほか低害だった。もし、兵力を気にして大軍で訪れていたら、事態の収拾に追いつけなかっただろう。

 

「――――――――――――!!!!」

 

分厚い土埃の|瀑布《ばくふ》を破って、竜の反撃が開始される!

言葉にならない咆哮をまき散らしながら、双頭竜は地団太を踏む!その足踏みは地揺れとなり、やがては地割れを引き起こした。幸い、巻き込まれた兵はいなかった。

 

「なんて力だ……あれは人智が及ぶものではない!」

 

一人の分隊長がそう言った。少なくともテナルディエのものではない。

打開策の見つからない状況下。

そして、ヴォルン家の若き当主が行動を開始する!

 

「テナルディエ公爵!援護します!双頭竜の力は我々の想定以上です!俺は裏から回ります!」

 

死にもの狂いでティグルは己の役目を全うしようとする!そのくすんだ赤い若者の行動を確認したテナルディエは、軍全体の動きに意識を傾ける。

その間にも、双頭竜の暴虐は幾重にも繰り広げられていく。

だが、ブリューヌ最強の黒騎士は、いつまでも双頭竜の暴虐理不尽を許すはずなどない!

 

「そういつまでも好きにやらせるか!」

 

「無茶だ!ロラン!」

 

|親友《オリビエ》の静止を振り切って、黒騎士は崖から飛び降り、乾坤一擲の一文字を叩き込む!

 

「はあああああああああ!!!」

 

双頭竜の咆哮に負けじと全身の筋肉を使い、ロランは黄金の宝剣を振り下ろす!

宝剣の名は―不敗の剣デュランダル――

その名に恥じない威力と一撃が双頭竜を斬首刑に処する。だが、禍根を断つ完璧な処刑には至らなかった。

 

「やはり、もう片方の頭を潰さなければならないか」

 

そう憎々し気に吐いたのは、デュランダルにこびり付いた竜の血と肉と油を払ったロランだ。

竜、いや、生物界でもあのような奇形種は類を見ない。恐ろしいのは外見の奇形性よりも、むしろその生態性だった。

双頭竜は片方の頭をつぶしても、自立行動を可能としている。人間にも一つの脳内に右脳と左脳があるように、双頭竜の頭もそれぞれ一頭ずつ、右脳と左脳に別れている。その特殊な構造の為、両方の頭をつぶす必要がある。医学の発展途上たるブリューヌ故、それを知るのはテナルディエだけだった。

 

「うあああああああ!!」

 

豆粒をわしづかみするかのように、双頭竜は一個小隊を片手で抱え込んだ!

すかさずティグルは小隊を助ける為に、弓弦を引き、竜の目を狙い、矢を射放つ!

 

「……固い!?」

 

竜の目は、どうやら特殊な膜で守られているようだった。金属音に近い周波を発しながら、矢は弾かれ空しく落ちていった。

それは二射目も三射目も変わらず、乾いた衝突音を戦場に響かせるだけに終わった。

 

「ヴォルン伯爵!隙間だ!胸部の|鱗・の隙間を狙え!」

 

テナルディエ指揮官の側近、スティードの鋭い声がティグルの|耳朶《じだ》を撃つ!

まるで自身の急所を隠すように、|人質《エサ》を盾にする双頭竜。竜の急所を狙えないことはないが、人質に当たらないという保証もない。

矢じりが……震える。風も大気も荒れていない。いないはずなのに……風と嵐の女神がティグルを蔑んでいるようにも思える。

起こりうる可能性がある限り、倒す為の弓弦を引くことはできても、心の弓弦を引くことを躊躇ってしまう。

狩りをする時とは全く違う感覚が、ティグルの技量を鈍化させる。

奴の急所は……そこだ。鱗を狙うのではない。鱗の隙間を狙えばいい。なのに、やたらと分厚く感じてしまう。

この矢の弾道予測線は見えている。自分の髪と同じ色の直線が、この視界に見えているはずなのに……。

 

「くそ!!」

 

普段の温厚な彼らしくない、味方という障害と自身に対する未熟な技量によって、つい愚痴めいたセリフを吐いてしまう。

 

「何やってんだ!?ヴォルン!?早く撃て!」

 

かつてない苛立ちを含めて、ティグルの近くにいるザイアンは煽る。それは、事態を窮するからではない。自分の身が危ないからだ。そうでなければ、我知らずという顔で別部隊の被害を無視していたからだ。

しびれを切らして、先陣を切ったのは、テナルディエ総指揮官だった!

 

「はああああああああああああ!!」

 

懐に飛び込み、毛糸より細い鱗の隙間にテナルディエの剛剣が食い込み、竜の心臓を斬り裂いた!

果物の果肉のように斬り裂かれた双頭竜は、断末魔を咆哮した後、力なくうなだれて、地に伏した。その際に、巻き添えを喰らった者もいたようだ。

こうして、事態は収拾を始めていった。

 

 

 

 

 

『夕刻・アニエス渓谷・現場跡地』

 

 

 

 

 

いつしか日は沈み、つんざくような冷たい風が強く吹いてきた。ブリューヌ南部は昼と夜の気温差が大きい。特にアニエスは、度重なる地殻変動と河川の浸食によってできた峡谷である。

地表が隆起したことで突風が巻き起こるようになり、保温性のない土質が、乾燥環境を築くのに一役買っている。

そのアニエスに、各小隊がアニエス市街各所の損害確認と、被災者救援に奔走している。

ずかずかと大股でやってきたのは、テナルディエ公爵の次期当主であるザイアンだ。

 

「ヴォルン!なぜ撃たなかった!?」

 

「ザイアン卿……」

 

ティグルはザイアンが苦手だった。嫌な相手でも、ヴォルン家の当主として、とりあえず敬称はつけなければならない。

なにかと理由をつけて、いちいち突っかかってくるのだ。ティグルは彼の独特な行動論理を『ザイアニズム』と命名した。

身分の格差ももちろんだが、この両者は年齢も近いという世代感もあり、ザイアンの態度を助長するのに一因していた。

 

「父上がいてくださったからよかったものの!あそこで倒さなかったらどれだけ被害が広がっていた事か!?」「ヴォルン伯爵」

 

担架で運ばれている負傷兵が、ザイアンの叱責?を受けているティグルを呼び止めた。

よく見ると、五体の一部を斬られたかのように見える。

 

「テナルディエ公爵はちゃんと急所を外してくれた。それに、双頭竜に捕まったのは我々の|失態《ミス》だ。右腕の犠牲で済んだのなら安いもんだ」

 

苦痛の意識の中で、負傷兵はティグルを弁護する。

叱弁の熱が急に冷めて、語烈の勢いも削がれたザイアンは、「フン!」と荒い鼻息を鳴らし、その場を去った。去ったのは、自分の父がティグルに近づいてきたからである。単にティグルへの糾弾に自分が巻き込まれたくなかったからである。

 

「ヴォルン」

 

獅子王(レグヌス)(たてがみ)を思わせるフルセットのひげが揺れ、その凄まじい迫力にティグルも思わず仰け反りそうになる。

 

だが、テナルディエ公爵の様子は、どこかティグルを責めるような雰囲気は持っていなかった。

 

「テナルディエ公爵?」

 

ティグルの身長と比較すると、テナルディエ公爵はさらにその上を行く。見下されるとかなりの迫力を感じる為、どうしても態度が委縮してしまう。

それでも、ヴォルン家の現当主としての意地が背筋を伸ばし、テナルディエの眼光を受け止めさせた。

 

「貴様の射撃技量なら、私と同じように、鱗の隙間をくぐって竜の心臓を貫くことが出来たはずだ」

 

「………」

 

沈黙は肯定を、事実は承諾を意味した。

 

「盾にされた仲間の急所に当たる可能性が、ほんのわずかあった。違うか?」

 

「はい……テナルディエ公爵……ですが」「いいか、ヴォルン」

 

微かな不服は底重な声でかき消され、ティグルの申し分を上書きした。

 

「我々には、その弓弦を引くのを躊躇ってはならない時がある。強いて、力無き民を守る「盾」となり「剣」となる。それは力を持つ我々の定めだ。忘れるな。死してしまえば誇りも尊厳も無価値となる」

 

「テナルディエ公爵!?」

 

まるで呼び止めるようにティグルは声を荒げた。

テナルディエ家当主の声は、厳格性を孕んでいても、糾弾性は含まれていなかった。斬って捨てられるかと思った相手から、そのような態度をとられるとは思っていなかった。

この日のテナルディエ公爵は何かおかしい。剣武のテナルディエと弓射のティグルとでは相容れない相手。例えるなら、炎と氷。光と影。風と雷。獅子と竜以上に。

以前、父上にも言われたことがあったな。

力を持つものには、相応の責任を伴う。貴族としての模範を――

そして、テナルディエ公爵は|踵《きびす》を返し、ティグルに背を向けて現場へ戻っていった。

 

「どうしてです!?父上」

 

テナルディエの貴公子、ザイアンには信じられなかった。

何故、あの弓しか使えない腰抜けを気に賭ける?

そもそも、今回の戦にあいつを連れてきた理由は何なのだ?

 

「あいつはブリューヌの汚点!父上の顔に泥を塗ろうとしたのです!」

 

ザイアンの激しい問い攻めを無視して、テナルディエ公爵は部下に指令を出した。

 

「損害状況の確認が終わった部隊から撤収!!」「了解!!」

 

「父上!?」

 

父と呼ぶザイアンの声は、アニエスの空へただただ、響くだけだった。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「力無き民を守る盾となり剣となる……か」

 

自分の得物を眺めながら、ロランはぼそっとつぶやいた。

不敗の剣デュランダルは、実際に盾と剣の形態をとれる。先ほどのテナルディエの台詞が、どこか皮肉にも聞こえた。

テナルディエの性格は、ロランにとって相容れない相手だった。

ところが、先ほどテナルディエの言った言葉は、完全に黒騎士の意表を突いた。

それでも、ロランがテナルディエに対する評価は変わらない。現実として、彼は民を虐げる外道の輩には変わりないからだ。

 

「どうした?ロラン」

 

気にかけるような口調で、彼の補佐を務めるオリビエは言った。

 

「あの赤い髪の若者……ヴォルン伯爵といったか?あの弓使い、彼を知っているか?」

 

「ああ、あの男がティグルヴルムド=ヴォルンだろう。何年前か、王宮で一度だけ見たことがある。弓が得意だと言って、取り柄のない惰弱者と嘲笑されていたのを覚えている」

 

ロランは意味深しげに唸る。

 

「何を気にしている?ロラン、もしかして……「ブリューヌ代表の貴族が、なぜ辺境の貴族を気にかけるのか?」と思っているのか」

 

そこでようやくロランはオリビエに振り返る。

この二人はナヴァール騎士団設立時から始まる相棒であり、親友であり、戦友である。彼らの会話には、付き合いの長さに比例している為か、自然と思考と感情を読み合えてしまう。

そして、そのオリビエの推測を、ロランは肯定した。

 

「……それにしても、竜の頭を一刀両断するとは、つくづく常識はずれな男だな。ロラン」

 

「俺もザクスタンやアズヴァールには化け物と呼ばれていたな」

 

竜の|咢《あぎと》へ、平然と飛び込んでいく胆力。何の迷いも恐れも見せず、ただ一刀のものへ切り伏せる。

世が世なら、ロランを「騎士の中の騎士」というよりも、「勇者」という称賛がふさわしいのかもしれない。

 

「お前と話をしていると、俺は凡用な騎士だと思い知らされるよ」

 

力無く溜息をつくオリビエに、ロランは気にするなと笑いかけた。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

『現代・ネメタクム主要都市ランス・執務室』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「スティード。昨年のアニエス遠征時で同行したヴォルン伯爵をどう思う?」

 

「状況分析、判断能力、射撃能力は共に極めて高い潜在性があると思われます。ですが……時に悩み、その卓越した能力を鈍化させる傾向さえあります」

 

テナルディエの問いに、スティードは簡潔に答えた。

極めて高い潜在性。青白い顔をしたテナルディエの側近は、弓使いの少年をそのように評価した。

まずは状況分析。暴れ狂う双頭竜に怯えることなく、敵味方入り乱れる戦場において自分の立ち位置を把握できる。

次に判断能力。背後に攻撃手段は無いと踏み、自分の有効な立ち位置に回ることが出来る。

最後に射撃能力。針の穴に糸を通すような精密性の技術力を持ち、相手の有効な部位を当てる事が出来る。

いずれも、戦局を左右する要素ばかりだ。

 

「悩む……それこそ、今のブリューヌに必要なもの……弱者の心に忘れられたものだ」

 

スティードは、テナルディエの呟いたことが分からず、一瞬眉を潜める。

戯れに言ったことなのか、放心していったのかは分からない。だが、弱者という発音に|強弱《アクセント》を付けるあたり、スティードに思い当たる節があった。

すなわち、弱者の内に潜む正義の危うさ。

平等主義?博愛精神?騎士道?そんなものは、儚く脆い。

もがく事、あがく事は、誰しもが平等に与えられた佳境。弱者だけが気取った理屈をつけて、弱肉強食という現実から目を背けている。

強者に泣いてすがるのは、自分が苦しい時だけだ。苦境が過ぎればすぐ不平不満を言いやる。

弱い者ほど、徒党を組んでは強者という身代わりを時代に差し出す。

テナルディエと同じく、スティードもまた、弱肉強食の論理に囚われた者の一人だった。

強者のみが生きる優者必勝社会。これこそが、ブリューヌの姿に相応しい。

 

「……ついに始まるのですか?閣下」

 

「スティード。違うぞ。違うぞ。始まるのではない。ここから始めるのだ」

 

アルサスにテナルディエ軍が侵攻する数日前。

ディナントの敗戦。レグナス王子殿下の戦死。ティグルヴルムド=ヴォルンはジスタートの捕虜。

舞台と役者は揃った。あとは私の筋書き次第で、ブリューヌはさらなる次元へと昇華できる。

 

――ジスタートの捕虜で終わる?―

 

ザイアン率いる三千の兵の行軍を、窓から眺めて火酒を煽る。

 

――さあ!ティグルヴルムド=ヴォルン!絶望の淵から這い上がってこい!――

 

全ての歯車を廻す戦いの舞台。アルサス。

 

――この私、フェリックス=アーロン=テナルディエは、ここに在る!ここに在るぞ!!―――

 

ティグルの潜在性を引き出す為の戦いが今始まる。

 

――戦争を始めようではないか!我が国(ブリューヌ)の進化を賭した戦いを!――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アルサス・セレスタの町・神殿前』

 

 

 

 

 

いつしか兵達は撤退し、戦嵐は止んでいた。

赤地に黒竜と、黒地に銀閃の軍旗が次々となだれ込んでくると、セレスタ町内のテナルディエ残存兵を打倒していく。

間違いない。彼らはジスタート軍だ。その先頭に、くすんだ赤い若者の姿があった。

獅子王凱とノア=カートライト。神速と神速による立体機動の一騎打ちする両者の視界にも入っていた。

 

「あ~あ。僕たちの負けですね。ガイさん。この勝負はお預けです」

 

どこか捨て鉢な口調で、ノアは言った。薄く、短い金髪をくしゃりとむしりながら。しかし、負けという割には清々しく、それでいて、どこか楽しそうにも見えていた。

 

「何だと?どういう事だ」

 

眉を潜めて、凱は訪ねた。その表情はうっすらと汗を浮かべている。

 

「テナルディエさんの言ってた通りでしたよ。ヴォルンさんがジスタート軍を引き連れて戻ってくるなんて」

 

「ジスタート……やはりそうか!ヴォルン伯爵は外つ国を招き入れたのか!?」

 

得物を収めた両者は、睨みあうことなく戦意を沈めた。

 

「それではガイさん、失礼しますね。中々楽しかったです」

 

そして、すれ違い様に、凱の耳元で囁いた。

 

――今度会うときは、|一段階引き上げますから、もっと強くなってくださいね―

 

今までの加速技術は助走をつけていたというのか?底知れぬ優男の実力に、凱はそう感じたが、言葉を口にすることはなかった。

 

「まさか、ここまで実力が落ちていたとはな……」

 

ノアが引きあがった姿を確認したところで、凱はそう自嘲気味につぶやいていた。

彼に言われたとおりだ。

自分より年下で、戦闘経験も浅いはずのノアに、ここまで弄ばれてしまうとは凱も思わなかった。

天武の才能。果たして、勝てるのだろうか?

ここは天井のない屋外戦闘だったから、この程度で済んだと思う。もし、密閉された空間だったら、ノアは任意に攻撃座標を生み出せていたはずだ。

 

「それより、ティッタは……彼女は無事なんだろうか?」

 

今は後の悩みより、目先の心配を片付けなければならない。

神速の走力で凱はヴォルン邸の屋敷へ駆けつけていった。

 

 

 

 

 

『アルサス主要都市セレスタ・ヴォルン邸前』

 

 

 

 

 

|絶望の淵《アルサス》に放たれた一矢が、ティッタの命運を切り開いた!

 

「全く、無茶をするものだ。恩に着せるつもりはないが、私がいなかったら二人とも大怪我だけではすまなかったんだぞ。ティグル」

 

「あてにはしていたさ。でも……ありがとう。エレン」

 

銀髪の少女の忠告と共に、優しい銀の風に包まれて、くすんだ赤い若者と栗色の髪の侍女は、羽のようにふわりと着地した。

 

「そうだ!ザイアンは!?」

 

「ザイアン?」

 

「テナルディエ家の長男にして、次期当主だ」

 

「そして恐らく、連中の指揮官と言ったところか?」

 

忌々し気にヴォルン邸のバルコニーを見据えながら、ティグルは無言で頷く。

 

「敵の大将が屋敷にいる。突入せよ!」

 

エレンの命令を受け、禿頭の騎士が先頭となって、続くようにヴォルン邸へなだれ込んでいく。

 

「ティグル様……信じてました……必ず帰ってきてくださると……ティグル様ぁ」

 

「心配かけてすまなかったな。けど、もう大丈夫だ。それよりも……」

 

ティグルの視線がふいに、ティッタの胸元に抱え込まれている黒い弓へ移る。

 

「どうして、その弓を?」

 

「あ、これは……その……もしもの時は、これだけは何としても持ち出そう……」

 

「バカ!こんなもの放っておいて避難すれば」

 

歯切りの悪いティッタの言い分に、ティグルは糾弾した。それでも、ティッタは震える足を気丈に奮い立たせ、厳立した口調で抗弁する。

 

「出来ません!そんな事!あたしはティグル様にお屋敷の留守を任されました!逃げるなんて出来ません!でも……」

 

「でも?」そう心で反復するティグルは、そっとティッタの顔を覗き込む。

 

「怖かった……怖かったです……う」

 

「そっか、ありがとう。ティッタ」

 

泣き崩れるティッタの背中に腕を回し、ティグルはそっと少女を抱き寄せる。

 

「おいおい、見せつけてくれるな。ここはまだ戦場だというのに」

 

馬上の人であるエレンの冷やかしに、ティグルは装うように苦笑いを浮かべる。

 

「ティグル様?この人たちは一体?」

 

視界の隅々まで、首をまわして見渡したティッタは、不安そうに尋ねる。

「ああ、この人たちは……」ティグルの説明が始まる時、ティグルの眼球に「ある」不遜物を捕える。

半瞬、樹木の物陰から一矢が飛来。ティッタに向けて放射された矢じりはティグルの左手によって捕まれ阻止された。

反転、自身の弓につがえて、隠れていた不遜物に向けて放つ。

長年の狩りで培った『弾道予測線』通りに、矢は敵の急所にささり、ジスタート兵から感嘆の声が上がった。

 

「痛っ……!!」

 

時間差で痛覚に襲われたティグルは、先ほど矢を受け止めた左手を見やる。素手で受け止めた影響だろう、矢を掴んだときについたと思われる傷が横一文字に広がっており、出血していた。

すかさず、ティッタはスカートの絹部を破り、それをティグルの手にきつめに巻く。

 

「怪我をしたのか?」「問題ない。やれる」

 

ティグルの即答にエレンは笑みを浮かべた。

痛みなど、それを超える意志と覚悟で以て耐えればいい。今、ティグルの心中にあるのは、アルサスを蹂躙した蛮族に対する怒りだった。

心の弓弦は、はち切れる寸前まで引いてある。

怒りと反撃の嚆矢を放つ瞬間を間違えてはならない。

 

「|黒竜旗《ジルニトラ》!」

 

愛用の剣を腰から引き抜き、切っ先を倒すべき敵兵へ向ける。エレンの宣言と共にジスタート兵が軍旗を掲げる。

テナルディエ兵達にディナント戦の記憶はまだ新しい。黒き竜の旗が翻るたびに、記憶は脳裏へ鮮明に蘇る。テナルディエ兵達は悲鳴を上げて一目散に逃げ出した。

 

「突撃!」

 

ジスタート軍の鬨の声が上がり、追撃戦を開始する!

 

「ティグル!追うぞ!」「おう!」

 

エレン達に続き、テナルディエの残存兵を追跡しようとしたティグルは、ふと自分の持つ弓に目を運ぶ。弓には、これまでの境遇の苛烈さを物語るように、太い亀裂が走っていた。

 

(ティッタを助けた時か……。どのみち、これではもう使えない。どうすれば……)

 

この若者にとって、この弓は四肢の延長の一部であるといってもいい。代わりの弓があったとしても、それが決して手に馴染むとは限らない。

指先の神経と同調出来るほど馴染んだ唯一の弓だ。刹那――

 

「ティグル様。これを!」

 

ティッタは抱えていた家宝の弓を、強い眼差しと共にティグルに差し出す。

 

「こいつは……」

 

それはヴォルン家の家宝。彼にとって特別な弓だった。

 

ティグルは2年前、父が他界する時、こう告げ合った。

 

――その黒き弓は時代を勝ち取る力がある。だからこそ、本当に必要になったときに使うのだ――

 

――はい!俺はこの『弓』の力を正しきことに使います!希望の為に!――

 

――ああ、もちろん私もそう信じている。お前が正しい心を持ち続ける事。民を守る優しい心を持ち続ける事。ブリューヌの人々が、世界がそう願う事を――

 

希望の為に。確かにあの時、自身はそういった。

絶望の淵に立たされた今この時こそ、希望の為に使うべきではないのか?

 

(馴染む……)

 

一カ月以上、放置していたにも関わらず、その黒い弓は手応えのある弾力を指に伝え、ティグルの決意を微かに震い立たせる。

『弓を握る感覚が無い』ほど、この黒い弓はティグルの手のひらに馴染んでいる。先ほど破損した弓以上の馴熟性を、ティグルは確かに感じ取っていた。

文字通り、この弓はティグルの腕の延長となって、敵を射倒してくれそうな気もしてくる。

 

「若ぁぁぁ!」「「バートラン」さん!」

 

異口同音の名を呼び、馬に乗ってやってくるバートランに向けて手を振って返事する。その後ろに、禿頭の弓兵の姿もあった。

 

「ティグルヴルムド卿!?」

 

「若!ティッタ!大丈夫ですかい!?」

 

「ああバートラン、見ての通りだ。ル―リック。ティッタを頼む」

 

侍女の身柄を禿頭の彼に託し、自身は騎乗して戦闘態勢へ移行する。

 

「ティグル様、お気をつけて」

 

ル―リックの後ろで、ティッタは彼の帰還を祈った。

大切な人の帰りを待つ者は、その間だけ心を苦しませ、苛ませる。それは、ティグルが捕虜となった時、身をもって知った。

だが、ティッタは涙を浮かべていた以前と違い、強い意志を以て、ティグルを戦場へ送り出す覚悟を決めた。

大切な人を待つ勇気。それを持ち続ける強さを、この少女は得つつあるのだ。

 

「あ、ティグル様!あと……」

 

何か大切なことを思い出したかのように、ティッタは一時、ティグルを呼び止める。

 

「ティグル様に……どうしてもお会いして頂きたい人がいるんです。だから……必ず、帰ってきてください!」

 

――あの人のおかげで、あたしは生きられた。――

 

――あの人のおかげで、アルサスの人々は守られた。――

 

――あの人のおかげで、燻ぶっていた心に、勇気の|煌灯《ともしび》が灯り始めた。――

 

――あの人は、「守ってやる!ティッタの居場所も!全部全部俺に守らせてくれ!」という約束を守ってくれた。――

 

――あの人は……決して嘘をつかなかった。――

 

――あの人は……あの人は……あの人は……――

 

思い返すたびに、ティッタの涙腺が緩み、顔をうつ伏せてしまう。

会ってほしい人。ティグルには思い当たる節があった。その人物は、アルサスに向かう道中、バートランから聞いていた。

バートランのあまりの熱弁ぶりに、ティグルもその人に会いたいという興味が溢れてきたのだ。

シシオウ=ガイ。

姓と名が入れ替わっている、独特の発音を有する名前の人。

捕虜となっている間、ティッタを、領民を、居場所を守ってくれた人。

俺も会いたい。その人に。会って、その人の目を見て、声を聴いて、ちゃんとお礼を言いたい。

 

「ああ、奴らに報いをくれて必ず帰ってくる!」

 

馬上の人であるティグルは蹄を返し、早速蛮族を蹴散らしに姿を翻す。

 

――……一兵たりとも逃がしはしない!報いは必ずくれてやる!――

 

追い払って完結。そのような一筋で終わらせる気など、銀閃の風姫には毛頭ない。

エレオノーラ=ヴィルターリア。紅玉を思わせる瞳が、一気に灼熱化する!

完膚なきまでに叩き潰す。そうしなければ気が済まない。

狩る者を狩られる者に逆転させて、テナルディエ兵の立場がすり替わる。予期せぬジスタートの介入によって――

帰還する部隊を見失い、敵兵は混乱して闇雲に逃げ惑い、残存部隊は転進し、アルサスから撤退を始めていく。

そのようにして、領内の掃討戦が終結を迎える。

戦いの舞台はモルザイム平原へ移り、ザイアン率いるテナルディエ軍と、ティグル、エレン率いるジスタート軍は衝突する!

 

 

 

 

 

『アルサス主要都市セレスタ・ヴォルン邸』

 

 

 

 

 

それは、僅かな時間差。微かな空間が引き起こした事象なのだろうか。

 

――確かに、凱とティグルはすれ違った――

 

――ただ、敵と味方が入り乱れた境界線によって――

 

――引き合うべき両者は、互いに気付くことなく、正反対の方向へ――

 

――|少年《ティグル》は、反撃の嚆矢を唸らせるべく、モルザイム平原へ――

 

――|青年《ガイ》は、果たすべき約束の為に、ヴォルン邸へ――

 

女神の差し金ともいうべき『すれ違い』に凱が気付くこともないまま、ヴォルン邸へ、彼の青年は戻っていた。

荒らされた領内を見るたびに、凱の心は焦燥となって表れる。呼吸を整えないまま、凱は駆け付けたのだ。

だが、ティッタへの心配は杞憂に終わった。そして、平常にも終わらなかったことを――

屋敷に戻ると、厩舎に馬が繋がれていた。白い体毛をした一頭の馬だ。

 

「……馬?」

 

誰かいるのだろうか?

別の種の驚きのあまり、凱は声を上げて屋敷へ上がった。

 

「ティッタ?」

 

食堂には……いない。

次に、応接室の扉を乱暴に開ける。

ヴォルン家の侍女ティッタは、そこにいた。

彼女の名を呼ぼうとした凱は、一瞬息をのむ。ティッタの隣に禿頭の人物が立っていたからだ。

彼は凱を敵と認識したのか、腰に帯びている剣を抜刀した!

 

「ティッタ殿!お下がり下さい!」

 

「その男から離れろ!ティッタ」

 

何の運命の行き違いなのだろうか?ティッタは慌てて両者の仲裁に割り入った。

 

「あわわわ!待って下さい!ガイさん!」

 

「ティッタ?」「ティッタ殿?」

 

とりあえず深呼吸。そしてゆっくり口を開く。

 

「ガイさん、ルーリックさん、あたしから説明します」

 

事情を知らない凱にとって、禿頭の男の存在は警戒すべき対象だった。

だが、ティッタの説明が間髪入り、事無き事を得た。

男の名はル―リックと名乗った。

ジスタートが町の守備として百騎程残した部隊の、指揮官だという。

 

 

 

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 

「そうか……ルーリック殿。あなたの言葉を疑ったことをお詫びします」

 

「仕方のないことです。こちらも礼を失したことをお詫びします。ガイ殿」

 

冷静さを欠いていた凱は、ル―リックに詫びた。

凱は侵攻するテナルディエ兵を相手に、ルーリックもまたテナルディエ兵に対し臨戦警戒をしていたので、互いに緊張感が張り詰めていたのだろう。

仔細はティッタから、ルーリックも捕捉を付ける形で凱は理解した。

それから、凱の身なりを見たティッタは凱に傷の手当をしていた。矢を捌ききれなかった傷が今になって痛み出した。

 

「本当に……本当に……あたしは……ガイさんに感謝しきれません」

 

「分かったからもう泣くなって」

 

優しく微笑んで、凱はティッタをなだめた。逆に、凱のその優しさが、ティッタの瞳により一層涙を浮かばせた。

事情を理解した凱は、町の残存兵力をジスタートに任せて大丈夫だろう。やっと肩の荷を下ろすことが出来た

 

「とにかく、約束はこれで果たした。後は主様の勝利を信じて待っていればいい」

 

信じて待つこともまた一つの勇気。ティッタはそれを受け入れていた。

ティグル様……どうかご無事で。

あの日、ディナントの戦いで見送ったティッタの不安は、なぜか感じなかった。

不思議なことに、必ず帰ってきてくださる、という事を深く確信していた。とりわけ根拠があるわけではないが――

二人のやり取りを眺めていたルーリックは、ティッタの反応を観察して、凱の気性を理解した。

 

「成るほど、シシオウ=ガイ殿はバートラン殿から聞いた通りの人物でございますな」

 

何かを納得したかのように、ルーリックは凱の顔を正面から見据えていた。

 

「俺の事を知っているのですか?ルーリック殿?」

 

禿頭の若者に声を掛けられて、青年は何処か既視感を受けていた。

彼の頭髪は、ワンパンで状況をひっくり返す最強ヒーローに見えなくもない。|命《ミコト》のイチオシアニメでそのような存在を知ったのだった。

それほどまで、見事な禿頭を見るのは初めて見た。

 

 

 

 

 

 

――しばらくして、凱はティッタとバルコニーで二人きりになっていた。――

 

 

 

 

 

 

 

夕日の風を受けて、ライトメリッツとジスタートの国旗がひるがえる。

凱の推測が正しければ、そろそろジスタート軍が帰還する予定だろう。

それを見越してか、|外つ国の人間達《ジスタート軍》は何かと忙しくしていた。ルーリックもだ。

 

「これから、ずっとティグル様はいてくださる。今までは大変だったけど……」

 

「……いや、大変なのはこれからだ」

 

健気に希望膨らませるティッタに水を差すようで申し訳ないが、凱は告げた。

 

「多分、彼はこれから自分の事で精一杯になる。他の事に心を割く余裕はないだろう

 

さらに、ティッタを連れ去ろうとした魔物の事を持ち出せば、それこそ彼は自分に集中できなくなる。

凱には推測論があった。

十中八九、おそらくティグルはザイアン率いるテナルディエ軍を打ち破るだろう。黒き竜の旗を翻す兵達は難なく状況を覆すはずだ。

一度撃破したブリューヌ人だ。今度も勝てると意気込んでいる分、2倍や3倍の兵力差は大した問題にはならない。進軍速度と展開速度、戦いようのある状況下では、有利不利など千差万別に変わる。

勝てば、テナルディエはティグルヴルムド卿を討つため行動する。名うての暗殺者集団による暗殺か、隣国による外交的な制裁か、王国直属の騎士団による討伐か、自軍を率いて直接己が捕縛するか、処断かは分からない。

 

「ティグルヴルムド卿がジスタート軍をブリューヌ領内へ招き入れた以上、王政府はすぐにでも討伐軍を送ってくる。国土を売り渡した反逆者として」

 

「……反逆者」

 

ティッタは自身が言った言葉に、思わず絶句する。

 

「そんなことは……陛下にちゃんと事情を説明すれば」

 

「無理だ」

 

「どうしてですか?」

 

ティッタが凱に問い詰める。

 

「俺が逆に知りたいくらいだ」

 

ますます意味が分からない。

真剣な面持ちとなり、凱はティッタの両目を見据えて語り掛ける。

 

「ならば何故、テナルディエ家がアルサスを焼き払おうと進軍してきた?ヴォルン家に割いて与えた『王の領地』なのにだ」

 

アルサス。

ヴォルン家の土地であって、ヴォルン家のものではない。辺境の土地とはいえ、帰属権は全て王にある。

アルサスに住む民を守る誓いと共に、ティグルに与えたもの。

大貴族とはいえ、たかが戦略上の一存で『王が与えた領土』を焦土化していいはずがない。そんなことをすれば、テナルディエやガヌロンなら、自身がどうなるか分かっているはずだ。

 

「それじゃあ……ティグル様は」

 

「王政府は殆ど機能していないはずだ。考えられるのは……」

 

王の政事の滞りによる業務の二分化。

貴族の絡む案件は、このブリューヌ二大貴族に一任し――

それ以外の外交案件等は、文官たちが受け持つことに――

国の内乱を露見させない、固有戦力を持たない王政府による苦肉の国政。

 

「次第に彼の心は追い詰められる。そんな時、何より彼の心を支えてやれるのは、ティッタ。君しかいない」

 

「あたしが……ティグル様を……」

 

「うん。戦いから帰ってきた時、戦い以外で彼を支える。それが出来るのは、何年も彼と一緒で、近くで彼を見てきた君だけだ」

 

「……出来るんでしょうか?あたしなんかに……誰一人守る力を持たないあたしなんかに……」

 

力がないのが悔しかった。だから、ついさっきは凱の戦いを見て嫉妬じみたことを発言してしまったのだ。「あたしにも、ガイさんみたいに戦う力と勇気があれば」と。

 

「ティッタ。君は今回の事で学んだはずだ。そして、君自身の勇気を試されたはずだ」

 

「勇気……」

 

「敵と戦う事だけが勇気じゃない。でも、戦わざることも、勇気とは言えない。怖い気持ちを乗り越えて、誰かの為の力になる。それが勇気だと、君は心で感じて知ったはずだ」

 

長髪の青年に言われて、ティッタは心の内で決意していたことを思い返した。

ティグルの抱えている、若しくは、今後抱えていく悩みは、一介の侍女のティッタには分からない。例え知ったところで、何の力にもなれないと思っていた。

 

――自分はどんな時でも、自分はどんな場所でも、ティグル様の味方です――

 

――あたしは、どこまでもティグル様についていきます!――

 

一緒に、そばに居続ける。勇気の形は幾らでもある。

 

「彼の事を宜しく頼むよ。だから……」

 

凱がさらに言葉を言い募ろうとしたとき――不快感な黒い風が、二人を吹き付けてきた。

 

「ティッタ!?」

 

直後、ティッタの身体が硬直し、だらりと垂れたかと思えば、ゆっくり体を上げて、独り言のようにつぶやく。

その異常な光景に、凱は思わず彼女の肩を揺さぶった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『竜を撃ちなさい』

 

誰の声だ?

妖艶じみた声?

違う!ティッタの声はこんな淀みのあるものじゃない!

 

『もう一度言うわ。竜を撃ちなさい』

 

さらに言葉を紡ぐティッタ?に、凱は声を掛け続ける。

 

「!ティッタ!?何を言ってるんだ!?」

 

一体、誰と話をしている?ティッタは本当にどうしたというのだ?

澄んだ瞳は赤く染まり、竜の牙のように鋭い視線で、『モルザイム平原』を見据えていた。

 

「ティッタ!?ティッタ!?俺の声が聞こえないのか!?」

 

空を見上げるティッタに不安を抱いた凱は、彼女の両肩を激しく揺さぶった。

すると、彼女は紅に染まった瞳を凱に向け、優雅な手つきで凱の手をほどいた。

 

『あなたは黙って見ていなさい』

 

「何!?」

 

ティッタ……じゃない!

 

『死ね。ザイアン=テナルディエ』

 

素朴で純粋な少女の口から出た言葉は……何を言った?

相手の存在を否定する言葉?どうして、健気で優しい少女からそんな言葉が出てくる?

ティッタの人となりを知る凱は、彼女が決して他人を罵るようなことは口にしないと思っている。

だが、今さっき、彼女は確かに相手の存在を否定する……死ねと言った?

なぜ?どうして?どうしてなんだ?

 

ティッタ?は指鉄砲を構えて「バン」とはじいた。

 

「やめろぉぉぉ!!!」

 

本能的直感で、凱は叫ぶ!両手のGストーンが警鐘を鳴らすように、深緑色に激しく輝く!

瞬間、遥か地平線の彼方で、『黒と銀が絡み合った一条の光』が天空を貫いた。気のせいか、凱には誰かも一緒に貫いたかのように見えた。

 

(確か、あそこはモルザイム平原だったと思うが……まさか!)

 

確か、言っていたな。モルザイム平原で迎え撃つと。その推測は確信へと変わり、凱の表情を青ざめる。

 

『邪魔しないでよ?おかげで弓の力が一瞬、緩んじゃったじゃないの。あーあ。ザイアンって子はなんか九死に一生を得たみたいだし』

 

そんな事知るかといった感じで、凱はティッタ?に問いつめた!

 

「聞くぞ!お前は一体誰だ?」

 

『ふふふ♪あなたなら既に察しが付くのではなくて?』

 

ティッタの身体を、凱の心を弄ぶ存在とのにらみ合いはしばらく続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アルサス・セレスタの町・中央広場』

 

 

 

 

 

ティグルとエレン率いるジスタート軍は、戦勝して帰ってきた。

付き人のバートラン等は、知らせを真っ先に領民に知らせるため、一足早くセレスタの町へ帰ってきた。

快勝と言っていいくらいの、自軍の損耗率。

対して敵軍は統率をとれず、蜘蛛の子のように散りばめていく本陣戦力。

願うは生存。意志は逃亡。

 

――全ては、黒き弓が勝利を掴み取った――

 

明確な指示はなく、その指示を出すべき男は戦場から逃亡を図ろうとした。父上からお借りした、御自慢の飛竜を駆って――

しかし、赤い髪の若者の「一矢報いたい」という意志に呼応したのか、黒弓は発音した。いや、したように感じたのだ。『竜を撃ちなさい』と。

さらに、エレンの銀閃とも呼応して、ザイアンの駆る飛竜ごと打ち抜いたのだ。

相変わらず、この弓は不気味な事ばかりだ。

心の弓弦を……引く!

的知らずな黒い光は、確かな矢となって、標的に命中する!

 

――……一瞬、力が緩んだのは気のせいだろうか?――

 

上空から沼に堕ちた飛竜とザイアン。這い上がってきたのは、人間の方だった。

 

――逃げるな!それでもテナルディエ軍の精鋭か!?――

 

ザイアンの命令は、空虚な響きとなってモルザイム平原へ響き渡る。

完全な戦意喪失。

思いのほか、テナルディエ軍は本能に忠実であった。

 

――やっぱり最後はてめぇか!ヴォルン!――

 

馬上のティグルは、高圧的にザイアンへ言い放つ。

 

――ザイアン!これ以上の抵抗は無駄だ!諦めろ!――

 

――黙れ!オレに命令するんじゃねぇ!――

 

総指揮官ザイアン率いるテナルディエ軍に、ティグルは「王手」をかけた。確かに「応手」はなく、「詰み」だった。

様々な遠因と要因が重なり合い、ティグルはザイアンを捕縛することとなった。

結局の所、ティグルの奇策を看破できなかった思慮と、部下の進言を一蹴したザイアン自身の在り方が、戦の幕を引いてしまった。

 

 

 

 

そして、セレスタの町へ帰還する――

 

「結局、オレは見捨てられたってわけかい?ははは、こうなると惨めなもんだな」

 

お縄になったザイアンは、自暴自棄になっていた。

何も心配することなく、略奪しに来ただけなのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。

どうして雨後の茸を踏んだくらいで、こんな目に遭わなければならないのか?

 

「さあ!殺れよ!殺れっていってんだろ!」

 

「覚悟はできてるみたいだな」

 

エレンが淡々と告げた。

当たり前だ。撃退であれ、勝利で在れ、いずれかの形であれ、どちらかが勝ったという証明を示す場合、敵将という首が最も分かりやすい。

撃退だけならば、根本的戦の勝利に結びつかない。数多の戦場を駆け巡ってきた銀閃の風姫はそれを良く知っている。

 

「お前は……あの時の侍女……」

 

ザイアンは自嘲気味に笑っていた。その笑いは何処か乾ききっているようにも聞こえた。

 

「なんだよ……笑いたきゃ笑えよ。さぞいい気分なんだろうな。立場が逆転して、ご主人様が帰ってきて、そのうえテナルディエ軍の総指揮官様はこのザマだ」

 

「それで?どうするんだ?ティグル」

 

エレンがティグルにザイアンの処遇を問う。結果は分かり切っているが、問われたティグルは――

 

「どうする?ティッタ」

 

 

自らの侍女を指名した。

まさか自分に託されるとは思っていなかった為、ティッタの両目が驚きで開かれる。

何故、あたしに質問するの?そう不思議に考えた時、不意にザイアンの悪事を最も受けたのが自分だという事を思い出す。

改めて考えるまでもなく、その記憶はザイアンという人間性を知っている。

他者の視点から見ても、最もザイアンを恨んでいいのはティッタのはず。

理由がどうであれ、この戦の根底にあるのは、虐げられた恨みであることは変わりない。

だから、ティグルはティッタに処断を委ねたのだ。彼女が最もザイアンにかかわる人間として。

 

一人の領民が「殺せ」と呟き――

一人の領民が「いい気味だ」と喚き――

一人の領民が「神々の天罰じゃ」と説教垂れて――

それらはやがて、水が徐々に沸騰するように、ティッタの耳へ、そして心へと流れ込んでいく。

 

この人は、ティグル様の居場所を奪おうとした……敵。

この人は、アルサスの皆さんを、命を奪おうとした……敵。

どんな理由があれ、あたしは……あたしは……。

 

「ザイアン様を……」

 

重い空気の中で、ティッタは決める。決めなければならない。この人の末路を、みんなが見ているこの中で――

獅子王凱も、見届けなければならない。

今回の禍根となったザイアンの処断はいかに?

 

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