No.839244

式姫の居る日常

野良さん

式姫達の適当な小話を。

2016-03-26 17:28:31 投稿 / 全3ページ    総閲覧数:1270   閲覧ユーザー数:1252

■駆け出し陰陽師の娘と、和漢の文献を繙(ひもと)く。

 

 縁側を書物の山が歩いてくる。

「……なにやってんだ、こうめ?」

「ちょ、ちょうど良かった、手伝ってくれぬか?」

「そりゃ構わないが、何処まで運べば良いんだ?」

「お主の部屋じゃ」

「鞍馬の宿題を俺にやらせる気か?」

「……そのような事はせぬぞ」

「さいですか」

 こうめの僅かな逡巡に苦笑しながら、男はひょいと本を持ち上げて自室に運び入れた。

「助かったぞ、ちと勉強しようと思ったので、手伝って欲しいのじゃ」

「……こうめが自分から勉強だと?」

 麗らかに晴れ上がった五月の空を見上げながら、男は渋い顔で顎を撫した。

「……明日は雨だと思って居らぬか?」

「いや、雪かと……っ痛つ!」

 無言で男の臑を蹴飛ばして、こうめは一冊の書を取り上げた。

「お主らだけに戦わせるわけにもいかぬ、わしも術師として、鍛錬が必要だと思うたのじゃ」

「そりゃ結構な心掛けだが……この書の山はそれと関係あるのか?」

「修行法の書だとおじいちゃんから聞いておった物を、何冊か持参したのじゃ……その、わしはまだ漢籍を読むのが苦手じゃで……その」

「判った判った、読めば良いんだろ。ふむ、これは『抱朴子』か」

「『ほうぼくし』のう、して何が書いてあるのじゃ?」

 ちょいと待て、と言いながら、しばし慣れた様子で書に目を通していた男が顔を上げた。

「修行法は確かだが、仙人になる方法らしいが、これで良いのか?」

「無論良い、陰陽の術は、かの国の陰陽五行の考えを元にして、本朝の神、中国の仙道、天竺の仏の理を取り入れた物じゃでな」

「ふむ……しかし、仙人の修行なら、天仙に聞くのが一番確かじゃないか?」

 怪しげな書物より、実在の仙人の方法論が一番確かに決まっている。

 だが、男の言葉にこうめは渋い表情を浮かべた。

「『普通に呼吸していれば、自然に体に気が溜まって仙人になれるわよ、簡単でしょう』と言われて、お主……それで何とかなるか?」

「……無理だな」

 

 天仙、彼女は天才で、特に努力をせずとも、何でも出来てしまう。

 故に、自分のできる事を、方法論に落とし込み、それを人に伝授する師匠としては、彼女は全く向いていない。

 

「であろう?なのでまぁ、已む無く書物に頼ろうかと思うてな、して、何と書いてあるのじゃ?」

「えーとな、松葉や皮だけ食ってるとそのうち仙人になる、とか寝とぼけた事が書いてある」

「……梅おにぎりもだめなのか?」

「五穀は総じてダメらしいな」

「冗談ではないな、却下じゃ」

「ふむ、それじゃ次はこれか……えーと山菜だけを食べて山中の気を吸いながら修行」

「だから、そういうのは却下じゃっ! お主、わしの嫌がる修行法ばかり選んでおらぬか?」

「文句は俺じゃなく、これ書いた葛洪(かっこう)とかいう奴に言えよ」

「郭公(かっこう)のう 道理で鳥の餌のような物ばかり食えと並べ立ておる」

 こうめの下らない洒落に、男はニヤリと笑った。

「案外そうかもしれんぜ、これなんぞ傑作だ。羽虫を百万匹ほどぐつぐつ煮て薬を作り、それを飲むと空を飛ぶことが……」

 

          ハムシヲ、ニツメルンデスッテ♪

          ヤ、ヤメルデアリマース!

 

「……何か聞こえなかったか?」

「いや、別に何も? しかし酷い修行法ばかりじゃの」

「全くな、食い物を断つような修行はろくなもんじゃないと、釈尊が餓死しかかった後に、実感込めて言ってるんだがなぁ」

「良い事を言うのう、わしも仏に帰依するか」

「真面目な仏徒は、生臭が全部だめだけど、まぁ、梅おにぎりは食えるから良いかもな」

「……お主、やはりわしをイジめて楽しんでおらんか」

「真面目に相談に乗ってやってるのに心外な言い種だな。他の修行法は……と、これなんか良いんじゃねぇか? キノコ5種を潰して練って、水銀を熱して粉にした奴を混ぜる」

「うぬぬぬぬ……」

「ん、どうしたこう……めっ」

 何か言いかけた男の顔に、書物がぺしっと叩きつけられた。

「ええい、いじわるばかり言いおって。やめじゃやめじゃー、わしは仙術の修行などせんぞ!」

 足音荒く部屋を出ていくこうめの小さな背中に一瞥をくれてから、男は軽く肩を竦めて散らかされた書物を集めだした。

「それが良い。俺も、食い物で釣れんこうめなんぞ、気色悪くてかなわん」

 

 

■猫又達と、縁側で茶をすする

 

「長閑(のどか)じゃな」

「いや全くな、流れる雲も、どことなしのんびり見える」

「うにゃぁ」

 うららかな日差しの中、仙狸は愛用の湯飲みを片手に空を見上げ、男は自分の膝を枕に寝てしまった猫又の頭を、手持無沙汰そうに撫でていた。

 女性の滑らかな髪の手触りの中、時折ふかふかした猫の耳がパタパタと動き、手をくすぐるのがこそばゆいが、それが妙に心地よい。

 

「ふむ……雲か。こうしてみると、あれは船に見えるのう」

 ちょっと丸い船体に、弓型に帆を張っている姿は、確かに風を受けてのんびりと青空を航海する船に見える。

 平穏な時代には、明国からの船が交易の為に港に来るのは、そう珍しい光景でもなかったが、海にも魑魅魍魎が跋扈する時代となった今、港も死んだようになってしまって久しい。

「仙狸も、あんな感じの船に乗って唐の国から来たのか?」

「そうじゃな、と言うても成り行きのような物じゃがな」

「ほう」

 面白そうな話の予感がして、男はさりげなく饅頭を仙狸の手元に動かしながら、目で先を促した。

「役人の手で猫が集められておると聞いてのう、いざとなれば守ってやろうと思うて紛れ込んだら、それがこの大和の国に行く船に乗せる為の物じゃった」

「猫を船に?」

「ネズミから積荷を保護する為には良くある事じゃよ。積荷は仏典と仏像じゃった、じゃが……」

 そこで、仙狸は空を流れていく雲の船に目を向けた。

「わっちの場合は、あんなに呑気な船旅では無かったの。嵐に遭うわ、潮に流され漂流するわで酷い目に会った物じゃよ」

「そりゃ大変な旅だったな。無事にたどり着いてくれて良かったが」

「ふふ、あのままでは無理そうじゃったから、わっちの友人に風を起こすように頼んだりしたのじゃよ。お陰で、何とかこの国に人も物もわっちらも辿り着けたというわけじゃ」

「ふうん、自分や猫だけじゃなくて、人や物も……ね」

 ぬるいお湯でゆっくり蒸らしていた別の急須から、仙狸の湯飲みに茶を注ぎ足す。

「随分と肩入れしたもんだな」

「忝い、まぁ、仏典だの仏の像だのは、わっちにしてみれば水底に沈もうとどうでも良かったのじゃがな」

 仙狸はふっと軽く笑いながら、視線を空に向けた。

「あの男の盲(めしい)となっても、なおこの国に辿りつきたい、仏の教えを伝えたいという強い思いを海に散らすのが惜しくて、つい余計な事を、の」

「……それってまさか」

 何かを言いかけた男を制するように、すっと仙狸の手が挙がった。

「ふふ、化け猫の戯れ語りじゃ、真面目に聞く物ではない」

「……そっか、茶飲み話だものな……お、船に続いて鰯雲か」

「イワシ?焼く前に生で何匹かよこすにゃ!」

 寝ぼけたまま、がばっと跳ね上がった猫又の頭を、男はむぎゅっと自分の膝に押し戻した。

「お前はもう少し寝てろ」

「うにゃぁ……ごろごろ、お刺身にゃぁ、鯛の活造りもあるにゃぁ、極楽にゃ」

「やれやれ。しかし毎日干物じゃ確かに可哀そうだし、西の港辺りを開放すれば新鮮な魚は採れるようになるが……うーむ」

 帆船による海上輸送の物資輸送は、陸路とは比較にならない効率をもたらすのは、彼も知っている。

(後で鞍馬と相談するか)

 うーむと腕組みをして考え始めた男に、仙狸が微苦笑を浮かべる。

「まぁ、わっちもそうなれば嬉しいが、気長にやる事じゃよ。始皇の例を挙げるまでもなく、短兵急に積み上げる英雄の仕事は華々しいが、崩れるのも早い。お主はそのような徒花は望まぬじゃろ?」

「まあな、とはいえ、余り時間を掛けると、協力して貰ってるだけの皆に悪いとも思うんで、その兼ね合いだな」

「お主の人生掛けても残る時間は五十年が所じゃろう、わっちらにしてみれば、五十が百でも須臾の間の事じゃ、気にせず存分にやるが良い」

「神様は気が長くて助かるな」

 皮肉でもなく、心底からこういう言葉が言えるのが、この男の良いところなのだろう、仙狸は静かに笑みを浮かべた。

「それにのう」

「ん?」

「おそらく、皆の大半は、戦の有無に関わらず、この場所に居たいと思っておるぞ」

「居たけりゃ好きなだけ居てくれて構わんが、だだっ広いだけで、そんなに居心地の良い屋敷とも思わんがなぁ……」

「少なくとも、そこの猫は居心地が良さそうじゃぞ」

「うにゃぁん」

 ふにゅふにゅと何やら口の中で寝言を言いながら、猫又が心地よさそうに身をよじった。

「日向で転がってる猫は大概こんなもんだろ」

「ふふ、そうじゃな」

 遊び回る白兎や飯綱の声が、少し遠くに聞こえる。

 厨からは、何か煮ている良い香り。

 庭に聳える松の巨木を透かして、柔らかい日差しが程よく降りてくる。

 神の列に連なる身ではあるが、適うならば、このまま時が止まってほしいと願う程。

「ここは実に良い陽だまりじゃよ」

 

 

■自室で、なんという事のない時間を過ごす。

 

「また散らかしてる、いつになったら整理するのよ!」

「俺の部屋は良いって言ってるだろ、おゆき」

「散らかってると、どうしても落ち着かないのよ、捨てろとか馬鹿な事は言わないから、片付けだけしてよ、ほらこことか」

 部屋の一隅に、巻物や竹簡、書物などが、雪を固めて作る「かまくら」のような形に積まれている様を、呆れたように見て、おゆきは一番上に積まれた竹簡を取り除けた。

「どうやって積めばこんな風になるのよ、ある意味器用ねぇ」

「あ、こら、そこは触るな」

「さわがしいネ、どうしたノ?」

 その本の中から、可愛い少女が顔を出す。

 十歳になるかならぬかという背格好だが、彼女も立派な式姫。

 遥か北、雪と氷に彩られた蝦夷の地より来た小妖精、コロボックル。

「コロちゃん?!」

「そこはコロの秘密基地だ、触ってやるな」

「ソーだよ、屋根返して、おゆき」

「屋根?」

「その竹簡だよ」

「え……でもこれ」

 ちらっと見ただけだが、かなり古い文書。おそらく天文官の彼の家系に大事に伝えられてきた記録だろうに……。

 そんなおゆきの表情を見て取ったのか、男は何とも言えない表情で頷いた。

「良いんだ」

「おゆき、コロの秘密基地こわすノ?」

「そ、そんな事するわけ無いじゃない」

「だよネ、おゆきはそんなイジワルしないよネ」

 おゆきを見上げてにこっと笑ったコロボックルが、きゅっと抱きつく。

「おゆき、故郷のにおいがするからスキだヨ」

「あ……あらあら」

 ちょうどおなかの辺りにくるコロボックルの頭を、おゆきの白い手が撫でる。

 細くしなやかな故に、少し癖の強い髪を梳るように、優しく。

「そうしてる様を見ると、お……姉妹に見えるな」

「……今、母娘って言いかけなかった?」

「気のせいじゃねぇかな」

「ま、良いわ、聞かなかった事にしてあげる」

 

 もぞもぞと本の山の中にもぐりこむコロボックルの可愛い尻尾を、何とも言えない表情で見送っていたおゆきが、軽く頭を振ってから、別の一隅に目を向けた。

「この山は了解したわ、それじゃこっち、かいまきを丸めて出しっぱなしとかありえないわ、洗って干すから」

「おい、それも……」

 男が止める間もなく、おゆきが丸められたかいまきをぐっと引っ張る。

「あら?」

 案に相違して大漁時の投網を引き寄せた時のような、ずしっとした重みが、おゆきの細い腕に掛かる。

 いぶかる暇もなく、そのかいまきの中から、小柄な姿が転がり出てきた。

「我が眠りを妨げる者は誰にゃぁ!」

「砂華姫(さかひめ)?!」

 遥かなる西方の砂漠国より来った高貴な猫姫が、不機嫌な目をおゆきに向けた。

「にゃんだ、おゆきか……私ににゃんか恨みでも有るのかにゃ?」

「有る訳ないでしょ、それよりどうしてこんな所で、しかも包まって」

「ぐるぐる巻きになってると落ち着くのにゃ」

「ぐるぐる巻き?」

「ぐるぐる巻きにゃ」

「それで落ち着けるの?」

「狭くて暗くて、永眠できそうなくらい、落ち着くにゃん」

「……ごめんなさい、良さが良く判らないわ」

 真に異文化交流とは難しい。

「まぁ良いにゃ、木乃伊の幸せが東方のこちらでは理解されがたい事は弁えておるにゃ。いずれにせよ、次にわが神聖なる眠りを妨げたら、千年呪うから注意するにゃん」

 砂華姫がおゆきの手からひったくるようにして奪い返したかいまきの上にぽてんと寝転がると、すぐに、うにゃうにゃすぴーと平和な寝息が立ち始める。

「……凄い寝つきの良さね」

「猫だからな」

 見守っていると、砂華姫が寝返りを打つたびに、器用にかいまきが彼女の体をクルクルと包んで行き、程なくして、おゆきがこの部屋に訪れた時と同じ、丸められたかいまきがそこに転がっていた。

「何時見ても見事に蓑虫になるな、大したもんだ」

 特に動じた風も無くそう呟いて、男は書簡に目を戻した。

「どうなってんのよ、この部屋は」

「ご覧のとおり、そこは砂華姫の昼寝場所だ、んで、そっちの書物があれこれ散らかってるのがこうめの勉強場所、あっちの違い棚は孫麗が冒険で拾ってきた珍品の物置代わりだ、下手に触ると呪われかねんぞ。後、そっちのガラクタの山が、でし公の「はんてぃんぐ」とやらの成果だそうだ、勝手に捨てたら『捨てたやつを素材にするでし』とか言ってたから、触らないのが無難だ。他に」

「もういい、もういいわ」

「……判ったか、俺の部屋が片付かない理由」

「嫌という程判ったわよ、それにしても」

 そこで言葉を切って、おゆきは彼の部屋に視線を巡らせた。

 秘密の隠れ家、お昼寝場所、嫌々やってるのが見え見えの学びの跡に、はた目にはがらくたにしか見えない収集物の山。

 これはどう見ても。

「……なんか、やんちゃ盛りの子達の、父親みたいになってるわね」

「やっぱりそう思うか……薄々そんな気はしてたが、言葉にされると辛ぇな」

「あれ、子供嫌いなの?」

「別にそういう訳じゃねぇが、嫁さんも居ねえのが妙に所帯じみてるのって、何かこう、侘しい感じがしないか?」

 軽いため息と共に、窓外に目を向けた男の横顔を見ていたおゆきの純白の頬が、不意に紅くなる。

(え……ちょっと待って)

 彼が父親で、さっきコロちゃんに抱きつかれた時に、この人が言い掛けたみたいに私が母親なら……。

「どした?そういや、顔が赤いが風邪でも引いたか」

「べべ……別に、第一私が風邪なんて引く訳」

「そりゃ雪女が風邪ひく訳ないか。にしても顔が赤いぞ、体調が悪いなら休んでた方が良い」

「部屋が暑いのよ、私が居ても出来る事も無さそうだし、帰るわ」

 慌てて背を向けたおゆきに、男は申し訳なさそうに手を合わせた。

「ゆっくり休んでてくれ、俺の部屋も、できる範囲で綺麗にはしておくからよ」

 

「気にしなくていいわよ、お・と・う・さ・ん」


 
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