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とある武術の対抗手段《カウンターメジャー》 第三章 G−1トーナメント:三

neoblackさん

東京西部の大部分を占める学園都市では、超能力を開発するための特殊なカリキュラムを実施している。

総人口約230万人。その八割を学生が占める一大教育機構に、一人の男が転入してきた。
男の名は字緒廷兼郎(あざおていけんろう)。彼が学園都市に来た目的は超能力ではなく、武術だった。

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2016-03-30 22:29:35 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:740   閲覧ユーザー数:740

 襟原折江《えりはらおりえ》は、借り物が書いてある紙を握りしめ、おろおろと人だかりの中で視線を泳がせていた。

 彼女が渡された紙には、『アスコットタイ』とだけ書かれていた。

 『アスコットタイ』とは、スカーフように幅広な生地をした男性の昼間正装用ネクタイである。

 その由来は、ロンドンのウィンザー城に近いアスコット村で開かれる競馬大会において、貴族たちはこの幅広のネクタイを着けて観戦していたことに端を発する。

 美術分野の才能を買われて長点上機に入学した襟原は、『アスコットタイ』を見てすぐに思い至ったが、それ故に半ばこの競技を投げていた。

 今時『アスコットタイ』を身につけている人を見つけるのは至難の業だ。

 確かに今は大覇星祭という、ある意味でお祝いの場である。自分の子供の雄姿を見るために、もしかしたら正装をしてくる父兄もいるかもしれない。

 だが、『アスコットタイ』自体、今時の人には人気が無いし、三十代でもきちんと身につけている人は珍しい。

「はあ。何で『アスコットタイ』なのよ。学生に対する課題にしては、マニアック過ぎないかしら」

 このまま腐っていても仕方が無い。今度は第八学区に向かってみよう。

 そう思いながら待つ信号は、いつもより長く感じる。

 

「動くな」

 ぱたぱたと交差点で足踏みしていると、冷ややかな声音で静かに話しかけられた。背中に走る冷気と、有無を言わさぬ声で自然に体が固まる。

「だ、誰?」

 襟原の問いに、後ろの気配は答えない。

「喫茶店の辺りを見ろ」

「喫茶店って……、ッ!!」

 そこには借り物として指定された『アスコットタイ』を身につけた男性が、優雅にコーヒーを嗜んでいた。

「奴を連れて、会場へ向かえ」

「だから、あんた誰よ!?」

 

 思い切って後ろを向くと、そこには誰もいない。通り過ぎる人の波だけが流れてゆく。先ほどまで背後にあった気配は、ものの見事にかき消えていた。

「え? あれ? 何なのよ、一体?」

 信号が青になったが、得体の知れない恐怖で足が竦み、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 その調子で長点上機の生徒に、こっそり優しく借り物の場所を教えてあげた廷兼朗だったが、競技の結果は常盤台の一位で終了した。

 それもなんと一位の選手は、超能力者《レベル5》の御坂美琴嬢であった。二位に七分以上の差を付けての勝利だったので、これは盤石と言う他ない。

 さすがに超能力《レベル5》には勝てなかったか。廷兼朗は自分の見識の甘さに歯噛みした。廷兼朗がサポートした生徒たちが、何故か戦々恐々としながら競技を続けるようなことがなければ、あるいは一矢報いることが出来たかもしれない。

 より綿密に計画を練り直す必要があるようだ。もちろん搦め手で。

 

 干渉数値で能力を制限されているとはいえ、学園都市最強を相手取るのは、得策ではないかもしれない。

「将を射んとせばまず馬を射よ、ということか」

 周りから切り崩すのが順当か。幸いに貴重な大能力《レベル4》の一人である白井黒子は怪我で参加していない。つまり戦力が万全ではなく、廷兼朗の知り合いは、常盤台には白井と御坂しかいない。それに御坂との面識は一度だけである。

 これは大きなアドバンテージである。自分の正体が相手に分からないのだから。こういう状況でこそ、『対抗手段《カウンターメジャー》』の隠密性が最大限に発揮される。

 不敵な笑みを浮かべながら予定表を確認する。次は男子五百メートル走である。

 能力を使わず、武器も使わず、その痕跡を残さず長点上機に有利な状況を作り出す。ここからが『対抗手段』の本領だ。

 

 今度の競技場へは、バスに乗るのが一番早いと予定表に書いてあったので、廷兼郎はその案内どおりの停留所へ向かった。

 一分一秒の狂い無く、バスが停留所に入ってくる。スタビライゼイションに使う棒をぶつけぬよう気を付け、廷兼郎はバスに乗り込んだ。

「ひょー、すっずしー」

 急に体を冷やすのは良くないとはいえ、この炎天下が少しでも和らぐとあっては、緊張を解かずにはいられない。

 廷兼郎以外に乗客は無く、車内は広々としている。

「いやあ、今日も暑いですね」

 運転席に話しかけるが、何の返事も返ってこない。乗客は廷兼郎一人なのだから、世間話くらい興じてもよさそうなものである。

 感じ悪いなあ、と首を伸ばした廷兼郎が運転席を覗くと、そこには彼の想像を大いに上回る出来事が起きていた。

 

 ハンドルが、レバーが、シフトが、ひとりでに動いている。運転席に、人の姿は影も形も見えない。

 一般客でごった返す大通りを走るバスの中から、廷兼郎の「ヒャ~~~~」という間の抜けた叫び声がした。

 

 

 

 白井黒子という女生徒がいる。

 普段からお嬢様然とし、それを体現している女の子だが、そんな彼女でも落ち着きの仮面を脱ぎ捨て、感情の赴くままに身を委ねることがある。

 それは、同じ空間移動《テレポート》能力者と戦い、体中包帯だらけにされるほどの傷を負ったときでも、友人に涼しい病院内から連れ出され、スポーティーな車椅子に乗せられているときでもない。

 

 それは、憧れの御坂美琴お姉様が、借り物競争において見事一位に輝いた雄姿を大スクリーンで拝んだときであり、何故かその隣にいる男子生徒と手を握って会場まで走ってきて、男子生徒の体を自分のスポーツタオルで拭き、あまつさえスポーツドリンクを男子生徒に飲ませている様を大スクリーンで見せ付けられたときである。

「こうなったら、風紀委員《ジャッジメント》がジャッジメントしてやろうじゃありませんの! 被告、間男! 判決、死刑、死刑、死刑! 死んだ間男だけがいい間男ですのよ!」

「落ち着いて白井さん! 間男も何も、御坂さんと白井さんはまだ始まってもいませんから!」

 

 道端でギャアギャアと騒いでいる二人を、通行人はあくまで女学生同士の戯れと判断し、生暖かな目で見守っていた。

「ア、アヒイイ! ウヒ、ヒャアアアア!?」

 そんな二人のところへ素っ頓狂な悲鳴を上げて、男が一人、バスの出口から転び出た。

 短く刈り上げた頭をしたその男は、二人の同僚だった。

「あ、字緒さん」

 廷兼郎の只ならぬ様子に、二人のほうが呆気に取られてしまった。

「う、初春さん!? 違うんですよ、全然違うんですよ? 全くそういう意図はなくてですね?」

 何かを取り繕っていることだけしか伝わらないジェスチャーで慌て出すが、先ほどの悲鳴と同じく声が震えていた。

「まだ何も言ってませんわよ」

「白井さん!? 出歩いて良いんですか? 大怪我したって聞いてましたけど」

「病院の中ばっかりだと滅入ると思って、私が連れ出したんです」

「そうですか。たまにはいいでしょうね。でも人が多いから、気をつけてくださいよ」

「それで廷兼さん、何を慌ててらしたんですの?」

「もしかして、何か事件ですか?」

「え!?」

 びしりと音を立てるような、見事な硬直ぶりだった。この辺りは身体操作に長けた廷兼朗ならではである。

「いやまあ、事件と言えば事件、かなあ?」

「バスの中に運転手が居なかった、とかは無しにしてくださいませ」

 

「ぎゃふん」

 

「……別に車椅子に座ってても、空間移動は出来ますのよ?」

「待って待って待って!! てか怪我人なのに何で金属矢《ダーツ》仕込んでるんですか!? しかも体内に転送する気満々じゃないですか!!」

 矢継ぎ早に空間移動で繰り出される金属矢を、廷兼郎はあれよあれよと避けながら携帯で時刻を確認すると、素っ頓狂な声を上げた。

「はッ!? もう次の競技が始まってしまう! それでは失敬!!」

 服に何本かの金属矢を括り付けたまま、廷兼朗は全速力でその場を離脱した。

「字緒さん、忙しいみたいですね」

「ぐぬう。手負いでなければ仕留めていたはずですの」

「いいじゃないですか。代わりに服と鞄に当たってましたから」

 会場に着いた後、廷兼朗は毬栗のようになっている鞄を見て身悶える羽目になった。

 

 

 

 白井が刺していった金属矢を取り除いて、通気性と透明性を格段に向上させた鞄から、難を逃れた白ハチマキを取り出す。

 次の競技は大玉転がし。

 全面をアスファルトで舗装してある校庭は、あまり広いとはいえない。合戦を前にした武士のように、大玉を挟んだ両端に能力者たちがずらりと立ち並んでいる。

 計五十個にものぼる大玉を、先に半数以上を相手の陣地へ入れたほうが勝ちである。

 二メートル近い直径の大玉に手を添え、廷兼郎は呼吸を整えている。

 この大玉を押していけば、校庭の中ほどで相手とすれ違うことになる。この競技の要は、そのすれ違う瞬間に敵の大玉を妨害し、自分の大玉を如何にして無事に通すことに掛かっている。

 

 試合開始のホイッスルが鳴り渡り、皆が勢いよく大玉を転がす。怪しまれない程度に大玉に手を添えて、廷兼郎も出発する。

 いよいよ敵が近づく。大きな玉がごろごろと目の前に迫ったと思ったら、次の瞬間には盛大にぶつかった。

 

(今!)

 周囲の注意が逸れた瞬間を、廷兼郎は見逃さなかった。

 大玉と大玉の隙間。試合観測カメラにも決して映らぬ角度へ、廷兼朗は滑り込む。

 そして乱戦ならではの死角に潜み、一人、また一人と、的確にツボを突いてゆく。

 親指で丁寧に膝の『足陽関』、太ももの『中涜《ちゅうとく》』、肘の尺骨神経などを突付き、あるいは軽く押しつぶす。

 文字通り寸分の狂いも許されない、精緻を極める作業である。

 突かれたのを感じたころには、既に廷兼郎の姿は無い。そして自分でも気付かず、体は変調を訴える。

 勝手に膝が抜け、腰が落ち、肘から先が震える。とても大玉を押せる状態ではなくなり、敵の動きは目に見えて鈍ってゆく。

 その間に長点上機の大玉は、笑えるほど簡単に敵の陣地へ放り込まれてゆく。

 父母の暖かな応援が疎らになってきたころ、ようやく終了のホイッスルが鳴った。

 

 二十五対八で、長点上機学園の圧勝だった。

 一事が万事。そんな調子で、廷兼郎は長点上機を優勝に導くため、あらゆる競技に参加しては他校の生徒にちょっかいを出し続けた。


 
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