No.848410

河嶋桃のだいすきな稲荷寿司のおはなし

jerky_001さん

「食事」をテーマにした某所での合同企画に寄稿したSSです
※オリジナル設定を多く含みますので要注意。

2016-05-18 23:20:28 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:868   閲覧ユーザー数:856

好きな食べ物は何かと問われたら、私は迷わず稲荷寿司と答える。

 

他人からは爺婆臭い好みだとか、男の人のおいなりさんも好きなのかなぁ?とか、

好き放題散々な事を言われるが、好きなものは好きなのだから仕方ない。

 

思えば私が初めてそれを口にしたのは、まだ物心ついたばかりの頃。

母の帰省で母方の実家に連れられて行った時、おばあちゃんが御馳走として

用意してくれた茶色い俵状のそれは、母が普段食べさせてくれたハンバーグや

オムライスとは似ても似つかぬ色味で、とてもおいしそうには思えなかった。

多分、幼いなりに気を遣ったのだろう。嫌々ながらそれを手づかみ一口頬張ると、

じゅわっと甘辛い味付けのお揚げに具材たっぷりちらし寿司仕立ての酢飯がぱんぱんに

詰まっていて、その余りの美味しさに大はしゃぎしながらぺろりと平らげてしまったのを

覚えている。

それ以来、毎年盆の頃にはおばあちゃんの家に遊びに行くのが楽しみだったし、

母にも「おいなりさんたべたい!」と事ある毎におねだりして困らせていた。

 

「おばあちゃんはねぇ、昔は先生をしてたのよぉ?」

私が遊びに行く度、おばあちゃんはよく昔の話をしてくれた。

例えばそれは戦時中の話だったり、母の幼少の頃の話だったりで、子供の頃の私にとって

みれば退屈な話だったので、おいなりさんにかぶりつくのに夢中で殆ど聞き流していた。

だけど、おばあちゃんが教師をしていた頃の話だけは、不思議と食べる手を休め耳を

傾けていた。

おばあちゃんが高校の教師をしていた事。

とある学園艦に赴任し、若い頃に師事を受けた戦車道の経験を生かし選択必修科目の

顧問を務めていた事。

慕ってくれる沢山の生徒に囲まれ、とても楽しかった事。

練習試合や大きな大会の度に、手作りの稲荷寿司を生徒達に振る舞って、とても喜んで

くれた事。

懐かしそうに、だけど少しだけ悲しそうに話すおばあちゃんの顔が、今でも忘れられない。

 

私が小学六年生の頃、おばあちゃんは大病を患い倒れた。

おじいちゃんにも先立たれ身寄りのいなかった事もあり、母が看病するのに都合がいい様、

私達の家から近い都心の病院に入院する事になった。

最初は慣れ親しんだ故郷から離れるのを嫌がっていたそうだが、それでも最後には母の

説得に折れ、その提案を了承したらしい。

おばあちゃんが大好きだった私は、母がお見舞いに行く度その後について行き、いつも

心配そうに顔色を伺っていた。

すっかり食が細くなってしまったおばあちゃんが、母が差し入れてくれた稲荷寿司を

一口二口だけ口を付けてから

「ごめんなさいね、もうお腹いっぱいだから、あとは桃ちゃんが食べていいわよぉ」

と言って手渡されるのが、子供心に遠からぬ別れを予感させて、とても悲しかった。

 

ある日、おばあちゃんの病状が悪化し病室を移る事になり、母が手続きをするついでに

お見舞いに行った時の事。

母が受付に行っている間、私はいつもの様におばあちゃんが残した稲荷寿司を平らげた後、

進学先の中学校が決まった事を報告していた。

通う先の中学がある学園艦の名を挙げると、おばあちゃんは目を丸くしたかと思うと突然

ぽろぽろと涙をこぼし始め、私はその姿にただ困惑するしかなかった。

「ごめんなさいねぇ、びっくりさせちゃって」

そう言うとおばあちゃんは、今にも泣きそうだった私の頭を優しく撫でながら、

いつもと同じ調子で、静かに話をし始めた。

「桃ちゃん、おばあちゃんの昔の話、少しだけ聞いてくれる?」

 

***

 

おばあちゃんが赴任した高校で戦車道の顧問を務めて十余年が経った頃、既に戦車道は

人気に陰りが見え始めていた。

その影響は履修者の減少と言う形で表れ、動かす人も居ない戦車の数々は売りに出されて

行ったと言う。

そして最後に残ったのはたった七台の戦車と、それらをどうにか運用できる人数の生徒達。

彼女達は、戦車道が本当に大好きだった。

名門の黒森峰や資金力のあるサンダースの様に、大きな大会で結果を残す事は無かったが、

皆が一生懸命に練習や試合に取り組み、心から戦車道を楽しんでいた。

そんな生徒達の想いに、おばあちゃんも教師としてどうにか応えたかった。

だから、おばあちゃんは一世一代の大きな賭けに打って出たのだ。

翌年には戦車道の廃止を決定していた学園長の下に乗り込んで直談判をし、ある条件と

引き換えに戦車道存続の約束を取り付けた。

同年の夏に行われる、戦車道全国高校生大会での優勝。

無茶な条件だと言う事は、おばあちゃんも、生徒達も分かっていた。

だけど決して諦めず、生徒達は来る日も来る日も練習に励み、おばあちゃんも指導の傍ら、

お腹を空かせた彼女達に手作りの稲荷寿司を振る舞い元気付けた。

既に売り払われた戦車で補てんされたなけなしの活動費を叩いて、決戦火力をどうにか

手に入れようと奔走し、人づてに案内された中古業者と重戦車を格安で手に入れる契約を

結んだりもした。

 

でも、それがいけなかった。

 

生徒達の願いに応えたいと逸る余り、業者からティーガーⅠと紹介された中古戦車を

渡された写真(後になって思い返せば、角度を誤魔化したり細部を見切れさせた)だけで

納得して実車を確認もせず、結果として納品された戦車は、名前は同じティーガーでも

試合はおろか満足に動かす事すら難しい欠陥品、ポルシェティーガーだった。

過ちに気付いた後には、業者はとっくに雲隠れした後で返品する事も出来ず、生徒達の

前で恥も外聞も無く泣きじゃくるしか無かったおばあちゃんを、だけど彼女達は誰一人

責めたりはしなかった。

それまで以上に練習に励み、一方で自動車部と兼任していた一部の生徒達も、曲者の

ポルシェティーガーをどうにか試合に出せる様に奮闘し続けた。

 

それでも、最後の希望には届かなかった。

結局ポルシェティーガーを試合に投入できる状態には出来ず、既存の七輌で挑む事と

なった戦車道全国高校生大会の一回戦の相手は、強豪の一角サンダース大付属高校。

生徒達は死力を尽くし懸命に闘ったが、それでも相手は練度も戦力も圧倒的に上だった。

 

一回戦敗退。

その結果、当初の予定通り戦車道の廃止が決定し、残りの戦車も全て廃棄される事に。

大好きな戦車道どころか、共に戦い続けた戦車まで失ってしまう事実を前に、残りの

日々を悲しみと後悔の中で過ごす事となった生徒達の為、おばあちゃんは今度は自ら

望んで過ちを犯した。

 

おばあちゃんは紛失書類を捏造し、殆どの戦車を学園艦の彼方此方へと隠したのだ。

当然、紛失書類を提出した所で、無くす方が難しい様な戦車をしかも複数紛失したと

あれば、その責任を免れる事は出来ない。

でも、そんな事は覚悟の上だった。

不自然に思われない様、一輌だけは自動車部の備品として登記し倉庫へ仕舞い込んだ後、

残る一輌の軽戦車を山林へと隠す為に乗員を務めた生徒達と一緒に最後のドライブへと

向かった夜の事を、今でも忘れられないと語っていた。

 

最後まで笑って見送ってあげようと、生徒達と約束し出発した事。

燃費や整備費の事はもう考えず、思い切り風を切って飛ばした事。

それでも、目的地が近付くにつれ、涙が溢れだして止まらなかった事。

「ちゃんと使ってあげられなくてごめんね」

「活躍させてあげられなくてごめんね」

「こんな寂しいところに置いていくしかできなくて、ごめんね」

そう口々に謝りながら、人目に付かない木々の奥へと涙を拭いながら隠した事。

 

おばあちゃんが戦車道顧問として、生徒達と過ごした思い出はそれが最後だった。

程無くしておばあちゃんは戦車紛失の責任を取って教職を辞し、学園艦を去ったと言う。

 

***

 

「かーしまぁ、そんな所にいたのか」

学園の屋上で稲荷寿司が三貫入ったパックの助六寿司を頬張りながら空を見ていると、

探しに来た会長と柚子から声を掛けられた。

「あっ、桃ちゃんまた稲荷寿司なんだ。本当に好きだねぇ」

別に好きで食べている訳じゃない。

私が本当に好きなのはおばあちゃん流の、ちらし寿司仕立ての酢飯が詰まった稲荷寿司で、

スーパーやコンビニで売っている稲荷寿司は大抵、中身が只の酢飯だから物足りないのだ。

そんなことを言ってもおばあちゃんっ子とからかわれるだけなので、特に言い返さずに

二貫目を頬張る。

 

結局、おばあちゃんは私が中学へ上がる姿を見る事無く、病室のベッドで生涯を終えた。

昔話の最後に教えてくれた、おばあちゃんが教師として過ごした学園艦。

それが、今も私が高校生として通い続ける此処、大洗女子学園であった事は単なる偶然で

あり、運命の巡り会わせと呼ぶ他無い。

 

「でも、戦車道復活なんて思い切ったことを考えましたねぇ、会長」

おばあちゃんの思い出の地、大洗学園艦に今、大きな危機が迫ろうとしていた。

文科省主導による学園艦統廃合政策。

その槍玉として大洗が真っ先に挙げられ、来年度の廃校を勧告された生徒会の私達は、

かつては盛んだった戦車道を復活させ、今年の戦車道全国大会での優勝と言う実績と

引き換えに廃校を撤回させようと目論んでいたのだ。

おばあちゃんがかつて生徒の為に戦った大洗女子学園で、孫娘の私が今度は学園艦存亡の

為に戦うとは思いもしなかった。

「まあ、売り言葉に買い言葉でああは言ったが、肝心の戦車を見つけ無い事にはなぁ」

「過去の書類では戦車を紛失と書いてありましたし、学園艦のどこかには残っていると

思うんですけど…」

おばあちゃんが、自身の教師人生と引き換えにしてまで隠した戦車達。

隠した場所も聞いておけばよかったと、今更思っても仕方ない。

「大丈夫です。きっと、いや必ず、見つかります」

珍しく確信めいた口調で断言する私を見て、会長も柚子もきょとん、としていた。

 

おばあちゃん。

おばあちゃんが残してくれた戦車、きっと見つけるから。

そして必ず、おばあちゃんが大好きだったこの学園を、守って見せるからね。

決意を胸に頬張った稲荷寿司は、出来合いのお惣菜だからだろうか。

少し、塩辛かった。

 


 
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