No.844291

自己増殖性ラビュリントス 07「煽動」

「もし、深秘録参戦者以外がオカルトボールを手にしたら」というifをもとに描いた、東方深秘録のアフターストーリー的連作二次創作SS(SyouSetu)です。

!注意!
このSSは一部の幻想住人にとってアレルゲンとなる捏造設定や二次創作要素がふくまれている可能性があります。
読書中に気分が悪くなったら直ちに摂取を停止し、正しい原作設定できれいに洗い流しましょう。

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2016-04-25 01:47:27 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:1009   閲覧ユーザー数:1008

07 煽動 -Firebrand-

 

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「知らんのか。今回のオカルトボールをすべて蒐めると……都市伝説が、完全なる幻想として成立する。我々妖怪と等しく同じく、この幻想郷に顕現する。所有者の、その力の一部としてな」

 

 ナズーリンは淡々と言い放つ。都市伝説(オカルト)大戦の、勝利者の勝ち取るものを。鈴仙は少々呆気にとられた後、徐々にそれを理解した。

「……完全に?今までの、散発的に見られた都市伝説のようにではなく?」

「ああ、人面犬や足売り婆か。あれは要はおこぼれだ。オカルトボールからもれ出たチカラ、こぼれた余波に湧いて生えたカビやキノコのたぐいだよ。あんな成立もどきの不定形概念とはワケが違う。完全に、能力として取り込まれるのだ。私はそうだな、仮に全部蒐集したばあい……"どこにでもいる程度の能力"とでも、改めるとするかな。オカルトスペルは最早オカルトスペルではなくなる。この意味が、わかるな?」

 鈴仙はぞうっとした。現在の幻想郷において、強大な神仏妖魔率いる大勢力が短期間のうちに複数出現し、台頭しながらもパワーバランスが維持されているのは、命名決闘法(スペルカードルール)によるところが極めて大きい。命名決闘においては、如何なる強大な超能力であろうとも、弾幕として命名しなければ行使できない。弾幕には一定の規則性(パターン)が必要であり、また、ひとりの人妖が制御し切れる規則性には限界がある。複数の能力を持つ者が、そのいずれもを最大限活用するスペルカードを同時に設計することは極めて困難なのだ。だが、オカルトスペルは違う。

「オカルトスペルはそれ自体が、極めて明確な"都市伝説"という規則性を既に有している。いわば外付け術式定義集(インクルードファイル)だ。私や二ッ岩マミゾウが、もとの弾幕とかけ離れた規則性のオカルトスペルを、さも容易に扱っていることからも自明だろう。尤も、君の都市伝説は君がふだん扱う規則性と、そう大差ないようにも見えるがな……全く愚直なやつだ」

「話を戻しましょう。――つまり、弾幕ごっこにおけるパワーバランスの均衡が、崩れると?」

「断言はできんな。だが、きっかけとしては充分に思えるね。そも、このバランスが維持されていることそのものが奇跡じみた状態なのだ。タッタひとりが絶対優位に立った時点で、異変と解決のサイクルは破綻する。そいつが黒幕であるなしに拘わらずな。いわばそれは、満水の堤防に入った亀裂だ。その亀裂から水が漏れ、いつしか奔流となり、やがて大洪水(プララヤ)が起こる。愉快そうな話ではあるが……ハハッ。迷惑は御免被りたいものだね。その点、私は安全なものだぞ。所詮は弱くて汚らしいネズミさ。どうする?その危険物、今なら全部預かってやらんでもないぞ」

「お断りします。その手には乗りませんよ」

「ハッハッハ、だろうね。君は愚直だが愚鈍ではない。だがゆめゆめ、ぬかるなよ。誰もが皆、この異変を物見遊山の勝ち抜きゲームとして愉しんでいるとは限らんということだ。7ツの新オカルトボールもそれなりの者が触れ、それなりの数が強者に集まってきたころあいだ。そろそろ、気付くやつがいないとも限らん。私のように、ずる賢いやつがな。いいか、新オカルトボールは7ツだ。君らはもう半数近くを持っている。裏を返せば絶好のカモだ。せいぜい、ボーナス・ステージにならないように気をつけろ」

 飄々と毒づきながら、ナズーリンは再び麓を目指して歩き出した。鈴仙は急いで医療キットを取り出し、足の傷に手当てをし、里の方角を見やった。

「……行けるか」

「ええ、乗りかかった船です。傷のほうは大丈夫。こういうの専門ですから。半刻ほど固定すれば、戦闘続行は可能です。――行きましょう。何か不穏な予感がします」

「背に乗れ。飛んで行くのも怪しまれようぞ。儂の足なら丁度、半刻ばかしで里につく」

「……ありがとうございます」

「気にするな。儂にとっても、里は他人事じゃあねえからな」

 そう言うとマミゾウは鈴仙をしかと背負い、笠を被せ、自分も人に化けて崖下へと跳躍した。

 

 

 ――ああ、嘘は言っていないさ。確かに"新オカルトボールは"、7ツしかないのだからな。

  

 

 ● ● ●

 

 

 夏の快晴だというのに里の大通りは人もまばらで、粘こい陽の暑さをより際立たせる。いつもは攻撃的なリズムを叩きつける雑踏のパーカッションなしでは、やはりミンミンゼミの熱唱にも張りがないというものだ。陰湿というには明るすぎて乾きすぎた、いやな雰囲気が里中にわだかまっていた。それもこれも暑さのせいか?否。豊聡耳神子の超人的な聴覚は、家屋の中から漏れ出す声を逃さず捉え、それらを並行処理して状況を分析、別の答えを得つつあった。思ったよりも厄介だな。彼女はそう感じていた。

 不安感。猜疑心。破滅の待望。陰謀への羨望。人びとの口から、あるいは心から漏れ出す声と欲には、そうした色がふくまれていた。かつての宗教戦争異変と同質の、だがより根が深い負の欲望。いちど終息をみた都市伝説異変の再燃により、人は再び静かな恐怖に怯え始めていた。その結果として、じわじわと、だが確実に、人から活動の意欲を殺いでいったのだ。

 

 大衆は不明瞭な恐怖と不安に曝されたとき、苦難の果ての脱出よりも、あるいは非現実的な正義の救済よりも、より軽率で現実感のある不幸と無力をこそ求める。誰もが被害者になりたいのだ。手前勝手に、あるいは自暴自棄に、かわいそうな悲劇のヒロインとしての自分を確立させてくれる、無力感によって現状に甘んじさせてくれる、都合の良い陰謀論にすがって嘆き悲しみたがるのだ。不幸を求める堕欲。ひとたびそれが人の心に寄生すれば、人から人へとたちどころに感染し、宿主を省みず無尽蔵に増殖する。できの悪いフォークロアが、奇妙な信憑性を得て跳梁跋扈する。皮肉にも、都市伝説に怯える人びと自らが、粗製乱造された新手の都市伝説を育てていくのだ。

 豊聡耳神子は、聖徳王はかつての為政者である。そうした人の世に巣食う心の寄生虫を、彼女は誰よりもよく知っている。こういう時は大仏でも一ツ建ててやって、坊主に虫下しの説法でもさせてやるのが良いのだが、残念ながら幻想郷での仏教は古代日本ほど流行していない。1000年以上も続いた仏教ブームにはほとほと苦労をさせられたが、いざ下火になってみると思いのほか不便なものだ。道教は草の根活動が功を奏して流行のきざしが見えつつあるが、正直、為政者視点で言えば道教ブームというのもうまくない。下手に仙人もどきにでも成られて、悪質な新興宗教なぞ立ち上げられては余計に話がややこしくなる。

 道場ではそうした輩が出ぬよう目を光らせているが、こうも里が不安定では、いつそうした輩が現れるのかわかったものではない。事実、古代日本においても神子の没後、部下の秦河勝がイモムシをあがめる妙ちきりんな新興宗教を粛清したというではないか。全く油断もスキも死んでるヒマもないものだ。神子はぶつくさと毒づきながら、里の見回りを続けていた。都市伝説使い(オカルティスト)、博麗太郎。何者か知らぬが、里の現状をかんがみるに危険極まりない存在だ。絶対に、奴を里に近づけてはならない。その前にシッポを掴み、潰す。奴が、常世神に成る前に。

 

 神子が大通りをひとしきり見廻り終え、里の奥へとさしかかった時。さて稗田の屋敷にでも挨拶をして、他をあたろうかと思いかけたところに、ふと目に入ったのが古めかしい貸本屋だった。

「いらっしゃいませー……って、ど、道場の太子様!?」

「やあどうも。流行っているかね?」

 店番をしていた娘が目を白黒させ、神子をもの珍しそうに眺めていた。神子はわざとらしく目の死んだ営業スマイルをつくり、整った白い歯を輝かせながら、錯覚と見紛う程度のわずかな霊力を輝きに変えて周囲に散布し、身につけた装飾品(金色の部分のおおむね98%が純金製だ)をキラキラと光らせた。驚くべきことに、ここまでの所作すべてを神子は無意識下で行使している。既に習慣なのだ。

「ああ、そう気を遣わずともよい。今はたんなる見廻り中なのだ。ここ数日、よくない噂をいくつか耳にするものでね。こうして里を巡っていたのだが……そこに可愛らしいお嬢さんのいる貸本屋が目に入ったので、少しお邪魔したまでだよ。貸本屋といえば知識の宝庫だ。何か情報があるかも知れないからね」

「ああー……でもうち、たいがいが外来本なので……お、お役に立てますかどうか」

「なに、巷の噂も外来発祥の怪異のたぐいだ。外来本とあらば、むしろ絶好といえるよ。何かいい本はないかな?お嬢さんが最近、見聞きした怪しい噂などについて、近しい内容の外来本があるなら紹介して欲しいのだが」

「え、あ。は……ハイ……」

 神子は手にとっていた本を棚に戻し、小鈴に笑いかけながら手を差し伸べる所作(これ自体に深い意味はない)をした。小鈴はまるで熱にうかされたように、ぼうっとした返事で応え、フラフラとカウンターから出てきた。その折、神子は彼女の陰に、ひときわ邪悪なオーラを放つ洋書があることに気がついたが、敢えて今は触れないでおくことにした。看過したのではない。この魔本が今もし牙をむき如何なる方法で悪事をはたらいても、最終的に被害ゼロで完封し斬り伏せるパターンを瞬時に128通りは思いついたからだ。

 小鈴は幼さの残る顔をほおずきのように紅潮させ、回らない頭でここ数日のきな臭い噂のたぐいを思い返した。だが、思考が判然としない。記憶と記憶がとぎれとぎれになり、頭のかわりに視界がぐるぐると回る。なんだか、甘い香りがする。脳が溶けてしまいそうな。キラキラと光る太子様の顔がこちらを向き、がっしりと小鈴の身体を抱きとめる。太子様の細腕に身を預け――

  

 

 ● ● ●

 

 

「――オイッ!誰かいないのかッ!オイッ!オイッ!」

 昏倒した少女の身体を抱きかかえ、貸本屋じゅうに通る大声で叫んだ。だが、しんと静まり返った室内から、返ってくる声はひとつもなかった。明晰な頭脳が、最悪のケースをいくつか想定する。腕の中の少女はぐるりと白目を剥き、口の端にぞわぞわと泡を湧かせながら、小刻みに痙攣しつつ辛うじて呼吸をしている状態だ。蛙を握り潰したような異音が、あまりに似つかわしくない少女の細い首から押し出されている。そして、異臭。一時は気のせいかとも思ったが、貸本屋の一階には甘ったるい臭気がたちこめていた。その臭気はだんだんと濃くなり、それにともなって、足下付近がわずかながらに赤く染まっているように見えた。先の妖魔本に変化はない。元凶はあれではない。とかく、この場に彼女を放置するのは危険だ。

 少女を抱えたまま、私はカウンターを飛び越え、居住スペースと思しき部屋に飛び込んだ。店主や彼女の家族が倒れているかもしれぬと思ったが、しかしそれらしき影はない。そも、人の気配がまるでない。部屋の様子を注視する。そこそこの広さがある居間は半分程度に生活の痕跡があり、そこと地続きの台所には、失礼ながら、下手くそな片付けをされたような歪な整合性があった。棚には、いくつかの調理器具や調味料、足の早い野菜類などの収納場所が端的に箇条書きされた張り紙。

「――留守番、か」

 幸い、と言うべきか。或いは不運とみるべきか。状況をかんがみるに、彼女の家族はどうも何らかの用件で数日ばかし出払っているらしく、ちょうどその間、ひとりで店にいたということだろう。とかく今は、目の前のこの娘を救うことに集中すべきだ。伊達や洒落で聖徳道士を名乗っているわけではない。人体の構造と医学薬学の知識は頭にタタキ込んである。明らかに毒性の吸引反応。解毒の術式を流し込む。完全解毒に至るには毒性の解析が不十分であるし、何より現在進行形で毒ガスと思しき気体を吸引している。今ここでできるのは応急処置にすぎない。娘を抱え、貸本屋の玄関へと舞い戻る。――そこは既に、地獄のような様相だった。

 時間を間違えたかのような、時が歪んだような錯覚。電算機よりも精密な体内時計を参照する。間違いなく今は昼。先ほどまでの空は快晴。だが。天に陽は輝かず、陽光は地に注がない。ただ、空が紅く染まっていた――。

 

 

 天を覆う紅の霧。かつての異変で天に満ち満ちたそれよりもはるかに濃く、重く、そして――あまりに直接的な、害毒。豊聡耳神子の天才的な智慧をもってせずとも一目にして瞭然、斯様に莫迦げた大事をしでかす婆娑羅者など、この狭い幻想郷にふたりといてたまるものか。ならば、油断慢心その他すべてを捨て去るべきだ!

「――我は天道、地は我に通じ、汝ら人の頂に立つ!我神に非ず、我人に非ず、而して我が元へと集え!神に(まつろ)わぬ人の欲よ!勅命代行・全権承認!偽製伊弉諾物質(デミ・イザナギオブジェクト)起動!オーバードライブ! 『神霊大宇宙』ッ!」

 天高く掲げた神子の右腕、その先に光が集中し、それが巨大な円形の大孔として拡がり……そこからせり上がるように、青白いワイヤフレームで構成された巨大な球体が出現した!直径およそ7尺、球体の周囲を、衛星のような白い光弾が無数に渦巻いている。光弾は虚空から湧き出すようにどんどんとその数を増やし、その最外郭はワイヤフレーム球体の中心点からおよそ5間にも達する!それらが周囲を満たす紅霧をごりごりと削り取り、局地的に安全地帯を形成していく!抱えられた小鈴の顔色も、少しずつ明るくなってゆくのがわかる。この衛星光弾で隔離された空間そのものが、球体から発せられる強大な魔力によってことごとく浄化され、あたかも無菌室めいた別世界であるかのようにふるまっているのだ。神子はいちど室内へ戻り、小鈴を空中固定された球体のほど近く、玄関脇の椅子に寝かせ、剣を構えクリアリングしながら顔を出した。――直後、金属がかち合う甲高い異音が響き、突如飛来したなんらかの刃物が神子の剣に弾かれた!神子はすぐさま玄関口を塞ぐように仁王立ちし、襲撃者に向き直る。

「初手からオーバードライブスペルを持ち出すとは、恐れ入りますわ。その魔力……伊弉諾物質(イザナギオブジェクト)のたぐい、かしら?」

「君ほどの切れ者から、真製に見紛われるとは光栄だ。紅魔王の銀刃(メイド)殿」

 

 神子に不意討ちをしかけたその女は、きわめて異様な風体であった。紅の世界にあってなお強く目を引く銀髪を短くまとめて三つ編みを垂らし、服装は純白と濃紺を基調としたエプロン。大きく露出した大腿部には多数のナイフが差し込まれ、両手の指にも刃をつかむ形で多数のナイフを持ち、それがあたかも猟奇殺人鬼の長爪を思わせる。そして銀髪にベルトを食い込ませ、顔面を覆う黒いガスマスク。身に纏う淫靡さと貞淑さ、そして猟奇性、本来相反するはずのこれらの要素が、この異常な空の下にあって不可思議にも、異様な統一感を醸し出していた。紅魔王レミリア・スカーレットの擁する電光石火の従者。十六夜咲夜。極めて強大特異な時間操作の能力を持ち、体術もおよそ尋常の人間が持ちうる範疇を超えている。神子は全神経を緊張させた。

「申し訳ないが、君らを相手に手を抜ける程の余裕も器用さもないのでな。何のつもりか知らんが、手加減を期待するなら今すぐ手を引いておけ。双方無事で済むような次元ではないぞ」

「残念だけど、そうもいかないのよね。我々にも為すべき事がある。"博麗太郎"を誘い出す為に、人里を一時的に封鎖する。でも安心していいわ。この毒霧は特別製なの。貴女のような超人聖人奇人変人にはほとんど通じないし、一般人相手にも、そうそう致命的にはならない程度よ。あんまり死なれても困るのでね。せいぜい、嘔吐と眩暈でしばらく動けない程度よ」

「戯れ言を。貸本屋の娘が今まさに重体だ。これ以上吸引すれば本当に死ぬぞ。そも、毒を撒いた側の弁明など信用に足るものか」

「ああ、この霧は魔力由来だからねぇ。およそ一般的な生活を送る里人ならともかく、何かしらの強い魔力を恒常的に受けた経験があれば、妙な抗体ができてアナフィラキシー・ショックをおこす可能性はゼロじゃあないかも。まあ、知ったことではないわ。貴女が守ってあげたらいいじゃあないの。この空間から出ないのであれば、別にこれ以上の手は出さないわよ」

 神子は妖魔本の存在を思い出し、小さく舌打ちした。思わぬところで、足をすくわれたかたちだ。

「それはできない相談だ。重傷者が彼女だけとは限らないだろう。それに、この中なら彼女が助かるとも断言しかねる。本来ならば、早急に医療施設で治療を施すべきなのだ。本来なら、お前達をいちいち相手にしているヒマはない」

 

 会話を引き伸ばしながら、神子は現状を分析する。オカルトボールのもつ影響のうち、ターゲットを幻想郷に指定した現象は、仙界内部にまで及ばない。それは前回の異変で確認済みだ。そして新オカルトボールは前回のそれに比べ、かなり限定的に都市伝説の顕現範囲が狭められている。ボールの喪失が都市伝説の完全消失につながる状態がまさにその極北だ。新オカルトボールは都市伝説を具現化させるものではない。都市伝説を、幻想郷に、一時的に顕現させるものなのだ。範囲を絞り込めば絞り込むほど、術式の強度は増す。ゆえに新オカルトボールによる影響力は、局地的かつ強大となる。

 神子のオーバードライブスペル『神霊大宇宙』は、天球儀の周囲を神霊で満たす事により、その公転軌道内部を擬似的な仙界として扱う空間操作の術だ。いうなれば、空間そのものを切り出して己の掌中におさめているに等しい。神子は当初、この領域内に入り込んだ毒霧を分析し、分解消滅させ、小鈴の解毒と安全圏の確保を同時に行うはらづもりであった。しかし、どうだ。領域内に入り込んだ毒霧はたちどころに消滅し、分解はおろか、分析する間すらもない。幸いにも解毒と安全圏確保という目的じたいは果たせたが、毒そのものの分析はできぬままだ。神子は結論を出した。この毒霧――新手の都市伝説使い(オカルティスト)だ!

「禍根を断つ。このわたしにできるのは、それだけだ」

「交渉不成立ね。いいわ。別にその子を殺そうッていうわけじゃあないから、態々その子をこれ以上、どうこうはしないわよ。そのかわり、貴女が護ってさしあげることね、里の救世主様」

「ああ……そうさせてもらうッ!」

 神子は大きく跳躍、甘い香りに満ち満ちた毒霧の中へと突入した。それと同時、神子の周囲に大量のナイフが出現し、殺到した!

「――幻符『殺人ドール』!」

「そうくると……思っていたさッ! 仙符『日出ずる処の道士』!」

 神子の周囲の空間が円形に切り裂かれ、そこから放射状に光が放出、殺到するナイフを相殺していく。うち何割かを迎撃し漏らし、己に向かうそれらを、光刃を纏った勺で丁寧に打ち落としてゆく。第三者視点でみれば、凄まじい反射速度でもって猛攻をものともせぬ神子の、文字通りの超人的反射神経におののくことだろう。だが当の神子はこれを満足していない。『神霊大宇宙』の展開と維持には、相応の霊力消費を要する。聖人由来の驚異的な霊力回復速度をフル活用し、極大出力のレーザーで焼き払うパターンを最も得意とする神子にとって、瞬間最大出力の数割を奪われるこの状況は致命的だった。今全力で出せる弾幕は精々、下級スペル程度にとどまる。万全のコンディションで神子が迎撃にのぞめば、『殺人ドール』程度の中級スペルならば全弾相殺、逆に攻勢に転じることもわけはないはずだった。これを撃ち漏らし、あまつさえ自らの手を労せねばならぬ事じたいが、彼女のプライドを大きく傷つけた。

 しかし文句を言える状況ではない。この程度の逆境で民を護れずして、魔を討てずして何が英傑、何が聖剣か。神子は大型ヘッドフォンのように大仰な耳栓のヘッドバンドをむんずと掴み、頭部からもぎ取って、跳躍動作のなかで空中一回転しながらアンダースローで鈴奈庵に投げ込んだ!全方位、四方八方から数百数千にのぼる"音"が雪崩れ込み、神子のスーパーコンピュータにさえ匹敵する超頭脳ですら一瞬、オーバーフローを起こしかけ、視界をぐらつかせる!神子は持ち前の精神力と強靭な自律神経で即座に持ち直し、レーザー出力を加減することで反動を利用し空中制動、対岸にある長屋の屋上へと着地した!

 

「全く君らは運がいいぞ……これを外した私と相対するなど、本来ならば大勲位菊花大綬章(だいくんいきっかだいじゅしょう)ものの栄誉なのだ。終生誇れ」

「ああ、私はどうせ死んだら死ぬ身ですの。終生という期限つきなら、余り永くは覚えていられませんわね」

「その身に余る栄誉を受けながら、それでは不敬というものだ。どうだね一ツ、仙人にでも成ってみる気はないか。君なら筋の良い大人物に成れるぞ」

「あら御生憎様。私、神に唾吐く悪魔の手先ですもの。厚顔無恥にして傲岸無礼の不敬者でなくば、我が主に申し訳がつきませんわ」

「それもそうだ!ならばその目にとくと刻め、君ら蛙が唾吐く天の遥か高さを! 光符『救世観音の光後光』!」

「連射ならば私にも相応に自身があるッ!ならば、連射の速さ比べといこうじゃあないかッ! 奇術『エターナルミーク』!」

神子の掌から奔流のように光弾が放たれ、咲夜の嵐のようなナイフ連続投擲がこれと真正面から衝突!咲夜の瞳が紅色に染まり、ガスマスクのレンズ越しに光跡を走らせながら、また神子も光の帯を棚引かせながら、長屋の上と下を並行に駆け抜ける!一見ランダムに見える光弾と投擲のその一発一発は、神子は完全解放した超聴覚で微細な筋肉の動きさえも観測し、咲夜は自身の体感時間を極端に鈍化させることで、それぞれが正確無比に相手の急所ないし放たれた弾幕の相殺に向かっている!結果お互いの懐へはいっさいの弾が届くことなく、ただその正中に、光弾とナイフが相殺される際に発する強い閃光だけが残るのである!

「イヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤ!」

「ウララララララララララララララララララララララララララララララ!」

 真紅と黄金の光跡が人里の街路に轍を刻みつけ、閃光が舞い散る!神子は長屋を跳び渡りながら、概ねの状況を聴覚によって把握していく。多くの里人はうずくまって頭痛を堪えたり、嘔吐したりしているが、なる程確かに直接生命を奪うたぐいのものではないらしい。なるべくならば鈴奈庵へ避難させたいものだが、下手に毒霧を長引かせるほうが危険だ。優先すべきは驚異の排除。進行方向の屋根が途切れる。その先には、柳の並んだ人気のない川。神子は勝負をかけるべく攻撃をいったん止め、マントを翻して跳んだ!

「時に訊こう!赤いマントと青いマント、君はどちらを選ぶか!?」

「じゃ、青。肉の血抜きって結構めんどうなのよ。仕度を手伝ってくれると有難いわぁ」

「結構ッ!来い、青マント――!」

 

 空中回転跳躍しながらナイフを躱す神子の傍らに、青一色の鎧に包まれた怪人が出現する。その全身に生命のたぐいは感じ取れず、仮面のような頭部は目の部分がくり貫かれ、その内側はがらんどうのように暗く、金属製のあぎとは非生物的な無慈悲さをたたえている。趣味の悪い絡繰人形か、それを模した着ぐるみのようないでたちであった。特に目を引くのがその左掌にぽっかりと開いた孔で、その内側は明らかにほかの部位と異なり、強大な霊力をたくわえているのが視覚ですら見てとれる。なんらかの術式を強化する炉であることは、相応に魔術霊術のたぐいを修めた者からすれば明白であった。

 神子の号令とともに現れた青の怪人は空中で両腕とマントを大きく広げ、その胴の正中をばかりと開き、腹の部分で上下に分離。上半身は炉をもつ左腕を高く天に掲げ、右腕を構成するパーツが秘密箱のようにスライドをくり返し、重厚な鎧となって胴体へと格納されてゆく。下半身もまた右脚がプロテクターのように変形し、左脚のまわりを覆うように格納される。その間へ神子が滑り込むように突っ込み、がらんどうの鎧へ左脚と左腕を突っ込んだ!上半身は更にスライドと変型をくり返し、神子の左半身を強化外骨格鎧(エクソスケルトン)として覆う!神子が翻す紫のマントはいつしか青く染まっており、殺到するナイフを闘牛めいて翻弄しながら着地!神子と咲夜をつなぐ直線が、人気のない川辺と一直線に並んだ!空中でナイフを投擲した直後の、明らかに制動のきかぬ姿勢で天地逆さに構える咲夜へ、神子は左手の炉を突き出す!

「 *大怪人の静脈・率土兆民王以て主と為す* !!」

 青の閃光が一直線に川べりを迸り、毒霧を散らして天に突き抜ける!あまりに輝度が強いために、周囲が一瞬、真夜中のように暗くなったかのような錯覚をあたえる!出せる霊力が少ないのならば、限界までそれを増幅すればよい!神子は空になるまで搾り出し尽くした霊力を、深呼吸で急速回復させる。跳躍から攻撃まで、わずか1秒にも満たぬ絶技であった。やがて、散っていた毒霧が戻る。そこに咲夜の姿はなし。神子は青マントの装着を解除する。傍らに、青の怪人が跪いた。

「……完全に取ったつもりだったが、なる程脱出不可能とあれば、奇術師にとってはうってつけのシチュエーションか。全く主従揃って出鱈目(でたらめ)なやつらだ」

 聖人は肩を鳴らし、人里の精密な地図を頭に浮かべ、聴覚をもとに里人の現在地と、症状の多寡から判断される毒の薄い安全地帯をマッピングしていく。毒霧による人里の完全封鎖、この大異変そのものが、ただのひとりの為の煽動であるという異常性。ついぞ牙を剥いた紅魔王の"博麗太郎"への敵愾心は、正真に狂気といえるものであった。神子はその一端を図らずも理解していた。王たる自負。支配者としての矜持。暴虐による秩序への信仰。それら帝王学のすべてが、領地の秩序を乱す己以外の存在を激しく拒絶する。紅魔王レミリア・スカーレットは完全に、"博麗太郎"を政敵と看做している。

 幻想郷の支配者を自負するかの暴君の性格と、今回の目的をかんがみるに、やつは人里のどこかに拠点をつくり、そこに潜んで待ちかまえている可能性が高い。ああした手合いは、激昂するほどに自らは動かぬようになるものだ。もし奴の望みどおり、"博麗太郎"までもが煽動をうけて出てくれば、それこそ里は地獄の戦場と化すだろう。これでも王のはしくれだ。貴様の王道は、我が王道をして看過できるものではない。一刻でも早く紅魔王の根城をあばき、この毒霧を打ち払わねば――。

  

 

 ● ● ●

 

 

「オイオイオイオイあのクソガキ、やりやがったよ。ここまでやるかよ。流石に里はヤバイってオイオイオイオイこれ私のせいかよ、私のせいかな……」

「ま、姉さんのせいじゃない?順当に考えて」

「ギャアアアアア!ヤバイ!マジでヤバイ!マジクソヤバじゃねーのこれ!マジでこれ紫ババアに殺される!ちょっとシャレになんねーよこれオイ!オイオイオイオイ!」

「うるさい。ちょっと黙ってて」

 遥か遠方の森の中より、紅の霧に覆われた里の惨状を見やる1対の幻魔あり。一方は天使を思わせる白い翼をぐにゃりと曲げて恐慌状態に陥り、もう一方は従者然とした珍妙な姿で、急造したと思しき大仰な魔術コンソールにかじりつく。

「あっちはあっちで、やる事やってるわけだし。こっちはこっちで、やる事やるしかないじゃない。頭は私が使うから、力仕事は任せるわよ」

「お、おう……。か、覚悟をきめるしかないのか……」

「さて、と。空間脆弱ポイント捕捉、四次元座標誤差0.5未満。異空間構成要素、第四槐安(かいあん)通路と99%一致。逆探知可能性、0.7%未満。接続状態、役満緑一色(オールグリーン)

 従者然とした幻魔はコンソール越しに森の奥をにらみ、キーボードを高速でタイプして座標を定めた。そしてスペルカードを高らかに掲げ、未だ互いに接触すらしていない敵へ向け、これを宣言した。

 

 

「攪乱『ジェネレイト・ランダマイザ』――乱してやるよ、お前の悪夢(アルゴリズム)

 

【08につづく】

 


 
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