「グライダ、電話よ。傭兵ギルドから」
同居人のコーランはグライダ・バンビールに向かって受話器を差し出した。
そのグライダは、差し出された受話器を無造作に受け取った。
彼女は周囲からは「美少女剣士」「魔剣使い」の異名を取る、傭兵ギルド所属の剣士である。
“傭兵”ギルドと言っても、戦争をする事が彼女達の仕事ではない。何かの警備や護衛。もしくは解決に武力が求められる場合、必要に応じて人材が派遣される。
そんな組織に属する彼女が、眠そうな顔で電話に出る。
電話の相手は、その傭兵ギルドの長だった。話が進んでいくうちに、グライダの顔から眠気が吹き飛んでいく。
「……分かりました。すぐ行きます」
険しい顔で電話を切ると、自分の部屋に飛び込んだ。それから十分と経たぬうちに着替えを済ませ、部屋を飛び出るとコーランに向かって、
「あ、あたし朝ごはんいらないから!」
グライダはそう言うと大急ぎで家を飛び出していった。
「おねーサマ。どこ行ったの?」
グライダの妹のセリファ・バンビールが、トーストをもしゃもしゃ噛みながらコーランに尋ねる。
コーランの手には、グライダの分のトーストがあった。
「さて。傭兵ギルドに呼ばれたみたいだけど」
そう答え、そのトーストをパクリとかじった。
世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば――どんな職種であれ――仕事にあぶれることはない、とまで云われている。
『グライダ。悪いが急ぎの仕事だ。しかもお前さんが一番適任だと言ったら、指名してきたよ』
「あたしを指名? どういう事ですか?」
『敵がアンデッド・モンスターなんだとさ』
通りを走り続けるグライダの手に、剣は握られていない。腰にもない。
彼女の剣は、普段は存在しないのだ。彼女が望んだ時に、その手の中に現れる。
右手からは、世界の総てを焼き尽くすと云われる炎の魔剣・レーヴァテインが。
左手からは、遙か昔の王が持っていたという伝説がある光の聖剣・エクスカリバーが。
だが彼女が持つ物は、いわばコピー品。本物ではない。どちらも、だ。
しかしコピーといってもその力は本物と寸分も違わない、という意味での命名だ。
この世界では、魔剣を使う事は決して卑怯とされない。優れた剣ほど使い手を選び、優れた使い手ほど剣の威力を最大限に引き出せるとされているからだ。
それでも、一介の剣士がそんな凄い魔剣を二振りも所有しているのは、珍しいというレベルではないのだが。
グライダの家から傭兵ギルドの事務所までは、さほど遠い距離ではない。懸命に走ってようやく着いたグライダは、さすがにその入り口で息を整える。
女性という事で筋肉らしい筋肉がついていないグライダではあるが、それでも剣士が勤まる筋力はあるし、自分なりに鍛えている。
それでも家からここまで走ってくれば、かなり体力を消耗するのは当然だ。急いで来いと言われていたが、グライダはちょっとやりすぎたかと少し後悔した。
事務所に入ったグライダはまっすぐ長の部屋に向かう。ドアをノックすると中から「入れ」と声がした。
そこには長ともう一人。ローブで全身をすっぽりと覆った典型的な魔術師姿の人物がいた。
「紹介しよう。彼女がグライダ・バンビール。こちらの魔術師が……」
「ドリュー・イマリュウ。ネクロマンサーだ」
長の言葉を遮って、魔術師が淡々と名乗った。その言葉にグライダの顔が一瞬曇る。
ネクロマンサーとは、死体や死霊を使う魔術師の事だ。ゾンビやスケルトン、ゴーストなどのアンデッド・モンスターを作り、使役する。
もっとも、アンデッド・モンスターはネクロマンサー以外の者も使う事がある。ゾンビやスケルトンを作る方法自体は比較的初歩の魔法だからである。
だが、霊や死体に対して畏怖の念があるのは何処の国も大差ない。だから魔術師本人はもとより術そのものが忌むべき存在とされている。
そのためだろう。一応平気そうな顔をしている長も、実はかなり怖がっていた。
「私の仕事を手伝う剣士とはお前か」
すっぽりと被ったフードの奥にある表情は読み取れないが、声はかなり若い。しかも女だ。おそらく同年代か、それ以下っぽい。
グライダは堂々というよりもむしろ対抗意識丸出しの気持ちを笑顔でどうにか隠すと、
「グライダ・バンビールです。あたしに頼み事とは一体なんでしょうか?」
何となく二人の間で火花が散ったような錯覚を覚え、長が止めに入った。
「ここで暴れるのは勘弁してくれよ」
その口調は冗談半分だが、長の発した殺気を敏感に感じ取り、それ以上の衝突は止んだ。
「ドリュー殿。詳しい説明をお願いする」
長の言葉を受けて、ドリューが口を開く。
「依頼内容は単純だ。我が師を止めるのに手を貸せ。それだけだ」
必要最低限の事を淡々と話すドリュー。本当に必要最低限すぎて説明になってない気もするが。
しかし。自分の師匠を止めるとは、奇妙な依頼である。グライダと長がその疑問さに首を傾げていると、
「駒が思考を持つとロクな事にならん。ただ私の命令に従えばいい」
その言い草に、グライダが言い返す。
「あんたね。それが人に物を頼む時の態度?」
さすがに殴りはしなかったものの、完全に眼が座って不機嫌な応対になる。依頼人がこういう頭ごなしな言い方で来れば、怒るのも無理はない。
「剣士など、魔術師の護衛以外に何の価値もない。呪文を唱える間の盾が欲しいだけだ」
言い方は悪いが、パーティを組んでいる者達ならば、そういう戦法を取る事も珍しくない。
そもそもパーティにおいて魔法使いは頭脳労働全般を受け持つものだ。各種謎解き。敵と出会った時の戦術・戦略。そういった事を一手に引き受ける、いわば参謀役なのだ。
だがそれは信頼関係のあるパーティだからこそだ。
初対面の人間にここまで言われて笑って許せるほど、グライダは人間ができている訳ではない。むしろ「堪忍袋の緒が切れた」という状態である。
右手に一瞬赤い光の玉が出現するとそれは瞬く間に伸びて、飾り気のない一振りの両刃の剣になった。
これがグライダが所有する魔剣・レーヴァテインである。その切っ先をドリューの顔面に突きつけ、
「長には悪いけど、この仕事キャンセルさせてもらうわ。『剣士は魔術師の護衛以外価値がない』? そんなふざけた寝言は寝てから言ってちょうだい!」
「ふざけてなどいない。私は真剣だぞ」
熱くなりかけてるグライダに、相変わらず真面目な表情で冷淡なドリュー。それを止めたのは長だ。
「やめろ、二人とも」
誇張抜きで二人をぐいと引き剥がす。
「グライダ。依頼は依頼だ。アンデッド・モンスター相手なら、お前のその剣が一番頼れる」
それからドリューに向き直ると、
「魔術師には魔術師の。剣士には剣士の価値観ってモンがある。説明するならまだしも、それを他に押しつけるのは、感心できる事じゃないですぜ、頭のいい魔術師さんよ」
皮肉を交えた正論過ぎる正論にドリューの方も黙り込む。
「魔術師だけじゃできない事もある。だから依頼に来たんだろ、嬢ちゃん」
経験から来たであろう言葉。その言葉にしばし黙っていたドリューは、
「……仕方あるまい。特別にこの女を雇う。いいな、女」
「女ってねぇ。あんたも女でしょ。それに、あたしはグライダ。女じゃない」
また二人の間で火花が散りそうになる。
「お・ま・え・た・ち」
長の声が一オクターブ低くなり、さっき以上の殺気がこもる。
その声を聞いた二人はすぐさま黙り込んだ。
現場へ行く道すがら、ドリューは仕事の詳細を話してくれた。
ドリューの師匠(もちろんネクロマンサーだ)を止めるとは、ネクロマンサーの研究関係であった。
グライダを始めとする一般人は元より、ネクロマンサー以外の魔術師からも誤解されている事だが、ネクロマンサーの本業は「命」の研究なのである。
命とはどうやって生まれるのか。どうすれば失われるのか。そういった事を研究する、魔術師の分派だという。
そして、命を失わない方法――極端に言えば不老不死を模索するのが究極の目的らしい。
そのために霊や死体の研究は不可欠なのでそれらに触れる機会が多いが、それらを使役するのはあくまでも研究の副産物に過ぎないそうだ。
「師匠はついにその究極の目的『不老不死の方法』を手に入れ、儀式に入られた。その儀式は弟子の私にも見る事を許可されなかった」
傭兵ギルドでは言葉数が少なかったドリューも、だんだん冗舌になってくる。
だが、その内容は魔法には素人のグライダでさえ胡散くさがるものでしかなかった。
「そして、師匠はこう仰った。『もし自分が一週間経っても出てこなかった場合、屋敷一帯を破壊せよ』」
その師匠の頼みに、唖然とするグライダ。
「しかし、屋敷一帯を破壊って。そんなに凄い魔法があるの?」
「いや。一国の軍隊の保有量に匹敵する爆薬があるだけだ。それを使う」
ドリューがぼそっと答える。
この世界ではあらゆる銃火器は正規軍以外所持を認められない。だが爆薬そのものにはそういう規定はない。その爆薬のしまわれた場所まで行くのが大変なのだと言った。
しかし、これの何処に自分の護衛を必要とする部分があるのだろうか。グライダがそう考えたのは当然だろう。
だが、目的地(師匠の私有地である山)の入口まで来た時、何となく分かった気がした。
<私有地につき立入禁止>
その看板を守るかのごとく立っているのは骸骨である。しかも剣と盾を携えて。
「骸骨剣士ってやつね」
下手な戦士顔負けの剣の腕。疲れを知らない兵士である彼らが相手では、どんな剣士もてこずるだろう。
「……この骸骨、身構えてるんだけど」
いつでも戦えると言わんばかりの構えを見たグライダが、ドリューに冷ややかに問うた。
「門番だから当然だろう」
「そういう意味じゃなくて。師匠の身内であるあんたがいるのに、身構えてるって何?」
「だからお前を呼んだのだ、剣士」
ボソッと短く返答される。少しムッとしたグライダだが「女」よりは「剣士」の方がマシかもしれない、と思い直す。
「これじゃ近づいた途端斬られかねないし」
「待て。一応試してみる」
再びムッとしたグライダを無視して、師匠から聞いていた呪文を短く唱える。
だが、構えは解かれない。むしろドリューめがけ斬りかかってきたのだ。
その斬撃を間一髪で受けとめたグライダ。
手にしたレーヴァテインに骸骨の剣が触れた瞬間、その剣はあっという間に熱でドロドロに溶け、その余熱が骸骨に火をつけた。
アンデッド・モンスター共通の弱点・火。それも普通の炎より強力な火力。
触れただけであらゆる物を燃やし尽くす魔剣・レーヴァテイン。その魔力の本領発揮である。その威力には、さすがのドリューも目を丸くする。
この剣があれば剣技など必要ない。ただ触れさえすれば相手は自滅するのだから。
だがグライダはその剣の力に溺れず技も鍛えている。だからギルド内でも一目置かれているのだ。
もう一振りの聖剣・エクスカリバーもこの状況なら充分役に立つのだが、やはり利き手である右手から出るレーヴァテインをどうしても多用してしまう。
「どう? あたしのレーヴァテインの威力?」
グライダが得意そうにドリューをチラリと見る。だが彼女はふうとため息をつくと、
「たかだか骸骨一体で有頂天になるとは、大した魔剣だな」
さっき以上に無表情でボソッと答える。
「行くぞ、剣士」
ドリューは門を開けると、一人で勝手にスタスタと先へ行こうとする。グライダは慌てて彼女を追いかけた。
緩やかな山道を歩く二人。たまに遭遇するアンデッド・モンスター。
ドリューが師匠から教わったという「味方と識別させる魔法」が効かず次々襲ってくるのだが、全部グライダが倒していた。
もっとも、剣の刃が触れれば勝手に燃えてしまうので疲労はほとんどない。だが数が多くなればだんだんうっとうしくもなってくる。
「さっきから呪文効いてる様子ないんだけど」
「いつもはあの呪文で襲われないのだがな」
ドリューも首を傾げていた。本人は表情に出していないつもりだろうが、自分に理解できない事態だというのがバレバレである。
「呪文間違えてるって事はないの?」
「毎日のように使っているものを、そうそう何度も間違えるものか」
平静を努めているが、グライダの些細な言葉に敏感に反応しているのがバレバレである。
「じゃあどうして弟子であるあんたを敵とみなしてるのよ」
グライダは地面からぬっと出てきたゾンビを、間髪入れずレーヴァテインで叩き斬る。もちろんゾンビはあっという間に燃え上がった。
通常なら燃えながらでも襲ってくるが、レーヴァテインの火力なら燃え尽きる方が早い。傭兵ギルドの長が「お前のその剣が一番頼れる」と言ったのはそれが理由だ。
だが、腐った肉が燃える嫌な臭いだけはどうにもならなかった。
「しっかし。この臭いは勘弁してほしいわね」
グライダが鼻をつまんでドリューに訴えるが、彼女は考えに没頭しているらしくグライダの言葉を聞いていない。
「……やっぱりさ。あんたの師匠とやらに、何かあったんじゃないの?」
グライダの不思議そうなその言葉に、考えに没頭していたドリューが反応を見せた。
「だって。こういうアンデッド・モンスターって作った主人に絶対服従な訳でしょ? その絶対服従の主人の言う事を聞かないってのは、やっぱり変じゃない?」
「しかし。ここのアンデッド・モンスターは師匠が作ったもので、私が作ったものではないぞ」
「けど、作った師匠が『この呪文なら襲われない』って決めた訳だし。それが効かないんだから、やっぱり何かあったのよ」
グライダに対して見下すような態度ばかりとっていたドリューも、そこまで丁寧に言われれば、さすがに少しは殊勝に聞く気になる。
「剣士のくせに詳しいな」
「そりゃ、育ての親が魔族だったから」
同居人のコーランは、魔界に住まう魔族の出身である。だが、この世界では、こちらで言う「ただの外国人」程度の認識でしかない。
死んだ両親の親友でもあった彼女が、残されたグライダとセリファを育てたのである。彼女は「自分が親だ」と主張する事はただの一度もなかったが。
グライダは手に持ったままのレーヴァテインをすっとかざしてみせる。
「このレーヴァテインだって、元々はその魔族の人から貰ったものだし」
生まれつき剣士としての才能があるのだろう。きっとこういった事に向いているだろうと判断したコーランがポンとくれたのである。
「……ずいぶん豪快な魔族だな」
ドリューが珍しく驚いている。その表情はフードの奥でよく見えないが。
魔界に住む彼らは、魔法的な力はもちろん、平均的な肉体的能力も劣る人界の人間を見下す傾向が強い。
もちろん例外的な者も数多いが、そこまで気前よく魔法のアイテムをくれるとなると本当に少数派だろう。
グライダはレーヴァテインをすっと消すと、
「で、目的地はこっちでいいの?」
「あ、ああ、そうだ」
ドリューは生返事をして、再び考え込んでいた。
やがて道の向こうに見えてきたのは質素な作りの屋敷だった。大きさもさほどでもない。
「あれが、師匠さんのいるところ?」
「そうだ。そこで儀式を行なっている筈だ」
「じゃあさっき言ってた爆薬は?」
「屋敷の中だ」
二人で相談していると、地面がぐらぐらと揺れ出した。直後地面の下から飛び出してきたのは、一つ目の巨人・サイクロプスである。
「また? 地面からなんてワンパターン過ぎだってのっ!」
グライダが呆れつつも剣を出そうとすると、サイクロプスはそれよりも早く、持っていた金属製の根棒を振り下ろしてきた!
いくら何でもそれを剣で受けとめるわけにはいかない。重量差がありすぎる。
ガシィン!
思わず目を閉じてしまったドリューが恐る恐る目を開けると、目の前に自分をかばって立つグライダの姿があった。
しかもその手に持っているのは、彼女の身長ほどもある真っ赤な盾。盾を自分の全身を使って支え、根棒の一撃を防ぎ切ったのだ。しかも防いだだけでなく、熱で棍棒を少し溶かしてもいる。
「あんたはここにいなさい!」
グライダがそう言うと、盾はあっという間に掌ほどの光の塊となり、さらにそれがグンと細長く伸びる。真っ赤な盾は、あっという間に真っ赤な槍へと姿を変えた。
一撃をかわされたサイクロプスが、再び熱で溶けかかった根棒を振り下ろす。しかしグライダはそれを紙一重でかわすと、槍を力一杯投げつけた。
槍は狙い通りにサイクロプスの一つ目のど真ん中を貫き、頭が、そして全身が瞬く間に燃えていった。
同時に、グライダがその場にくずおれる。
「だ、大丈夫か、剣士」
ドリューが慌てて駆け寄ってくる。
「ちょっと、無理しちゃったかな。久しぶりだったし」
グライダの持つ魔剣「レーヴァテイン」は、もう「剣」という形ではなくなって、ただの「レーヴァテインという力そのもの」である。
魔族ならともかく、形のないままでは人間には使えない。だから使う時に使いたい形を思い浮かべる必要があるのだ。
そしてそれには一瞬とはいえものすごい集中力と、しっかりとした「形」を思い浮かべる事が不可欠だ。
慣れない物を形作るのに集中し、攻撃を避けるのに集中し、槍を狙い通りに投げるのに集中し。
鍛えているのはあくまでも「肉体的な」もの。ここまで連続して「集中力」を酷使しては疲れるというもの。
それは魔法とまったく同じ。人間の魔法使いがそう連続して魔法を使えないのは、人間の身では集中力が続かないからだ。
「……分かった。君はただの剣士ではない。私は君を認めねばならないようだ」
ドリューはフードの奥でもごもごと言いにくそうにしていたが、やがて、
「……剣士、いや、グライダ。君はここで休んでいてくれ。あとは私だけでもできる」
ドリューはグライダの事を初めて名前で呼ぶと、屋敷の裏口から中へ入っていった。
それから少し時間が経った頃。急にグライダの背後が騒がしくなる。だがそれは彼女に警戒心を起こさせる事はなかった。
「グライダ、ご苦労様」
そう声をかけてきたのは、魔族で同居人のコーランだったからだ。
「コーラン! みんな!」
彼女の後ろには、いつもの仲間達が。
ただし、妹のセリファはこの場にいない。セリファはゾンビやゴーストといったアンデッド・モンスターが大の苦手なのである。もしここにいようものなら、本気で泣いて騒いでいるに違いない。
「グライダさん、お仕事中失礼します」
そう丁寧に言葉をかけてきたのは、彼女と仲のいいオニックス・クーパーブラック神父。
「バスカーヴィル・ファンテイルとしての仕事が入りました」
その言葉に、彼女は一瞬身を強ばらせる。
「アンデッドになる魔法を手に入れたらしいここのオヤジを何とかしろってよ」
まるで嫌な物でも見る目つきで屋敷を睨む武闘家バーナム・ガラモンド。
彼の言う「オヤジ」が、ドリューの師匠に間違いないだろう。
「グライダ。今日は傭兵ギルドの仕事で来たそうだが、依頼人と一緒ではないのか?」
戦闘用特殊工作兵のロボット・シャドウが淡々と尋ねた。
その「依頼人」は屋敷に入っていったままである。グライダは嫌な予感がした。
ドリューが裏口から屋敷の中へ入ってまず驚いたのは、窓という窓に板が打ちつけられている事だった。微妙に塞ぎ切れてない板の隙間から、細く日の光が差し込んでくる。
その作業をやったのはおそらくゾンビなのだろう。ゾンビのような低級アンデッドに細かい作業は不向きである。
一体どうしたというのだろう。これでは不自由窮まりない。
師匠に話を聞こうにも、爆薬を取りに行くにも、こう暗くては慣れた屋敷の中でも方向感覚が微妙に把握できない。
明かりなど持っていないので、微かに入ってくる日の光を頼りに、廊下を這うように進んでいく。
このまま爆薬をしまった倉庫へ行けばいいのだが、その途中に師匠の部屋がある。せっかくなのでドリューは先にそちらへ寄る事にした。
ほとんど手探りで進んだ先の師匠の自室。ドリューは背筋を伸ばして、静かにドアをノックする。
「……師匠。ドリューです」
しかし返事はない。留守なのだろうか。それともまだ儀式が続いているのだろうか。
大がかりな儀式だとしたら一週間くらいかかるものも珍しくない。一日に数時間ずつ行ない、少しずつ進めていく儀式だってある。
儀式はよく地下室で行なっていた。となると、まだ地下にいるのだろうか。そう考えるが、同時に本当に爆破していいのかという考えがよぎる。
『何者だ……』
全く気配を感じなかった場所から、不意に声が。しかも彼女にとって聞き慣れた声だ。
「師匠!?」
急いで振り向いたドリューは、師匠の姿を見て息を呑んだ。
着ている物は確かに師匠の物だ。肌に血の気が無いだけで、姿形も師匠に間違いない。
だが気配を全く感じない。これはどういう事だろう。
『なぜここに生きた人間がいる。何者だ?』
「な、何を言ってるんですか。私です。弟子のドリュー・イマリュウです!」
師匠に訴えるドリューの声は完全に怯えて震えていた。
「気配がしない」「生きた人間がいる」という発言。持てる頭脳をフル回転させた彼女が導き出した結論は、
「師匠。まさか『不老不死の方法』とは!?」
そう。それは自分自身がアンデッドになる事に間違いなかった。
いくらアンデッドが身近な存在のネクロマンサーと言えど、自分自身がアンデッドになりたい訳ではないし、身近な人間がアンデッドになるなど考えてもいなかった。
もっとも、ネクロマンサーの間には「自分がアンデッドとなる禁じられた術」がある事は知られた話だ。それを弟子のドリューがよく知らなかっただけである。
『ちょうどいい。お前の精気を戴くとしよう』
視線が合った途端、ドリューの身体はびくとも動かなくなってしまう。それどころか動かなくてもいいや、という気持ちで心身が満たされてしまう。
師匠はそんな彼女の肩に無造作に触れた。その直後、ものすごい脱力感がドリューを襲ったのだ。
膝が笑って立っている事すらできない。身体に力が入らず、どんどん抜けていくのが分かる。アンデッドとなった師匠に自分の精気が吸い取られているのだ。
吸うと言っても実際に口を使う必要はなく、手で触れただけで精気を奪うアンデッドもたくさんいるのだ。
ドガ――――――――――――――ン!
突然屋敷の壁が外から破壊され、日の光が燦燦と差し込んでくる。
いきなり明るくなった事でドリューは目を細めるが、師匠の方は慌てて屋敷の奥に逃げていった。
「ドリュー、大丈夫!?」
レーヴァテインとエクスカリバーを持ったグライダが駆け寄る。ドリューはその場にへたり込んだまま、
「……間一髪だった。助かった」
その尋常でない様子にコーランがドリューの前にしゃがみこみ、
「アンデッドに精気を吸われたみたいね。もう少し遅かったら生命力を根こそぎ吸われてたかもしれないわ」
「壁をぶち壊したのが正解だったって事か」
バーナムは、その「ぶち壊した」グライダを見ている。そう。これは彼女の仕業なのだ。
「師匠が……自らをアンデッドにしてしまったのだ。頼むグライダ。師匠を……」
そこまで言うとドリューは意識を失ってしまった。コーランとクーパーの見立てでは命に別状はない。休ませれば大丈夫との事だった。
「みんな、ドリューをお願い。あたしはその師匠ってやつを追う」
グライダの無謀とも言える決意に満ちた声。
「オレも行くぜ。ここまで来て暴れられねぇんじゃ、来た意味ねぇからな」
バーナムがバシンと拳を掌に叩きつける。
「でも、何処に行ったか分かるの?」
「あれ見りゃ分かるぜ、コーラン」
バーナムが指さす先には、廊下をぞろぞろとやってくるゾンビの大軍が。
「あいつらをぶちのめしながら行けば、そのうち着くだろ」
何ともアバウトな思考。だが敵が足止めのために放った事は見当がつく。その向こうにいる可能性は高い。
「多対一の戦いなら自分が一番長けている。自分も行こう」
と、シャドウも名乗り出てくれた。
「……じゃ、行ってくる」
その声には気負いも何もない。いつも通りのグライダだ。
「分かりました。くれぐれもお気をつけて」
クーパーも不安そうな顔を作らずに返事をし、三人を見送った。
ゾンビはそれほど強くはない。しぶとさが売りの緩慢なアンデッド・モンスターだ。
この程度にてこずる三人ではない。ゾンビ達を次々と撃破して向かった先は、屋敷のエントランスホールだった。
床には大きな魔法陣が描かれ、薬品や儀式の材料とおぼしき物がそこかしこに散らばっている。
そして、その魔法陣の真ん中に悠然と立つ、ローブ姿の男。
「あんたがドリューの師匠ね?」
二振りの剣を構えたまま、グライダが尋ねる。だが、それをシャドウが止めさせた。
「無駄だ。その男に生前の記憶は全く無い」
シャドウが言うには、この師匠が使った「アンデッドになる方法」の副作用として生前の記憶が無くなるというのがあるらしい。
「記憶を失って『不老不死』になる事に何の意義が有るのか、自分には分からぬがな」
整合性を重んじるロボットらしい発言と言えるが、それにはグライダもバーナムも納得していた。
「恨みつらみはねぇが、仕事なんでな」
バーナムが指をコキコキと鳴らしている。
『ほう。生きた人間が二人もいるのか。お前達からも精気を戴こう。精気はいくらあってもいいからな』
青白い光を放つ無気味な目。バーナムは脳がすうっと真っ白になっていく不思議な感覚を感じていた。
しかし、すぐにシャドウがバーナムとグライダの前に立ちはだかり、その感覚は消える。
「気をつけた方が良い。あのアンデッドの視線に強力な魔力を感じた」
その声で、一瞬真っ白になりかけた頭を振って、正気を取り戻すバーナム。
人間の精気を吸い取りやすくするため、視線そのものに魔力を秘めたアンデッドは多い。
たいがいは「催眠」「魅了」「恐怖」を与える魔力である。魔法の類が一切効かないグライダも、決して油断していい訳ではない。
「……ちまちま時間かけてられないって事ね」
いくら魔法が効かないグライダと言えど、気が抜ければ別だ。その隙を突かれたら無事では済むまい。
「なら一気に勝負を決めるだけよ!」
グライダは右手のレーヴァテインと左手のエクスカリバーの二振りの剣を眼前でクロスさせた。相反する力を持つ二つの刃が鋭い火花を上げる。
「聖剣・エクスカリバーよ! 魔剣・レーヴァテインよ! 対なる力合わさって、大いなる力となれ!」
交差させた剣からX字型の閃光が飛ぶ。
彼女の使う大技の一つ「
最初の一撃に大きな一撃で先手を打つ。戦法としては賢い方である。
アンデッドの嫌う「火」の力。アンデッドと対極にある「聖」の力。その二つが融合した力が、避ける間もなくまともに師匠に命中した。
ちなみに、さきほど屋敷の壁を破壊したのもこの大技である。
「どう、シャドウ!」
爆発したような煙が上がっており、肉眼ではよく見えない。そのため、高感度のセンサーを持つシャドウに聞いたのである。
「……駄目だな。目標はダメージを受けた様子が無い」
「なんですってぇ!?」
シャドウの答えに、グライダの目が点になる。自分にできるほぼ最強の攻撃をまともに受けたのにノーダメージでは、心理的な打撃は半端ではない。
「……なぁ。この辺、妙じゃねぇか?」
周囲を注意深く見回していたバーナムが口を開いた。
「おかしいぜ、いろんな気配がするっつーか、感じ方が変っつーか」
バーナムの言葉を聞き、シャドウは自身のセンサーをフル稼動させてこのエントランスを探索する。
……あった。床に描かれた魔法陣。それが微妙な空間の歪みを生み出している。
その歪みによって、命中したと思っても実は外れていたという事態が起きたのだ。
「迂闊に飛び込むのは危険だな。作動中の魔法陣ほど危険な物はない」
そうこう言っているうちに煙が晴れる。攻撃は魔法陣の隣の床を破壊しただけに過ぎなかったのだ。やはり空間を歪めて攻撃を避けているのだろう。
どうズレるのかを予測して攻撃をする手もあるが、その時間はなさそうだった。
グライダの持つ二振りの剣。その形を保つのは精神力。いくら鍛えているといっても、悲しいかな。人の身では限界がある。
「……あと一回ってトコか」
考えてみれば、連続した武器変化に聖魔閃光弾の二連発。一日にここまで酷使した例は過去にもない。あと一回で確実に大打撃を与えなければ。
自分の時計を見たグライダは覚悟を決めた。
「バーナム。ちょっと……」
彼の隣に行ってそっと自分の作戦を耳打ちする。黙って聞いていたバーナムは、
「分かった。それで行こう」
納得したというか覚悟を決めたというか。バーナムは真剣な表情で快諾する。
バーナムは胸の前で手を組み、静かに目を閉じる。かたやグライダは二振りの剣を再びクロスさせた。
「二人とも。何をするつもりだ?」
シャドウが首を傾げる中、グライダの剣の火花が激しく散り出した。
再びグライダの聖魔閃光弾が放たれた――ただし、師匠ではなくバーナムに向かって。
バーナムの拳の流派・四霊獣龍の拳。その極意は「気の吸収」。「気」を吸収してより大きな技を使う気なのだ。
聖魔閃光弾の「火」と「聖」の力。そしてバーナムの「龍」の技。それらが一つになろうとしている。
ォォォォォォォォォォォォ……。
バーナムの喉の奥で低くうなる声がする。
精魂尽き果ててくずおれるグライダが、シャドウに支えられてその光景を見ていた。
どれだけの威力があろうとも、空間を歪めて攻撃をかわす以上、当たる可能性は低い。
一体どうする気なのか。作戦を聞いていないシャドウには分からなかったし、予測もつかなかった。
やがてバーナムが吸収した「気」の塊は、彼の胸の前で光の玉と化した。
気の塊をそっと前へ押し出す。それはちょうど師匠の頭上でピタリと停止した。
すると、気の塊から無数の龍が飛び出してきた。何千、何万という数の、龍の群れ。
総ての物を貪欲に喰らい続ける龍を呼ぶ、四霊獣龍の拳・
しかし、それらの龍が向かった先は師匠ではなかった。屋敷の壁という壁。天井という天井だった。無数の龍は一斉に、片っ端からそれらを貪っていく。
バリバリバリッ! ドガドガドガッ!
なめきって動かなかった師匠がその目論見に気づいた時は、エントランスホールの壁と天井に大穴が開いていた。
そして――そこに降り注ぐ太陽の光!
アンデッドのもう一つの弱点・太陽の光。わざわざ屋敷の窓を打ちつける程だ。太陽には弱い筈だ。
それはさっき壁を壊して侵入した時に証明済みだ。さっきは逃げられたが、今は壁や天井の総てを破壊され、逃げ場は存在しない。
さすがの魔法陣も、自身に向かってこない攻撃と太陽の光までは防げなかったのだ。師匠は魔法陣の中心でボロボロと灰になっていく。
グライダは一か八かの作戦が見事成功したのを確認すると、意識を失っていった。
一行は、ドリューとグライダの意識が戻るのを待ち、屋敷を完全に破壊する事にした。
屋敷の倉庫にあった大量の爆薬。シャドウの指示で的確な位置に適切な量を設置する。
あとは破壊するだけとなった。
「ドリューと言ったな。師匠からの最後の命を果たすが良い」
シャドウが点火スイッチを手渡す。
ドリューは親指をつけたり離したりと戸惑いを見せていたが、やがて力一杯スイッチを押した。
数秒後。ズズンという低い振動と共に屋敷が敷地ごと爆破されていった。
今まで暮らしてきた思い出が。総て土の下に沈んでいく。
「……依頼完遂、かな」
まだ小さく揺れている地面の震動を感じながら、グライダが呟いた。
ドリューの依頼通り師匠を止める事はできた。一度アンデッドとなった人間は二度と元の人間に戻る事はできない。止めるなら滅ぼすしかないのだ。
バスカーヴィル・ファンテイルとしても、アンデッドになった人間を倒し、その術を葬るのが仕事なのだから、任務は完了だ。
だが、一人残されたドリューの身の振り方。こればかりはグライダ達の仕事ではない。
ドリューにとっては終わりではない。これからが新しい始まりなのだ。
彼女は崩れた建物を見て、いつの間にか涙を流していた。
そして、か細く小さな声で呟いた。
「師匠。あなたはなぜアンデッドになる事を望んだのですか……」
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「剣と魔法と科学と神秘」が混在する世界。そんな世界にいる通常の人間には対処しきれない様々な存在──猛獣・魔獣・妖魔などと闘う為に作られた秘密部隊「Baskerville FAN-TAIL」。そんな秘密部隊に所属する6人の闘いと日常とドタバタを描いたお気楽ノリの物語。