『帝記・北郷:十八~二雄落花・七~』
崩れ落ちる龍志の体。それを血で汚れることも厭わずに抱きとめた一刀は彼を自らの腕の中で仰向けに寝かせあらん限りの大声で叫ぶ。
「医者を…速く医者を!!いや、蒼亀さん!!速く手当てを!!」
「無駄ですよ…北郷様」
そんな一刀をたしなめるように腕の中の龍志が呟いた。
その口の端からタラリと血が零れ、もはや白皙ではなく白紙のような龍志の顔を汚す。
「喋るんじゃない!!すぐに…」
「無駄なのですよ…こうなることは解っていました。ここに来るまでに消耗した私では琥炎には勝てないだろう事は……」
朝から続く激戦。それは龍志の体力を想像以上に奪っていた。もしも万全の状態だったならば、勝利をおさめることは可能だったかもしれない。
故に彼は彼に許された二つの選択肢のうち、最悪の方を選ばざるを得なかった。
龍志と琥炎が持っていたそれぞれ二つの選択肢。一つは勝つこと。そしてもう一つは琥炎は負けること、龍志は相討ちに持ち込むこと。
「そんな…諦めるんじゃない!どうして、どうして龍志さんが……」
どうして。そう呟く一刀に龍志は自嘲するような笑みを浮かべ。
「私らしい最期じゃないですか…私はずっとあなたに華龍の…最愛の君主の姿を見ていた。あなたなら彼女と私の果たせなかった夢を果たしてくれると思っていた……くく、なんて不忠者でしょう。あなたへの忠義を口にしながら、結局私はかつての君主への忠義しか……」
「それは違う!!」
周りの者が驚くほど語気を荒げ、一刀は龍志の言葉を遮り腕の中の彼に向かって叫ぶ。
「龍志さんはその人を好きだったんだろ?愛してたんだろ?だったらそれは忠義じゃない!愛だ!!龍志さんの忠義は俺だけ向けられていた…俺だけのものだ!!」
「一刀……」
あふれる涙を拭いもせず叫ぶ主の姿に、龍志呆然としながらも臣下としてではなく友の顔になっていた。
「だからさ…責任を取ってくれよ…俺を王にした責任、俺の家来になった責任を……」
「一刀、君は…残酷な奴だな、未練なく逝こうとしたってのに」
震える手で一刀の頬を流れる涙を拭いながら、龍志は笑う。
その双眸から二筋の涙を流しながら。
「俺だって君の傍にいたい…君を……助けたい…君が天下を取る姿を…君の作る世界を見てみたい……でもな、もう駄目なんだ。もう…俺の物語はここで終わりなんだ」
一刀の頬を拭う手がサラリと崩れ、風に舞う。手だけではない。左手の義手、両足、頭を除く体の末端から龍志は崩れてゆく。
「人であることを望み続けたあなたの最後がその形とは…皮肉ですね」
一刀の背後から何時もと変わらぬ淡々とした口調で蒼亀がそう投げかけた。
「蒼亀…お前にも迷惑をかけたな」
「まったくです。何時もあなたは自分勝手で、私はいつもあなたの背を追って……」
一刀の肩越しに蒼亀の顔を見た龍志は、ある事に気づき弱弱しくだが目を剥いた。
「お前、泣いて……」
「ええ、長いとこ生きてきて自分が涙を流せるなんて事に初めて気付きましたよ」
一刀の背後から龍志を見下ろす蒼亀。その頬は龍志の言葉通り、彼自身の涙で濡れている。
「まったく…私は私で人間らしくなってしまった」
そんな事を呟きながら、蒼亀は腰を落とすともはや半ばまで消えかけている龍志の腕を取り。
「後のことは任せて下さい……兄さん」
「…頼んだ、我が弟」
その手の中で龍志の腕が消えてゆく。
「…それから雪蓮。君も華琳と共に一刀を支えてくれ」
「言われるまでもないわ。一刀は私達が全力で立派な王にしてみせる……だから安心して逝きなさい」
一刀とは反対側で今にも泣きそうなのをこらえながら気丈に言い放つ雪蓮の姿に、龍志はふっと微笑み。
(それでこそ…蓮華様の姉君だ)
長江に消えたという、それでもその生存を疑わない彼のもう一人の君主を思い描く。
彼女は今どこにいるのか、何をしているのか。
彼女に自分は何か残せたのだろうか?
「龍志さん…」
涙を流しながら、何か言いたい、けれども何を言っていいか解らない。そんな一刀に龍志は変わらず笑みを向けたまま。
「酷い顔だ…王はもっと堂々としなくては……」
「しょうがないだろ…龍志さんは俺の部下で…親友なんだから」
一刀もまた涙でぐしゃぐしゃの顔で笑って見せた。
本当は納得していない。死ぬなと叫び続けたい。それでも一刀は笑う。
せめて最後は、自分の第一の部下である親友が安らかに逝けるように。
そんな一刀に目を細め、龍志は「優しいな君は」と小さく呟いたあと。
「一刀…無責任かもしれないが最後の頼みだ。必ず天下を治めてくれ。そして、華龍が目指し俺が望んだ…優しい魔王…いや、『帝王』に……」
「解った。成ってみせる、必ず成ってみせる!!約束するよ!!」
一刀の言葉に、龍志は笑みを浮かべたままそっと沈みゆく落陽へと視線を向けた。
(紅い…なんて紅い夕日なんだ……まるで華龍を失った日の業火のよう……あれを越えたらまた君に会えるのだろうか……それにしても…俺から全てを奪っていった外史の世界だが…最後に一つだけ礼を言わんとな……)
「龍志さん!!!必ず!必ず俺はあなたの夢を叶えてみせる!!だから、だから…もしも生まれ変わったら、また俺の所に……」
「……ああ、約束だ」
(俺の最後の場所を……この男の腕の中にしてくれたことだけは……)
紅が支配する黄昏の世界に、深緑の風が夕陽へと飛んでゆく。
それに向けて手を伸ばす青年が一人。しかし風は青年の指に絡むことすらなく遥か夕陽へと消えて行った。
……かくして、柴桑城の戦は、二人の英雄の死によって幕を降ろす事となる。
三国戦争、新魏維新、そして二度目の三国戦争。更に遥か昔に行われた数多の戦。
それらを五百年に渡り駆け抜けた英雄の死。
彼等の死を持ってしてもこの大陸を吹き荒れる戦乱の嵐を拭う事には至らず。
しかし哀しむことは無い。志は紡がれ次へと新たな境地へと進む、それが人間の理なのだから。
~続く~
後書き
長い!!とにかく長い!!なんとか終わらせようとあがいた結果がこれだよ!!
というわけで二雄落花いかがだったでしょうか?賛否両論あるかと思いますが、すべては地平を越えた果てで……
しかしあれですね。最近はクリエーター諸兄の投稿が速いですな。あげた作品が瞬く間に流れてしまうので、私のような辺境の物書きは涙ちょちょぎれ……いや、そんな大した作品書いているつもりもないですけど。
しかしここまで書き続けてきたのも読んで下さる皆様のおかげ、帝記・北郷もこの夏には完結予定なので頑張らせていただきます。
ちなみに最近、過去の作品をふと読み返した見ました……初心に帰って頑張ります。
では、次作にてお会いしましょう。
次回予告
それは数年前の雪の日
忠義を果たせなかった一人の女は流浪の果てで一人の男に出会う
そしてそれが女の新しい物語の始まり
かくして女は忠義と誇りを取り戻した
一輪の花に導かれて
次回
帝記・北郷:華雄伝
~真名を呼ぶ者~
「おや、いらっしゃいませ物語(ロマン)を求める旅人達よ。ここから先は地平の果て…夕日を越えた所の物語……それでよろしければ、しばらくごゆるりと」
夕陽を背に黄昏の荒野に立つ真紅の美女はそう言ってあなたに微笑む。
………地平の向こう、夕陽の果て、たゆたう意識。
(ここは…どこだ?)
ゆらゆらと清流に身を任せているかのような感覚。
(俺は……死んだはずでは?)
(ええ、死にました。貴方達の人間の部分は…ですがね)
遠くから、いや近くから?どこからか聞こえる聞き覚えのある声。
(とても素敵な物語…いえ、浪漫を見せてもらいました。これはそのお礼です)
(浪漫…何のことだ?)
(いずれ解りますよ…貴方もこの世界の柵(しがらみ)から解き放たれてしまったのですから)
声は楽しげに、しかしどこか悲しげに言葉を紡ぐ。
(今はただ、流れに身を任せて…いずれどこかの外史で、あるいはもしもこの外史に戻って来た時にお話ししましょう)
(……俺はどこに行くんだ?)
(さあ…それは着いてからのお楽しみ♡)
女の声が遠くなる。
(待ってくれ!!あなたは何なんだ!?いや何なんです!?俺はどうなるんですか!!?)
(だからそれはいずれ…でも一つだけお話しましょう。私は夢鏡。正史の夢により紡がれし外史の夢を映す者……)
(夢鏡…あなたは一体何者なんですか……夢奇先生!!)
(さあ…愚かなる賢者とでも名乗っておきましょうか)
不意に男の視界が光に包まれる。
(着いたようですね…さあ、お行きなさい。あなたはあなたの新しい浪漫を目指して……)
そして、男の意識は完全に覚醒する……。
「……ぶばぁ!!」
息苦しさに息をしようとした龍志は口から入り込んだ水に盛大に泡を漏らしながら水の中でもがき苦しんだ。
(ちょ…待て…どういう事だおい!?俺は死んだはずじゃ…ってやばい!死ぬ!!二度死にする!!)
もがきながらも何とか水面を目指しているが、慌てると何事も巧くいかないのはこの世の理……彼の意思に反して体は一向に浮かぶ気配がない。
その時、不意に龍志の腰辺りが何かに引っかかった。
(!?こ、今度は何だ…ってうお!!?)
次の瞬間そこから水面へと一気に引き上げられる龍志。
そしてそのままその体は水上へと……。
「ぜは…ぜは……し、死ぬかと思った……」
「………」
「………」
何かに釣り下げられる形で空中に静止した龍志は、状況把握よりもまず新鮮な空気を求めて大きく息をする。
「く、空気がこんなに美味く感じたのは久しぶりだ……」
「りゅ、龍志……」
「ん?俺を知っているのか……」
そう言って声のした方を見た龍志の視界に飛び込んできたものは……。
龍志を釣り下げる釣り糸と釣竿、それを手に呆然と彼を見る船に乗った黒髪に紅色の瞳の少女と人相の悪い男達。
男の一人が呟く。
「へへ…頭がまた龍志さんを吊り上げちまった」
「!?まさかここは!!」
バキッ
「デジャブ!!」
デジャブではない、いつぞやと全く同じように釣竿が折れ、龍志は再び河へとバック……。
ドブン、ドブン!!
(…水音が二つ?ってうわ!!)
突如誰かの手によって引き上げられる龍志の体。やがて水面から顔を覗かせた時、それが誰であったのかに気付き、龍志は自分の推測が真実であったと確信した。
「………」
「………」
「……ただいま」
「……今度は離さん」
成立していない再会の挨拶に苦笑いしながらも、龍志は少女の体をそっと抱き寄せる。
そう、その少女はかつて彼が愛した少女。
彼が愛した者の中で世界を隔ててまだ生きていたただ一人の少女。
リーン
龍志の首にかけられた鈴と少女の腰の鈴。
水中で鳴るはずのない音色が二人の再会を祝うかのように響いた…そんな気がした。
黄昏の煉獄。紅の荒野。
「かくして、古城龍志郎の浪漫は終わらない……それが幸か不幸かは別にして、ですがね」
荒野に佇む真紅の女王はそう言って、若い男女を映していた空間を閉じるとクスッと笑みをこぼした。
「……彼の前に広がるのは幾千の苦労、幾万の苦悩、そして多くの出会い。その果てに彼が何を望むのか…まあ解っているんですけどね。それはそれで面白い」
「悪趣味な方だあなたは」
何時の間にやら女王の後ろには一人の男は立っていた。
その声はこの煉獄に最初にいた男のそれ。
顔には仮面、髪は柳の如く、身にまとう雰囲気は常人と一線を画す。
「しかたなじゃないですか。自らが主となって浪漫を紡げない私は、こうして誰かの浪漫にちょっかいを出しその結末を見届けるしかない……それが私の本質なんですから」
泣いている。そう思わせるような笑みを浮かべ女王は仮面の男の方へ振り返る。
「それで…貴方の方はどうなんですか?」
「好調です。すでに五胡の内、羌、氐、羯、匈奴との約定は結ばれました。後は鮮卑…それと五胡とは別に烏丸族を傘下に入れれば事は成ります」
「そうですか。では、いよいよですね」
「ええ…長きに渡る放浪、それもこれで一段落…彼女と彼の大望の為に……今再びこの大陸に風を起こさん!!」
男の気迫が煉獄を駆ける。
それを微笑みと共に見詰めながら、女王は心の中で呟いた。
これだから外史は面白い……と。
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帝記・北郷の続き
二雄落花のラストです
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