一刀が極秘の任務より帰還したその日の晩、幸せの余韻と共に眠りに衝き、しかし翌朝の目覚めが非常に好く無かったことは先刻説明した通り。
一刀が気分を害した理由は、その晩に見た夢の所為。
ではそれがどんな夢なのかと言うと。一言で言うならば、不思議満載の意味不明な夢、だった。
始めからだったのか、それとも夢の途中から切り替わったのかは定かでは無い。
ただ恐らく、一刀が知覚している範囲においては、確かにそれは”明晰夢”に分類されるだろうものであったということだ。
覚えている夢の内容は、一刀がある空間に立ち竦んでいるところから始まる。
周囲の景色は真っ白なようでいて街中のよう、かと思えば森の中であり気が付けば城の中、次の瞬間には戦場の只中。
要するにいずれか一種類の景色として認識できないという摩訶不思議な状況にも関わらず、一刀の意識だけははっきりしていたのだ。
そのはっきりしたままの意識が移り変わる景色を認識する。全ての景色は過去、一刀自身が何処かで目にしたことのあるものだと。
その異様な状況から、一刀は昔耳にしたことだけある”明晰夢”という現象に思い至った。
しかし、だからと言ってそれの対処法だとか、或いはそもそもこれが自らに悪影響を及ぼすのかそうでないのかすら知らない。
ただ漠然と、そうなのだろうと知覚しただけであった。
次に何をするべきなのか、それとも何もする必要が無いのか。何も分からないままでボーっとしていると、不意に一刀の隣に人が湧き出てきた。
接近に気が付かなかった、だとか知覚不可能なスピードで動かれた、だとかの類では無い。
本当にいつの間にか、一刀の隣にはまるで初めからそうであったかのように一人の人物が佇んでいた。
ただ、奇妙なことに一刀はその人物をはっきりと認識することが出来ない。
どうやっても焦点が合わせられず、ぼんやりと霞んで見えていたのだった。
そこもまた、それが夢なのだと確信を強める材料の一つとなっていた。
ぼんやりとながら、その人物が随分と良いガタイをしていることは分かる。
それ以上の情報は得られそうにも無いと分かると、一刀は視線を正面に戻す。
そして未だに様々移り変わる景色を見るともなく見ていると、段々とその景色が不明瞭なものとなっていく。
夢とは記憶の整理と聞いたことがある。それを考えれば、これは半ば忘れかけているような昔に目にした景色ということか。
これまたぼんやりとそんなことに思考を費やしていると、不意に音が響いた。
それはただの音のようで、意識すれば音声にも聞こえる、そんなもので。
――――――この地。ここで徐晃ちゃんは――――
意識的に聞き取れたのはその一部だけだった。
その音が響いている間だけ、移り行く景色はその動きを止めていた。
しかし。そも不明瞭な上、一刀自身がそこをどこだかなんて一目で分かるはずも無い。
いやそれ以前に、そもそもこれは一刀の夢であるはずなのに、一刀の中に菖蒲が危地に陥ると判断出来るような情報が蓄積されていなかった。
ならばこれはどういうことだろう、と一刀は考える。
最早覚えてもいないような過去の乱雑な記憶が適当に繋がり、偶然意味を持ったかのように見えただけか。
そんな結論に落ち着こうとした刹那、微かな空気の振動を感じる。
いつの間にか消えゆこうとしている隣の人影の、その口元らしき場所が震源となっているそれは。
一音一音噛み締めるように空気を震わせていた。曰く、『し・ん・じ・て』――――信じて。
その四音を理解した直後、一刀は夢から覚めたのである。
こうやって改めて思い出してみても、意味が分からない。
しかし、もしも本当に菖蒲に危機が迫っているのであれば、これを救うために行動しない理由が無い。
何をするにしても情報を集めないと始まらない、ということで、一刀は起き抜けから早速行動を開始したのである。
どういった理由か、夢で危機を名指しされたのは菖蒲一人だけ。
そこでまずは菖蒲がどこに向かって出たのかを尋ねることにした。
と、朝の定例の軍議前の執務室には都合よく華琳と桂花が詰めており、むしろここで必要な情報を全て聞き出してしまおうと心に決める。
朝の挨拶もそこそこに、一刀は件の話題を切り出す。
「ちょっと聞いておきたいんだけど、菖蒲も賊の対処で出てるんだったよな?
それってどこなんだ?」
「また急に、どうしたって言うのよ?
ま、あんたのことだから、また天の知識かその類に関わることなんでしょうけど。
えっと、菖蒲だったわね?
あれには漢中手前の邑に向かってもらっているわ。まだ小さいながらも実際に被害まで出ていたから、文武に通じて素早く動ける菖蒲を出したのよ。
ちなみにその奥の天水の更に奥側、漢王朝としての国境線付近からも報告が上がっていたの。
こちらには火輪隊の半数にその他の兵を加えて、月、詠、恋に任せたわ。
両者の間くらいの邑の救援に騎兵を中心として霞と蒲公英を出していて、そちらが終わり次第月たちに合流させる手筈よ」
「なるほど……結構固まっているのか。それも西の方に。
ってことは、見つかってる賊の連中ってのは、五胡からの侵入者なのか?」
「目撃情報からだけじゃあ、はっきりとは言えないわね。
ただ、一部に関してはほぼ間違いなくそうでしょうね。特に、火輪隊を出した辺りなんかは」
場所が場所だけに、その予測は一刀も同意するところだった。
しかし、自分で発言しておきながら、全てが全て五胡の仕業だとは信じていない。
例えば菖蒲が出ているという漢中手前の邑。
そこまで来ると随分と五胡との国境から離れている。それほどまでの間、魏の張った警戒網に全く掛からないというのは考えにくい。
仮に蜀側との国境からそこまで侵入を果たしたのだとして、今までずっと五胡との最前線で戦って来た馬騰がいて、それを易々と許すとも思えない。
従って、一部は確かに五胡の侵略でありながらも、その他は恐らく大陸で発生した賊。
それが状況を頭に置いた上での皆の見解だった。
「っと、それよりも。菖蒲は漢中か。う~ん……それだけじゃあ何とも……
そこに限らず全体的なことを聞くけど、背後がありそうなところはあったのか?」
「今のところは無いみたいね。桂花が腕利きの間諜を出して各地の周辺に潜んでいる軍が無いかを探らせているわ」
「腕利き、ね……」
チラと桂花に無言の問いを乗せて視線を送れば、察した桂花はこれに小さな頷きで返す。
桂花が振った首は縦――肯定。つまり、その腕利きとは黒衣隊員で間違いないということだ。
任務の性質上、出したのは戦闘や潜入よりも情報収集に力を傾けた隊の者だろう。
彼らが周囲を探り、敵影無しと報告を上げたのであれば、まず間違いない。
「そうなるとますますよく分からないことになるな……
今度こそ、偶然が重なっただけ、だとでも言うのか?」
「まだ全てが終わったわけでは無いわ。まだ後数ヶ所、兵を出さねばならないところがあるのだから」
「そうだったのか。
……ん?だったら、そっちには誰を出すんだ?誰かが出立の準備をしている様子は無いけど」
「ああ、残りの箇所に関しては既に出した者に転戦してもらうのよ。
こうやって将を削っておいて、巧妙に部隊を隠しながら接近して許昌を強襲、って可能性も十分考えられるのよね」
いつぞや、魏が建業に仕掛けたそれの、事前準備を騒がしくしたようなものである可能性を華琳が示唆する。
実は、そのような隠密活動の類を許昌には近づけさせないための網が密かに張られている。
張っている網というのは勿論、黒衣隊の手に依るもの。
その効果の程はつい先日の建業の城内で偶々耳にしていた。
個人単位と集団とでは隠密の行動自体が色々と変わってくるものであるが、それでもなお、個人の隠密を弾けて集団のそれは出来ない、などということは無いだろう。
つまり、いざそれを仕掛けてきたとして、早期に察知して対応、必要とあらばそのまま出兵している将の下へ帰還令を携えて走ることも出来るのである。
それ故、一刀の中では許昌の防衛の心配よりも国境付近の将の身への心配の方が勝っていた。
「情勢なんかの諸々を考慮しても、許昌の防衛についてはあまり心配いらないだろうな。
いざとなれば季衣や流琉もいるし、梅と火輪隊の連中もいるだろ?
平野での会戦、こと実力派の将との一騎討ちともなるとまだ心配なところはあるが、籠城防衛戦であの三人がいて早々に陥落するようなことはないさ」
「あら?あなたも桂花と同じ意見なのね。まあ確かに、ここ最近のあの娘たちの頑張りは素晴らしいものよ。
貴方達の意見に否を唱えるつもりは無いわ」
「はい。加えて将の薄いこの間、許昌周辺に警戒に出す草の数は増やしております。
万事抜かりはありません」
桂花は報告ついでに華琳にそう告げる。
それは事実であって、黒衣隊員による警戒網は確かに厚くされていたのであった。
これを桂花の言動から読み取って一層心配の天秤を逆側に傾かせた一刀は、流れを無視し過ぎないよう注意しながら話を戻す。
「魏国の中心、本拠地たる許昌の防備は十分みたいだな。
となるとやはりその逆、国境付近に出た皆の方が心配だ。
さっき、残りは数ヶ所でそれらは転戦させて対処する、って言ってたと思うけど、それらの内のどれかが罠であるかは確認されているのか?」
「転戦の命を出したのと同時に調査に間諜を走らせているわよ。
報告はまず現地組に伝えさせているから、何事も無ければ間諜がこちらに帰って来る頃にはとっくに事は終わっているでしょうね」
「む……それはちょっと、怖いな」
民の被害を抑えるために転戦で対処速度を上げることは確かに良い判断だと思う。
しかしその一方で、距離のある本拠地との間には情報伝達にラグが生じ、”余程”のことが生じた場合、それが致命となりかねない。
これを指して一刀は”怖い”と評したのであった。
「大丈夫よ、一刀。菖蒲のところには零を合流させるし、斗詩と猪々子のところには稟を付けているわ。
武の面でも知の面でも、それぞれ大概の策はこなせるように構成してあるのよ」
「現状、最も危険な対五胡に部隊を固め、その他は知の面の充実から図る、か。
確かにそれならば以前と同じ轍は踏まないか……
ちなみに、その2部隊が行く先はどこで、そこの情報ってのはどうなっているんだ?」
「菖蒲と零に向かわせるのは上庸よ。賊の目撃情報が寄せられた地で、幸いまだ被害は無いわね。
斗詩と猪々子、それから稟に行ってもらうのは魏興ね。こちらは既に被害が出たらしいわ。早急に対処するよう、稟には既に伝えもしているわ」
「上庸……それに、魏興……う~ん……」
地名を聞いたところで一刀にはピンとは来ない。
と言うよりそもそも、元々一刀は三国志の内容について特別詳しいというわけでは無かった。
つまり、魏という国に仕えた将として有名な徐晃の名は知っていても、その軌跡について詳しいところは分からない。
どのような戦でどんな戦功を挙げ、どう戦い、そしてどう死んでいったのか。それがまるまる分からないのだ。
一刀が三国志の人物でその死に様までを知っている人物の数は少ない。
その数少ない内の一人が、偶々夏侯淵――秋蘭であっただけなのだった。
ただ――――。
いくらピンと来ずとも、やはりどうしてもあの夢が気にかかって仕方が無い。
それはどこか、定軍山のあの日に体験した不思議な出来事を彷彿とさせるところがあったからかも知れない。
「二人とも、情報ありがとう。
一先ず、他の線からも色々聞いてみて、それから俺なりの判断をすることにするよ」
「ええ、その方がいいでしょうね。
一刀、貴方の考えがどうなるのであれ、固まったのならば一度報告に来なさい。
私にとっても桂花にとっても、きっと今後の有益な参考になると思うのよね」
「ああ、分かった。そうさせてもらうよ」
もう一度、軽く礼を述べてから一刀は執務室を後にする。
二人と話したおかげで多くの情報が集まった。しかし、まだモヤモヤは晴れない。
これを晴らすべく、一刀は次に誰のところへ行こうかと思案しながら歩み始めた。
華琳と桂花、君主の立場と文官の立場からの意見と情報は既に得られた。
となれば、次は武官の立場からのそれが欲しいところ。
その両方を兼ね備えている秋蘭には後から纏めてみた意見の摺り合わせで話をしようと考えていた。
そこで一刀は、誰かいないかと調練場に足を踏み込む。
と、そこには3つの小柄な人影が鍛錬に勤しんでいた。
「あっ!お久しぶりです、一刀様!」
「ほんとだ!兄ちゃんだ!おっはよー!」
「兄様!おはようございます!お元気でしたか?」
梅がまず一刀を見つけ声を掛け、その声に反応して季衣と流琉もまた挨拶をくれる。
相変わらず元気いっぱいなその三人の様子に、一刀は笑みを浮かべながら挨拶を返した。
「おはよう、梅、季衣、流琉。
随分と空けてしまって悪かったな。
どうだ?鍛錬の方は順調に進んでいるか?今も三人で励んでいたみたいだけど」
「へっへ~ん!ボクたち、前に兄ちゃんが教えてくれた通り、流琉との連携を強化したんだよ!」
「へぇ。上手くいっているみたいだな。
それは流琉から見てもそうなのかな?」
「はい、兄様。相変わらず一対一での仕合では全然なのですが、季衣と二人で立ち向かえばほとんどの方に立ち向かえるようにはなりました」
「ほとんど?あ、恋か」
「はい。恋さんは、その……ちょっとお強すぎまして……」
「あ~、うん。恋はしょうがない。
元々十分以上に強かったのに、それが更に他の追随を許さないほどの速度で再成長を始めちゃってるからなぁ。
正直、近いうちにあの孫堅や馬騰ともサシで対等以上に渡り合えるようになるんじゃないのかな?」
「そんな馬鹿な、なんて言えませんね……恋さんなら十分にありえるかと」
改めて恋の化け物振りを再確認出来たおまけ付きの季衣たちの報告が終われば、次は梅の番となる。
話の切れ目に一刀が視線で梅を促すと、これに応えて梅が自らの成果を報告する。
「私は守勢における立ち回り方を工夫して増やしまして、想定外の攻撃にも対処出来るように、と試しているところです。
それと、交叉法を繰り出す為の見切りの眼を更に鍛えようかと思いまして……」
そこで梅は言葉を詰まらせてしまう。それが意味することは、と言えば。
「後者は上手くいっていないんだな」
「はい……申し訳ありません」
「いや、謝ることはないさ。
そもそも交叉法は実戦で用いるには色々と要求されるものが多くて、難しい技術の部類に入るだろう。
今の段階でも、ここまで梅がこれを使いこなせているのは賞賛に値することだよ」
「あ、ありがとうございますっ!!」
「それと。それでもまだ鍛えようと思うのであれば、月並みではあるけど、誰かと組んでまずは数種類の決まった技を無作為に繰り出し続けてもらうといいかも知れない。
最初は限られた枠の内を強化して、それを徐々に広げていくように。
こればかりはいきなり実戦の中で成長させようとしても厳しすぎると思うよ」
「な、なるほど……ありがとうございます、参考にさせていただきます!」
元々、一刀が許昌を発つ前からこの梅は斗詩と共に非常に武力の伸び率が良かった。
それをずっと維持出来ていたのかは定かでは無いが、少なくともあの後暫くは続くものであったろう。
その伸びで到達した地点から、更なる高みへと至らんと試行錯誤するその姿勢は一刀にとって、否、誰にとっても非常に好ましいものであった。
後々、必ず梅の鍛錬に付き合う旨を約しつつ、一刀はここに足を運んだ目的を果たすために表情を改める。
雰囲気の変化を機敏に察知し、三人とも口を噤んだところで、一刀は問い掛けの言葉を口にした。
「梅、季衣、流琉。三人とも、今の魏が置かれている状況は分かっているよな?
その状況を聞いて、そして他の将の皆が出立していく様子を見て、何か気になったこととかは無いか?」
「気になったこと?
魏の今の状況って、西の方に賊がいっぱい出て来てるって奴のことだよね?
う~ん……ボクは特に何も思わなかったかな」
「すみません、兄様。私も季衣と同じです。
秋蘭様や桂花さんと食堂の方で何度かお話をさせて貰ってはいるのですが、軍事判断に疎い私ではそこまで詳しいことは考えられませんので……」
季衣と流琉は一刀の問いに対してすぐにノーで答えてきた。
これについては半ば予想していたため、一刀としては、やはりか、という思いが強い。
入ってきた情報からあらゆる局面を想定し、その中で最善と思われる手を打つ軍師たちから見ても、今回の件は小さな違和を感じるかどうか、という程度なのだ。
武官の観点からのみでは特に思うところも無いのかも知れないな、と。そう結論付けようかと思っていたところに。
「あの……実は少々妙に思っていたことがありまして……」
梅のこの言葉が一刀に結論を出すことを保留させた。
「妙に?それはどんなことなんだ、梅?是非とも教えてくれ」
「あ、はい。
その、恐らく桂花さんなどは気付かれているのでしょうけれど、賊の報告が上がって来たのがどれも一定間隔だったな、と思いまして」
「一定間隔?ん~……そうだったか?
一応記録は見せてもらったんだけど、固めて報告があったり、少し間が空いたりしていたぞ?」
「いえ、その、すいません。報告が許昌に到達した時点では無くて、それぞれの砦などから伝令が出た時期のことなんです」
「ほぅ……ちなみに、それは確かなのか?」
「はい。ご存知でしょうが、私たち月様の軍は元々天水を拠点としておりました。
ですので、あの辺りから各地へと馬を走らせるための日数はある程度把握しているんです。
ただ、日数換算は私自身の経験から行ってみましたので、正確には少しずれがあるかと思います。
ですが、それでもなお、一定間隔だなと思ったんです」
梅が口にしたこの情報。これは非常に興味深く、かつ重要なことだと感じられた。
いくつもの賊がある時期に一定の間隔を空けて続々と発生する。
ありえないことでは無いのだろうが、確率的にありえるはずが無い。
「なるほど…………ありがとう、梅。
これは重要な判断材料になりそうだ」
「い、いえ!一刀様のお役に立てたのでしたら光栄です!」
本当に嬉しそうに笑みを浮かべる梅の頭を軽く撫でてやってから、一刀は最後の締めに向かうことにした。
「三人とも、時間を取ってしまって悪かったな。
今日はちょっとやることがあるけど、また今度ちゃんと時間を取って稽古を付けてあげるよ」
「うん!待ってるね、兄ちゃん!」 「お待ちしております、兄様」 「その時はよろしくお願いします、一刀様」
三者三様の言葉を背に受け、一刀は調練場を後にしたのだった。
最後に向かうは、初めからそうと決めていた人物、秋蘭のところ。
朝、床を抜け出してからは既にかなりの時間が経っている。
春蘭ならば或いはまだ寝こけている可能性もあるのだが、勤勉な秋蘭に限ってそのようなことは無いだろう。
秋蘭はその持ち合わせる才の都合上、文官仕事から武官仕事まで幅広い業務を請け負っている。
そんな彼女の居場所を探し出すのは中々に困難なことであった。
そこらの小姓や侍女に秋蘭の居所を知らないかを尋ね、幾度かのすれ違いを経てようやくその姿を視界に収める。
「お~い、秋蘭~。っと、
「兄上。お帰りなさいませ」
「無事の御帰還、言祝ぎ申し上げます、一刀さん」
「ああ。ありがとう、白、朱。
それで、秋蘭はどうして二人と?」
「うむ。実はお二人に禅譲の件について相談を受けてな。
皆、近々大きな戦が起こるだろうとする桂花たち軍師の予測に基づいて各々準備を進めているわけだが、それを終えて一段落着けば、正式に魏国を漢の後継国としたいそうだ」
秋蘭の答えに一刀は多少ならぬ驚きを示した。
実を言えば、この禅譲の話は以前から出てはいた。
協が許昌に来ることを決め、皇帝の座を辞すると既に決めていたのだから、当然と言えば当然のことだ。
しかし、それはその儀式の性質上、華琳か或は魏全体の諸々の調整を仕る桂花に相談すべき内容だろう。
一刀の示した驚きから秋蘭もその思考を読み取り、薄く笑んで付け加えた。
「それほど込み入った話をしていたわけでは無いぞ、一刀よ。
本当に簡単なことだ。例えば、華琳様は必要以上に形式張った儀式をお嫌いはしないか、とかな。
ちなみに、もうそれも終わったのだがな」
「ああ、なるほど」
確かに、その程度のことであればわざわざ華琳の下を尋ねてその手を止めてまで聞き出すようなことでは無いように思える。
その辺りを良く知っているであろう、予てよりの腹心たる秋蘭に聞きに来ていたことも辻褄が合う。
ならば、もうこの件はこれ以上考えずとも良いか、と一刀はそう考えた。
「だったら、秋蘭。ちょっと最近の西方の動きと魏の対応について、意見を聞きたい」
「ふむ。話してみてくれ」
秋蘭が促したことで一刀は今日集めた様々な情報をまず彼女に伝える。その後、自らの予測、考えを口にした。
「梅が言っていたことはかなり気になる。
これは相当人為的に仕組まれたことのような気がするんだ」
「ふむ……確かに妙、だが……
これは一刀も言っていたが、以前の定軍山の時とよく似ている状況ではないか?
いや、むしろその間隔を少しでも散らして隠そうともしていないところはその時以下のようにも思える。
これに狙いがあるとして、わざわざ退化した策を用いる理由はあるのか?」
「う~ん…………やっぱり、それは愚策の匂いが強すぎるよなぁ。いや、むしろ匂いすぎる……のか?」
「あ、あの……」
一刀と秋蘭が頭を抱えて案を捻り出そうとしていると、すぐ側では話を聞いていた白が小さく手を挙げていた。
「ん?白、何か気になることが?」
「はい。その、馬寿成さんと孫文台さんが連絡を取られていた形跡がある、とのことでしたよね?
それと、動くのは寿成さんらしいようなことも」
「ああ、そうだけど」
「でしたら……寿成さんは本当に動いているかも知れません」
「…………その根拠は?」
「ありません。ですが、母上が仰っていたことを思い出したのです。
寿成さんは自らが面白いと思ったことは多少不利であっても実行する人物だ、と。
その大半は戦のことに関連していたようでしたけれど」
チラと視線をやれば、弁も同意するように頷いていた。
つまり、有り得る話、ということだ。
「これは……余計に分からなくなってきたな……」
ただの嫌な予感から始まり、情報を集めて見れば事態には靄が掛かるばかり。
これでは余計にどう動くべきかを決めかねてしまうこととなる。
「三人とも、ありがとう。もうちょっと個人的に情報を整理してみることにするよ」
「うむ。また詰まるようなら相談してくれ。解決は出来なくても、整理にくらいは付き合えるからな」
「少しでも兄上のお役に立てたならば」
「また、個人的にでもいらしてください、一刀さん」
三人の下を去り、一人になって一刀は思案に耽る。
集めた情報を様々な角度や切り口から見て、これだと思えるものを探す。
が、そのようなものは終ぞ見つけられなかった。
そして、一刀は再び夢を見ることになる。
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第百十二話の投稿です。
許昌に戻って来てグダグダと。
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