14話 章人(11)
章人と木下秀吉が蜂須賀正勝の住居へ向かっているとき、目当ての蜂須賀正勝は家の中で考え事と計算をしていた。自分は川並衆という野武士集団をまとめる頭領である。つまり部下を養う責任がある。幸いにして彼らの食い扶持はなんとかなっていたが、自分も含めて裕福でゆとりある生活を送っているとは到底言えなかった。
そんなとき、馬と人の足音が聞こえ、こんなところで馬の足音を聞くのは珍しいと考えた蜂須賀は、外へ様子を見に行くことにした。
「わざわざお出迎えとはありがたいね。突然押しかけてすまない。こんにちは」
「ころちゃん!」
見慣れぬ男と懐かしき旧友からの挨拶だった。
「え? ひよ!? それにそちらの方は……?」
「私のお頭で、織田の客将をつとめている早坂章人殿だよ!」
「え……。
ご無礼いたしました! 田楽狭間で織田に勝利をもたらした、天人様だとはつゆ知らず……。私、このあたりを仕切っている蜂須賀正勝と申します!」
ここにいるのが、一瞬で今川の兵を5人討ち取り、織田に勝利をもたらした立役者だと知った蜂須賀正勝は血の気が引き、土下座してなんとかそれだけのことを言い切った。
「構わないよ。それに、今日はそういうので来たわけじゃないから、とりあえず顔をあげて、できれば中に入れてくれるとありがたいな」
「そういうのできたわけじゃない……? かしこまりました。あばら屋ではありますが、どうぞ中へ……」
「ありがとう。ひよもおいで」
「はい!」
「そういうのではない、というのはいったいどういうことでしょうか……?」
章人が言った「そういうの」の意味が今ひとつつかめず、直接聞くことにした蜂須賀正勝であった。
「単刀直入に言えば、墨俣に城を築くときに信頼できる野武士の力を借りたいんだ。そこで、ひよから信頼できる野武士として君のことを聞いたから今日来てみたんだよ」
「なるほど……。野武士を纏めている私の力がほしいということですね。
織田の殿様が墨俣に城を築こうとするも、家老である柴田勝家様、そして先日は佐久間信盛様の部隊まで失敗したという話を聞いております。よほどの策がなければ上手くはいかないと思いますが、何か案があるのでしょうか? 私たちだけで美濃と戦をしても、確実に負けると思われますが……。私も立場上、敗走確実な案に乗ることは難しいです」
野武士の頭領として、ただ部下を失うだけの案に乗ることはできない、ということをまず告げた。少なくとも蜂須賀正勝の頭の中では墨俣攻略などうまくいくはずがないと考えていた。
「勝算は充分にある。概要を言ってしまうと、長良川の上流で築城の下準備を済ませ、川で夜のうちに下って、日が昇るまでに防衛の拠点となるものを作ってしまう。そして相手が攻めあぐねているうちに城として完成させる。あとは織田の本隊に引き継いで終了だ」
川を使って物資を運ぶということはよくあることだが、それを戦でつかうというのはこれまで前例のないことだったため、かなりの驚きがあった。
「なるほど……。それならば成功する可能性はあると思います。ただ、やるとすれば準備や報酬で相当の額がかかると思いますが、そのあたりはどうでしょうか?」
次に問題になるのは金銭である。前例のないことをやるのには、部下たちにそれを納得させるだけの金が必要であった。
「柴田勝家と佐久間信盛の二人がやったときにそれぞれかかった金がある。そこから大きく外れていなければ、言い値で飲めると思う」
「わかりました。では明日までに動員可能人数と時間、金銭面を調べておきますので、明日まだ来てくださいますでしょうか? それと……」
「それと?」
「勝っても負けても織田家にここまで大きくついてしまう以上、終わった後は織田の家臣になれるとありがたいのですが……」
間違いなく他の勢力からは敵と認知されてしまい、これまでのように“あやふや”でいて時勢を見つつ様々な勢力に味方することは不可能だろうと思っていたがための提案であった。
「“織田”より私の家臣になってくれると私としてはありがたいけど、どうかな?」
「よろしいのですか!? 是非!」
「私としても信頼できる子がいたほうがいいし、ひよもいるから君にとっても他よりやりやすいと思うよ」
「ありがとうございます……!」
章人にとっては兵を手に入れられるということでとてもありがたく、蜂須賀正勝にとっては織田家中でも別格の扱いをされている者の庇護下につけるというのはありがたかった。強い者の下につけたからといって威張り散らすつもりはなかったが、少なくとも肩身の狭い思いをすることはないだろうという計算もあった。
まして織田家中には柴田勝家、丹羽長秀の部隊のように規律のしっかりした部隊だけではなく、森一家のように武はすさまじいがそれ以外は論外で規律の「き」の字もないような者たちもいる。気配を殺して肩身狭く生きるだけの仕官生活を送りたいと思ってはいなかった。
「よし。なら明日来るよ。お互いにとって良い結果になるといいね。今日はありがとう」
「ころちゃん、また明日ね!」
「はい。明日もよろしくおねがいします!」
そうして章人、木下秀吉は蜂須賀正勝と別れ、帰路へついたのだった。
「どうでしたか?」
「上々かな。少なくともこちらから破談にさせる必要はないね。先のことまで考えられる力もあるし、しっかり野武士の頭領やってるという印象だな。ひよはいい友達を持っているね」
「ありがとうございます! そう言ってもらえるとすごく嬉しいです。それで……。章人殿に一つお願いがあるのですが……」
「お願い? 何かな?」
「私に武術を教えていただけないでしょうか! このままじゃどうしたって章人殿の足を引っ張ってしまうことになりそうで、すごく不安なんです。一日半刻でいいですからお願いします!」
土下座せんばかりの勢いで頭をさげた木下秀吉であった。自分の武は話にならないとわかっていたが、それでも教えてくれる人が章人ならば少しでも早く上達できるかもしれない、と考えたのだった。
「なるほど。武術を教えることそのものは別に構わない。その意気は買う。ただね、ちょっと考えてほしい。そうだね……。今から私が2年間毎日教えて、私の見立てでは今の雛程度になれるのがせいぜいだ。そこに2年費やすことに果たして意味があるのか。もし、ひよに他に何の才能もないのであれば、武をやるのが一番手っ取り早いだろうし、私もそれを勧める。が、ひよならば他の才能を伸ばしたほうがいいように私には思える」
「他の才能、ですか?」
「そう。たとえば着眼点。川の話をあえてしなかったのかする暇もなかったのかは知らないけれど、美濃の攻略で墨俣への築城を思いつくのも、あるいは築城の手段として川を考えるのも、私には非凡なものに思える。あとは計算力。たとえばだけど、11を11回足すといくつかな?」
「121、です。」
「今の織田家中でそれを即答できるのは私とひよだけだ。九九までならできる者は少しいるだろうけど、それ以上はひたすら計算するしかない。他にも、たとえばつるかめ算。つると亀があわせて10匹います。足の数は合計で30本です。鶴と亀はそれぞれ何匹いるでしょうか。」
「それぞれ5匹ずつ、です」
「残念ながら普通の人は即答できない」
書類の整理をしているときに章人が気づいた木下秀吉の計算に関する力である。もともと数字に強いというのは、特にそろばんくらいしかないこの世界では特異な才能であるように章人に思えていた。
「でもそんなものが何の役に立つんですか……?」
「たとえばだけど、過去10年の米の収穫量と稲の実の付き方に関する資料があるとするよね。それから今年の米の収穫量って予想できると思わない? 計算できない人には絶対わからないことだよ。
どうして武を勧めないかというと、雛の武はは残念ながら織田家中の侍の中で一番弱い。もしかしたら壬月や麦穂の部隊の中に入れば真ん中くらいかもしれない。
つまりその程度の武の奴なんて掃いて捨てるほどいる。武だけでは何の役にも立たない。雛本人もそれを自覚しているから肉弾戦じゃなく、知略を鍛えて奸計を用いて倒す戦法をとっているんだと私は見ている。ひよには奸計を用いて戦う素質はあるから武を鍛えるのが駄目だとは言わないが、しかし、武より知力を鍛えたほうが今後のためにいいのではないか、と思う。
ひよの武に関する私の見立てが外れている可能性はもちろんある。しかし、外れていることに期待してやるならば、それよりも武は私がやるから美濃の麒麟児、竹中半兵衛と渡り合うような知略を鍛えたりしたほうがいいと思う。嫌いな苦手分野を無理して伸ばすより、楽しめる得意分野を伸ばしたほうがいい、と」
「なるほど……。今後のため、とは?」
「今は戦乱の世だから武士がもてはやされてるよね。いつまで続くんだろう。たとえば、久遠が天下統一して太平の世が訪れたとき、果たして武だけの人材が重宝されるだろうか」
その視点は木下秀吉には全くないものだった。戦のない平和な時代が訪れたとき、どうなるのか、そこまで考える視点はなかったのだった。
「え……」
「そんなこと、考えたこともなかったでしょ? 戦功を挙げるには強い武士になるしかない。立身出世にはそれが手っ取り早い、確かにその考え方は間違ってはいないよ。でも、長期的な視点で考えたときに果たしてどうなのか。
美濃では竹中半兵衛が今は高い評価をされていないらしいし、戦功を挙げる派手な武士を目指すのは充分理解できる。しかし、それが本当にひよにとって近道なのか。
あえて言うけれど、織田家中でも私以外の将の部下になっているのならば、出世には武を鍛えるしかないし、私も誰かから相談されれば武をやれと言うよ。しかし、私の評価基準は武だけではない。少しかみ砕いて言うと“一芸”を持っていて、私にとって、あるいは世間で役に立つのならそれを伸ばしてくれれば評価します、という考え方だ。ひよにはその「一芸」がある。
ついでに言っておくと「一芸」なんて私のいた時代もここでも、持っていない人のほうが圧倒的に多い。
壬月でも、麦穂でも、雛でも、和奏でも、家中の将に“武士の手柄は何ですか”と聞けば確実に全員が“首級”と答えるだろうと思う。確かにそれは正しい、正しいのだけどね。その過程を考えるという視点が抜けていると思うんだよ。
部下1000人で敵10万人に突撃しました。敵の大将首を取りました。勝利に貢献できました。めでたしめでたし。
これだけ聞けばすごいと思うだろうけど、部下のうち990人が討ち死にしていたらどう?
私なら言う、そんなの手柄じゃないってね。なぜなら同じ戦法をとっていたら兵の数はどんどん減ってしまう。
それよりはたとえば、水計を提案しました。水没させて1000人の部下で大将を討ち取って10万の兵を倒しました。犠牲は10人ほどでした。
こっちのほうがはるかに価値があると思わない? ひよにある「一芸」の軍師というのはそういうことができる立場だよ。実際、織田が美濃に負けまくっているのって純粋に和奏とか犬子の部隊が釣られて伏兵にやられてるだけだからね。それをやっているのが恐らく竹中半兵衛。ひよの好敵手、かな」
「竹中半兵衛を好敵手にするのはちょっと荷が重そうですが……。ちなみに、章人殿は竹中半兵衛への対抗手段って考えているんですか?」
首級を取る、それだけを評価されるのが木下秀吉にとっての常識だったし、戦がある限りそれは変わらないと思っていた。しかし、章人にかかればそうではないということがわかってしまい、思わず笑ってしまう木下秀吉であった。
「さあ? というのは冗談だけど、真の武に小手先の策略は通用しない。
昔あった話だけど、ある将が800人の兵を連れて10万の敵軍に突っ込んだ。突っ込んで、退いたときに逃げ遅れた兵が「私たちは見捨てられるのか」と思ったら、将だけがまた突撃をしてきて兵を救って退却していった。
そういう絶対の武を見せるのが私と竹中半兵衛なら一番わかりやすいと思う。頭がいいからこそ、敵対したときにどうなるか、すぐにわかってしまうのは天才の欠点かもね」
「なるほど……。私が小手先ではない知を鍛えるいい方法はありますか?」
「まずは織田の資料を読むことだ。城にある過去の戦況分析や戦の概要を読んで“なぜ勝ったのか、あるいはなぜ負けたのか”を自分なりに分析することからかな。残念ながら警備の関係で私の書類整理の家にそういうものを置くのは難しくてね。全部、まとめ直しているのは私なんだけども。
あとは今度私がころの部隊を指揮して戦うから、それをよく見ておくこと」
そんな話をしつつ、章人は木下秀吉を連れて清洲まで戻ったのだった。
「今日は随分遅かったわね……」
3人そろって食事をするため、家でずっと待っていた帰蝶は出迎えのときに思わずそう言っていた。
「その分の価値はあったよ。それと、明日はたぶん帰れないと思うので今のうちに伝えておく」
「帰れない、って、どこに行くつもりなの?」
「川遊びだよ。ちょっと遠くまで、ね」
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投稿間隔がかなり空いてしまいまして本当にすみません。ようやく書く時間もとれたのでまず戦国からupしたいと思います。