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真・恋姫†無双 ~夏氏春秋伝~ 第百十八話

ムカミさん

第百十八話の投稿です。


対蜀軍・上庸編、ようやく終了です。
思ってたよりもかかってしまいました。

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2016-08-16 03:16:49 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:2723   閲覧ユーザー数:2278

 

目の前に菖蒲がいる。その先に馬騰がいる。

 

馬騰が戟を振るっている。菖蒲の手には得物が無い。

 

簡潔に状況を並べただけで、次の瞬間に何が起こってしまうのかは容易に想像出来る。

 

一刀は手を伸ばす。蜻蛉の型は崩れ、片手の支えを失った刀は緩々とその切っ先を下げていく。

 

それでも、間に合わない。届かない。

 

そんな考えが脳裏を過ぎる。せめて一瞬だけでも刃を打てれば。そんな本末転倒気味なことまで。

 

 

 

一連の行動において、限りなくスムーズに一刀は氣を発動していた。

 

それも、移動を伴う技の中では速度も移動距離も威力も抜群の雲耀の太刀で、である。

 

(この雲耀の太刀は間違いなく過去最速だ。しかも、氣の集中も過去最速。

 

 ”人の想い”に沿って氣を使うことで、最高の状態で技を出せている。

 

 なのに……なのに、あと一歩、ほんの1,2メートル、届かないと言うのか……?

 

 これが……この展開が、外から眺める者たちの想いの総意だとでも言うつもりなのか?!

 

 …………見たければ、勝手に見ているがいいさ……だが……)

 

「お前らの好き勝手には、絶対にさせないっっ!!」

 

自ら考えた最悪の展開に対し、怒りを爆発させる。

 

ある意味究極のノリツッコミのようにも見えるが、それで一刀の気合が増すならば結果オーライだと言えよう。

 

同時に、一刀の中で少しだけ考え方が変化していた。

 

届け、ではなく、届かせる。更に強く、届く。

 

間に合え、ではなく、間に合わせる。これまた強く、間に合う。

 

強く強く、自分にならば出来るのだと確信を持って。

 

”強く想う”だけで事が為せるはずが無い。そう思うだろうか。それは尤もなことだろう。

 

普段の一刀であれば、無理なものは無理、と断じていだだろう状況だった。

 

しかし。

 

一刀の心中から弱気などのマイナス要素が、一時的にではあるが悉く排除された瞬間。

 

不意に微かな金属音を耳にした気がした。

 

幻聴だろうか、それとも周囲の戦場の音を拾ってしまったのだろうか。

 

淡く抱いた疑問は、しかしすぐに一刀の胸の奥へと追いやられる。

 

と、一刀は気付く。馬騰の動きが少し鈍っていることに。

 

しかも、である。限界以上の速度で掛けていたはずの一刀のストライドが、グンッと伸びた。

 

そのまま2歩、3歩と進み――――馬騰の戟とほぼ同時ながら、伸ばしていた一刀の手が遂に菖蒲の後ろ襟に届き――――

 

その瞬間に、一刀は無我夢中でその手をグイッと引き寄せていた。

 

菖蒲を掴んだ左手を引き寄せつつ、右手に握り込んだままの刀で馬騰の戟の軌道を逸らしに掛かる。

 

手を伸ばした時から既に、一刀の態勢は雲耀の太刀のそれから大きく外れてしまっている。

 

にも関わらず、一刀の身体が生み出す速度とキレは全く衰えていなかった。

 

加えて、馬騰の戟の軌道は斜め気味の横薙ぎ。

 

突き込んでこられたものとは違って、菖蒲を手前に引き寄せた今、戟を逸らす動作はほんの少しで十分だった。

 

今度こそ本物の金属を上げて刀が戟を逸らす。

 

馬騰は空振りに終わった戟を手元に戻すと、そのまま攻めて来ようとはせず距離を取った。

 

そこで一刀はふと気づく。先程から菖蒲に動く様子が無い。

 

不安と共に見てみれば、菖蒲は目を閉じてはいるものの、胸は確かに上下し、生きていることは間違いが無かった。

 

「……菖蒲、大丈夫か?」

 

「…………ぇ?」

 

馬騰に警戒の視線を戻しながら簡潔に問う。

 

帰ってきたのは戸惑い成分全開の微かな声だった。

 

「ぁ…………か、一刀……さん?

 

 あ、え?ど、どうして……?それに私……まだ生きて……?」

 

「……無事みたいだな。

 

 悪いが、詳しい説明は後にさせてもらう。菖蒲、今は下がっていてくれ」

 

菖蒲は混乱が大きく、まともに言葉を繋げられていなかったが、そこに苦し気な様子は無かった。

 

これを確認し、一刀は意識の全てを馬騰へと向ける。

 

馬騰は何やら不思議がるような、それでいて楽しんでいるような表情で己が戟を眺めていた。

 

「ふむ……あんたに一つだけ聞いとこうか。

 

 前に西涼で会った時のあれは、演技だったのかい?」

 

「……?何を言っている?

 

 華琳は本気で馬騰さんの力を欲しがっていた。だから、俺も協と弁の協力を取り付けに動いた。それだけのことだ」

 

「いやいや、そんなことは聞いてないよ。

 

 ふむ、どうやらあたいの剣気でやられたのは本当だったみたいだね」

 

「……?」

 

何故今その話が出て来るのか。それが分からず一刀も困惑する。

 

馬騰の話術に嵌まっている可能性もあったが、戦闘中にそのような小細工をするタイプとは思えない。

 

「はっ!まさかこのあたいが月蓮以外の奴の”剣気”に怯まされる時が来るなんて、夢にも思ってなかったね!

 

 いやいや。何だい何だい?徐晃と言いあんたと言い、曹操の奴は随分とまあ優秀な部下を囲っているんだねぇ」

 

「……華琳は本気で覇道を歩もうとしているんでね。微力ながら、俺たちも全力でその手助けをすると決めている。

 

 貴女ほどの人物から見ても俺たちが優秀だと言えるのならば、それは誉れでしか無い。

 

 華琳の眼も俺たちの努力も、間違ってはいなかったことになるのだから」

 

「ほぉぅ?言うねぇ……」

 

馬騰の顔面に張り付いた笑顔の、凄みが増す。

 

緩まりかけていた両者間の空気が俄かにピリピリとした緊張を伴い出す。

 

一刀は馬騰の次の行動を警戒して刀を正眼に構え直した。

 

 

 

さて。ここまで冷静に馬騰と対話しているように見える一刀だが、その実、一刀の内心は動揺に満ち満ちていた。

 

菖蒲を助け出したあの瞬間。そこに一刀は自分自身で驚愕していたのである。

 

あの時あの瞬間は、ただただ菖蒲を助けんとする意志ばかりが頭を支配し、些細な事柄に気を持っていかれることは無かった。

 

しかし、改めて思い返してみると――――どうにも説明のしようが無い現象が一つ。

 

馬騰が手を抜いていたのだろうか。しかし、その理由が無い。

 

尚も思考だけは続けようとしていたところに、更に、一刀の心を揺さぶる一言が投げ付けられる。

 

”剣気”。馬騰は確かにそう言った。

 

それは以前、西涼の地で一刀が馬騰に見せつけられたアレのことだろう。

 

無論、一刀はそのようなものは会得していないし、修行しようとすらしていない。

 

従って、一刀が剣気を飛ばすことなど有り得ないと言えるのだ。

 

いや、確かにそれらの事柄は馬騰に相対して冷静を装うのに十分な理由ではあったが、一刀が最も動揺し、且つ危機意識を抱いているのは()()()()()では無い。

 

一刀が馬騰と菖蒲の間に割って入ってからまだたったの数分。どころか、一刀が放ったのはただの一撃のみ。

 

にも関わらず、である。一刀は今にも息切れを起こしてしまいそうなほど消耗してしまっていた。

 

強行軍が故の体力切れでは無い。仮に数割程はそれが原因なのだとしても、こんな短時間で体力切れを起こしかけるほどやわな鍛え方はしていない。

 

また、馬騰の攻撃を逸らすのにも然程力を要してはいない。

 

つまり、原因不明、なのであった。

 

ただでさえ相手は格上。その上、背中には得物を失った菖蒲がいる。

 

そんな状況に更に悪条件を加えるとどうなるか。想像もしたくないくらいだ。

 

このまま上手い事馬騰を退かせるか、最悪体力の回復まで戦闘再開を遅らせることが肝要。

 

その為、一刀は決して悟られまいと努めて冷静を保つ。

 

黒衣隊を作り上げて率いているだけあって、その手の駆け引きは得意分野――――なはずだった。

 

「なぁ、北郷。何を隠しているのか知らないが、あんたそのままであたいとやり合うつもりかい?」

 

「……隠している?俺が?

 

 別にさっきの一撃も出し惜しみをしたつもりは無いんだけどな……」

 

バレている。そのことに一刀は焦りと動揺を、しかし内心のそれを必死に表に出さないように僅かなタイムラグの後に試みる。

 

それに対しても、馬騰は余裕の笑みを以て返して来た。ただ、その内容は一刀たちにとって僥倖と言えるものであったのが救いだ。

 

「惚けるねぇ。ま、いいか。

 

 どっちにしろ、今回はもうこれ以上、あたいも何かをしようとは思ってないよ。

 

 既に『好き勝手やって』やったからねぇ。ま、あたいがと言うより雫が、だがね。

 

 残念だったねぇ、北郷。徐晃との一騎討ちはただのあたいの余興でしか無いよ」

 

クックックッと人を食ったような笑い方でそう告げる。

 

それは先刻の一刀の言葉をやり玉に挙げたものだった。少々そこに込められた意図を勘違いしてはいたが。

 

(余興?目的は別、だと?

 

 以前の時のように、こちらの戦力を削りに来たのだと考えていたが、それすらおまけでしか無かったというのか?)

 

馬騰の言葉がズレていようと、それがまたもや一刀に困惑を齎すことには変わりない。

 

普通に考えるならば、より大きな目的が蜀にはあり、しかもそれは既に為されたということなる。

 

それが何なのか。全く見当が付かない。

 

とは言え、一刀がいくら混乱しようとも馬騰には関係の無いことで。

 

「さて。それじゃああたいもそろそろ退こうかね。

 

 無いとは思うが、もしも追撃してくるってんなら、そん時はあたいも容赦しないよ?

 

 ま、あたいとしてはその方が面白いんだがね」

 

それだけ言って踵を返しかける馬騰。

 

一刀も菖蒲も馬騰が去ろうとするのを黙って見ているしか出来なかった。

 

と、馬騰がふと思い出したように肩越しに振り返る。

 

去る前に、最後に二人に対して話しかけるためだった。

 

「これで月蓮の奴も本腰を入れて動き出すだろうね。

 

 そのことで、あんたらに一応忠告しといてやるよ。

 

 本気になったあいつは、あたいみたいに甘くは無いからね。気を付けときな」

 

「忠告、ですか。孫堅さんと親しい貴女の言葉ですから受け取り方に困りはしますが……

 

 一体どうして?」

 

「なに、さっきも言ったろ?

 

 あんたらのことは個人的には気に入った。ただそれだけだよ」

 

今度こそ本当に去っていく馬騰。

 

気が付けば右翼を掻きまわしていた馬騰の騎馬部隊も続々と戦線を離れて行っている。

 

蜀本隊の左翼はとうに敵本隊まで下がりきり、その本陣も既に畳まれて撤退を始めていた。

 

魏の同行に見向きもしないその様子は、確かに馬騰の言った通り、目的をそつなくこなしたのだろう。

 

馬騰の警告とも誘いとも取れる言葉が無くとも、一刀にもそして零にも、追撃を仕掛ける気などさらさら無かった。

 

最低限罠の心配だけはしながら、魏の両翼に出張った部隊もまた、魏の本隊の下へと戻っていく。

 

 

 

こうして上庸の地に突如開かれた魏と蜀との戦は幕を閉じた。

 

互いの退きがあっさりとしていたためか、魏、蜀共に兵の被害自体はそれほど多くは無い。

 

しかし、別の面では明暗がはっきりと分かれていた。

 

魏には種々の疑問や不明点が残されてしまったのに対し、蜀側は恐らく全ての目的を達している。

 

戦は終始蜀がコントロールしていたと言っても過言では無い。

 

被害は少なくとも、今回魏は負けたと言えるだろう。

 

それが証拠に一刀が本隊に戻って目にしたのは、将も兵も一様に沈んだ面々であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一刀と菖蒲が揃って本隊へと帰還すると、それを見留めた零がすっ飛んできた。

 

その慌て振りに一刀は珍し気な視線を禁じ得ない。

 

しかし、零にとって今はそのようなことは些事でしか無かった。

 

「菖蒲!無事なのっ!?

 

 先に退いてきた連中が、あんたがあの馬騰相手に一騎討ちなんかしてるって聞いたからてっきり……」

 

「ご心配おかけしました、零さん。この通り、生きていますよ。

 

 ……まあ、本当は”そのつもり”だったんですけれどね。

 

 そのせいか、正直に言いますとまだ現実感があまり無いんです」

 

笑みを浮かべてはいるものの少し言い淀み、且つどこかばつの悪そうな顔をしている菖蒲を見て、零は右翼の戦線で起こった出来事を大凡理解した。

 

故に、零は一刀に向き直る。

 

「一刀。お礼を言わせてもらうわ。

 

 今回の件、本当にありがとう。そして、菖蒲を救ってくれて、ありがとう。

 

 ――――何よ、その顔?」

 

「……え?あ、いや……」

 

しおらしく深々と頭を下げるという零の予想外の行動に、一刀は思わず目を見開いてしまっていた。顔を上げた零から突っ込みを入れられてしまう程長く。

 

一体どうした、と尋ねかけてから思い直す。

 

今回の零の立場で部隊の被害を抑えようとした場合、取り得る策は限られてきて、その内の一つに思い至ったからであった。

 

「私からも改めてお礼を言わせてください。

 

 この命を拾ってくださって、本当にありがとうございました」

 

菖蒲も揃って頭を下げたところで一刀もようやく反応を返せるようになった。

 

「いや、当然のことをしたまでだ。

 

 むしろ、すまなかった、二人とも。救援があまりにもギリギリになってしまった。

 

 いや、どころか、間に合ってすらいなかったか……」

 

一刀は一刀で二人に応えながら苦い顔をする。

 

菖蒲は、そんなことは!、と言って否定しようとしているも、一刀自身が理解していた。

 

本来ならば菖蒲の救出には間に合っていなかったこと。それが何等かの不思議な現象によって達成ラインにまで引き上げられたこと。

 

三人の間に何とも言えない沈黙が降りかけた時、これを破るように凪が帰ってきた。

 

蜀の撤退が偽りである可能性を警戒した零が周辺に出そうとした斥候を、凪が引き受けていたのである。

 

「零様、周辺一帯に敵影有りません!少し先の山林にも部隊の半数を向かわせておきましたが、ここからは遠すぎるのでそちらにも存在しないものと考えられます!

 

 あ、一刀殿、菖蒲様。お疲れ様です!」

 

「お疲れ、凪。助かったわ。

 

 一刀、菖蒲。聞いた通りよ。どうやら蜀は本当に撤退していったみたいね。

 

 罠にしては初動が鈍かったし、撤退もとても早いものだったし。

 

 結局その目的が何だったのか……」

 

「馬騰が言うには、既に目的は達成していたらしい。

 

 てっきりこちらの戦力を削ぎに来たと思っていたんだが、どうやらそれとは全く別の目的があったようだな。

 

 零も菖蒲も、何か戦場で普段とは違って気になった点とかは無かったのか?」

 

「そんなのあれば目的まで気付いているわよ。これでも桂花に次ぐ軍師としてやってんのよ?」

 

少しむっとした表情で言い返す零。特別気になることは何も無かったと零は告げる。

 

しかし、一方の菖蒲は違った。

 

「あの、どれ程の意味があるのかまでは分からないのですが、一つだけ。

 

 私が趙雲を追って飛び出してしまった時のことなのですが、その時に少しだけですが敵の本隊を視界に収めました。

 

 そこで見たものなのですが、蜀の陣の奥に少数ですが赤い鎧の集団が……」

 

「赤……っ!まさか呉の兵、なの?!」

 

「かも、知れません。遠くてはっきりと見えたわけでは無いのですが、どうやら蜀の本隊がその集団を守っているような布陣でした。

 

 そこまで近づいた時点で矢の斉射を受け、退くことしか出来ませんでした」

 

「……なるほど、な。

 

 だから馬騰はあんなことを……」

 

合点がいった、と一刀は腕を組んで幾度か頷く。

 

一刀もまた短い時間ながら参戦し、馬騰のとの会話の中に引っ掛かりを覚えていた。

 

それは最後に馬騰から発されたもの。

 

どうして急に孫堅の名が出てきたのか、一刀にはその辺りがピンとは来ていなかった。

 

ところが、こうして話を擦り合わせてみれば、なるほど、敵が取った行動の目的が何となく理解出来る。

 

「これは、嵌められたみたいだな」

 

「ええ、そのようね。劉備……孫堅……やってくれるわね……

 

 これじゃあ、今後は二正面作戦を余儀なくされる可能性が高くなったわ……」

 

一刀と零が同じ見解に至っている。それが正解である証左のように思えた。

 

「えっと……あの、一刀殿、零様。

 

 一体どういうことなのでしょうか?私にはさっぱりなのですが……」

 

完全には掴めていない凪がそう問いかける。

 

声を上げなかった菖蒲はと言えば、薄々は感じていたようで驚き自体は少ないようだった。

 

「なあ、凪。凪は今回の戦、蜀側の動きが不自然だったとは思わなかったか?

 

 左翼側でもよく分かっただろうことに、蜀の退き際の事が挙げられる。あまりにもあっさりしすぎていたんだ。

 

 一応言っておくが、俺と凪の増援が来たから、ってのはまず無い。あれはその前から撤退指示を出していなければ出来ない速度だった。

 

 で、そんなに早く引き上げて、しかもこちらに見向きもしない、ってことは、向こうはもうこの戦での目的は達したということになるんだ」

 

「それが、その……呉、だと?」

 

まだはっきりとはしていないながらも、凪にも朧げに見えてきている。

 

一刀は凪がきちんと話に付いて来ていることを確認した上で、これを肯定した。

 

「ああ、そうだ。

 

 どんな名目なのかは分からない。が、それはある程度想像出来る上、それを踏まえて確実に言えることが一つだけある。

 

 俺たち魏軍は呉の使者とその送迎を担った蜀の部隊を襲い、逃げられた。

 

 その戦に至る過程がどうであれ、事実だけを見た場合はそうなってしまうだろう」

 

「私たちは孫堅と停戦協定を結んでいるわ。けれど、馬騰も動き始めて乱世の終わりが近くなってきた今、それは孫堅にとって邪魔でしか無いでしょう。

 

 かと言って、かつて忠臣と謳われた孫堅からすれば、皇帝と前皇帝を擁している私たちに自ら牙を立てるような真似はしたくない。

 

 そうして今すぐ動くために必要なのは何かと考えたのが今回の策……そう考えれば辻褄は合うのよね。

 

 孫堅率いる呉とは正面から争うのはもっと後だろうと桂花たちとは予測していたのだけれどね……

 

 とんだ思惑外しに逢わされたものだわ」

 

一刀の説明に零が補足する。

 

これによって凪は遂に事態を全て呑み込むことが出来たのであった。

 

「ちなみに、馬騰は去り際に孫堅について言及していった。

 

 簡単に意訳すれば、孫堅はこれから本気で魏と争いに来る、という内容だった。

 

 孫堅と馬騰。かつて王朝の忠臣と誉れ高かった化け物二人。

 

 二人が何を思ってどう動いてくるのか、正直予測し切るのは難しい。

 

 特に馬騰は俺が知る限りの戦に赴く心持ちとは異なることを宣言までされているからな。

 

 ただ……この二人が、引いては蜀と呉が組んで魏に対抗してくること。これは十分以上にあり得ることだと思っておいてくれ」

 

一刀は推測の裏付けとなる情報を更に加え、そしてとある確信のもとに皆に注意を喚起した。

 

菖蒲、凪は表情を引き締める。

 

特に菖蒲などはついさっき馬騰にいいようにやられたばかりなのだ。

 

今までよりも数段、鍛錬に臨む心構えとなっているのだった。

 

 

 

一先ず今回の戦の顛末とその推測については早急な報告が肝要ということで、突発の小会議はお開きとなる。

 

このタイミングで凪がおずおずと一刀に問いを投げた。

 

「あの、一刀殿。話が変わってしまうのですが、一つだけよろしいでしょうか?」

 

「ん?どうかしたのか?」

 

左翼でも何かあったのだろうか。だったらせめて零も呼ぶべきか、などと考え始めていると、全く異なる内容が飛んでくる。

 

「いえ、あの……私が左翼側の殿を務めていた時のことなのですが、右翼の方で氣弾に似た何かの気配を感じまして。

 

 一刀殿はそのような技は会得されていなかったと思いますので、もしかして馬騰殿が氣を用いた攻撃を仕掛けてきたのかと……」

 

「氣弾……?そんなものは戦闘中には出て来なかっ……た……」

 

否定しようとして、ふと。一刀はあることを思い出していた。

 

それは、北郷流創始者の馬鹿げた逸話。

 

かつて――まだ神童と呼ばれていた頃の一刀が夢見て目指し、そして数々の挫折へと繋がることになったあの噂。

 

どうして今それを、と思う。どこに繋がる要素などあるのか、と。

 

側にいるはずの凪の声が遠く聞こえる。一刀にしては珍しく、周りが見えなくなるほどの思考に沈みかけていた。

 

「そうなのですか?

 

 ですが、左翼の方にまではっきりと感じ取れるほどに莫大な氣でしたので、てっきりかなりの大技なのかと――――あの、一刀殿?どうかされたのですか?」

 

「…………ん?あ、ああ、いや。何でも無いよ。

 

 そうだな……凪の気のせいとまでは言わないけど、こちらを気にして少し感覚が鋭敏になっていたんじゃないか?

 

 さすがに氣弾なんかは使ってないけど、確かにあの時、俺は自分の限界以上の力を氣を絞り出して使っていたと思うんだ。

 

 何がなんでも菖蒲を死なせない、傷つけさせるわけにはいかない、ってね。

 

 それを凪が少し勘違いしてしまったんじゃないかな?」

 

「そう、なのでしょうか?

 

 そう言われてしまうとそのような気も……」

 

あまりに曖昧なことを言って凪を混乱させてしまうのも具合が悪い。

 

一刀は尤もらしいことを並べることで凪に一応の納得を与える。

 

 

「――って言ってるわよ?好かれてるわね、菖蒲。良かったじゃない」

 

「えぇっ!?そ、そんなことは……」

 

友を揶揄う零と言葉に詰まり身体の前で指を組んだり解いたりしている菖蒲。

 

解散かと思いきや立ち止まったままの二人に興味を示し、聞き耳を立てていた二人がいたことにも。

 

更にはその二人の様子がいつもと異なっていることにも気付かない。

 

それほどに一刀は自身の考えの中に入り込んでしまっているのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや~!作戦大・成・功!だったね!

 

 これでお母さんにも良い報告が出来るよ!ありがとう、徐庶さん!」

 

「いえ、こちらこそ、私の策にお付き合いさせてしまって申し訳ありませんでした」

 

上庸の地から意気揚々と離れていく蜀の本隊内では、非常に明るい雰囲気が漂っていた。

 

皆口々に徐庶の作戦成功を祝い、孫尚香にも声を掛けている。

 

その中でも一際存在感が大きかった馬騰が孫尚香に近づいた段で、皆密かに聞き耳を立てた。

 

「シャオ、月蓮の奴にちょいと伝言を頼みたいんだが、いいかい?」

 

「うん、いいよ。何?」

 

「一つ目は北郷についてだ。あいつ、月蓮の奴と似たようなもんだろうね。

 

 あいつと月蓮が本気で死合えばどうなるか、純粋に疑問が沸いた。

 

 もし直接()ることがあんだったら、そん時には前もって呼べ、ってね。

 

 それからもう一つ。もしも月蓮があたいとおんなじ理由で魏と対立するってんなら――――大一番を仕掛ける時にはあたいにも言いな」

 

孫尚香は馬騰の言葉を聞いて驚きに目を見開いた。

 

馬騰は彼女の母親と同等以上の実力を持っているはず。その彼女が敵に当たる北郷を確かに認める旨の発言をした。

 

その事実を認めた時、無意識の内に孫尚香はごくりと生唾を飲み込んでいた。

 

「…………うん、分かった。そう伝えておくね!」

 

明るさが自らの売りだと考えている彼女は、動揺を隠して気丈に振る舞う。

 

それがバレていようとなかろうと、そう振る舞うことが彼女の矜持であった。

 

 

 

それから暫し互いに交換出来る情報を交換した後、孫尚香は部隊を後にする。

 

「それじゃ、今回はありがと~!劉備さんに宜しくね~!」

 

蜀にとっては正式に認可された作戦では無いとあって、説明諸々は全て徐庶が引き受けると言い切っていた。

 

それをはっきりと、しかも強く言われてしまえば、孫尚香としても最早することは残っていない。

 

今回の事の成行きが今後の呉の方針を決めるために必要ということもあり、孫尚香は発つことにしたのである。

 

蜀の面々に笑顔を向けて挨拶した後、前方へと向き直った彼女の顔には、既に笑顔は欠片も残っていなかった。

 

その胸中に渦巻くは、後々戦場に赴くことになるであろう二人の姉への心配。

 

どうか二人の姉が戦場で北郷とかち合いませんように。

 

気が付けばそんなことを祈ってしまっている孫尚香なのであった。

 


 
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