<降って湧いたような着任辞令だ>
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マイ「艦これ」(みほちん)
:第1話(改3.4)<7月21日>
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ワタシモ、カエリタイ……
『彼女』の声が響く。
それは聞き覚えがあるのだが誰だったか?
思い出せない。
ただ懐かしく哀しい、何か胸が締め付けられるようだ。
……ギギギっという金属がこすれる音と小刻みな振動で体が震える。
続いて列車が停まった反動で体が座席から前に投げ出されそうになり目が覚めた。
「おっと」
思わず声が出た。
(……やれやれ、うっかり座席で居眠りしていたらしい)
さすがにヨダレを垂らす事は無かったようだが少々恥ずかしい。
ただ車内は閑散としていて誰にも見られて居ないようでホッとした。
半分開け放した窓からは夏の日差しに照らされた駅のホームが見えた。
「戻ってきたな」
私は呟いた。
列車は小さな無人駅に停まっていた。ここは鳥取県西部を走る境線。
寝ぼけ眼(まなこ)でボーっとしたまま窓の外を見る。長旅の疲れが出たかな?
……ちょうどそのとき背後から長い包みを背負った男性が通路を通り過ぎた。彼は両手に木製の道具箱を持っている。
(絵を描く人だな)
ピンときた。
そう思った瞬間、彼は私に会釈をした……歳は父と同じくらいだろうか。品(ひん)のある老人だった。私も会釈を返す。
外へ向かう彼の後ろ姿を見送りながら、この時世に絵を描くとは風流だと思った。
深海棲艦との戦いは終わる気配がない。だから市中で軍服を着ていると一般の人から会釈をされる。今のやり取りのように。
国全体、いや世界が戦時体制である。
だが我が国では国民が絵を描くこと自体、禁止されていない。むしろ積極的な趣味活動は社会の閉塞感を打破するものとして推奨されている。
(……でも、この山陰で絵画とは、あまり聞かないな)
都会から来た人だろうか? と思った。
客車を降りた男性を目で追いつつ駅名を見る。
「河崎口(かわさきぐち)か」
私は鞄からメモを取り出して確認した。
「確か、中浜(なかはま)か上道(あがりみち)の駅で降りれば良いはずだな」
……ガラガラと気動車の発動機が響く。降りた男性に入れ替わるようにして親子連れが乗り込んだ。
山陰の夏は湿気が多い。その熱気の中でディーゼルの排気臭と無数の鉄粉がキラキラと宙を舞うのが見えた。
「さっきの夢は……舞鶴か」
手帳を閉じて呟く。
忘れもしない。冬の日本海だった。
「この暑さとは裏腹に……か」
艦娘艦隊が敗北した季節。
……艦娘が出現した当初、某50年代には通常の艦隊と艦娘が並走して出撃していた。
だが某60年代の半ばには艦娘だけが出撃する戦い方が主流になっていた。
艦娘の方が戦力があり敵の攻撃への耐久性もある。だから人間が最前線で危険を犯す必要はない。究極のアウトレンジというわけだ。
もちろん未だ賛否両論ある戦法だ。
特に艦娘とのケッコンが合法化された某80年代半ばからは軍部内でも強行派と穏健派が対立するようになっていた。
この戦法が主流になったのは、かつて横須賀沖の海戦で、ある提督が艦娘をかばって亡くなったから、という説がある。
ただ不思議なことに、その提督が亡くなったという海戦記録は、どの公文書をひっくり返しても出てこない。もちろん該当する指揮官の名前も不明だ。
(一説に某60年代の半ば『66攻勢』辺りらしいが……まぁ軍隊に、よくある伝説の類かも知れない)
『66攻勢』とは海軍史の授業でも何度も出てくる敵の大反撃だ。歴史が苦手な私でもこの単語だけは忘れない。
無線技術の発達は艦娘戦闘の遠隔制御を可能にした。まさに究極のアウトレンジ。いつしか現海軍の艦娘による戦いにおいて指揮官が直接現地へ赴くことは皆無となった。
だが無線にも限界はある。気候条件などで途切れることも多い。特に近年は深海棲艦による電波妨害が著しい。
そして某92年、冬。私の指揮する艦娘の艦隊が深海棲艦に大敗する。
あの悪夢が果たして正確かどうか 正直、私にも分からない。
その後、軍には新しいパケット通信技術が導入され情報遅延による不具合は、かなり改善された。
(もっと早く導入されていれば……)
何度も悔やんだ。
さらにメモ帳をめくっていると別のページの『ショウコウ』という記述が眼に留まった。
「伝説の艦娘だな」
私は頭を掻いて記憶を手繰る。この艦娘は姉妹で、やたら強かった。当時の兵学校でも良く話題になった。
だがその後、彼女たちの艤装開発に絡む不正疑惑が発覚。政権交代と共にその艦娘たちの話題も自然消滅した。
当時、海軍内でも穏健派と強行派が分かれていた。それに巻き込まれたという噂だった。
強い艦娘が登場して敵をバタバタなぎ倒せば皆、幸せになる……という単純な話でもないらしい。軍部や政治の世界は難しいものだ。
「海軍もイロイロだよな」
呟いた私は先の男性が駅のホームで私の方を向いて敬礼をしているのに気付いた。
「おっ」
少し慌てた私も敬礼を返した。
街で私のような佐官を見かけても敬礼は義務ではないのだが。
(退役軍人だろうか)
そう思った。彼の敬礼が妙に型に決まっていたから。
「列車、発車いたしまぁす」
車掌の笛の音と同時に汽笛が鳴った。私の乗った客車は一瞬ガチャンという連結器の音を響かせた後に、ゆっくりと発進した。
敬礼を続ける男性を見ていた私は、あれ? と思った。
(どこかで出会ったかな)
彼の顔に何となく見覚えがあった。だが顔見知りではなさそうだ。
「気のせいか」
彼が視界から消えた後、私は改めて座席に座り直した。
今回、着任するのは鳥取県境港市にある美保鎮守府。
艦娘だけで構成された鎮守府。海軍でも、まだ珍しい存在だ。
今では艦娘だけで戦うことが主流になったが、それでも長らく艦娘だけの鎮守府は存在しなかった。
今でも軍での娘の存在を快く思わない強行派が敢えて敵に艦隊戦を挑むことがある。しかし結果は明白、ほとんど無意味だった。
なかなか艦娘だけの部隊が作られなかった理由が強行派連中の面子かどうかは知らない。
しかし一昨年、ようやく実験部隊の名目で山陰地方に初めて鎮守府が設置された。私は改めて自分で調べたメモを取り出して確認する。
<美保鎮守府>
・某92年7月21日開設:ちょうど2年前の今日だ。
・初代提督は女性:私の兵学校時代の恩師だ。だが半年くらい経った頃、突然彼女はその任を降りてしまった。理由は不明。
・以後の美保鎮守府では男性の提督が何人も着任:だが、いずれも長続きしなかった。理由は分からない。噂では艦娘との折り合いが難しいとか。最初の女性提督でも難しかったのに男性では、なおさらか。
・結局、半年前からは提督不在となっていた:強行派の多い海軍内部からも美保は潰せという意見が出ていた。そこに降って湧いたような男性への着任辞令……それが私だ。
しかし現実は、さきの如くの体たらく。
「私は名提督でも何でもない」
思わず肩をすくめた。
「そもそも初陣で全滅させているくらいだからな」
正直、艦娘の指揮は苦手だ。彼女たちが嫌いなのではない、むしろ逆で、つい艦娘だと手心を加えてしまうのだ。
だからあの海戦も悩んだ挙げ句の出撃だったから、つい判断が鈍った。
私は後悔と悔しさに唇を噛んだ。
……それ以来、慎重な指揮を心掛けたから艦娘の犠牲は出ないが戦果も芳しくない悪循環を繰り返し、周囲からも陰口を叩かれている。
今回の特例人事が誰の発案か分からないが軍の命令は絶対だ。
「海軍の上層部もきっと自棄(やけ)を起こしているに違いない」
私は苦笑して窓枠に肘をついた。
(ひょっとしたら私を当て付けて失敗した口実で、この鎮守府を終わりにするつもりか?)
そこまで考えて首を振った。
「止めよう、下手な考え休むに似たりだ」
私は分析を止めた。
……車窓には、のどかな田園風景が広がっていた。吹き込む風が嫌な気持を癒すようで心地良い。
以下魔除け
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※これは「艦これ」の二次創作です。
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PS:「みほちん」とは
「美保鎮守府:第一部」の略称です。
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某94年7月21日、美保鎮守府着任のため列車に乗っていた「私」は、あれこれ考えていた。