No.863662

汐のみちひきと ともに

インターフェイスにより、ひとはAIとつながった。
しかし、すべてのひとではなかった。ふたりは、それを選ぶ。

2016-08-15 02:02:27 投稿 / 全16ページ    総閲覧数:420   閲覧ユーザー数:420

   汐のみちひきと ともに

 

 

 

 まっすぐな舗装道路。

 

 さまざまな、色が飛びかう。

 

 文字。イラスト。写真。ポップ。CG。

 

 バーチャルなのに、今、そこにみえる。

 

 AIが人につながった日、まちは一変した。

 

 AI搭載人体接続型インターフェイス。

 

 今では、「インターフェイス」と呼ばれるそのAIは、人の思考を読み取

り、インターネットからさまざまな情報を人の目に見せた。

 

 まち、そのものは変わらない。

 

 舗装道路。ビル。民家。商店。オフィス。

 

 道路には、車が走り、人や自転車が行きかう。

 

 だが、人々の目には「インターフェイス」の映し出すさまざまな情報が、絶

えず見えていた。

 

 右耳の上部に埋め込まれた「インターフェイス」は、脳波から人の思考を読

み取り、パーソナルプロジェクターに検索した情報を映し出す。

 

 パーソナルプロジェクターは「インターフェイス」の表示装置だ。

 

 主流はめがね型だが、さまざまな形の商品が出回っている。

 

 今では、どのパーソナルプロジェクターを身につけるのかも、ファッション

そのものとなっていた。

 

 まちには、色鮮やかな、バーチャル広告が飛びかう。

 

 ひとは思うだけで、目にみえる情報を手に入れることができた。

 

 いきたい店の場所、商品の情報、そこへのナビゲーション。

 

「インターフェイス」は、人類必携のツールとして世界中に広がっていった。

 舗装道路を砕く、削岩機の音。

 

 アスファルトを焼きつける、強烈な日ざし。

 

 舞いちる、土ぼこり。

 

 その中で、和宏は、必死に土を運んでいた。

 

 もう、8月も終わりになるというのに、太陽は容赦がない。

 

 まとわりつく、熱気。

 

 流れおちる汗。

 

 和宏は、休むこともなく、必死に一輪車で土を運ぶ。

 

 生きるためには、ぜいたくは言えない。

 

 和宏のようなものがありつける仕事は、こんな仕事しかない。

 

 インターフェイスが普及しても、ひとがやらなければいけない仕事はなくな

りはしなかった。

 

 インターフェイスを持たない和宏のようなものは、そんな仕事をするしかな

かった。

 

「和宏。こっちだ」

 

 現場監督が、クーラーのきいた重機のなかから、マイクでさけぶ。

 

「はい」

 

 和宏は、さけびながら一輪車を押してはしった。

 

 インターフェイスがあれば、さけぶ必要はない。

 

 思うだけで、了解を示すスタンプが表示される。

 

 どこを掘り、なにを動かす。

 

 重機の操作にもインターフェイスの指示が必要だった。

 

 インターフェイスがなければ、重機も動かせない。

 

 免許すら取れない。

 

 免許試験の申請から、受験、免許の手続きなど、今やインターフェイスを通

しておこなわれていた。

 

 インターフェイスを使用しないで受験する方法も、存在はした。

 

 しかし、試験の指示もインターフェイスで受けるのだ。

 

 合格するものは、いなかった。

 

 熱気。汗。舞いちる泥。

 

 和宏は、ただ、黙々と土をはこんだ。

 

 日が傾くまで、土をはこびつづけた。

 

「よっしゃ。今日はあがりだ」

 

 現場監督の大声がとんだ。

 

 作業をしていたものたちは、だまって帰り支度をはじめた。

 

 インターフェイスを通じて、あいさつのスタンプを送りあっているのだ。

 

 声を掛けあう必要もなかった。

 

 和宏は、タオルで汗をぬぐった。

 

 和宏に声をかけてくるものは、いない。

 

 インターフェイスであいさつをかわしているものには、分からないのだ。

 

 和宏に、だれも声をかけたいないことが。

 18年間、そうだった。

 

 もう、和宏には、それが日常だった。

 

 小さいころから、そうだ。

 

 和宏の両親もインターフェイスを持たなかった。

 

 いや、持てなかった。

 

 すべてのひとが、インターフェイスにつながれるわけではなかった。

 

 脳波波形とインターフェイスの相性問題。

 

 いくら技術が進歩しても、どうしてもこえられない壁。

 

 ひとは、工業製品ではないのだ。

 

 脳波の波形もパターンも、ひとり、ひとり、それぞれがちがう。

 

 その当たり前のことが、単一化されたAIとの不適合を生んでいた。

 

 いくらインターフェイスの技術が上がっても、人類の一定数はインターフェ

イスと適合できなかった。

 

 和宏の両親も、その中にふくまれた。

 

 そして、そのために貧しい暮らしを強いられた。

 

 和宏は、乳幼児検査で、インターフェイスと適合できることは分かってい

た。

 

 でも、適合できるだけでは、どうすることもではない問題があった。

 

 成長に合わせて、年齢に応じたインターフェイスへ換装が必要だった。

 

 そして、成人するまで、検診や調整、さまざまな処置が必要だった。

 

 ひとりが成人するまでに必要になる費用は莫大なものになった。

 

 国から補助金が交付されていたが、とてもそれでまかなえる額ではない。

 

 和宏のように、両親がインターフェイスを持たない家庭の子どもは、みんな

インターフェイスを持てない。

 

 それが、現実だった。

 

 夕日に照らされて、工事現場の人々が帰っていく。

 

 和宏は、汗をぬぐうと、カバンの中からだてめがねをだした。

 

 まちを行きかう人々はみんな、パーソナルプロジェクターをつけている。

 

 和宏がなにもつけずにまちを歩くだけで、人目をひいてしまう。

 

 いつも、なにもうつらない、だてめがねをかけて歩くしかなかった。

 

 和宏は、カバンを肩にかけて歩きだした。

 

 だれにも、声をかけず。

 

 だれからも、声をかけられずに。

 なみのおと。

 

 砂浜に、なみが寄せては、ひいていく。

 

 白いなみが、どこまでもうつくしい模様をえがく。

 

 かすかにかおる、汐のかおり。

 

 青い海が、(くれない)にそまりながら、夕日が消えていく。

 

 和宏は、それを見るのが好きだった。

 

 行きかう人々は、だれも見てはいない。

 

 インターフェイスの映し出すさまざまな情報に、目を奪われている。

 

 海を、夕焼けを、うつくしい景色を、見るひとはいなかった。

 

 和宏には、インターフェイスを持つひとの見る景色は、わからない。

 

 でも、このうつくしい海が、きれいな夕日が見られるなら、その方がいいと

思う。

 

 歩きながら、いつも海をみていた。

 

 季節が、時が、海をさまざまにかえていく。

 

 そのとき、そのときに、美しさがあった。

 

 和宏は、それとともに、ゆっくり歩きながら家までかえるのだ。

 

「あっ」

 

 前を歩いていた女の子が、右耳を押さえて座りこんだ。

 

 高校の制服をきた子だ

 

 そのまま、座りこんでいる。

 

「大丈夫、ですか?」

 

 和宏は思わず声をかけた。

 

 和宏はインターフェイスを持たない。

 

 インターフェイスを持つものは、インターフェイスでコミュニケーションを

とる。

 

 和宏が、ほかのひとと会話するのことは、ほとんどない。

 

 和宏は、声をかけたはいいが、そのまま立ち止まっていた。

 

 みんな、インターフェイスのスタンプで返事をする。

 

 それが通じない和宏を、不思議そうにながめる。

 

 いつも、そうだった。

 

「ごめんなさい。大丈夫です」

 

 でも、その女の子は返事をした。

 

 和宏は、驚いてその女の子をみた。

 

 和宏とおなじくらいの年の子だった。

 

 地元の高校の制服を着ている。

 

 肩にかかるセミロングの髪が、風にゆれていた。

 

 少しやせているように、みえた。

 

 和宏は、どうしていいか分からず、立ちどまったままだった。

 

 その女の子が右耳を押さえたまま、和宏を振りかえった。

 

 やっぱり、やせいてた。

 

 でも、きれいだった。

「インターフェイスの調子が悪くて。ごめんなさい」

 

「あやまらなくても」

 

 和宏は、いつも逃げ出していた。

 

 インターフェイスがなくて、通じないから。

 

 いつも逃げ出して、立ち去った。

 

 でも、その女の子は、必死にあやまっている。

 

「立て、ますか?」

 

 和宏は、手を差し出した。

 

 どうしても、差し出さないといけない気がした。

 

「あっ。ありがとう」

 

 その女の子は右耳を押さえていた手をはなすと、和宏の手をとった。

 

 和宏は、泥に汚れた作業服を着ていた。

 

 インターフェイスがないのが分かってしまうから、髪ものばしている。

 

 和宏は「身なりをととのえたら、モテるのによ」と、現場監督にいわれたこ

とがある。

 

 その女の子は、立ち上がった。

 

 がっしりした体格の和宏からすると、その子は小さくみえた。

 

 その女の子が、和宏を見あげている。

 

 和宏は、急にはずかしくなった。

 

「じゃぁ、気をつけて」

 

 あわてて、にぎっている手を離すと歩きだした。

 

 2、3歩、あるいた。

 

 なぜだか、振りかえった。

 

 また、右耳をおさえている。

 

 まわりを見まわしている。

 

 その女の子の、その姿が見えたのだ。

 

「ごめんなさい」

 

 その女の子が、また、あやまっている。

 

「どうしたの?」

 

「インターフェイスが、とまっちゃった」

 

 その女の子が、和宏をみている。

 

「ナビがきえちゃった。今どこだか、わかんない」

 

「えっ」

 

 和宏には、本当に、インターフェイスを持ったひとのみる景色が、わからな

かった。

 うみを見ながら、ふたりは、ならんであるいた。

 

 うみが、夕日にきらきらと、きらめきだしていた。

 

「みんな、帰り道までナビつかってるんだ」

 

 和宏には、ただ、おどろきだった。

 

「考えるだけで、ナビか出ちゃうだもん。何となく、見ちゃうんだ」

 

 和宏が、その女の子の家をきくと、和宏の家の近くだった。

 

 海沿いの道から、住宅街に入り、路地をまがる。

 

 ただ、それだけだった。

 

 でも、インターフェイスになれたものには、それが、できなかった。

 

「なんか。助かっちゃった、ありがとう」

 

「イヤ。べつに、いいけど」

 

 前をあるく和宏の後ろを、その女の子は、ついて行く。

 

 後ろ手にカバンを持って、和宏を見ながら、ついて行く。

 

「ねぇ。あなた、インターフェイスつかってないの」

 

 ふいに、後ろから声がした。

 

 和宏の体が、ビクッと震えた。

 

 いつものことだ。

 

 ひととコミュニケーションをとると、いつも聞かれることだ。

 

 いつも、みんな、和宏にきいてくる。

 

 インターフェイスを持っているものには、わからないから。

 

 インターフェイスを持たないもののことが、わからないから。

 

 知りたいと。

 

 自分たち以外のものが、どのようなものであるのかと。

 

 ズケズケと、こころをのぞいてくる。

 

 でも、まわりはすべてなのに、和宏は、ひとりなのだ。

 

 和宏は、いつも、ただ黙ってすぎるのを待った。

「使ってないよ」

 

「わたしも。しょっちゅう、インターフェイスがとまっちゃうんだ」

 

「えっ」

 

 和宏が、はじめてきく言葉だった。

 

 和宏は振りかえった。

 

「わたし、インターフェイスと相性良くないんだって」

 

 その女の子は、わらっていた。

 

 夕日に照らされて、その笑顔はまぶしかった。

 

「あなた、すごいね」

 

「そうかな」

 

 和宏は、ただ、頭をかいた。

 

「わたし、インターフェイスがとまっちゃうと、とたんに困っちゃう」

 

 和宏は、その女の子をみていた。

 

 その女の子は、海をみていた。

 

 海が、夕日にきらめきだして、きれいだった。

 

「海。こんなにきれいなんだ」

 

 その女の子が、立ち止まった。

 

 和宏も、立ち止まった。

 

「今まで。海がきれいなんて、おもわなかった」

 

「あぁ。オレは、この海が好きなんだ。いつも見てかえるよ」

 

「本当。きれい」

 

 きらきらと、まぶしくかがやく、海があった。

 

 ふたりは、ならんで、それに照らされていた。

 

「そこの路地、はいったとこだよ」

 

 その女の子の、家はもうすぐそこだった。

 

 和宏は、目の前の路地を指さした。

 

「うん」

 

 和宏は、歩きだした。

 

 その女の子は、和宏を見ていた。

 

「あっ。名前」

 

 その女の子が、さけんだ。

 

「吉井和宏」

 

 和宏が振りかえる。

 

「わたし。三好朋美。今日は。ありがとう」

 

 和宏は、また歩きだした。

 

 インターフェイスがなくても、わかった。

 

 その女の子が、朋美が、いつまでも、たったまま、和宏をみつめていたこと

が。

 てりつける、太陽。

 

 昨日とおなじ、夏の、残り火。

 

 和宏は、今日も、土をはこんでいた。

 

 したたり落ちる、汗。

 

 舞いちる、土ぼこり。

 

 だが、少しだけ、ちがっていた。

 

 ときどき、和宏の頭に浮かぶ、あの笑顔。

 

 昨日あった女の子、朋美の笑顔。

 

 そのたびに、少し軽くなる土のおもみ。

 

 和宏は、黙々と土をはこんだ。

 

「よっしゃ。今日はあがりだ」

 

 現場監督が、いつものセリフで作業を終了した。

 

 和宏は、汗をぬぐった。

 

 だてめがねを、かけた。

 

 今日も、だれからも声はかけられない。

 

 だが、和宏は、だれにも声はかけなかった。

 

 いそいで工事現場をあとにした。

 

 海沿いの道へと、急いで歩きだした。

 

 和宏にも、なぜ急いでいるかわからなかった。

 

 約束したわけでも、ない。

 

 今日もおなじ時間に、いるはずもない。

 

 でも、あの海沿いの道にむかう足が、はやくなる。

 

 遠くに、夕日にきらめく海が、みえてきた。

 

 きらきらと、光をうけ、きらめいている。

 

 昨日、朋美が座り込んでいた場所。

 

 肩にかかるセミロングの髪が、風にゆれていた。

 

 振りかえる、あの笑顔。

 

「和宏くん」

 

 朋美が、手をふっていた。

 

 立って、朋美が、手をふっていた。

 

「三好…」

 

「朋美」

 

「ともみ、さん」

 

「うん。朋美でいいよ」

 

「どうしたの。インターフェイスとまっちゃった?」

 

 朋美が、わらっていた。

 

 あの笑顔で、和宏をみていた。

 

「大丈夫だよ。今日はちゃんと動いてるよ」

 

「そう。よかった」

 

「きれいなんだもん」

 

「なに」

 

「うみ!」

 

「えっ」

 

「和宏くんと海みたくて。まってた」

 

 朋美が、わらっていた。

 

 和宏は、ただ、その朋美の笑顔を、みていた。

 夕日にきらめきだした、海。

 

 夏も終わりになり、人気のなくなった、海。

 

 なみが、くり返しうち寄せる。

 

 波音が、ひびいてくる。

 

 くりかえし、くり返し。

 

 和宏と朋美は、ならんで海沿いの道をあるいた。

 

「和宏くん。海、おりてみない」

 

「べつに。いいけど」

 

 砂浜におりると、汐のにおいが、つよくなる。

 

 波音が、はげしくなる。

 

 夕日が、海に、近づいていく。

 

 きらきらと、きらめいていく。

 

「海って、本当に、きれいなんだね」

 

「オレ。この海。すきだな」

 

 和宏と朋美は、砂浜で、ならんで、海をみていた。

 

「和宏くん。わたしね。よくインターフェイスとまっちゃうんだ」

 

「相性、よくないんだったよな」

 

「うん。みんなきいてくるんだ。そのとき」

 

 朋美は、じっと海をみていた。

 

「なんで。どうしてって」

 

 和宏が、朋美をみた。

 

「だから、あやまっちゃう。いっつも」

 

 朋美が、笑顔で和宏をみていた。

 

「へんだよね。本当」

 

「朋美」

 

「なんでなんだろ。本当。おかしいよね」

 

 夕日が、きらきらと、海を照らしていた。

 

「変じゃない。オレはだまるよ」

 

 和宏が、じっと朋美のひとみを見つめた。

 

「何にもいえないから。オレはだまるよ」

 

 朋美が、本当に、わらった。

 

「和宏くんも、おかしいよ」

 

 朋美が、うれしそうに、わらった。

 

「本当。おかしい」

 

「そうかな」

 

「うん。おかしい」

 

 和宏もつられて、わらいだした。

 

 なみがきらめき、夕日が沈んでいく。

 

 波音が、いつまでも、ひびいていた。

 それから、ふたりは、ならんで海沿いの道をあるいた。

 

 夕日に照らされて、毎日、海をみながら、あるいた。

 

 高校が終わると、いつもの場所で、朋美が和宏をまっていた。

 

 和宏は、インターフェイスがないから、ひとと話すことがなかった。

 

 でも、朋美と歩きだしてから、いろんなことを話すようになった。

 

 朋美と、いろんなことを話すようになった。

 

「和宏くん、おかしい」

 

 朋美は、よくわらった。

 

 和宏は、わらったくれる朋美がいることが、うれしかった。

 

「和宏くん。日曜日は休みなの」

 

「工事ないから休みだよ」

 

「どこか行かない?」

 

「別にいいよ。どこ行ってもインターフェイスがないと楽しめないから」

 

 町中に、インターフェイスの情報があふれている。

 

 ショッピングモールも、テーマパークも、インターフェイスで楽しめるよう

につくられていた。

 

 どこも、インターフェイスのないものにとっては、ただの殺風景な建物でし

かなかった。

 

「わたし。それわかるなぁ」

 

「えっ」

 

「急にインターフェイスがとまっちゃうと、びっくりするもの」

 

「朋美は。そうだったな」

 

 なぜだか、和宏は、ひどく安心していた。

 

「インターフェイスがとまった瞬間。全部消えるの」

 

「オレには、ないものなんて、みえないよ」

 

「本当。おかしいね」

 

 もう、朋美の家が近づいていた。

 

「和宏くん。明日、いつもの場所にきて」

 

「あの、海のとこ?」

 

「そう。朝10時。まってるから」

 

 朋美が、手をふりながら、路地の奥にきえていった。

 和宏は、待ち合わせの30分前には、いつもの場所に着いてしまった。

 

 あれから、散髪にもいった。

 

 今日は、一番いいとおもう服を着てきた。

 

 Tシャツとジーパンだったが。

 

 朋美は、待ち合わせの少し前に来た。

 

「和宏くん。あっ。散髪したんだ」

 

 朋美が、わらった。

 

「おかしいかな」

 

「おかしくない。とっても似合ってるよ」

 

 和宏もわらった。

 

「海。おりよう」

 

「あぁ」

 

 あさの、海。

 

 太陽は、まだ、まぶしい。

 

 だが、9月にはいり、海をわたる風は心地よかった。

 

 今日は、なみもおだやかに、寄せてはひいている。

 

「和宏くん。こっち」

 

 朋美が、波消しブロックの上に腰をおろした。

 

 和宏もその横に腰をおろした。

 

 朋美が、持ってきた大きなトートバックをあけた。

 

 なかから、クレパスとスケッチブックをとりだした。

 

「和宏くん。海、描こう」

 

「絵?」

 

「そうだよ。わたし、インターフェイスがとまるから。お父さんがね。絵なら

インターフェイスがなくてもかけるからって。絵画教室に通わせてくれてる

の」

 

「オレ。描いたことないよ」

 

「大丈夫だよ。教えてあげるから。ほら」

 

 朋美が、和宏にクレパスとスケッチブックを押しつけた。

 

「じっと見て、うかんだものを描いちゃえばいいから」

 

 和宏は、どうしていいかわからず、クレパスとスケッチブックをみた。

 

 じっと見る。

 

「和宏くん、そっちじゃないよ。海みるの」

 

「あぁ。そうか」

 

「和宏くん、おかしい」

 

 朋美が、わらった。

 

 和宏も、わらった。

 

 和宏は、海をみた。

 

 いつもみている、海。

 

 季節が、時が、さまざまにかえていく、海。

 

 そのとき、そのときに、美しさがある、海。

 

 今、朋美とならんでみている、海。

 

 それを、みつめた。

 

 和宏は、青いクレパスを手にとった。

 

 なみが、寄せては、ひいていく。

 

 くり返し、なみが寄せてはひいていく。

 

 とどまることはなく、でも、常にうねりつづけて。

 

 かわることはなく、でも、いつもちがう。

 

 やさしく、厳しく、常にともにある。

 

 その海が、そこにあった。

 

「和宏くん、うまいよ」

 

「えっ」

 

 和宏は、青いクレパスで、海をえがいていた。

 

「和宏くんの海。波がうねってるもん」

 

「そうかなぁ」

 

「和宏くん。すごいね」

 

 朋美が、わらっている。

 

 そのひとみが、日の光をうけ、キラキラとかがやいている。

 

 和宏は、急にはずかしくなった。

「朋美は、イラストレーターとかなるの」

 

 和宏はスケッチブックを置いた。

 

「わかんない。インターフェイスが動かなくなったら、高校もどうなるかわか

んない」

 

「授業。インターフェイスでうけるもんな」

 

 和宏が、高校も行かずに働いているのは、インターフェイスがないからだっ

た。

 

 学校の授業のさまざまな情報も、インターフェイスでやりとりする。

 

 インターフェイスのない者がつかう、タブレットはあった

 

 だが、ただ考えて動かすインターフェイスと、手で操作を必要とするタブレ

ットでは、操作速度がちがう。

 

 インターフェイスを持たないものは、ほとんど勉強について行けなかった。

 

「和宏くんは、インターフェイスに適合するんでしょ」

 

 この間、そのことは朋美に話していた。

 

「お金ためて、インターフェイス買えば、高校もいけるんじゃない」

 

「とても、かえる額じゃないよ」

 

 AIの搭載されるインターフェイスは、高級車がかえるほどの値段だった。

 

 そのため、政府が、補助金を出していた。

 

 だだし、それには条件があった。

 

 乳幼児期の装着と、その後の機種交換のみ。

 

 個人の意思でインターフェイスを購入することは、高級品の購入と見なされ

た。

 

 セレブたちは、いろいろな機能がプラスされた高級なインターフェイスを購

入して使用していた。

 

 だから、補助金の支給には制限があった。

 

「そうかぁ。和宏くん。方法ないのかなぁ」 

 

 朋美が、急にちかくに視線をうつした。

 

 インターフェイスで検索しているのだ。

 

 朋美はパーソナルプロジェクターに、片方の目の前にスクリーンがあるスカ

ウタータイプを使っていた。

 

「インターフェイスがとまったときに、邪魔にならないの」

 

 この間あるいているときに、朋美はそう言ってわらっていた。

 

 朋美は、パーソナルプロジェクターをみつめていた。

 

「和宏くん。特別申請っていうのがあるよ!」

 

「特別、申請」

 

 和宏は、はじめてきいた。

 

 だれも、教えてくれなかった。

 

 必要なことはインターフェイスでしらべられる。

 

 インターフェイスのないものは、情報すら手にはいらない。

 

「今から市役所、いってみようよ」

 

 朋美がトートバッグにスケッチブックをしまいながら、立ち上がった。

 

「今日、日曜日だよ」

 

 和宏は、波消しブロックにすわったままだった。

 

「大丈夫だよ。AIの末端があるもの。手続きできるよ」

 

 朋美が、和宏の手を、ひいた。

 

 そのまま、走り出した。

 市役所の入り口の横に、モニターが設置されていた。

 

 モニターには、妙に現実感のない等身大のバーチャル女性がうつっていた。

 

 その女性が、かたまった笑顔のまま、おじぎをする。

 

「ご用件を、どうぞ」

 

 そのまま、視線の合わない目で、こちらを見ていた。

 

 みんな、情報のやりとりは、インターフェイスでおこなう。

 

 情報待ちの待機姿勢なのだが、インターフェイスをもたない和宏には、ただ

不気味でしかなかった。

 

 朋美が、パーソナルプロジェクターを見つめながら操作する。

 

「特別申請。了解しました」

 

 バーチャル女性が、宙をみながら、音声を発する。

 

「未装着者用の入力パネルを表示します」

 

 モニターの中央に、申請用紙の映像と、タッチパネルが表示された。

 

「和宏くん。これでできるよ」

 

 朋美が、笑顔で振りかえった。

 

 朋美の笑顔が、和宏のみた中で、一番うれしそうにみえた。

 

 和宏は、モニターの前に、たった。

 

 手が震えた。

 

 今まで、おもいもしなかった。

 

 自分が、インターフェイスを持てるようになるなんて。

 

 方法が、あるなんて。

 

 ひとつ、ひとつ、項目を入力していく。

 

 書類の項目が、ひとつ、ひとつ、埋まっていく。

 

 これが、すべて埋まれば、インターフェイスが手にはいるのか。

 

 横で、朋美がみつめている。

 

 書類の入力が終了した。

 

 あとは、決定ボタンを、押すだけだ。

 

「和宏くん」

 

 朋美が、無意識に、和宏の腕をにぎった。

 

「あぁ」

 

 和宏が、決定ボタンを押した。

 

 画面が、切り替わる。

 

「相続もしくは譲渡をうけるインターフェイスの識別コードを入力してくださ

い」

 

 妙に現実感のない等身大のバーチャル女性の、無感情な声が響いた。

 

「えっ。なに。どうして!」

 

 朋美が、あわててパーソナルプロジェクターをみつめた。

 

 和宏も、呆然とたっていた。

 

「ご入力を、どうぞ」

 

 妙に現実感のない等身大のバーチャル女性の、無感情な声が響いていた。

 

 朋美が、自分のパーソナルプロジェクターを、ただ見つめていた。

 

 和宏の腕をにぎった、朋美の手が、ふるえていた。

 

 朋美のこえも、ふるえていた。

 

「ごめんね。和宏くん。ごめんね」

 

 ただ、ふるえていた。

 

「もう、使わなくなった」

 

「朋美」

 

「使わないひとから。ゆずってもらったときの、申請なんだって」

 

「朋美」

 

「ごめんなさい。ごめんなさい」

 

「あやまらなくてもいいよ。朋美。朋美があやまらなくていい」

 

 和宏が、自分の腕をにぎる朋美の手に、手をそえた。

 

「かえろう」

 

 ふたりは、ならんで、歩きだした。

 なみのおとが、くり返しきこえた。

 

 砂浜に、なみが寄せては、ひいていく。

 

 白いなみが、どこまでもうつくしい模様をえがいていた。

 

 和宏と、朋美は、ならんで歩いていた。

 

 朝はまぶしかった太陽も、今は、雲にかくれていた。

 

 いつもは、歩きながら、ふたりで海を見ていた。

 

 そのとき、そのときに、美しさがあったはずなのに。

 

 ふたりで、笑いあっていたはずなのに。

 

 そこにあるのは、ただ、静かに波音をたてるだけの、海だった。

 

 前をあるく和宏のあとを、うつむいた朋美がついて行く。

 

 もう、朋美の家の近くだ。

 

 和宏が、振りかえった。

 

「朋美。海、おりてみないか」

 

「うん」

 

 ふたりは、砂浜におりた。

 

 もう、夏もすぎて、誰もいない。

 

 ただ、波音だけが、ひびいていた。

 

 ふたりは、ならんで、海をみていた。

 

 朋美が、じっと海をみたまま、つぶやいた。

 

「なんだか。わたしたちみたいだね。うみ」

 

 波音が、きこえた。

 

「波がきたと思ったら、すぐ、ひいちゃう」

 

 波音が、きこえた。

 

「うまくいったとおもったら、すぐになくなっちゃう」

 

「朋美」

 

「インターフェイスが使えないだけなのにね。本当。おかしいね」

 

 朋美が、和宏をみた。

 

 朋美は、わらっていた。

 

「わたしたち。どうなっちゃうんだろぅ」

 

 とても、悲しそうだった。

 

「大丈夫だよ。朋美」

 

「和宏くん」

 

「なみは消えてもなくならない。また、なみは来るよ」

 

 朋美が、和宏を見つめていた。

 

「なくなったりなんかしない。海があるんだから。絶対なくなったりしない」

 

「和宏くん」

 

「オレも。今までちゃんと、生きてこれた。だから、大丈夫だ!」

 

「和宏くん」

 

 見つめる朋美の目から、涙が落ちた。

 

「なんで、なみだ、出ちゃうんだろ」

 

 朋美が、なみだをぬぐった。

 

「本当。おかしいね」

 

 朋美が、わらった。

 

「朋美。いつまでも、うみ、見てような。いつまでも」

 

「うん」

 

 雲間から、太陽が顔を出した。

 

 ならんで、うみを見ている和宏と朋美を、てらした。

 

 ふたりの向こうで、うみは、きらめいていた。

 次の日は、海沿いの道の、いつもの場所に、朋美の姿はなかった。

 

 和宏は、ひとりで海をみながらかえった。

 

 その次の日も、朋美の姿はなかった。

 

 また、和宏は、ひとりでうみを見ながらかえった。

 

 だが、和宏が家にかえりつくとすぐ、朋美から電話がかかってきた。

 

「朋美」

 

「和宏くん。ごめんね。今から出てこれない」

 

「いいけど」

 

「じゃぁ、いつもの場所でまってるから」

 

 電話は切れた。

 

 和宏は、家を飛びだした。

 

 波音が、きこえた。

 

 はしった。

 

 なみが、寄せては、ひいていた。

 

 うみが、夕日にきらめいていた。

 

「朋美」

 

 和宏が声をかけると、朋美がにっこりとふりかえった。

 

「和宏くん」

 

 朋美は、いつもの場所で、海をみていた。

 

「ごめんね。急に呼びだしちゃって」

 

 朋美は、和宏の来るのを、海をみて待っていた。

 

「どうしたの?」

 

「うん」

 

「海。きれいだな」

 

「うん」

 

 和宏は、朋美の横にならぶと、いっしょに海をみた。

 

 なみが、打ちよせる。

 

 くり返し、打ちよせる。

 

 白いなみが、誰もいない砂浜に、模様を描いていく。

「わたし。無理って。いわれちゃった」

 

 朋美は、海をみていた。

 

「これ以上。インターフェイス。調整できないんだって」

 

 朋美は、海を、ただみていた。

 

「あなたには、インターフェイスはつかえませんって。はっきり言われちゃっ

た」

 

 朋美が、和宏に、顔をむけた。

 

「明日、インターフェイスの摘出手術があるの。すぐ終わるんだよ」

 

 朋美が、和宏を、みていた。

 

「インターフェイスの識別コードがあれば。和宏くん。インターフェイスもて

るんだよね」

 

 朋美が、和宏を、まっすぐみていた。

 

「わたしの。インターフェイスをつかって」

 

 潮騒の音がきこえた。

 

「和宏くん。大丈夫だよ。ふたりが入れかわるだけだから」

 

 みちては、ひいてを、くり返し。なみの音がきこえた。

 

「和宏くんが、今まで生きてこられたんだもん。大丈夫。本当、大丈夫だよ」

 

「朋美」

 

 和宏は、しっていた。

 

 持つべきものを、持たないことが、いかにつらいかを。

 

「わたしには。もう使えないから!だから!」

 

 和宏は、朋美の手をにぎりしめた。

 

「朋美…。絵を描こう。ふたりで、かならず」

 

 汐は、みちては、ひいていく。

 

「いつまでも、ふたりで。うみをみて。絵を描こうな。かならず」

 

「うん」

 

 波は、遠く離れて、また、そのもとに戻ってくる。

 

 いくども、いくども、繰りかえす。

 

 そして。かならず。

 

 

 

 砂浜に、うつくしい波跡(なみあと)をのこす。

 

 

 

 ふたりが出会った日のまま、海はそこにあった。

 

 和宏と朋美は、それを見ていた。

 

 ふたり、ならんで。

 

 手を、にぎり合って。

 

 つよく、にぎり合って。

 

 潮騒が、いつまでも、いつまでも、ひびいていた。

 

 ふたりを包み込むように、うつくしい海があった。

 

 どこまでも。

 

 どこまでも…

 


 
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